お笑い芸人として活躍する椿鬼奴さん。
若い頃どんな風貌だったのかや、年代ごとにどんなできごとがあったのか気になるかたも多いと思います。
さっそく、椿鬼奴さんの若い頃の写真やできごと、デビューのきっかけを年代順に振り返ってみましょう。
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椿鬼奴のデビューのきっかけや時期は?

椿鬼奴さんは、26歳の時に友人からNSC(吉本総合芸能学院)の養成所を紹介されます。それまでは大学卒業後、インターネットカフェでのアルバイトや、ペットフード輸入会社での営業事務の仕事をしていましたが、生活に物足りなさを感じていました。
テレビでお笑いを見るのが好きだった椿鬼奴さんは、友人の「お笑いが好きな友達ができるかもよ」という言葉をきっかけに、NSC東京校4期生として入学しました。高校時代から『夢で会えたら』に出演していたダウンタウンやウッチャンナンチャン、野沢直子、清水ミチコらに憧れを持っていたことも、この決断に影響を与えたと考えられます。
1998年に芸人としてのキャリアをスタートさせ、当初は「金星ゴールドスターズ」というコンビを組んでデビューしました。その後、コンビを解散し、「キュートン」というグループに誘われた際に「椿鬼奴」という芸名に改名します。

友人のおかげでなんですね。
椿鬼奴の幼少期は?若い頃の活躍やできごとを年代順に振り返り

椿鬼奴さんの幼少期のエピソードや、若い頃の活躍やできごとを年代順に振り返っていきます。
幼少期
椿鬼奴さんは1972年4月15日に東京都渋谷区の代官山町で生まれました。本名は宮崎雅代(みやざき まさよ)です。
幼少期の椿鬼奴さんは、非常に裕福な環境で育ちます。父親は鉄鋼関係の商社でエース営業マンとして活躍しており、家族は余裕のある暮らしを送っていました。
しかし、バブル経済の崩壊により、家庭環境が一変します。父親の株式投資が大きな損失を被り、家族は困難な状況に陥りました。その後、両親が離婚し、椿鬼奴さんは母親と弟とともに横浜市日吉に引っ越すことになりました。
最近髪の色味をピンクめ(派手ではない)にしてて、今回はかなりいい感じにピンク入ったなーと思ってたんだけど、日光に当たるとめちゃくちゃピンクのボブで”椿鬼奴”にしか見えなくて鏡見るたびに笑ってる。カラオケでバービーボーイズ歌ってそう。 pic.twitter.com/JOE92Ias2W
— コンノサトミ (@mahariqsatomi) August 9, 2023
この急激な環境の変化は、椿鬼奴さんの人生に大きな影響を与え、後の人間形成や芸風にも影響を及ぼしたのではないでしょうか。

そんな過去があったんですね・・・
10代

椿鬼奴さんが10代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1985年(13歳):桐蔭学園中学校女子部に入学
- 1988年(16歳):桐蔭学園高校女子部に進学
- 1991年(19歳):浪人時代を過ごす
中学校は、神奈川県の桐蔭学園中学校女子部(偏差値63)に入学します。校則は厳しい学校で、部活動は弓道部に所属し、主力選手として活躍していました。人見知りな性格ながら、人前で歌うことが好きで、修学旅行のバスで梅沢富美男さんの「夢芝居」を歌い、周囲を笑わせた経験があるそうです。
#今日は何の日#奴さん#奴姐さん#金星ゴールドスターズ#キュートン
— チーム全怨怒CHEER🔥 (@_30776506271) April 15, 2020
若い頃の椿鬼奴。
4月15日は椿鬼奴さんの誕生日。 pic.twitter.com/l0AXkV8kGo
高校は、桐蔭学園高校女子部(偏差値64)に進学。勉強にはあまり興味がなく、成績は普通でしたが、引き続き弓道部に所属し、県大会優勝や関東大会4位という優秀な成績を収めました。後に「炎の体育会TV」でもその腕前を披露しています。
高校卒業後、大学受験に失敗し、一年間浪人生活を送ります。この間、予備校に通いながら勉強しました。
椿鬼奴さんの10代は、弓道での活躍やユーモアあふれるエピソードが目立つ一方、厳しい校則や浪人生活など、挑戦と努力の時期でもあったようですね。

県大会優勝って凄すぎ!
椿鬼奴さんファンに聞いた、椿鬼奴さんの10代で印象に残っている出来事


弓道の県大会で優勝したというエピソードが印象的です。弓道のイメージがなかったので、彼女の腕前を見たくなりました。(30代女性)

中高一貫の名門校にいき、海外留学の経験もあるにもかかわらず全く勉強しなかった意志の強さ。普通は周りに流されて勉強していい大学に入ることを主眼とすると思うから。(30代男性)

高校時代弓道で神奈川県大会で優勝したという実態を知り本当にすごいなと思いましたね。彼女の繊細な思いが身を結んだのでしょうね。(30代男性)
20代

椿鬼奴さんが20代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1989年(20歳):バブル崩壊の影響で家庭環境が激変
- 1991年(23歳):大学卒業後、インターネットカフェ店員に
- 1994年(26歳):友人の勧めで吉本興業の芸人養成所に入学
20歳の時に、バブル崩壊の影響で家庭環境が激変し、貧困生活に転落します。母親と弟とともに横浜市日吉に引っ越し、新生活をスタート。家庭環境激変で大変な中、清泉女子大学文学部国文学科に在学し、アルバイトをしながら学生生活を続けました。
大学卒業後、インターネットカフェ店員として働きます。その後、友人の紹介でペットフード輸入販売会社に就職。月給約20万円のうち、8万~10万円を飲み代に使う生活を送っていたことも・・・また、OL生活に彩りを求めて、フィットネスクラブや英会話スクールに通っていました。
友人の勧めで吉本興業の芸人養成所(NSC東京校4期生)に入学。当初は習い事感覚で入学し、飲み代の節約を目的としていたそうです。卒業したのちに、「金星ゴールドスターズ」というコンビを結成してデビューしました。
椿鬼奴さんの20代は、環境の激変や経済的困難を経験しながらも、芸人としての第一歩を踏み出した重要な時期でした。当初は習い事感覚で始めた芸人の道が、後の彼女のキャリアを大きく左右することになるとは・・・凄いことですね。

半分も飲み代になっててびっくり!
椿鬼奴さんファンに聞いた、椿鬼奴さんの20代で印象に残っている出来事


お稽古感覚でNSCに入学したというエピソードが印象的でした。会社の倒産がなければ、芸人にはなっていなかったかもしれないと思うと、とても感慨深いからです。(30代女性)

就職して一度OLになった経歴がすごいと思った。他の芸人にも言えることだが一度社会人経験を経てお笑いの道に進む人の意志の強さとやり通す力にいつも驚かされる。(30代男性)

OLとして働く姿がとても印象的です。彼女のOL姿がかなり板についていてなんとなくすごく合っていると思いましたね。(30代男性)
30代

椿鬼奴さんが30代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1998年(30歳):ピン芸人として活動開始
- 2001年(33歳):将来の夫となる佐藤大さん(お笑いトリオ「グランジ」)と交際を開始
- 2008年(36歳):『エンタの神様』でブレイクのきっかけをつかむ
30歳の時に、ピン芸人として活動を開始します。生活のため、9時~17時でテレアポのバイトをしながら芸人活動を続け、深夜から朝にかけて先輩芸人の劇団稽古に参加し、非常にハードな生活を送る日々でした。
2003年頃、武蔵小杉の木造アパート(2K)に引っ越します。また、将来の夫となる佐藤大さん(お笑いトリオ「グランジ」)と交際を開始しました。そして、翌年ぐらいから芸人としての知名度が徐々に上がり始め、テレビ出演の機会が増加していきます。
2008年、ついにバラエティ番組「エンタの神様」に出演し、ブレイクのきっかけをつかみます。「ちょっと待って!」というギャグが人気を博しました。その後、テレビ・ラジオ・舞台など多方面で活躍し芸人としての地位を確立。安定した収入を得られるようになりました。
若い頃アイシャドウみたいなやつで鼻筋描いたら塗りすぎて椿鬼奴みたいになったことある。 pic.twitter.com/epE31wdD7V
— うさ好きミカ (@usagisuki10) May 12, 2017
椿鬼奴さんの30代は、芸人としてのキャリアを確立していく重要な時期でした。経済的な苦労や厳しい生活を経験しながらも、徐々に知名度を上げ、30代後半にはブレイクを果たしました。この時期の経験が、彼女の芸風や人間性を形成する上で大きな影響を与えたのではないでしょうか。

こんなにハードな生活を送っていたんですね。
椿鬼奴さんファンに聞いた、椿鬼奴さんの30代で印象に残っている出来事


ピン芸人のくまだまさしさんとコンビを組んで、M-1グランプリに出場していたというエピソードが印象的でした。当時のネタを見てみたいと思ったからです。(30代女性)

歌をリリースした経験があることには驚いた。あのハスキーボイスも聞きようによっては心地よいのかもしれない。個人的には歌にするにはあまり好みの声ではないが。(30代男性)

M1グランプリに出場するためコンビとして増谷キートンさんと活動していた姿が印象的です。決勝までは行けませんでしたがやる意味はあったと思います。(30代男性)
40代

椿鬼奴さんが40代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 2012年(40歳):イベント「Like a Record round! round! round!」を開始
- 2015年(43歳):お笑いトリオ「グランジ」の佐藤大と結婚
- 2016年(44歳):テレビ・ラジオ・舞台など多方面で活躍
「Like a Record round! round! round!」というイベントを藤井隆、レイザーラモンRGと共に開始。好きな洋楽をカラオケで歌うイベントを定期的に開催しました。
5月3日、お笑いトリオ「グランジ」の佐藤大と結婚します。同年、『徹子の部屋』に和服姿で初出演し、番組の大ファンであることを明かし、感涙したなんてエピソードも。
40歳になってからの椿鬼奴さんは、テレビ・ラジオ・舞台など多方面で活躍を続け、「セクシー講座」や物真似など、独自の芸風を磨き上げます。「奴のすり替え」という独特のトーク技術を確立しました。
椿鬼奴 セクシー スマイル♡#コヤソニ #コヤブソニック pic.twitter.com/2KotTuG3i7
— コヤブソニック 2024→2025 (@koyabusonicfest) September 15, 2014
椿鬼奴さんの40代は、芸人としてのキャリアを更に発展させ、結婚や新たな芸風の開拓など、プライベートと仕事の両面で充実した時期だったと言えます。独自のキャラクターと芸風を確立し、メディアで見ない日はなかったかのように思います。

様々な場で活動されてたんですね。
椿鬼奴さんファンに聞いた、椿鬼奴さんの40代で印象に残っている出来事


グランジの佐藤大さんと結婚されたことが印象的でした。番組でも特集されていて、記憶に残っているからです。(30代女性)

結婚しているとは知らなかった。女性芸人は結婚するとおもしろく無くなるとよく言われるが、イッテQ等見てると全くそうではないことがよくわかる。(30代男性)

鬼滅の刃が大好きというエピソードを聞いてすごく納得できました。彼女をは昔弓道をやっていたのでその血が騒いだのでしょうね。(30代男性)
椿鬼奴の若い頃の髪型はロングヘア

椿鬼奴さんの若い頃の髪型といえば、ロングヘアな髪型を思い出す方も多いのではないでしょうか。
学校生活が厳しい環境だったことから、校則に合わせた控えめなストレートヘアやワンレングススタイルをしていたのかもしれません。しかし、人前で歌うことが好きだったエピソードから、少し個性的なアレンジを加えていたとも思える可愛い髪型です。
1980年代後半はバブル期で、髪型はボリューム感や華やかさが重視されていました。椿鬼奴さんは、時代の流行に影響を受けつつも、学校環境や家庭事情に合わせた髪型を選んでいたと考えられます。
明日は横浜‼️20代の頃、横浜シャル下で待ち合わせして西口のゲーセンで遊び天狗で飲む!というのを週2でやっていた私としてはホームです👊👊👊 https://t.co/e9CzknEuBu
— 椿鬼奴 (@TsubakiOniyakko) October 19, 2018

ふんわり女の子らしい髪型が素敵!
まとめ

今回は、椿鬼奴さんの若い頃の活躍や出来事を、画像とともに振り返りました。

年代ごとに印象深い出来事がたくさんあったね!
これからの活動も頑張ってほしいと思います。