個性派俳優として活躍する生瀬勝久さん。
若い頃どんな風貌だったのかや、年代ごとにどんなできごとがあったのか気になるかたも多いと思います。
さっそく、生瀬勝久さんの若い頃の写真やできごと、デビューのきっかけを年代順に振り返ってみましょう。
生瀬勝久さんのデビューのきっかけや時期は?
生瀬勝久さんのデビューのきっかけは、大学時代のお笑いサークル『喜劇研究会』での経験でした。
先輩から小劇場演劇ブームを教えられ、つかこうへいの舞台『蒲田行進曲』を観た際に強い衝撃を受け、演劇の道へ進むことを決意しました。
その後、1983年に関西の人気劇団『劇団そとばこまち』に入団し、同年『猿飛佐助』で初舞台を踏み、俳優としてのデビューを果たしました。
若い頃の生瀬勝久。
— maimy (@maimy2018) March 12, 2023
実際に夫を知ってる人が見たらすごくわかってくれると思う。#旦那が似てると言われる芸能人 pic.twitter.com/cF8tA91TMh
『蒲田行進曲』で感動、
そこから舞台の虜になっちゃったニャ!
生瀬勝久さんの幼少期は?若い頃の活躍やできごとを年代順に振り返り
生瀬勝久さんの幼少期のエピソードや、若い頃の活躍やできごとを年代順に振り返っていきます。
幼少期
生瀬勝久さんは兵庫県西宮市で育ち、幼少期からリーダーシップを発揮していました。小学校では児童会長、中学校では生徒会長を務め、2歳年上の兄も同様の役職を経験しています。
母親は小学校教師で市議会議員を務めており、家庭環境も影響していたと考えられます。
生瀬さん自身は「真面目で無骨」な性格で、平等を重んじ、偉そうにする人を嫌う傾向があったと語っています。
幼少期からのリーダーシップ経験と家庭環境が、現在の俳優として多彩な役柄や存在感に繋がっていると感じます。
『真面目で無骨』な性格、芯の強さが感じられるニャ!
10代
生瀬勝久さんが10代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1973年(13歳):生瀬地区への転居と小学校転校
- 1976年(16歳):中学校での生徒会長就任
- 1979年(19歳):宝塚ファミリーランドでのアルバイトと吹奏楽部での活動
1973年、兵庫県西宮市の生瀬地区に引っ越し、新しい環境に適応することになりました。新たに転校した生瀬小学校での生活は、周囲との関係を築くために大切な時期でした。
1976年、中学時代には、生徒会長としてリーダーシップを発揮し、学校全体の取りまとめ役を担いました。先輩から学んだり、同級生や後輩たちとのコミュニケーションを深める経験を積みました。人をまとめ、導く力がこの時期に培われたと考えられます。
1979年、高校時代には、宝塚ファミリーランドでアルバイトをしながら、吹奏楽部でサックスを担当しました。社会経験を積む一方で、音楽にも情熱を注ぎ、多方面での才能を育んでいました。
生瀬さんの若い頃の多彩な経験が、現在の豊かな表現力と幅広い演技に大きな影響を与えていると感じます。
リーダーシップの素質、抜群だニャ!
生瀬勝久さんファンに聞いた、生瀬勝久さんの10代で印象に残っている出来事
同志社大学に入学したことです。関西では関関同立という言葉があるほどの有名私大ですし、頭が良かったなんだなって驚きました。(50代男性)
同志社大学の劇団に入ったという話を聞いて昔から演技が好きだったんだなという印象を持ちましたね。彼の演技の原点ですね。(30代男性)
学生の頃は吹奏楽部でサックスを担当していた、ということ。
生瀬さんと音楽は、今まで全く結びつかなかったから。(50代女性)
20代
生瀬勝久さんが20代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1980年(20歳):同志社大学への進学、バイク事故と人生観の変化
- 1983年(23歳):劇団『そとばこまち』入団と初舞台
- 1988年(28歳):NHK連続テレビ小説『純ちゃんの応援歌』出演と芸名変更
1980年、同志社大学に入学し学生生活が始まったものの、まもなくバイク事故に遭い、車の下敷きになる大事故を経験しました。「いつ死ぬかわからない」という意識が芽生えたことで人生観が変わり、就職計画を見直して、心から好きな演劇の道を進む決意を固めました。
1983年、同志社大学在学中に劇団『そとばこまち』に入団し、同年の舞台『猿飛佐助』で初舞台を踏みました。これが俳優としてのキャリアを本格的にスタートさせるきっかけとなります。
1988年、NHK連続テレビ小説『純ちゃんの応援歌』に出演。これを機に芸名を「槍魔栗三助」から本名の「生瀬勝久」に変更しました。この出演によって全国的な知名度を得る、大きな転機となりました。
純ちゃんの応援歌に生瀬勝久が出てて若い
— かかし (@kakashi_am) September 29, 2021
wikipediaによると
『純ちゃんの応援歌』でNHKに初出演することになったが、槍魔栗三助の芸名ではNHKの放送にふさわしいとはいえないという理由があり、芸名を本名に変更したという経緯がある
だって。「やりまくりさんすけ」って知らなかった。 pic.twitter.com/WcMiW6lLgA
生瀬さんの20代は、人生の転機となる出来事が多く、その一つひとつが俳優としての土台を築き上げ、豊かな表現力を磨く糧になっているように感じます。
バイク事故からの復活、まさに九死に一生だにゃ。
生瀬勝久さんファンに聞いた、生瀬勝久さんの20代で印象に残っている出来事
1986年に大学を卒業したことです。てっきりストレートで卒業しているかと思っていただけに驚きました。その分芸能活動にも力を入れていたんだなって感じました。(50代男性)
純ちゃんの応援歌という朝ドラが大好きです。生瀬さんの演技には唯一無二な感じがあるのでそれがこの作品でも発揮されていましたね。(30代男性)
同志社大学を卒業していたこと。
大学在学中から劇団での活動を始めていたようなので、こういったタイプの方は中退が多いイメージがあったから。(50代女性)
30代
生瀬勝久さんが30代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1990年(30歳):芸名の統一と全国進出
- 1990年代初頭 :劇団『そとばこまち』座長としての活動
- 1995年(35歳):全国テレビドラマへの本格進出
1990年、30歳を迎えた生瀬さんは、芸名を本名の『生瀬勝久』に統一し、全国区でのテレビ活動を本格化させました。これにより、関西のみならず全国的に知名度が広がる一歩を踏み出しました。
1990年代初頭、生瀬さんは劇団『そとばこまち』の座長に就任し、劇団の活動範囲を全国に広げるために尽力しました。特に、東京の本多劇場での公演を実現させるなど、劇団の全国的な知名度向上に大きく貢献しました。
本棚の奥から、21年前に筧利夫と吹越満の舞台が観たくて行ったNODA MAPの「贋作 罪と罰」のパンフレットが出てきた。ページをめくると皆若い。生瀬勝久(当時そとばこまち座長)も山西惇(相棒の課長)も出てた。なんて豪華なメンバーだ! pic.twitter.com/4FqfAPvb5q
— 飯来亭 魚楽 (@iiraitei) March 30, 2016
1995年、全国放送のドラマに立て続けに出演し、関西から全国へと活動を広げました。多彩な役柄に挑戦する中で、俳優としての表現の幅が大きく広がりました。たとえば、フジテレビのコメディドラマ『王様のレストラン』では、フレンチレストランを舞台に、個性的なスタッフの一員として存在感を放ちました。
30代は、本当にお芝居やドラマを心から楽しんでいたんだと感じます。好きなことを仕事にできるのは、生瀬さんにとって大きな幸せだったのでしょうね。
俳優としての幅を広げ、多くのファンを獲得したニャ!
生瀬勝久さんファンに聞いた、生瀬勝久さんの30代で印象に残っている出来事
舞台「ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ」に出演されたことです。テレビで生瀬さんの活躍をみていただけに、舞台俳優も出来る人なんだって驚きました。(50代男性)
大河ドラマ毛利元就がかなり印象的ですね。生瀬さんの真剣な芝居を見るとすごく胸に響くものがあるので大好きですね。(30代男性)
三十代半ばより全国区のテレビドラマに本格的に進出し始めた、ということ。
それまではコメディアン的な仕事が多かったとのことだが、現在の芸風はここから来ているのだな、と妙に納得したから。(50代女性)
40代
生瀬勝久さんが40代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 2000年(40歳):ドラマ『TRICK』出演
- 2002年(42歳):ドラマ『ごくせん』出演
- 2005年(45歳):映画『お父さんのバックドロップ』高崎映画祭最優秀助演男優賞受賞
2000年、テレビ朝日のドラマ『TRICK』で矢部謙三警部補役を演じ、そのユニークなキャラクターが視聴者の注目を集めました。この作品はシリーズ化され、生瀬さんの代表作として定着しました。
「鯉ちゃんの髪型見るとtrickの生瀬勝久思い出す」
— りりす🌙🎏 (@nightmare_befo1) September 20, 2018
ってツイート見てから、今まで苦労していた鯉ちゃんの頭部が描きやすくなりました。
ありがとうございました‼️ pic.twitter.com/Y6e80dtTx1
2002年、日本テレビのドラマ『ごくせん』で猿渡五郎教頭役を演じ、コミカルな演技で物語にアクセントを加えました。シリーズを通じて親しまれたこの役柄により、生瀬さんの知名度はさらに上昇しました。
生瀬さん(生瀬勝久さん)
— にワカのタイショー (@wasabitaishi) January 15, 2024
・猿渡教頭(ごくせん)
・浅倉禄郎(相棒)
この2役のイメージが強い
そしてギャップも凄い pic.twitter.com/O233a3i6tS
2005年、映画『お父さんのバックドロップ』での演技が高く評価され、第20回高崎映画祭にて最優秀助演男優賞を受賞。この受賞により、生瀬さんの演技力が改めて注目されました。
生瀬さんの40代は、どの作品でも独特の存在感を放ち、多彩な役柄で視聴者を引き込みながら、俳優として確かな地位を築いた時期だったように感じます。
『TRICK』の矢部警部補、
独特のキャラで視聴者を魅了したにゃ!
生瀬勝久さんファンに聞いた、生瀬勝久さんの40代で印象に残っている出来事
「警部補 矢部謙三」に主演されたことです。すでにTRICKという人気ドラマで名をあげていた生瀬さんですけど、生瀬さん用ドラマというべきこの作品に初主演したことで名実共に一流になったなって感じました。(50代男性)
トリックという作品が一番好きですね。阿部寛さんと仲間由紀恵さんのやりとりに彼がプラスされるとより面白みが増します。(30代男性)
ドラマ『トリック』が人気を博していたのは、主に生瀬さんが四十代の頃のことだったこと。
私も毎週必ず見ていたので、印象的だったから。(50代女性)
生瀬勝久さんの若い頃の髪型は自然体ストレートヘア
生瀬勝久さんの若い頃の髪型といえば、前髪を長めに下ろして自然に広がるストレートスタイルを思い出す方も多いのではないでしょうか。
戸塚純貴と生瀬勝久の若い頃が似てるというので検索した民の1人なんですが、予想以上に似ててびっくり#おれたちの轟 pic.twitter.com/Ui0fZUjxQt
— 吉田c (@yoshidac1) June 27, 2024
柔らかい印象があり、少し控えめながらも、さわやかで、個性が感じられるスタイルですね。
この髪型は、1990年代に多かったナチュラルで少しラフなスタイルの影響を受けており、自然体を重視する風潮が反映されています。
ストレートでキマってる、
この髪型にゃんともオシャレだにゃ!
まとめ
今回は、生瀬勝久さんの若い頃の活躍や出来事を、画像とともに振り返りました。
年代ごとに印象深い出来事がたくさんあったね!
これからの活動も頑張ってほしいと思います。