俳優として活躍する渡部篤郎さん。
若い頃どんな風貌だったのかや、年代ごとにどんなできごとがあったのか気になるかたも多いと思います。
さっそく、渡部篤郎さんの若い頃の写真やできごと、デビューのきっかけを年代順に振り返ってみましょう。
渡部篤郎さんのデビューのきっかけや時期は?
渡部篤郎さんのデビューのきっかけは、アルバイト先の関係でエキストラ出演を経験したことでした。
高校を中退後、家族のサポートをしながら努力を続け俳優としての道を模索します。
その後、演技に興味を持ち始め、丹波哲郎が主宰する「丹波道場」に所属して本格的な演技訓練を受けました。
1987年に芸能界入りし、映画『妖女伝説'88』で俳優デビューを果たします。
『妖女伝説'88』。田中登の遺作が、ファミコン・プログラマー+巫女+霊界の美女+高瀬春奈とか、攻めすぎだと思う。インターネット黎明期にこんな映画を撮った田中登すごい。20歳の渡部篤郎がすでに独特のオーラを放っていて、異彩を放っている。https://t.co/AJaVetlwgO pic.twitter.com/QBaFp3FKD0
— Takahiro Haraguchi (@haraguchiiiii) November 16, 2021
アルバイトで見つけた『運命の扉』だったニャ!
渡部篤郎さんの幼少期は?若い頃の活躍やできごとを年代順に振り返り
渡部篤郎さんの幼少期のエピソードや、若い頃の活躍やできごとを年代順に振り返っていきます。
幼少期
渡部篤郎さんは幼少期から家庭を支える強い自立心を育んできたようです。成長とともに責任感も増し、高校を中退してからは家族の手助けをしながら生計を立てていました。
若い頃から家庭の事情を背負い、働くことに対して前向きな姿勢を持っていたのでしょうか。この経験が演技にも生かされ、リアルな役柄表現につながったのかもしれません。
幼少期から培われた自立心と責任感が、現在のリアリティある演技力の基盤となっているのではないでしょうか。
家族想いの頼れる男だニャ!
10代
渡部篤郎さんが10代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1984年(16歳):高校を中退し、母親のバーを手伝いながらアルバイト生活を送る
- 1987年(19歳):映画『妖女伝説'88』で俳優デビュー
- 1987年〜1988年頃(19〜20歳):丹波哲郎さんが主宰する『丹波道場』に所属
1984年、高校を中退し、家族を支えるために母親のバーで働き始めました。この時期から彼の自立心が強まり、家族への責任感が芽生えていったようです。アルバイト生活を通じて多くの経験を積み、将来への意識も高まったのかもしれません。
1987年、映画『妖女伝説'88』で俳優デビューを果たし、初めて映画の世界に足を踏み入れました。この作品が俳優としての基盤を築くきっかけとなり、業界で注目されるようになります。これが俳優としてのキャリアの大きな第一歩となりました。
1987年〜1988年頃、丹波哲郎さんが主宰する『丹波道場』に所属し、本格的な演技訓練を開始。俳優としての技術を磨くためのこの修行が、演技に深みとリアリティをもたらしていったのかもしれません。
この道場での経験が、後の役者人生における重要な基盤となったよづエス。
第12話「輝宗無残」の時はスロー再生じゃないと判別出来ない程の一瞬映り込み(伊達の鉄砲足軽)だった渡部篤郎さん、今回はしっかり顔が分かりますね(鼻桶足軽)。
— 迷人⍟Q太郎 (@qtarox007) July 28, 2024
※クレジットは「丹波道場」。タンバリンの弟子だったのだ!#渡部篤郎#独眼竜政宗#宮仕え pic.twitter.com/rnvStelLDL
早い時期からプロの道を志し、俳優として本格的に成長していく姿に、渡部さんの覚悟と情熱が伝わってきますね。
修行を頑張ったからこそ今の渡部さんがあるんだね…!
渡部篤郎さんファンに聞いた、渡部篤郎さんの10代で印象に残っている出来事
高校を中退していたことです。渡部さんは見た感じインテリっぽいところがあったので、てっきり大卒のインテリ化と思っていました。それだけに高校中退は印象的でした。(50代男性)
エキストラを経験して演技に興味を抱いたということを知ってやっぱり才能は嘘をつかないんだなと思いました。まさに運命的なことですね。(30代男性)
デビュー前は高校を中退し、母親のバーを手伝っていた、ということ。
イケメンの息子さんがお店を手伝ったら、渡部さん目当てのお客さんが増えたのではないか、と思ったから。(50代女性)
20代
渡部篤郎さんが20代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1991年(23歳):ドラマ『青春の門』に出演し注目を集める
- 1995年(27歳):映画『静かな生活』で日本アカデミー賞新人賞を受賞
- 1996年(28歳):映画『スワロウテイル』で無愛想な殺し屋役を演じる
1991年、ドラマ『青春の門』に出演し、役者として一目置かれる存在になります。注目度の高い作品での出演がキャリアに勢いをもたらし、ドラマ界での知名度が広がったようです。この作品が俳優としての注目を集めるきっかけとなりました。
1994年には、タレントのRIKACOさんと結婚しました。
はじめて名前を知った
— 哲ちゃん/哲五朗親分 (@tecchan110) May 5, 2021
「青春の門」かな
ところで…昔
私が渡部篤郎さんに関して
こんなツイートしてました。
照ッ(〃ノ∇ノ)https://t.co/pw28efRVxD
1995年、映画『静かな生活』で日本アカデミー賞新人賞を受賞し、演技力が高く評価されます。難しい役柄にも挑戦し、観客や批評家からも絶賛。この受賞が俳優としての信頼と評価をさらに高める一因となりました。
「静かな生活」
— ぢろ痴 (@jirochi_neko) March 11, 2023
伊丹十三監督の中で最も社会に問いかけチャレンジした作品。大江健三郎一家をモデルにその息子光を軸に障碍者のありのままを描きその現実と未来を探る。ヤクザや権力者などより余程恐ろしいのは世間という不特定多数。渡部篤郎も素晴らしいけど山﨑努の神経質さもまた良い。 pic.twitter.com/18QZkp5muF
1996年、映画『スワロウテイル』に出演し、全編英語のセリフで無愛想な殺し屋役を見事に演じます。この挑戦的な役どころが話題を呼び、さらに幅広い役柄に挑む姿勢が注目されました。日本国内外での評価も高まり、彼の役者としての幅を証明したようです。
スワロウテイルの渡部篤郎
— rtm007 (@rtm007) August 20, 2023
#印象的な殺し屋が出てくる映画 pic.twitter.com/keSuGgwAuV
この時期に見せた、渡部さんの役への情熱と挑戦は、彼の俳優としての覚悟と実力を物語っています。
スワロウテイルでの英語セリフ、さすが度胸満点だニャ!
渡部篤郎さんファンに聞いた、渡部篤郎さんの20代で印象に残っている出来事
1991年に五木寛之原作ドラマ『青春の門』の主演をしたことです。ここでメインをはることにより、役者として大きなステップアップが出来たんだろうと感じました。(50代男性)
丹波道場に入り演技を学んだということを知ってかなりびっくりしましたね。やっぱり若い頃は下積みを経験していたんですね。(30代男性)
20代では既に、渡部篤郎の名で「青春の門」で主演を飾っていたということ。
そんなに昔から出ていたのは知らなかったから。(50代女性)
30代
渡部篤郎さんが30代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1999年(31歳):ドラマ『ケイゾク』シリーズに出演
- 2000年(32歳):ドラマ『ビューティフルライフ〜ふたりでいた日々〜』で助演男優賞を受賞
- 2007年(39歳):映画『茶々 天涯の貴妃』で豊臣秀吉役を演じる
1999年、ドラマ『ケイゾク』シリーズでの出演により、ミステリアスな役柄を見事に演じ、視聴者の心を掴みました。この作品での存在感が一気に注目を集め、俳優としての幅を広げたようです。
その後人気がさらに高まり、実力派俳優としての地位を確立していきました。
頭の悪い、女だねえ
— ぐるり (@GURURI09) April 27, 2024
お前には、生きてて欲しいんだよ
- ケイゾク 真山役 渡部篤郎
#タバコを美味そうに吸う俳優 pic.twitter.com/mVH2o2CLtu
2000年、『ビューティフルライフ〜ふたりでいた日々〜』での演技が評価され、ザテレビジョンドラマアカデミー賞助演男優賞を受賞しました。作品自体が大ヒットし、演技も視聴者や批評家から称賛されました。これにより、渡部さんの演技力がさらに高く評価されました。
プライベートでは、2005年にはRIKACOさんと離婚します。
2007年には映画『茶々 天涯の貴妃』で豊臣秀吉役に挑み、歴史上の偉人を圧倒的な存在感で演じました。複雑な役柄を深みのある演技で表現し、評価を受けています。
歴史ドラマでの力強い演技が、彼の役者としての実力を再確認させたようですね。
豊臣秀吉役をはじめさまざまな役柄に挑戦し続ける渡部さんには、キャリアを重ねるごとに進化していく強い意志と情熱が感じられます。
ミステリアスから歴史の偉人まで、役の幅が広すぎて驚きだニャ!
渡部篤郎さんファンに聞いた、渡部篤郎さんの30代で印象に残っている出来事
映画『コトバのない冬』で監督デビューしたことです。俳優として有名だった渡部さんでしたけど、とうとう監督までするのか!と驚きました。(50代男性)
ビューティフルライフでのヒロインのお兄ちゃん役がとても良かったですね。すごくキャラ設定がコミカルで見ていて癒しでした。(30代男性)
2005年にタレントのRIKACOさんと既に離婚していたこと。
案外、結婚生活が短かったことに驚いたから。(50代女性)
40代
渡部篤郎さんが40代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 2008年(40歳):映画『コトバのない冬』で監督デビュー
- 2009年(41歳):ドラマ『外事警察』主演
- 2014年(46歳):ドラマ『ビター・ブラッド〜最悪で最強の親子刑事〜』佐藤健さんとW主演
2008年、映画『コトバのない冬』で監督デビューを果たし、役者としてだけでなく監督としても新しい一歩を踏み出しました。この作品で新たな表現方法に挑戦し、クリエイティブな側面が広く知られるようになりました。
監督業への挑戦は、本人にとっても大きな転機だったかもしれません。
2009年、ドラマ『外事警察』で主演を務め視聴者に強い印象を残しました。迫力ある演技と緊張感あふれるストーリーが話題となり、シリアスな演技力が再評価されたようです。
このドラマ出演を通じて、新たな役柄に挑む意欲が感じられますね。
だんドーンの川路、「外事警察」の渡部篤郎に似てる。
— さいとし (@sightsea) March 13, 2024
個人としては良識ある人物で、自分の倫理観と任務の狭間で悩んだりもするんだけど、そもそも裏仕事の才能がずば抜け過ぎてるので、肝心の場面では外道の手段で利をぶん取る。 pic.twitter.com/IV3Q1y6349
2014年、ドラマ『ビター・ブラッド〜最悪で最強の親子刑事〜』で佐藤健さんとW主演を務め、コメディ要素もある刑事役を演じました。これまでとは異なる軽妙な演技を見せ、幅広い役柄をこなす彼の多彩な演技力が評価されました。この作品での親子の掛け合いは、視聴者からも好評を博しました。また、2016年、一般女性と再婚しました。
ビター・ブラッド🚨
— めろ (@N7_goak) May 20, 2024
何回観ても面白いだいすきな作品
刑事要素も多いけどやっぱりコメディ感のテンポが良い。
鍵山班のあのチーム感が優しくて素敵
佐藤健と渡部篤郎のキャスティングが天才だなと見るたびに思うし篤郎さんの刑事ものって本当ハズレない
いまだに続編待ってるよー‼️‼️#ビターブラッド pic.twitter.com/WwJxLbla4J
監督デビューからコメディ役まで、挑戦し続ける渡部さんの姿勢に、プロとしての真剣な探求心が垣間見えます。
役者としても監督としても活躍、クリエイティブな魅力がいっぱいだニャ!
渡部篤郎さんファンに聞いた、渡部篤郎さんの40代で印象に残っている出来事
2016年6月に一般女性と再婚したことです。以前は芸能人女性と結婚していましたけど、それは上手くいかず離婚。そう言った経歴も手伝い、一般女性の方が渡部さんとの相性はいいんだろうって感じました。(50代男性)
銭の戦争での演技がすごく好きでした。赤松という役柄で金の虜になって邁進している姿に面白さがありましたね。(30代男性)
2016年に一般女性と再婚していたこと。てっきり結婚生活に懲りたのかと思っていたので、再婚していた事実に驚いたから。(50代女性)
渡部篤郎さんの若い頃の髪型はクールなショートヘア
渡部篤郎さんの若い頃の髪型といえば、前髪を下ろしたナチュラルでクールなショートヘアを思い出す方も多いのではないでしょうか。。
#いい推しの日
— ショートカットのあの娘 (@kurukuru_short) November 4, 2023
若い頃の渡部篤郎は一生推せる。 pic.twitter.com/HSFwatqBQU
若い頃の渡部篤郎がイケメンすぎるんよ pic.twitter.com/32KGcDBe4X
— ドリルかわ (@kazz_shred) July 29, 2021
やや長めの前髪がミステリアスな雰囲気を醸し出し、都会的でスタイリッシュな印象です。顔周りを自然に囲むスタイルが、鋭い眼差しをさらに際立たせていたようですね。
1990年代当時は自然体で無造作なスタイルが人気で、渡部さんの髪型もそのトレンドにぴったりと合っていました。
ミステリアスでかっこいいニャ!
まとめ
今回は、渡部篤郎さんの若い頃の活躍や出来事を、画像とともに振り返りました。
年代ごとに印象深い出来事がたくさんあったね!
これからの活動も頑張ってほしいと思います。