音楽プロデューサーや実業家として活躍する松浦勝人さん。
若い頃どんな風貌だったのかや、年代ごとにどんなできごとがあったのか気になるかたも多いと思います。
さっそく、松浦勝人さんの若い頃の写真やできごと、デビューのきっかけを年代順に振り返ってみましょう。
松浦勝人のデビューのきっかけや時期は?

松浦勝人さんの起業デビューの時期やきっかけは、1986年、大学4年生の21歳の頃に、バイト先のオーナーと共同で株式会社ミニマックスを設立しました。
これは、当時のバイト先である貸レコード店のオーナーから「レコード店をつくらない?」と誘われたのがきっかけです。
そのオーナーは僕とイーブンで、それも僕を学生ながら代表取締役にして、いっしょにもう一店舗貸しレコード事業を始めたいと真面目な顔をして言うのだ。店も閉店したあと、二人で車の中でとことん話した記憶がある。
引用元:松浦勝人オフィシャルブログ
そして横浜市の上大岡に、松浦さんにとっての一号店となるフランチャイズの貸レコード店「友&愛 上大岡店」をオープンし、全店舗の中でも売り上げ一位を記録するような店になりました。

大学生で起業して売れるお店を作っちゃったなんてすごい!
松浦勝人の幼少期は?若い頃の活躍やできごとを年代順に振り返り

松浦勝人さんの幼少期のエピソードや、若い頃の活躍やできごとを年代順に振り返っていきます。
幼少期
松浦勝人さんは、神奈川県横浜市西区で生まれました。
お父さんは中古車販売業を営んでいて、松浦さんは少年時代にお父さんの整備工場でよく遊んでいたそうです。
うちのおやじ!
— 松浦勝人 (@maxmatsuuratwit) September 26, 2019
昔は超パリピ。今は80歳でちと元気なく心配。#松浦ファミリー #横浜生まれ#横浜育ち #文句があんならいつでも来るならww pic.twitter.com/rmDf6DTeCw
小学生時代は家にあったステレオに夢中になり、野口五郎さんや西城秀樹さん、ピンクレディーなどの歌謡曲のレコードばかり聴いていたとのこと。
松浦さんは幼い頃から車と音楽に興味があったようですね。

小学生の頃からたくさん音楽を聴いていたんだ!
10代

松浦勝人さんが10代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1977年(12歳):横浜市立野庭中学校に入学。
- 1980年(15歳):横浜市立金沢高等学校に入学。
- 1983年(18歳):日本大学経済学部産業経営学科に入学。
松浦勝人さんは、1977年、12歳の時、横浜市立野庭中学校に入学しました。中学1年からギターを始め、文化祭ではバンドをやりました。この頃はかぐや姫やフォークデュオ・風、ビートルズなどの音楽にはまっていたそうです。
1980年の15歳の頃には、横浜市立金沢高等学校に入学しました。高校ではドラムへ転向し、三年連続で文化祭にバンド出演していたとのことです。
そして1983年の18歳の時に、日本大学経済学部産業経営学科に入学しました。大学の友人に誘われて渋谷のディスコに行き、そこでダンスミュージックに初めて触れてその虜になっていったそうです。
エイベックスの全ての始まりは、大学生時代のある日、友人が聞かせてくれたダンスミュージックでした。
当時、ロックやポップスばかり聞いていた私にとって、こんな音楽があるのかと、強烈な衝撃を受けたことを今でも鮮明に覚えています。引用元:エイベックス株式会社
松浦さんの10代は、中学から大学にかけていろんな音楽に触れ、これらの経験が後に音楽業界で成功を収める基盤となったようです。

自分でギターやドラムも演奏してたんだね!
松浦勝人さんファンに聞いた、松浦勝人さんの10代で印象に残っている出来事


高校時代からアマチュアバンドのドラマーとして活動していたことです。エイベックスの代表取締役会長なので音楽には一家言あると思っていましたが、自身が音楽活動をしていたことに驚きました。(50代男性)

高校時代にアマチュアバンドのドラマーとして活躍されていたことが、印象的でした。理由は、松浦さんがバンドを組んでドラマーだったことを初めて知り意外性に驚いたからです。(30代女性)

日本大学に入学したという事実を知って驚きましたね。日大出身の芸能人は多いのでやっぱり才能豊かな人がとても集まっている大学なのでしょうね。(30代男性)
20代

松浦勝人さんが20代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1985年(20歳):貸レコード店「友&愛」港南台店でアルバイトを始める。
- 1986年(21歳):バイト先のオーナーと共同で株式会社ミニマックスを設立。
- 1988年(23歳):エイベックス・ディー・ディー株式会社を設立し取締役に就任。
松浦勝人さんは、1985年、20歳の時、貸レコード店「友&愛 港南台店」でアルバイトを始めました。この年の年末には、大学生でありながら正式に店長となりました。
エイベックスを創業した松浦勝人氏がアルバイトした「友&愛」港南台店 pic.twitter.com/ptVnqU9EGq
— ぽこ (@calimerowhite2) July 15, 2022
1986年の21歳の頃には、お父さんから無償の資金提供を受け、バイト先のオーナーと共同で株式会社ミニマックスを設立しました。そして横浜市の上大岡にフランチャイズの貸レコード店「友&愛 上大岡店」をオープンします。
大学時代に貸レコード店でアルバイトを始め、4年生になった1986年に治さんからの無償の資金提供を受け、フランチャイズ店をオープン。それを足掛かりにレコードやCDの輸入卸売業を88年に創業し、現在のエイベックスになった。松浦氏は「あの時に親父が無償で資金を提供してくれなければ今のエイベックスはなかった」と、あらためて感謝の思いを明かしている。
引用元:スポニチアネックス
そして1988年の23歳の時、エイベックス・ディー・ディー株式会社(現・エイベックス株式会社)を設立し、取締役に就任しました。東京都町田市にある小さなマンションの一室で輸入レコードの卸販売業を始め、これがエイベックスのスタートとなりました。
松浦さんの20代は、様々な経験を通じて自分の好きなものを追求し、ビジネスに変え、目の前にあることを実行することの重要性を学んだようです。また、1992年の27歳の頃に、小室哲哉さんと運命的な出会いをしています。

ついにエイベックスが始まったんだ!
松浦勝人さんファンに聞いた、松浦勝人さんの20代で印象に残っている出来事


エイベックス・ディーディーを設立したことです。この会社が後のエイベックスになるわけですし、これが松浦さんの実業家としての人生に大きな影響を与えたと思うので印象に残りました。(50代男性)

22歳のときに、株式会社ミニマックスを設立したことが印象的でした。理由は、若くして会社を設立された松浦さんの商才がすごいと感じたからです。(30代女性)

エイベックスの社内で躍動していたということを聞いて本当に彼は有能なんだなと思いましたね。若いのに仕事ができる人は尊敬できます。(30代男性)
30代

松浦勝人さんが30代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1995年(31歳):ブレイク前の浜崎あゆみさんと出会う。
- 2003年(39歳):モデルの畑田亜希さんと再婚。
- 2004年(39歳):エイベックス株式会社の代表取締役社長に就任。
松浦勝人さんは、1995年、31歳の時、当時まだブレイク前だった浜崎あゆみさんと出会いました。その後2年間にも及ぶレッスンやトレーニングを経て、エイベックスからの歌手デビューへの入念な準備をしたそうです。
浜崎と松浦は、エイベックスが六本木で運営していた巨大ディスコ・ヴェルファーレで出会う。当時、浜崎は17歳になったばかりで、ある芸能事務所に所属していた。1年ほど前から年齢をごまかしてヴェルファーレに出入りしていた彼女は、顔見知りになったスタッフから、VIPルームに連れていってもらい、そこで初めて松浦と会ったという。
引用元:文春オンライン
2003年の39歳の頃には、モデルの畑田亜希さんと再婚しました。これより以前、松浦さんは1995年にモデルの原口香さんと結婚しましたが、1996年に離婚しています。
そして2004年の39歳の時、エイベックス株式会社の代表取締役社長に就任しました。
松浦さんの30代は、音楽プロデューサーとしての才能を開花させ、エイベックスを業界トップの企業へと成長させた輝かしい時期だったと言えます。

この頃にあゆと出会ったんだね!
松浦勝人さんファンに聞いた、松浦勝人さんの30代で印象に残っている出来事


小室哲哉とユニットを組んだことです。小室哲哉といえば知らない人は誰もいないのではと感じる程の才能あふれる超メジャーな人ですし、そういう人と組むなんてすごい!と驚きました。(50代男性)

31歳のときに、浜崎あゆみさんとニューヨークへ飛び、2年間レッスンやトレーニングを一緒に受けていたことが印象的でした。理由は、浜崎あゆみさんのデビューを支えた松浦さんの力を強く感じたからです。(30代女性)

浜崎あゆみさんを売り出した彼の手腕は本当にすごいなと思いましたね。いろんなプロモーションを仕掛けていたことを今でも覚えていますね。(30代男性)
40代

松浦勝人さんが40代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 2006年(41歳):第2子男児が誕生。
- 2009年(44歳):第4回渡辺晋賞を受賞。
- 2009年(44歳):小室哲哉さんの被害弁済のために約6億5000万円を個人的に融資。
松浦勝人さんは、2006年、41歳の時、第2子となる男児が誕生しました。松浦さんのお子さんは他に2004年に第1子女児、2007年には第3子女児が誕生しています。
2009年の44歳の頃には、第4回渡辺晋賞を受賞しました。この賞は、芸能において一大ムーブメントを巻き起こし、音楽・芸能の発展に大きく貢献した人に贈られる賞です。
松浦氏は、90年代にヒットを飛ばした数々のアーティストの所属レーベルとしてだけでなく、最近では映画『レッドクリフ』など映像事業も強化するなどエンタメ業界全体を盛り上げた点と、渡辺プロダクションを創設した故・渡辺晋さんの「プロデューサーがよくないと、いいものは作れない」という考えを継承して、今回の表彰が決まった。
引用元:ORICON NEWS
そして同年2009年の44歳の時、自らの著作権をめぐる詐欺容疑で逮捕され有罪判決を受けた小室哲哉さんの被害弁済のために、松浦さんが約6億5000万円を個人的に融資したことが話題となりました。
松浦さんの40代は、私生活で3人の子どもの父親になるという大きな変化と、音楽に関する名誉ある賞を受賞して注目された時期だったと言えます。

小室さんに融資したのはびっくりしたなぁ!
松浦勝人さんファンに聞いた、松浦勝人さんの40代で印象に残っている出来事


小室哲哉が逮捕された際、約6億5000万円を個人的に融資したことです。エイベックスがあるのも小室さんのおかげでといってこれだけの大金を出したことに、なんて男気のある人だ!と印象に残りました。(50代男性)

45歳のときに、第4回渡辺晋賞を受賞されたことが印象的でした。理由は、松浦さんが偉大な功績を認められ大きな賞を受賞されたことがすごいと感じたからです。(30代女性)

エイベックスの社長に就任したというのが印象的ですね。やっぱり上に立つ人は独特の才能に恵まれた人なのでしょうね。(30代男性)
松浦勝人の若い頃の髪型は茶髪のミディアムウェーブ

松浦勝人さんの若い頃の髪型といえば、茶髪のミディアムウェーブな髪型を思い出す方も多いのではないでしょうか。
少し長めのミディアムヘアにウェーブパーマをあてて、明るい茶髪に仕上げたスタイルがアクティブな印象ですね。
この頃の男性の間では、KAT-TUNの赤西仁さんの外ハネパーマやサッカー選手のデビッド・ベッカムさんのソフトモヒカンが流行していました。松浦さんは流行を取り入れるよりも自身の個性を大事にしていたようです。

ミディアムウェーブだったなんて意外!
まとめ

今回は、松浦勝人さんの若い頃の活躍や出来事を、画像とともに振り返りました。

年代ごとに印象深い出来事がたくさんあったね!
これからの活動も頑張ってほしいと思います。