【画像】松重豊の若い頃!昔の写真が超イケメン!デビューのきっかけは大学!

俳優として活躍する松重豊さん。

若い頃どんな風貌だったのかや、年代ごとにどんなできごとがあったのか気になるかたも多いと思います。

さっそく、松重豊さんの若い頃の写真やできごと、デビューのきっかけを年代順に振り返ってみましょう。

著:松重豊
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目次

松重豊のデビューのきっかけや時期は?

デビューのきっかけや時期

松重豊さんのデビューの時期やきっかけは、大学在学中に俳優としてデビューしたことです。当時20歳で、明治大学文学部に在学していました。

当初は映画の製作側を志していましたが、さまざまな舞台を観劇し感銘を受け、俳優を目指すようになったそうです。

田舎にいると演劇を観る機会がないので当時はアングラの最後の方だったんですけども、芝居を生で観て、今まで考えていたリアリティーみたいなものをひっくり返すようなお芝居を見て、これは面白いなと思って、そっちに入っちゃったんですよね。

引用元:ORIENT STAR TIME AND TIDE

1983年に新宿の小劇場「スペースDEN」で初舞台を踏みました。これが松重さんの俳優としての公式デビューとなります。

大学在学中には三谷幸喜さんが主宰する「東京サンシャインボーイズ」の作品に参加し、演技経験を積みました。

松重:大学1年の終わりから卒業間近ぐらいまで、東京サンシャインボーイズに。三谷さんが日本大学芸術学部で、僕が明治大学の学生だったんですけどね。

引用元:ニッポン放送 NEWS ONLINE

大学卒業と同時に、蜷川幸雄さんが主宰する劇団「GEKI-SYA NINAGAWA STUDIO」(現:ニナガワ・スタジオ)に入団し、本格的に俳優としてのキャリアをスタートさせます。

ねこ太郎

大学生の頃から俳優だったんだね!

松重豊の幼少期は?若い頃の活躍やできごとを年代順に振り返り

松重豊さんの幼少期のエピソードや、若い頃の活躍やできごとを年代順に振り返っていきます。

幼少期

松重豊さんは一人っ子で、小学校では3回転校したそうです。

長崎県長崎市で生まれましたが、すぐに福岡県福岡市に移ったため福岡県出身としているんだとか。

また、子どもの頃から身体が大きく、生まれた時の体重は4100グラムで相撲取りになりたかったとのことです。

幼少期に大関「前の山」からキャラメルを手渡しで貰(もら)って以来、相撲の世界に行くことが漠然とした夢になった。

引用元:日本経済新聞

松重さんといえば高身長なイメージですが、幼少期から身体がとても大きかったんですね。

ねこ太郎

相撲好きだったなんて意外!

10代

松重豊さんが10代の頃の代表的なできごとはこちらです。

  • 1977年頃(推定14歳):中学2年生の時、力士である2代目豊山と対談し力士になる方法を尋ねた。
  • 1980年頃(推定17歳):高校3年生の文化祭で8ミリ映画を制作した。
  • 1981年(18歳):明治大学文学部に入学。

松重豊さんは1977年頃(推定14歳)、中学2年生の時、相撲雑誌の企画で力士の2代目豊山と対談しました。そこで力士になる方法を尋ねたそうです。

松重は思い切って豊山に思いを明かしたという。「僕、中学2年生だったんですけど、“このまま僕は相撲界に入りたかったんで、連れて行って下さい”と直談判したんですよ。」

引用元:スポニチアネックス

1980年頃(推定17歳)には、高校3年生の文化祭で8ミリ映画を制作し、映画製作の面白さに引き込まれていきます。

そして1981年の18歳の時、高校卒業後に上京し、演劇学がある明治大学文学部へ入学しました。

「一生楽しめる仕事かも知れないと、何となく映画に憧れて上京してきちゃったんです」

引用元:日刊スポーツ

この頃は相撲だけでなく、映画を製作したことで松重さんの興味の幅が広がっていったんですね。

ねこ太郎

高校生で映画を作ったなんてすごい!

松重豊さんファンに聞いた、松重豊さんの10代で印象に残っている出来事

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ネット上の人物

明治大学で演劇学を専攻したことです。この頃から演劇に興味を持ち、俳優目指して活動を始めたんだなと驚きました。(50代男性)

ネット上の人物

明治大学文学部に入学していた、ということが印象的だった。今時の俳優さんは、有名大学の学生生活を経験している人が多いもんだな、と思ったから。(50代女性)

ネット上の人物

明治大学文学部で演劇を学んでいたということを知り驚きましたね。この頃から演技に精通していてすごいなと感じました。(30代男性)

20代

松重豊さんが20代の頃の代表的なできごとはこちらです。

  • 1986年(23歳):蜷川幸雄が主宰する劇団「GEKI-SYA NINAGAWA STUDIO」に入団。
  • 1989年(26歳):劇団「GEKI-SYA NINAGAWA STUDIO」を退団し、いったん俳優業を休業した。
  • 1990年(27歳):勝村政信に説得されて俳優業に復帰し、2年後に映画デビューを果たす。

松重豊さんは1986年の23歳の時、大学卒業と同時に蜷川幸雄さんが主宰する劇団「GEKI-SYA NINAGAWA STUDIO」に入団しました。

僕は蜷川幸雄という人にすごく厳しく芝居のイロハを教わったものですから、やっぱり『自分の中で満足しちゃいけない』という思いがどこかにあります。

引用元:スポニチアネックス

その後蜷川さんの劇団を退団。俳優という仕事を1回リセットしたいという気持ちが強くなり、建設会社の正社員として就職し、現場で労働者として約1年半働いたそうです。

「自分がやっていることと真逆の方向に走りたくなる衝動を止められなかった。芝居の世界に戻ると決めたときは、何があっても逃げ出さないと、腹をくくりましたけど」

引用元:AERAdot.

1990年の27歳の頃、工事現場で働きながら生計を立てていた時、蜷川スタジオの1期先輩である勝村政信さんに説得されて俳優業に復帰。2年後の1992年には、「地獄の警備員」で映画デビューを果たしました。

松重さんの20代は主に舞台を中心に活動し、演技力を磨きながら、この時期に俳優としての基本的な姿勢や考え方を学んだのかもしれません。

ねこ太郎

工事現場で働いていたなんてびっくり!

松重豊さんファンに聞いた、松重豊さんの20代で印象に残っている出来事

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ネット上の人物

劇団「蜷川スタジオ」に入学したことです。大学卒業しても普通の会社に就職せず劇団に入ったことから、俳優を目指すには本気なんだと熱が伝わってきました。(50代男性)

ネット上の人物

役者で食べていくにはなかなか生活が苦しく、建設会社で正社員として働いていた時期もあったこと。役者あるあるだなと思ったから。(50代女性)

ネット上の人物

蜷川幸雄さんが率いている蜷川劇団に入ったということを知り演技派の一面はこの頃に培われていたのだとわかり驚きました。(30代男性)

30代

松重豊さんが30代の頃の代表的なできごとはこちらです。

  • 1995年(32歳):映画「午後の遺言状」に出演。
  • 1997年(34歳):NHK大河ドラマ「毛利元就」に出演。
  • 1999年(36歳):映画「アドレナリンドライブ」に出演。

松重豊さんは1995年、新藤兼人監督の映画「午後の遺言状」に出演。大女優の杉村春子さんが主演するこの映画に出演できたことは、若手俳優だった松重さんにとって貴重な経験だったのかもしれません。

34歳ではNHK大河ドラマ「毛利元就」に出演し、吉川元春役を演じました。この作品で大抜擢されたことで、松重さんはテレビドラマや映画への出演機会が増えていったようです。

1999年の36歳の頃には、矢口史靖監督の映画「アドレナリンドライブ」にヤクザの黒岩役で出演しました。

松重さんは30歳過ぎまで俳優として売れず、いろんなアルバイトをしていたとのこと。松重さんの俳優としてのキャリアは、紆余曲折を経て現在の活躍につながっているんですね。

なかなか俳優として食えなくて、30歳過ぎまでアルバイトをしていましたから。石屋など日銭になるような肉体労働ばかりです。

引用元:週刊エコノミストOnline

ねこ太郎

大河ドラマ「毛利元就」が大きな転機になったんだね!

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大河ドラマ「毛利元就」の吉川元春役を演じたことです。吉川元春といえば武勇に優れたことで有名な武将ですけど、それを見事演じ切った松重さんが凄いなって感じました。(50代男性)

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30歳の時に出演した舞台で注目され、大河ドラマの「毛利元就」への出演が決まったということ。役者さんの下積み時代はやはり長いな、と感じたから。(50代女性)

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世にも奇妙な物語の懲役30日という作品が本当に印象に残っています。本当に怖い話で今でもちょっとトラウマになっていますね。(30代男性)

40代

松重豊さんが40代の頃の代表的なできごとはこちらです。

  • 2007年(44歳):映画「しゃべれどもしゃべれども」に出演。
  • 2009年(46歳):映画「ディア・ドクター」に出演。
  • 2012年(49歳):ドラマ「孤独のグルメ」で初主演を務める。

松重豊さんは2007年、平山秀幸監督の映画「しゃべれども しゃべれども」に出演し、第62回毎日映画コンクール男優助演賞を受賞します。

2009年の46歳の頃には、西川美和監督の映画「ディア・ドクター」に出演し、第31回ヨコハマ映画祭助演男優賞を受賞しました。

その後2012年には、ドラマ「孤独のグルメ」で主人公の井之頭五郎役として出演します。

「孤独のグルメ」は主人公がさまざまな飲食店を訪れ、料理を楽しむ様子を描いたグルメドキュメンタリードラマです。

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漫画が原作で、独特のスタイルとリアルな描写が多くの視聴者に支持されているようですね。松重さんにとって初めての主演作品となり、以来10シーズンを重ねる長寿シリーズとなっています。

ねこ太郎

ついに「孤独のグルメ」が始まったんだね!

松重豊さんファンに聞いた、松重豊さんの40代で印象に残っている出来事

アンケート調査結果
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『孤独のグルメ』に出演したことですね。これまで松重さんは色んなドラマに出てきましたけど、このドラマが一番のハマリ役だと思います。タンタンと食レポする姿が印象的でした。(50代男性)

ネット上の人物

「孤独のグルメ」で一気にブレイクした頃には、既に49歳になっていたということ。遅咲きの俳優さんの代表例であるものの、ブレイクできて良かったなと思ったから。(50代女性)

ネット上の人物

僕と彼女と彼女の生きる道でコックとして登場していたのが印象的です。すごくドラマとして名作なので一度見てほしいです。(30代男性)

松重豊の若い頃の髪型は前髪長めのテクノカット

松重豊さんの若い頃の髪型といえば、前髪長めのテクノカットを思い出す方も多いのではないでしょうか。

最近の松重さんといえばオールバックの印象が強いですが、若い頃の髪型は今とは違った印象ですね。

1980年代は男性の間でテクノカットやツーブロックが流行していました。松重さんもこの頃はもみあげを少なめにして、長い前髪をサイドに垂らして流行を取り入れていたのかもしれません。

ねこ太郎

長めの前髪をおろす松重さんもステキ!

まとめ

まとめ

今回は、松重豊さんの若い頃の活躍や出来事を、画像とともに振り返りました。

ねこ太郎

年代ごとに印象深い出来事がたくさんあったね!

これからの活動も頑張ってほしいと思います。

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