俳優や歌手として活躍する木の実ナナさん。
若い頃どんな風貌だったのかや、年代ごとにどんなできごとがあったのか気になるかたも多いと思います。
さっそく、木の実ナナさんの若い頃の写真やできごと、デビューのきっかけを年代順に振り返ってみましょう。
木の実ナナのデビューのきっかけや時期は?
木の実ナナさんのデビューの時期やきっかけは、1961~1962年頃、中学3年生の16歳の時に友人の付き添いで参加した渡辺プロダクション主催の新人オーディションでした。
このオーディションで、緊張で固まってしまった友人の代わりに歌うよう指名され、堂々とした歌唱で優勝しました。
その後、1962年の16歳の時に音楽番組「ホイホイ・ミュージック・スクール」でテレビデビュー、そして同じく16歳の時に「東京キカンボ娘」で歌手としてもデビューしました。
62年にオーディション番組のはしりであるTV「ホイホイミュージック・スクール」のアシスタントでデビューした15歳の木の実ナナ。60年代前半にハイティーンという言葉が盛んに用いられたのは、50年代の若い戦中派ドライ世代に代わって、戦争とは無縁の屈託のない新世代の台頭を象徴する呼称だったため pic.twitter.com/pdyNyXXJ20
— みぞぐちカツ (@chocoramastudio) May 29, 2019
オーディションで優勝したんだね!
木の実ナナの幼少期は?若い頃の活躍やできごとを年代順に振り返り
木の実ナナさんの幼少期のエピソードや、若い頃の活躍やできごとを年代順に振り返っていきます。
幼少期
木の実ナナさんは、お母さんの趣味で、3歳からパーマをかけていたそうです。顔立ちもはっきりしていたので、近所の子どもたちには「合いの子」と呼ばれてよくいじめられたとのことです。
木の実ナナさんの子ども時代のお写真。面影が残っていますね! pic.twitter.com/2OoU7e75x2
— sakura (@sakura1879424) December 1, 2024
また、小学1年生の頃から墨田区向島の長命寺にあるバレエ教室に通っていました。
1000グラム台の未熟児で生まれた木の実は、以前「3歳まで歩けず、母が4、5歳でバレエを習わせてくれた。そのおかげでえんび服の似合う木の実ナナになれた」と語っていた。
引用元:スポニチアネックス
木の実さんは幼い頃から華やかな見た目で、この頃から踊りの楽しさに触れていたようですね。
小さな頃からパーマだったんだ!
10代
木の実ナナさんが10代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1961~1962年頃(16歳):渡辺プロダクション主催の新人オーディションに参加し優勝する。
- 1962年(16歳):テレビ番組「ホイホイ・ミュージック・スクール」の司会に抜擢される。
- 1962年(16歳):デビュー曲「東京キカンボ娘」をリリース。
木の実ナナさんは1961~1962年頃、16歳の時、渡辺プロダクション主催の新人オーディションに参加し優勝しました。元々はオーディションを受ける友人の付き添いで、木の実さんは会場へ行ったそうです。
芸能界入りのきっかけは、中学3年の学校帰りに友人に頼まれてオーディションに付き添ったことです。
楽屋で友人を待っていたら「あなたは歌わないの」と言われて、歌ったら合格しちゃった。引用元:AERAdot.
それから間もなく、1962年の16歳の頃、テレビ番組「ホイホイ・ミュージック・スクール」の司会に抜擢されました。この番組にはザ・ドリフターズも出演し、木の実さんは「ホイホイ娘」と呼ばれ、歌って踊れる貴重な存在として注目されました。
テレビ番組が映画に残った例。『やぶにらみニッポン』(東宝、昭和38年)では、味の素スポンサーで、木の実ナナが出た『ホイホイ ミュージック スクール』(日本テレビ)が登場。映画はこの後、収録を終えた木の実が、十返肇と寺内大吉と座談会を。 pic.twitter.com/50UC8cqkim
— 濱田研吾 (@hamabin1) May 31, 2015
また、同年1962年の16歳の時にキングレコードから「東京キカンボ娘」をリリースし、歌手デビューを果たしました。
木の実さんの10代は、オーディションをきっかけに芸能界へ華々しくデビューした重要な時期だったことがわかります。
デビューしてすぐにテレビの司会なんてすごい!
木の実ナナさんファンに聞いた、木の実ナナさんの10代で印象に残っている出来事
中学三年生の時、渡辺プロダクション主催の新人オーディションに優勝してしまったことです。この頃からスター性を発揮していたんだと驚きました。(50代男性)
ザ・ドリフターズに専属シンガーとして加入。ザ・ドリフターズはずっと5人組のグループだと思っていたから。(20代女性)
東京キカンボ娘で楽曲デビューしたことが本当にすごいですね。木の実ナナさんの存在感はこの頃から桁違いに高かったのでしょうね。(30代男性)
20代
木の実ナナさんが20代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1969年(23歳):アメリカへ渡り、ショービジネスの本場で修行した。
- 1972年(26歳):帰国後に劇団四季のオーディションを突破した。
- 1974年(28歳):舞台「ショーガール」への出演を開始した。
木の実ナナさんは20代前半はヒット曲に恵まれず、後輩の前座やキャバレー周りの日々を送っていました。そんな状況を打開するため、一念発起して1969年、23歳の時にアメリカへ渡り、ショービジネスの本場で修行しました。
二〇代前半から半ばにかけて。所属事務所からアメリカのナイトクラブの仕事を与えられました。当時の日本の芸能界は一〇代でなければいい仕事なんてなく、二〇代になったらもうオバさん。私は家族の生計も支えていたしイヤとは言えず、日本を飛び立ちました。
引用元:日本食糧新聞
1972年の26歳の頃、帰国後に越路吹雪さん主演の劇団四季ミュージカル「アプローズ」のオーディションを突破しました。アメリカでの経験が実を結び、歌や踊り、演技が高く評価されたようです。
その後、1974年、28歳の時に舞台「ショーガール」に出演を開始し、これが木の実さんの出世作となりました。「ショーガール」は通算547回公演、60万人を越す観客を動員し大ヒットとなりました。
木の実ナナさんと細川俊之さんが出演した舞台『ショーガール』。とても素敵な広告写真! pic.twitter.com/3jHCC2hv2Z
— sakura (@sakura1879424) December 1, 2024
木の実さんの20代は、芸能活動での苦労を経て、渡米をきっかけに舞台で活躍するようになった転換期だったようです。
舞台「ショーガール」が大人気になったんだね!
木の実ナナさんファンに聞いた、木の実ナナさんの20代で印象に残っている出来事
1970年に本場のショー・ビジネスを学ぼうと決意し渡米したことです。今でも大変ですけど、当時ならかなり大変だったはず。それでも勉強しにいったんだとその決意の深さに驚きました。(50代男性)
劇団四季のオーディションに挑戦。鳴かず飛ばずな現状から脱しようと自ら行動に移し、見事流れを変えてしまうところにカッコよさを感じたから。(20代女性)
劇団四季のアプローズに出演したという出来事が印象的ですね。やっぱり演技力が彼女の場合桁違いに高いのでしょうね。(30代男性)
30代
木の実ナナさんが30代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1978年(32歳):映画「男はつらいよ 寅次郎わが道をゆく」にマドンナ役で出演する。
- 1982年(36歳):五木ひろしさんとのデュエット曲「居酒屋」が大ヒット。
- 1982年(36歳):ドラマ「混浴露天風呂連続殺人」に出演する。
木の実ナナさんは1978年、32歳の時に映画「男はつらいよ 寅次郎わが道をゆく」にマドンナの紅奈々子役で出演し、映画でも存在感を示しました。
「男はつらいよ 寅次郎わが道をゆく」
— sakura (@sakura1879424) December 2, 2024
マドンナは木の実ナナさん。 pic.twitter.com/fIkcWzsNTV
1982年の36歳の頃には、五木ひろしさんとのデュエット曲「居酒屋」が大ヒットし、歌手としても大きな成功を収めました。
そして同年1982年、36歳の時にドラマ「混浴露天風呂連続殺人」に山口かおり警部補役で出演し、俳優としても活躍を続けました。
これらの活動を通じて、木の実さんは30代で俳優と歌手の両面でキャリアを確立し、多才な芸能人としての地位を固めていきました。
「男はつらいよ」でマドンナ役をやったんだね!
木の実ナナさんファンに聞いた、木の実ナナさんの30代で印象に残っている出来事
五木ひろしとのデュエット曲「居酒屋」をリリースしたことです。女優だけなく、歌手としても能力が高いんだと驚きました。(50代男性)
「混浴露天風呂連続殺人」シリーズがスタート。木の実ナナさんを初めて見たのがサスペンスドラマだったから。(20代女性)
バラエティで人気を博す姿にすごく好感が湧きましたね。やっぱり顔立ちにメリハリがあるので見ていて爽快感が桁違いですね。(30代男性)
40代
木の実ナナさんが40代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1986年(40歳):ドラマ「あぶない刑事」に出演を開始する。
- 1994年(48歳):ドラマ「古畑任三郎」に出演する。
- 1995年(49歳):朝の連続テレビ小説「走らんか!」に出演する。
木の実ナナさんは1986年、40歳の時、ドラマ「あぶない刑事」に出演を開始しました。女性課長の松村優子役が当たり役となり、木の実さんが身に着けるゴージャスな衣装が毎回注目されました。
超ミニのスカートやヒョウ柄の服など、刑事らしからぬド派手な衣装が話題を呼びました。それは”インパクトを強くしよう”という彼女自身のアイデアだった。出演者もスタッフも仲が良く、演技中のセリフもアドリブ満載だったそうで、笑いの絶えない楽しい現場だったそうです
引用元:NEWSポストセブン
1994年の48歳の頃には、ドラマ「古畑任三郎」にピアニストの井口薫役で出演しました。彼女を中心に展開するストーリーで、視聴者に強烈な存在感を与えました。
#わきまえない女 で思い出したけど
— 加納和可子 (@canowacaco) February 4, 2021
古畑任三郎「ピアノレッスン」で木の実ナナさんが最後古畑に言う台詞「わきまえなさい」が爆エモで圧倒的にわきまえててすごいの。すご女。この回何回も見て台詞真似したなぁhttps://t.co/hjaBoBBti1
あとFODはいい加減「赤か青か」を配信しないと退会するからな! pic.twitter.com/296Tgwz7wx
そして1995年、49歳の時、朝の連続テレビ小説「走らんか!」に前田邦子役で出演し、主人公の母親役を見事に務め上げました。
木の実さんは40代半ばから約4年半にわたり、重い更年期障害とうつ病に悩まされましたが、困難な時期を経験しながらも、積極的に芸能活動を続けていたようです。
有名ドラマにたくさん出演してたんだ!
木の実ナナさんファンに聞いた、木の実ナナさんの40代で印象に残っている出来事
自伝エッセイ『下町のショーガール―ナナの愛と喝采の日々』がドラマ化したことです。このおかげで木の実ナナさんの半生がわかりましたし、印象的でした。(50代男性)
46歳のときに更年期うつ病を患う。テレビで見るたび周りを太陽のように明るく照らしてくれる元気いっぱいな印象を抱いていたので、病と闘われていた事実が衝撃的だったから。(20代女性)
自伝のエッセイを出したことがすごいですね。演技が上手いというイメージがありましたが本まで書けるなんて驚きの才能です。(30代男性)
木の実ナナの若い頃の髪型はショートパーマヘア
木の実ナナさんの若い頃の髪型といえば、ショートパーマな髪型を思い出す方も多いのではないでしょうか。
1965年にリリースされた木の実ナナさんの『太陽の海』。当時19歳。 pic.twitter.com/xUgqFyhzcK
— sakura (@sakura1879424) December 1, 2024
パーマでボリュームを出したショートヘアが、華やかな顔立ちの木の実さんにとてもお似合いですね。
1960年代の女性の髪型は欧米志向真っ盛りでボリューム感が重視され、短いボブやショートヘアスタイルが流行しました。特にモダンな印象を与えるショートヘアは、若い女性たちの間で人気だったそうです。
外国のお人形みたいでキュートだね!
まとめ
今回は、木の実ナナさんの若い頃の活躍や出来事を、画像とともに振り返りました。
年代ごとに印象深い出来事がたくさんあったね!
これからの活動も頑張ってほしいと思います。