タレントや俳優として活躍する石田純一さん。
若い頃どんな風貌だったのかや、年代ごとにどんなできごとがあったのか気になるかたも多いと思います。
さっそく、石田純一さんの若い頃の写真やできごと、デビューのきっかけを年代順に振り返ってみましょう。
石田純一のデビューのきっかけや時期は?
早稲田大学在学中に石田純一さんは、俳優・演出家を目指してアメリカへ渡りました。
帰国後、「演劇集団円」の研究生となり下積みを経て、1979年にNHKのドラマ『あめりか物語』でデビュー。
1988年のドラマ『抱きしめたい!』をきっかけに、その当時ブームだった作品に多数出演。そして、トレンディ俳優として大人気となりました。
今は俳優のイメージは少ないかも!
石田純一の幼少期は?若い頃の活躍やできごとを年代順に振り返り
石田純一さんの幼少期のエピソードや、若い頃の活躍やできごとを年代順に振り返っていきます。
幼少期
1954年1月14日生まれ。お父さんはNHKの有名アナウンサーで、2人姉弟の長男として誕生しました。
父親の仕事の都合で、4歳までワシントンD.Cで過ごす。帰国してからは、高級住宅街である目黒や世田谷区に住んで、裕福な家庭で何不自由なく育ったお坊ちゃんでした。
一方で、父親はお姉さん曰く「子供がちょっと曲がっていたら絶対困る」という想いが強く、子供たちが口答えをすると語気を荒げ、しばしば手をあげることもあったそうです。
裕福な家庭だからといって、なんでも「はいどうぞ」といった感じで甘やかされていた訳ではなかったんですね。時には厳しいお父さんがいたからバランスがとれていたのかもしれませんね。
今でもお坊ちゃんというイメージはあるかも!
10代
石田純一さんが10代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1967年(13歳):目黒区立第四中学校に入学
- 1970年(16歳):東京都立青山高校に入学
- 1973年(18歳):早稲田大学商学部に進学
[エンタメ]石田純一、中学の卒アル写真を公開!46年前も髪型変わらず? http://t.co/PjODv87gTi pic.twitter.com/gU3S1Md8DO
— シネマトゥデイ (@cinematoday) March 17, 2015
中学時代は、野球部に所属しました。石田純一さんは、阪神タイガースの熱狂的ファンで有名です。
石田純一さんが通学していたころ都内でトップクラスの進学校、青山高校に入学。高校時代も野球部に所属し、エースで四番打者として活躍していました。スポーツ万能で頭も良かった石田純一さん。
高校卒業後、早稲田大学の商学部に進学。偏差値は68の学校です。しかし、在学中に演劇を学ぶためアメリカに留学し、大学は中退しました。
現在の石田純一さんからは、野球をするイメージは沸きませんが、頭も良くてスポーツもできたとなると、モテモテだったのではないでしょうか。
野球は小学生の頃からやってたみたい!
石田純一さんファンに聞いた、石田純一さんの10代で印象に残っている出来事
早稲田大学商学部に入学したことです。頭の良さそうな人とは思っていましたけど、早稲田に入れるレベルなのかと驚きました。(50代男性)
演出家になりたかったという話を聞いて驚きましたね。最初から俳優志望だとばかり思っていたのでびっくりですね。(30代男性)
早稲田大学に入学。世間ではヤンチャなプレイボーイというイメージが強いからこそ、めちゃめちゃ高学歴でびっくりしたから。(20代女性)
20代
石田純一さんが20代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1979年(26歳):NHKドラマ『あめりか物語』でデビュー
- 1980年(27歳):映画『鉄騎兵、跳んだ』で初主演
- 1982年(29歳):火曜サスペンス劇場『松本清張の花氷』に出演
石田純一さんは1979年26歳の時に、NHKドラマ『あめりか物語』で正式にデビューしました。日系三世のタイ人役で、当時の芸名は「石田純」でした。
1980年27歳で『暴行儀式』にて映画デビューし、同年『鉄騎兵、跳んだ』にて映画初主演を務め、熱演しました。
【にっかつ】青春映画『鉄騎兵、跳んだ』(1980年 石田純一主演 小澤啓一監督作品)#バイクの日 pic.twitter.com/WW3syH40ok
— TOKI (@TOKI_darna) August 19, 2018
1982年には、火曜サスペンス劇場『松本清張の花氷』や、日本・イタリア・アメリカ合衆国・西ドイツ・中国の共同制作ドラマ『マルコ・ポーロシルクロードの冒険』に出演。この頃には芸名を「石田純一」にして活動していました。
20代ではまだ売れてはいなかったようですが、映画やドラマなど様々なジャンルの役を務め、俳優としての経験値はしっかりと積み上げていかれてたんですね。
長い下積み時代を乗り越えたんだね。
石田純一さんファンに聞いた、石田純一さんの20代で印象に残っている出来事
長男・壱成が誕生したことです。女性関連の話題が尽きない方なので、てっきり家庭を持つのが遅かったのかなって思っていました。それだけに20歳で子供が出来たことに驚きました。(50代男性)
なっちゃんの写真館という作品がとても印象に残っていますね。すごくトレンディなドラマで石田さんの役柄も魅力的でしたね。(30代男性)
大学生で所帯を持ち、アメリカへ演劇留学。生き方が想像以上に自由すぎて、破天荒な石田純一さんらしい大学生時代だったから。(20代女性)
30代
石田純一さんが30代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1988年(35歳):ドラマ『抱きしめたい!』に出演
- 1990年(37歳):7月に長女・すみれさんが誕生
- 1991年(38歳):公表していなかった長男の存在が明らかに
抱きしめたい!
— レパード アルティマ ターボ (@LEOPARD_ultimat) July 6, 2022
懐かしく感じたわ😅正にバブル真っ盛りの時にOnAirされて、社会現象を巻き起こしたドラマでしたね。
W浅野に野際陽子さん、もっくん、石田純一さん、岩城滉一さん、布施博さんとキャストが豪華だった思い出が😅
このようなドラマは二度と出てこないだろうなぁ。 pic.twitter.com/EQyJwCHcyd
1988年の時、ドラマ『抱きしめたい』の二宮修治役でブレイク。それ以降、数々のトレンディードラマに出演していきます。
37歳の時には、長女・すみれさんが誕生しました。1988年35歳の時に結婚(2回目の結婚)した女優・松原千明さんとの子供です。
1991年、石田純一さんが公表していなかった星川まりさんとの間に産まれた長男・いしだ壱成さんの存在が、隠し子として週刊誌にスクープされました。翌年、いしだ壱成さんは芸能界デビューします。
女性経験が豊富でプレイボーイな印象の石田純一さんですが、俳優業や幼少期の経験などで沢山の魅力がある石田純一さんに女性は惹かれていくんでしょうね。
実は若い頃に子供を授かってたなんてびっくり。
石田純一さんファンに聞いた、石田純一さんの30代で印象に残っている出来事
クイズ番組『TVプレイバック』にレギュラー出演するようになったことです。このクイズ番組で石田さんって頭良いんだって感じるようになりましたし、印象に残っています。(50代男性)
サスペンスドラマに出演していた姿が印象的ですね。やっぱりすごくこういうテイストのドラマにハマる俳優だとつくづく思いました。(30代男性)
ドラマ「抱きしめたい」でトレンディ俳優としての地位を確立。このドラマへの出演がなければ芸能界を退いていたかもしれないという事実に驚いたから。(20代女性)
40代
石田純一さんが40代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1996年(43歳):長谷川理恵さんとの不倫現場をスクープされる
- 1999年(46歳):松原千明さんと離婚
- 2000年(47歳):エッセイ「落ちこぼれのススメ」(光進社)を出版
1996年、週刊誌『フォーカス』に長谷川理恵さんとの不倫現場をスクープされ、その当時の石田純一さんの発言から、スポニチ本誌が「不倫は文化」という見出しで報道しました。この影響で俳優業やニュース番組、さらにCMも降板となったようです。
芸能界から干されてしまった石田純一さんですが、46歳で松原千明さんと離婚(2回目の離婚)します。家族と仕事を失い、年収3億から残ったのは借金6000万円でした。
翌年、2000年にはエッセイ『落ちこぼれのススメ』を出版します。どんなにどん底まで追い込まれても「やるしかない」という前向きに挑戦し続ける石田純一さんが詰め込まれています。
石田純一といえば 落ちこぼれのススメ #石田純一https://t.co/oHtSToY9Ca pic.twitter.com/kjAShzW4x1
— 芸能怪獣 ニュースカ β (@newsuka) March 17, 2021
自由で勝手な人という印象にもなりかねませんが、切り替えも早く行動力もあり逆光にも負けず、這い上がる力を持ってる方なんですね。
たくましい心を持ってますね。
石田純一さんファンに聞いた、石田純一さんの40代で印象に残っている出来事
長谷川理恵さんとの不倫騒動ですね。この騒動から「不倫は文化」という今なお死語とならずに使われている迷言が生まれましたし、印象に残りました。(50代男性)
世にも奇妙な物語での演技が最高に好きですね。見ていて不気味な要素が高まる話で非常に面白かったです。熊の木本線は必見です。(30代男性)
「不倫は文化」というフレーズが生まれる。騒動を知らない世代でも、度々バラエティでいじられているのを見てこの言葉だけは知っていたから。(20代女性)
石田純一の若い頃の髪型は七三分け
石田純一さんの若い頃の髪型といえば、七三分けな髪型を思い出す方も多いのではないでしょうか。
きちっとした七三分けではなく、ふわっとした七三分けなので爽やかさがあります。初対面だと誠実そうな印象を持てそうです。
1970年代「アイビーカット」が流行っていました。アメリカのアイビーリーグ(東海岸の私立大学8校)の大学生の流行がルーツです。七三分けのショートヘアの前髪を上げて、スポーティでさわやかな印象。石田純一さんはその髪型を取り入れていたのかもしれません。
帝都物語(1988)の石田純一が爽やかイケメンでよい。小泉孝太郎みたい。
— 内資系 (@iamnaishi030810) August 25, 2024
隣は佐野史郎。昔から変わらない pic.twitter.com/CzXHiwVs4u
昔もイケメンだけど、今はダンディさが増していい感じ!
まとめ
今回は、石田純一さんの若い頃の活躍や出来事を、画像とともに振り返りました。
年代ごとに印象深い出来事がたくさんあったね!
これからの活動も頑張ってほしいと思います。