歌手として活躍する郷ひろみさん。
若い頃どんな風貌だったのかや、年代ごとにどんなできごとがあったのか気になるかたも多いと思います。
さっそく、郷ひろみさんの若い頃の写真やできごと、デビューのきっかけを年代順に振り返ってみましょう。
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郷ひろみのデビューのきっかけや時期は?
郷ひろみさんが15歳の時、近所のおばさんが東宝映画『潮騒』のオーディションに無断で応募していたことがデビューのきっかのひとつです。
結果的にオーディションには不合格となりましたが、審査員として参加していたジャニーズ事務所社長のジャニー喜多川さんの目に留まり、その場でスカウトされました。
スカウト後、ジャニー喜多川に連れられて北海道・旭川でのショーを観に行き、突然ステージに上げられて自己紹介をする経験をしました。
ステージ出演を重ねていくと、会場から「ゴー!ゴー!レッツゴー! ひろみ」という声援を受けるようになり、これがきっかけで「郷ひろみ」という芸名が付けられました。
社長直々のスカウトだったんだね!
郷ひろみの幼少期は?若い頃の活躍やできごとを年代順に振り返り
郷ひろみさんの幼少期のエピソードや、若い頃の活躍やできごとを年代順に振り返っていきます。
幼少期
1955年10月18日に福岡県で生まれ、幼少期の多くは岡山県で過ごしました。
幼い頃から容姿端麗であると評判で「名犬ラッシーの子役にそっくり」「お人形さんみたい」と言われるほどだったそうです。
家族との関係も大切にしていて、音楽好きの家族の影響もあり、歌うことが好きになったと言われています。
え、郷ひろみの小さい頃可愛すぎないか??? pic.twitter.com/W7H3xzblSt
— sakura (@sakura1879424) November 23, 2024
スパルタ教育の母親に厳しくしつけけられて育ったそうです。今の郷ひろみさんがストイックな性格なのも、お母様の教育があったからなのかもしれません。
外国人と間違われてしまうことも多かったんだって!
10代
郷ひろみさんが10代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1972年(17歳):「男の子女の子」でCDデビュー
- 1973年(18歳):「ぼくは叔父さん」でテレビドラマ初主演
- 1974年(19歳):NYでのダンスやボーカルのレッスン
容姿端麗で評判だった郷ひろみさんの甘い歌声に、日本中の人々が釘付けに。当時のR&B的な要素を取り入れた、歌いやすく親しみやすい楽曲だったこともあり、一躍話題になりました。
「男の子女の子」1972年・郷ひろみ。作詞 岩谷時子、作曲 筒美京平。郷ひろみのデビュー曲であり、いきなりオリコン8位。ルックスだけでなく歌も上手く、当時の日本国民に衝撃を与えた😊 #昭和歌謡 #郷ひろみ pic.twitter.com/UFkcD6SHPk
— カントク (@kantokuflash) December 17, 2023
郷ひろみさんの演じた役は、実年齢に近い役柄だった為、よりリアルでみずみずしい演技を見せました。
今となっては郷ひろみさんの若かりし頃の凛々しさと可愛らしさが見られる貴重な作品となっています。
73年当時のジャニーズドラマ 郷ひろみ主演のぼくは叔父さんとフォーリーブスの北公次主演のボクは女学生🎵 pic.twitter.com/zbmj3OgNML
— 帰ってきたパンク (@zcpbFuNWhU7527) January 24, 2024
ダンスやボーカルについての学びを得るために、初めてのNYに訪れた郷ひろみさん。
その時に大きなカルチャーショックを受け「ここで自分を変えていかないと、自分は存在しなくなる」と感じたそうです。
「ニューヨークは、学ぼうと思えばどんなことから何でも学べるところです。世界最高峰のものも揃っています」と述べた郷ひろみさん。常に学びの意識を持って生活されているのですね。
未成年だけどものすごい行動力!
郷ひろみさんファンに聞いた、郷ひろみさんの10代で印象に残っている出来事
17歳のときに「男の子女の子」をリリースされたことが、印象的でした。理由は、ポップな曲調と郷さんの初々しい感じがぴったりだと感じたからです。(30代女性)
1972年にシングル『男の子女の子』でレコードデビューをする。ジャニーズ事務所からソロデビューをしたアイドルは少ないので凄いと思う。(40代男性)
『新・平家物語』に平清盛の弟、経盛役で俳優デビューしたことです。歌手としてのイメージが強いだけに驚きました。(50代男性)
20代
郷ひろみさんが20代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1975年(20歳):ジャニーズ事務所からバーニングプロダクションへ移籍
- 1976年(21歳):「あなたがいたから僕がいた」日本レコード大賞受賞
- 1984年(29歳):「2億4千万の瞳」が大ヒット
事務所の移籍の理由としては、表向きは「方向性の違い」と公表されていました。
実際は「郷ひろみさんとジャニーズ事務所での将来像の相違」「ジャニー喜多川氏との過度に親密な関係への反発」が原因なのではないかと言われてます。
バラード曲であり、これまでのアイドル的なイメージから新たな一面を見せた曲です。
郷ひろみさん自身が「この曲はキャリアの転機となった」と言い、第18回日本レコード大賞を受賞しました。
あなたがいたから僕がいた😀郷ひろみくん😀 pic.twitter.com/LXzlkVBvGm
— カリメロ (@IoEQ6nRrDPmHYz7) October 11, 2021
郷ひろみさんの父親が勤める「国鉄」の大型キャンペーン「エキゾチック・ジャパン」のキャンペーンソングとして作られた曲です。CD売り上げ21.3万枚の大ヒットを残し、郷ひろみさんの代表曲のひとつとなりました。
郷ひろみ - 2億4千万の瞳 -エキゾチック・ジャパン- [1984.2.25]
— 80's Japanese Music File (@80sjmf1) March 16, 2024
作詞:売野雅勇 作曲・編曲:井上大輔
(最高7位 / 21.2万枚 / 1984年度 年間61位)pic.twitter.com/MIEaffdYM3
2024年現在でも知らない人はいないほどの人気曲を生み出した、人生の中で重要な時期となったと言えるでしょう。
「エキゾチック・ジャパ〜〜ン!」
郷ひろみさんファンに聞いた、郷ひろみさんの20代で印象に残っている出来事
29歳のときに「2億4000万の瞳」をリリースされたことが、印象的でした。理由は、ノリノリの曲調と楽しそうに歌う郷さんが心に残ったからです。(30代女性)
1978年にテレビドラマ『ムー一族』に出演する、このドラマの挿入歌である『林檎殺人事件』もヒットした。樹木希林さんとのデュエットはインパクトがあった。(40代男性)
高校を約5年かけて卒業したことです。転校等のトラブルはありましたけど、当時だと学校も芸能活動に優しくないでしょうし苦労したいんだなって感じました。(50代男性)
30代
郷ひろみさんが30代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1987年(32歳):二谷友里恵と結婚
- 1990年(35歳):「ザ・ベストテン」への出演拒否
- 1993年(38歳):バラード3部作を発表
赤坂の霊南坂教会とシドニーのセントメリーズ教会で挙式を行い、新居をニューヨークに構えました。
フジテレビが「おめでとう郷ひろみ・二谷友里恵結婚披露宴」と題して生中継し、大きな話題を呼びました。
郷ひろみさんと二谷友里恵さんの婚礼写真だって😻🤭💓 pic.twitter.com/QjSQl6lPpt
— みんなの恋人エドちゃん💋 (@ioecatterina) August 22, 2022
「僕がどんなに君が好きか、君は知らない」「言えないよ」「逢いたくてしかたない」の3曲で構成され、1年に1曲ずつバラード曲をリリースするというものでした。
郷ひろみさんの、バラードという新しいジャンルへの挑戦となりました。
おはようございます🤙🏻🌺
— 二代目よっしー🤙🏻🌺 (@2yosshi1968) May 13, 2024
曇り☁️
#俺の朝 俺の好きな歌、死ぬほど聴いた死ぬほど好きな曲。(笑)
郷ひろみさんの『僕がどんなに君を好きか、君は知らない』
郷ひろみのバラード3部作の1作目。
20代半ばから、僕の人生にずっとある曲。
🎵どうしよ~うもな~い ことがある~って ねぇ言ってよ~ pic.twitter.com/iG3mHAjzt5
明確な出演拒否の理由については公表されていませんが、郷ひろみさんの歌手としての方向性の変化や、番組の形式に対する考え方が合わなかったと推測されています。
この郷ひろみさんの行動は、当時の音楽業界に大きな影響を与え、同様の行動をとる他アーティストも出てきたそうです。
結婚、バラード3部作で新たな音楽性の追求。アイドルからアーティストへの転身を図り、人生を大きく変えた需要な時期を過ごした30代となったようです。
大人のアーティストへの第一歩!
郷ひろみさんファンに聞いた、郷ひろみさんの30代で印象に残っている出来事
32歳のときに元女優の二谷友里恵さんと結婚を発表されたことが、印象的でした。理由は美男美女の結婚であり、とても素敵だと感じたからです。(30代女性)
1987年に二谷友里恵さんと結婚する。この二人の結婚式はテレビ局でも放送されたので、多くの人が結婚を祝福したと思う。(40代男性)
二谷友里恵と結婚したことです。とうとう郷ひろみさんも結婚したかって驚きました。当時の男性アイドルは独身でいることが重要だっただけに印象的でした。(50代男性)
40代
郷ひろみさんが40代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1999年(44歳):「GOLDFINGER '99」が大ヒット
- 2000年(45歳):二谷友里恵と離婚
- 2005年(49歳):芸能活動休止後の復帰
「A CHI CHI A CHI」というフレーズが特徴的で、誰もが聞けば分かる程の大流行をした曲です。
JR渋谷駅前で無許可のゲリラライブを行いましたが、あまりの人気ぶりに、このイベントは重大な交通渋滞を引き起こし、現場関係者が道路交通法違反で書類送検される事態に発展しました。
郷ひろみ
— ランクルØロック (@landfff) November 4, 2024
GOLDFINGER '99カッコイイ
言えないよ最高 pic.twitter.com/KByWCZuzu2
離婚発表後、郷ひろみさんは二谷友里恵さんに対して「離婚時の養育費の未払いに関するもの」についての訴訟を起こしました。しかし、子供達の「父親に会いたくない」という発言のため、最終的には取り下げられたそうです。
2001年のNHK紅白歌合戦への出演を最後として、音楽活動を一時休止していた郷ひろみさん。2005年4月にシングル「愛より速く」の発表と共に日本での芸能活動を再開しました。
約3年の活動休止期間は、郷ひろみさんのファンにとっては長いものだったでしょう。しかし、多くのファン活動再開を喜びあたたかく迎え入れました。
どのヒット曲もきけばすぐに分かるくらい印象的!
郷ひろみさんファンに聞いた、郷ひろみさんの40代で印象に残っている出来事
43歳のときに書籍「ダディ」を出版されたことが、印象的でした。理由は、郷ひろみさんのこれまでを知ることができ、実に趣深い書籍だと感じたからです。(30代女性)
1998年に二谷友里恵さんと離婚する。この離婚のことを詳しく書いた『ダディ』という本も出版されているので、機会があれば一度読んでみたい。(40代男性)
「GOLDFINGER '99」をリリースしたことです。私は郷ひろみさんの若い頃も知っていますけど、若い世代の方なら郷ひろみといえばコレ!という人も少なくないと思います。それだけに印象的でした。(50代男性)
郷ひろみの若い頃の髪型は「パーマスタイル」
郷ひろみさんの若い頃の髪型といえば、パーマスタイル思い出す方も多いのではないでしょうか。
ふんわりとしたボリュームのあるスタイルで、カールがかかった髪が印象的です。実はこれは、天然パーマだそうです。毛量が多めで天然パーマのくせ毛をいかした髪型だったのですね。
若い頃の郷ひろみですどうぞ pic.twitter.com/CNRNUoSnos
— いいちこ@妊活 (@iichiko10191) June 30, 2021
イケメンはどんな髪型でも似合うなあ!
まとめ
今回は、郷ひろみさんの若い頃の活躍や出来事を、画像とともに振り返りました。
年代ごとに印象深い出来事がたくさんあったね!
これからの活動も頑張ってほしいと思います。