俳優、コメディアンとして活躍する高田純次さん。
若い頃どんな風貌だったのかや、年代ごとにどんなできごとがあったのか気になるかたも多いと思います。
さっそく、高田純次さんの若い頃の写真やできごと、デビューのきっかけを年代順に振り返ってみましょう。
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高田純次のデビューのきっかけや時期は?
デビューのきっかけとなったのは、1977年に劇団「東京乾電池」に入団したことです。
劇団での演劇活動を通じて、テレビ業界との繋がりが増えていき、芸能界デビューを果たしたそうです。
「東京乾電池」は1976年に設立された劇団だよ!
高田純次の幼少期は?若い頃の活躍やできごとを年代順に振り返り
高田純次さんの幼少期のエピソードや、若い頃の活躍やできごとを年代順に振り返っていきます。
幼少期
1947年1月21日、東京都北多摩郡調布町大字国領(現在の調布市国領町)生まれです。
実の母は4歳の時に他界し、その後一緒に住んでいた祖母と継母の関係に悩まされたりと複雑な家庭環境の中で育ちました。
小・中学生の時は「勉強ができる純ちゃん」と呼ばれるほど成績優秀で、明るく周囲の人を笑わせる明るい存在だったという高田純次さん。
自身が複雑な家庭環境だったからこそ、周囲の人々を笑わせたいという思いが強かったのでしょうか。
優しい心の持ち主なんだということが伝わってくるね!
10代
高田純次さんが10代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1965年(18歳):大学受験失敗
- 1966年(19歳):大学入学
- 1970年(23歳):大学卒業
※学生時代の頃の出来事のため、10代の出来事にまとめています
実の父親の勤務先が「東京ガス」だったことから、東京ガスへの就職や弁護士になることを志し、複数の大学を受験しましたが全て不合格となってしまったそうです。
大学受験失敗後は一浪し、またいくつかの大学を受験し、最終的には「東京デザイナー学院 グラフィックデザイン科」へ進学しました。
幼少期から美術科目が得意であったことから、無事大学を卒業することができました。
10代にして大きな挫折を経験したようですが、それでも諦めず大学を卒業することができたのですね。
努力は報われる!
高田純次さんファンに聞いた、高田純次さんの10代で印象に残っている出来事
東京デザイナー学院に入学したということを知ってめちゃくちゃ驚きましたね。そんな雰囲気今では全くないのでびっくりです。(30代男性)
東京都立府中高等学校を卒業する。地方出身であると思っていたので、東京都の出身であるということは知らなかった。(40代男性)
中央大学・明治大学・法政大学・青山学院大学を受けるが全て不合格になったことです。時の運というのもありますけど、勉強はそれ程できなかったんだなって驚きました。(50代男性)
20代
高田純次さんが20代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1971年(24歳):「自由劇場」に入団
- 1973年(26歳):結婚
- 1973年(26歳):一般企業に就職
自由劇場の舞台を見て俳優を志願、その後入団し研修生となりました。しかし長くは続かず、約1年で退団したそうです。
当時、日本舞踊の師範であった勢子さんと結婚。高田純次さんの1歳下で、高田純次さんの出演するCMに家族総出で出演したことがあるそうです。
結婚後、劇団の収入のみでは生活することは難しく、宝石販売会社「トキモト」に入社し働いていたそうです。
10代の頃に続き、多くの挫折を経験すし、苦しい思いもたくさん経験してきたのだろうなと想像できます。
それでも夢は諦めない!
高田純次さんファンに聞いた、高田純次さんの20代で印象に残っている出来事
宝石デザイナーとして活動していたことを知って多才なんだなと思いました。なかなか宝石デザインは腕が問われるので本当に凄いですね。(30代男性)
1971年に自由劇団に入団する。高田純次さんは、もともと俳優になりたかったということがわかったので興味深い。(40代男性)
アンダーグラウンド劇団に入団したことです。ここから俳優を目指そうと頑張り始めたわけですし、俳優・高田純次の最初の第一歩ということで印象に残りました。(50代男性)
30代
高田純次さんが30代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1977年(30歳):劇団「東京乾電池」に入団
- 1985年(38歳):ドラマ「毎度おさわがせします」出演
- 1985年(38歳):「天才!たけしの元気が出るテレビ‼︎」に出演
芸能界デビューのきっかけともなった「東京乾電池」に入団します。しかし当初は思うように売れず、当時のことを「家族を養うために、警察に捕まるようなこと以外は一通りやった」と語っているそうです。
高田純次さんも、東京乾電池に参加してたと#じゅん散歩 pic.twitter.com/sAHvgUiFPb
— Atrushan (@Atrushan) November 14, 2022
テレビドラマ初出演となり、主人公の担任教師役でレギュラー出演でした。
ビートたけしさんの冠番組であり、1985年4月から番組終了の1996年10月までの11年間もの期間、レギュラー出演されていました。
今までの挫折や経験が糧となり、時間はかかったものの、一気に高田純次さんの名が世に知れ渡る30代となったのですね。
諦めなければ夢は叶う!
高田純次さんファンに聞いた、高田純次さんの30代で印象に残っている出来事
テレビデビューは32歳で笑点からだったと知り結構遅かったんだなとびっくりしました。昔から見ていたのでもっと前から活躍されていると思いました。(30代男性)
フジテレビで放映されていた『オレたちひょうきん族』に初代ブラックデビル役で出演する。明石家さんまさんの前に、高田純次さんがブラックデビルを演じていたことを知って驚いた。(40代男性)
ビートたけしの冠番組『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』に出演したことです。ここから11年間レギュラーをつとめましたし、高田純次さんをメジャーに押し上げてくれた出来事だと思います。(50代男性)
40代
高田純次さんが40代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1988年(41歳):新語・流行語大賞を受賞
- 1989年(42歳):新事務所を設立
- 1990年(43歳):クイズ番組にレギュラー出演
中外製薬「グロンサン」(現在のライオン)のCMに出演し、同CMのキャッチコピー「5時から男」が話題を呼びました。その結果、新語・流行語大賞の「流行語部門・大衆賞」を受賞しました。
[CM]中外製薬 グロンサン 1987年
— さくらとせろり、(さくせろ) (@sakutosero) September 17, 2024
5時から男
>RT そうですね。
自分がリアタイ時は30代手前だったのにいつのまにか超えてしまった。
この頃、高田純次さんは30代だったのかなと調べたらギリギリ39歳(1986年)だった。 https://t.co/9rYVg4jym2 pic.twitter.com/RoSKTVkg0U
「東京乾電池」から独立し「テイクワン・オフィス」というマネジメント会社を設立しました。自身のキャリアの管理はもちろん、他の所属タレントのの育成やマネジメントもおこなっています。
クイズ番組「クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!」での「テキトー男」「ミスター無責任」と評される芸風が、多くの視聴者の笑いを起こし番組を盛り上げていました。
ほかにも「象印クイズ ヒントでピント」など、いくつかのクイズ番組にレギュラー出演をしていたそうです。
やる気があふれ出る。
— おた (@otter_pan88) June 22, 2023
キング・オブ・イケオジ。
伝説のMr.テキトー男『 高田純次 』のスゴい言葉10選
① 朝からいい男ですいませんねぇ。
② 毎年目標を聞かれると、『ただ生きる』と答えています。これが僕の哲学、目標ですよね。
③… pic.twitter.com/6Y0CrquS7N
CMや各番組の出演の経験を経て、自身の会社を設立できるほどの人気を誇るようになりました。これは正真正銘、高田純次さんの努力の賜物ですね。
きっと10代の頃からは想像もできない人生だね
高田純次さんファンに聞いた、高田純次さんの40代で印象に残っている出来事
クイズショーバイショーバイでのキャラが最高に笑えましたね。本当にテキトーキャラを確立した感じで爆笑でした。(30代男性)
1989年に所属していた芸能事務所を独立して、新しい芸能事務所を設立した。自分で芸能事務所を作ることは凄いと思った。(40代男性)
中外製薬「グロンサン」のTVCMに出演したことですね。これは今でも記憶に残っています。「サンサン三十代は、グロンサン!」と言ってた姿を。ひょうきんな感じがにじみ出ていて良かったです。(50代男性)
高田純次の若い頃の髪型はオールバック
高田純次さんの若い頃の髪型といえば、オールバック思い出す方も多いのではないでしょうか。
若い頃に限らず、今も同じ印象がある方がほとんどだと思いますが、おでこから後頭部にかけて髪全体を固めていくオールバックスタイルが多かったようです。
年齢を重ねていくほどダンディーになり、とてもかっこいいですね。
「イケおじ」とはまさにこのこと!
まとめ
今回は、高田純次さんの若い頃の活躍や出来事を、画像とともに振り返りました。
年代ごとに印象深い出来事がたくさんあったね!
これからの活動も頑張ってほしいと思います。