月亭方正の若い頃は?昔の髪形は丸みのある短髪だった!

落語家やお笑い芸人として活躍する月亭方正さん。

若い頃どんな風貌だったのかや、年代ごとにどんなできごとがあったのか気になるかたも多いと思います。

さっそく、月亭方正さんの若い頃の写真やできごと、デビューのきっかけを年代順に振り返ってみましょう。

目次

月亭方正のデビューのきっかけや時期は?

デビューのきっかけや時期

月亭方正さんのデビューのきっかけや時期は、1987年4月にNSC大阪校6期生として入学しました。

その後、1988年2月19日、軌保博光さんとコンビを組み『GSX(ガスペケ)』という名前でデビューし、心斎橋筋2丁目劇場を中心に活動を始めました。

1989年、東京に進出した際にコンビ名を『TEAM-0』に改名し、同年に『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!』の放送2回目から前説として参加することになりました。

ねこ太郎

TEAM-0のデビューは、NSCでの出会いと学びがきっかけとなったみたい

月亭方正の幼少期は?若い頃の活躍やできごとを年代順に振り返り

月亭方正さんの幼少期のエピソードや、若い頃の活躍やできごとを年代順に振り返っていきます。

幼少期

月亭方正さんは、1968年2月15日に兵庫県西宮市で生まれました。

幼少期は、とにかくサービス精神が旺盛だったのだそう。小学生の頃から周りの人達を笑わせるのが好きで、よくおならをしていたのだとか!

小学生のとき、あまりにもおならをするから「病気なんじゃないか」って病院に連れて行かれたことがあるんです。でも、笑いが欲しかったからわざとしていた(笑)。普通、恥ずかしいからがまんするよね。「アホや」って言われても、みんなが笑っていればそれが無上の喜び。小さいときからそうやった。みんなが笑ってたらそれでいいやん、って。

引用元:産経新聞

小さい頃は『アイドルスマイル』と言われるほど可愛らしかったようです!

ねこ太郎

小さい頃からお笑いに憧れていたんだって

10代

月亭方正さんが10代の頃の代表的なできごとはこちらです。

  • 1983年(15歳):兵庫県立西宮南高校入学
  • 1986年(18歳):兵庫県立西宮南高校卒業後、1年間の浪人生活
  • 1987年(19歳):NSC大阪校6期生として入学

月亭方正さんは、中学校を卒業後、兵庫県立西宮南高校に入学します。この高校は、シンガーソングライターのあいみょんさんの母校としても知られている学校のようです。

月亭方正さんは、ヘビメタバンドを結成して音楽活動をはじめ、髪型をモヒカンにしたこともあるのだとか。高校2年生と3年生の時には『ミスター西宮南高校』に選ばれるほどのイケメンだったそうです!

また、剣道部に所属し、1級の腕前を持つほどでした。テレビ番組『体育会系TV』で剣道の腕前を披露したこともあるのだとか!

ねこ太郎

外見的にも人気があり、充実した学生生活を送っていたみたい!

高校卒業後、大学進学を目指しましたが、現役・浪人ともに受験に失敗し、進学を諦めてしまいます。そのとき当時の彼女が『ダウンタウン』の大ファンで、一緒にライブに行ったことがきっかけでお笑いに興味を持ち始めました。

翌年の1987年、月亭方正さんはNSC(吉本総合芸能学院)大阪校6期生として入学しました。

月亭方正さんファンに聞いた、月亭方正さんの10代で印象に残っている出来事

アンケート調査結果
ネット上の人物

大学受験に失敗して浪人したという話。苦労してきたんだなぁと感じましたし過去があっての今だと感じました。(30代女性)

ネット上の人物

立正大学心理学部へ進学していたことです。お笑い芸人や落語家として有名な方だけに、てっきり早くから芸能活動に専念していると思っていました。それだけに大学へ進学していたんだと驚きました。(50代男性)

ネット上の人物

高校時代モテモテだったというエピソードを聞いて本当に驚きました。確かに写真を見たら本当に格好良かったですね。(30代男性)

20代

月亭方正さんが20代の頃の代表的なできごとはこちらです。

  • 1989年(21歳):NSC大阪校6期生として卒業し、お笑いコンビ『TEAM-0』を結成して東京へ進出
  • 1991年(23歳):『第12回 ABCお笑い新人グランプリ』最優秀新人賞を受賞
  • 1993年(25歳):コンビを解散し、ピン芸人として活動を開始

1988年、月亭方正さんは、軌保博光さんとお笑いコンビ『GSX(ガスペケ)』を結成しデビューしました。

翌年、1989年にコンビ名を『TEAM-0』に改名し、東京に進出しました。この東京進出は、先輩芸人のダウンタウンよりも3ヶ月早かったのだそうです。

同時に『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!』の放送2回目から前説として参加し、26回目で出演を果たし、これが初のレギュラー出演番組となりました。

1991年には、第12回ABCお笑い新人グランプリで最優秀新人賞を受賞し、芸人としての評価を高く評価されています!

順調に芸人生活を送っていたように見えましたが、1993年9月末に相方の軌保さんが映画製作に興味を持ち始めたことでコンビは解散。月亭さんは、その後ピン芸人として活動を続けることとなりました。

それが『アホ』『ヘタレ』『スベリ芸』の三大悪やってん。芸人として1番アカンやん。要は『おもろない』ってことや。きついって、子供の頃は『ほーちゃんおもろい!』って言われてきてさ、NSCも主席で出て『おもろない』が辛いねん。言われたことなんかなかったんやもん。家帰って枕に顔うずめて叫んでたもん。涙ポロポロ出て」と地獄の日々だったという。

引用元:スポニチ

ねこ太郎

コンビ解散後に芸人としての苦悩が始まったんだって

月亭方正さんファンに聞いた、月亭方正さんの20代で印象に残っている出来事

アンケート調査結果
ネット上の人物

ガキの使いに出て芸人として大ブレイクすることです。ダウンタウンとのやり取りが大好きだったので覚えています。(30代女性)

ネット上の人物

『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!』に出演したことです。これが月亭方正さんにとってメジャーデビューにもなりますし、印象に残りました。(50代男性)

ネット上の人物

ダウンタウンと共演して人気を博した姿を覚えています。やっばりこの二組は相性が抜群で素晴らしいと思いますね。(30代男性)

30代

月亭方正さんが30代の頃の代表的なできごとはこちらです。

  • 1998年(30歳):NHK教育テレビ『天才テレビくん』出演
  • 2001年(33歳):一般女性と結婚
  • 2003年(35歳):日本テレビ『笑ってはいけないシリーズ』出演

月亭方正さんの30代は、テレビタレントとして活躍しながらも内面では苦悩の時期でした。

2003年から始まったダウンタウンの人気バラエティー番組、大みそか年越しスペシャル『絶対に笑ってはいけない』に出演し、たくさんの人気を集めていきました。しかし、その反面テレビの仕事がストレスとなり『しんどいけれど、それが人生なんや』と自分に言い聞かせていたと言います。

テレビの世界では「山崎邦正」として20年、キャリアを積んできた。急な出演依頼にも対応できるほどの自信もあったが、内心では苦しんでいた。ため息をつきながら「しんどいけれど、それが人生なんや」と言い聞かせてきた。

引用元:日刊スポーツ

同時に2003年、月亭さんは35歳で立正大学心理学部に入学し、念願だった大学進学の夢を実現させました。

テレビ番組『クイズミリオネア』に出演して敗退した悔しさからクイズに関心を持ち、勉強することの重要性を再認識したそうです。そして、人間の心理について学びたいと考え、新設された立正大学の心理学部を選びました。

恋愛においては、2001年、月亭方正さんは11歳年下の一般女性と結婚しました。

お2人の出会いは六本木のレストランで、奥さんが月亭方正さんに声をかけたことがきっかけでした。その後、月亭さんは奥さん一目惚れし、猛アタックして交際がスタートしたそうです。交際からわずか1週間でプロポーズしましたが、その時は断られ、3年後に子供ができたことをきっかけに結婚となりました。

ねこ太郎

現在は、お子さんが3人いるよ

月亭方正さんファンに聞いた、月亭方正さんの30代で印象に残っている出来事

アンケート調査結果
ネット上の人物

大学に進学されること。一度ダメになってしまったことにもう一度チャレンジするってかっこいいなぁと思いました。(30代女性)

ネット上の人物

11歳年下の一般女性と結婚したことです。てっきり同じ芸能界で活動する方を伴侶に選ぶかと思っていたので、相手は一般女性だったか~と驚きました。(50代男性)

ネット上の人物

ガキの使いでの姿がとても面白かったです。いつも滑っているイメージがありましたがたまに特大ホームランを打つのでとても大好きです。(30代男性)

40代

月亭方正さんが40代の頃の代表的なできごとはこちらです。

  • 2008年(40歳):月亭八方に入門
  • 2009年(41歳):上方落語協会会員となる
  • 2013年(45歳):芸名を山崎邦正から月亭方正に正式に変更

月亭方正さんの40代は、大きな転機となった時期です。

40歳を目の前にしていた頃、月亭方正さんは営業の場で20〜30分の持ち芸がなく、後輩芸人たちが活躍する中で自身の芸人としての立ち位置に疑問を感じるようになりました。また、松本人志さんという大きな存在のもとで、自分の進むべき道が見えなくなっていました。

今の若手は、松本さんの影響を直接的に受けてる子が少ないからあの背中も見ずにやれる。だからどんどん出てこれるんですけど、僕らの世代はあの大きい背中がずっと近くにあったから、自分が進むべき道が見えへんかった。

引用元:デイリー

そんな中、同年代の先輩である東野幸治さんに悩みを相談した際、『落語聴いたら?おもろいで』とアドバイスを受けました。すぐに桂枝雀の落語CDを聴き、その面白さに感銘を受けたと言います。

落語を勉強するようになって、そこで気づいたんです。「俺は形があるものをおもしろくするのはうまくできる人間やから、落語はやれるんちゃうか」と。

引用元:デイリー

『形があるものをおもしろくする』ことが得意だと気づき、落語がその才能を活かせる場だと考えました。その後、40歳で落語家への転身を決意し、2008年5月に月亭八方さんに入門し、同年12月に落語家として初舞台を踏みました。

2013年には、芸名を『山崎方正』から『月亭方正』に正式に変更。タレント時代は仕事がストレスとなり、お金を使って発散していましたが、落語家になってからはお金を使わなくなったのだそう。『お金がなくても怖くない。それより落語を取られるほうが怖い』と語っています。

ねこ太郎

『ヘタレ』などとイジられることが多かったのが、落語家になってから『すごい』と褒められるようになったそうだよ

月亭方正さんファンに聞いた、月亭方正さんの40代で印象に残っている出来事

アンケート調査結果
ネット上の人物

落語家として活動を開始したこと。これまでとは違う道で驚きましたが、これまでの経験があっての落語なんだなぁと思いました。(30代女性)

ネット上の人物

2012年に大阪へ拠点を移し、落語活動へ専念するようになったことです。これまで東京でお笑い芸人活動してきただけに、これは本気なんだと印象に残りました。(50代男性)

ネット上の人物

落語家として新たな一面を開花させた姿が本当にすごいですね。遅くから弟子入りして頑張っている姿に感銘を受けました。(30代男性)

月亭方正の若い頃の髪型は丸みのある短髪

月亭方正さんの若い頃の髪型といえば、やや丸みのある短めな髪形を思い出す方も多いのではないでしょうか。

若い頃は、イケメンとして知られており、バレンタインデーには大量のチョコレートが届くほどの人気を誇っていた月亭さん。当時はキレイめな印象で、髪型にも気を遣っていたのではないでしょうか。

芸人として活躍してからは、丸みのある短髪で横は刈り上げているような髪型をしていました。月亭さんのキリッとした顔立ちによく似合っており、『イケメン芸人』として人気を集めてきました。

ねこ太郎

どの髪形もお似合いです!

まとめ

まとめ

今回は、月亭方正さんの若い頃の活躍や出来事を、画像とともに振り返りました。

ねこ太郎

年代ごとに印象深い出来事がたくさんあったね!

これからの活動も頑張ってほしいと思います。

スポンサーリンク
よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
目次