ダンスプロデューサー、コリオグラファーとして活躍していた夏まゆみさん。
若い頃どんな風貌だったのかや、年代ごとにどんなできごとがあったのか気になるかたも多いと思います。
さっそく、夏まゆみさんの若い頃の写真やできごと、デビューのきっかけを年代順に振り返ってみましょう。
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夏まゆみのデビューのきっかけや時期は?
貿易商社で働いていた頃に通っていたダンススタジオで、当時体調を崩していた先生に「私の代わりに教えに行ってほしい」と頼まれたことが、ダンスを仕事にするようになったきっかけとのことです。
ダンスを仕事にするようになったきっかけは、当時体調を崩していたダンススタジオの先生に「私の代わりに教えに行ってほしい」と頼まれたこと。
引用元:就職ジャーナル
また、このことをきっかけに劇団に入団したり、ダンスインストラクターとしてレッスンをするようになり、会社を退職してダンスを仕事にするようになったそうです。
「好きなダンスを教えてお金をもらえるならば」と会社を退職。
引用元:就職ジャーナル
先生に「代わりに教えに行ってほしい」と言われるくらい、当時から才能があったんだね!
夏まゆみの幼少期は?若い頃の活躍やできごとを年代順に振り返り
夏まゆみさんの幼少期のエピソードや、若い頃の活躍やできごとを年代順に振り返っていきます。
幼少期
幼稚園の頃に、アメリカのダンス音楽番組「ソウル・トレイン」に出演していた外国人ダンサーのパフォーマンスを見たことがきっかけで、ダンスに興味を抱くようになったそうです。
最初のきっかけは、幼稚園のときに見た「ソウル・トレイン」というアメリカのダンス音楽番組です。ライブ演奏に合わせて踊る外国人ダンサーが本当にカッコよくて、毎日マネして踊っていました。
引用元:Sunmark Web
毎日のように踊っていたくらい、幼少期のころからダンスが好きだったのですね。
幼い頃からダンスが好きだったんだね!
10代
夏まゆみさんが10代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1977年(15歳):バスケットボール部に所属
- 1980年(18歳):渡英する
- 1980年(18歳):渡英後、貿易商社に就職
学生時代はバスケットボールに所属されていて、ポイントゲッターだったそうです。
私は学生時代にバスケットボール部に所属していました。
バスケットボール部では、私は48点中36点くらい自分で入れられるポイントゲッターでした。
引用元:講演依頼.com新聞
高校卒業後、語学留学のためにイギリスに渡りました。
その頃はダンスの憧れはあったものの、ダンスの世界を目指してはいなかったそうです。
最初からダンスの世界を目指していたわけではありません。憧れはありましたが、高校卒業後にイギリスに語学留学し、そこで出会ったダンサーのスタイルの良さに衝撃を受けて「ダンスはかっこいい人がやるもの」とあきらめていました。
引用元:就職ジャーナル
半年の渡英後、その語学を活かして貿易商社に就職されたそうです。
動画の2:30あたりからその時の事をお話されています。
参照元:藤本美貴Youtubeチャンネル
高校卒業後に渡英したことや、渡英後に貿易商社に就職されていたことは知らなかったので、驚きました。
18歳で渡英は、若い頃から行動力のある人だなと感じました。
藤本さんのYoutubeチャンネルで渡英の事をお話されているのですが、渡英されていた時もディスコで踊ったりされていたそうなので、ダンスが好きなことが伺えました。
ダンスだけでなく、バスケットボールもされていたんだね!
夏まゆみさんファンに聞いた、夏まゆみさんの10代で印象に残っている出来事
イギリスやニューヨークでダンスを学んだということを知ってやっぱりなと思いました。かなりの実力者でダンスは本当に上手いですね。(30代男性)
10代でイギリスに渡っていたことです。すごいことを成し遂げる人は若い頃から世界を見てきているんだなと感心しました。(30代女性)
18歳でイギリスに渡って渡ったことです。この若さで海外へ修行しにいくなんて大変だったでしょうし、すさまじい行動力の持ち主だと驚きました。(50代男性)
20代
夏まゆみさんが20代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1986年(24歳):劇団の振付指導をする
- 1988年(26歳):ダンスグループを結成
- 1991年(29歳):中山美穂のバックダンサーを務める
1986年に小劇団「夢知無恥」の座長の一言がきっかけとなり、夏さんは振付指導をすることになりました。
「それだけ踊れるなら振り付けもできるでしょ」。東京・下北沢の劇場、ザ・スズナリを拠点に活動する小劇団「夢知無恥」の座長の一言が大きなきっかけとなる。1986年、私が24歳の時だ。
引用元:日本経済新聞
「振付師:夏まゆみ」と掲載してもらった初めての仕事になったそうです。
座長からの指示で、劇中のダンスの振り付けを担当。チラシに「振付師:夏まゆみ」と掲載してもらった、初めての仕事になりました。
引用j元:就職ジャーナル
1988年にダンスグループ「FUN-KEY HEARTS」を結成され、イベントやショー等の振付、出演を重ねてこられました。
参照元:夏まゆみ公式サイト
夏さんが現役ダンサーだった頃、中山美穂さんのバックダンサーを務められていました。
1991年にはツアーにも回っていたそうです。
夏さんは現役ダンサーだったころ、中山美穂のバックダンサーを務め、1991年にはともにツアーを回っていたことがあった。
引用元:スポニチ
あいつ今何してる?
— tsuma (@rinachinen) March 20, 2023
中山美穂&松坂大輔&ナイツが爆笑・感動の再会!!2時間SP
テレビ朝日 3月15日(水)放送分https://t.co/kASilbUTcu
夏まゆみ先生が中山美穂さんのコンサートのバックダンサーをしていたとは知らなかった。#あいつ今何してる#中山美穂#夏まゆみ pic.twitter.com/D02DiOYqOU
中山美穂さんのバックダンサーを務められていたことは知らなかったですし、当時の夏さんの様子がとてもパワフルな印象を持ちました。
中山さんのツアーにも回られていたのにも驚きました。
ダンサーだけでなく、振付師としてもスタートしたんだね
夏まゆみさんファンに聞いた、夏まゆみさんの20代で印象に残っている出来事
吉本印天然素材のダンス指導をしたということを知って驚きましたね。素人に対しての指導が一番難しいのにそれをやったということで尊敬できます。(30代男性)
ダンスグループを結成していたことです。ずっと1人で活動している振付師の方だと思っていたので、グループ活動していたことに驚きました。(30代女性)
ダンスグループ「FUN-KEY HEARTS」を結成したことです。ここから振り付け等でも活躍するようになりましたし、印象に残りました。(50代男性)
30代
夏まゆみさんが30代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1992年(30歳):吉本印天然素材のダンス指導をする
- 1993年(31歳):ニューヨークのアポロシアターに出演
- 1998年(36歳):モーニング娘。の振付師およびダンスコーチとして関わる
1992年頃から数年間、吉本印天然素材のダンス指導をされました。
当時、踊りを真剣にやるつもりが全くなかったやる気のないメンバーたちの指導はとても大変だったようです。
「言うことを聞かない、挨拶をしない、無視をする、まず床に寝ていて立ち上がらない。しまいには裸になってボイコット。そんな状況で指導をしなければいけなかったので、本当に大変でした」
引用元:致知出版社
1993年にアメリカ・ニューヨークのアポロシアターに日本人初のソロダンサーとして出演されました。
夏は1993年にアメリカ・ニューヨークのアポロシアターに日本人初のソロダンサーとして出演。
引用元:音楽ナタリー
ハロプロやAKB48はじめ日本の芸能界にダンスで絶大な影響を及ぼされ、今年6月に亡くなられた夏まゆみ先生
— 洋一 (@dM6tIKRyKXQKgVJ) September 29, 2023
夏まゆみ先生は日本人ソロダンサーとして初めてアポロシアターのステージに立った方だったそうです
アポロシアターに立ったアーティストはみんなここに立った事が大きなキャリアになってますね pic.twitter.com/5erCZoMS7O
1998年、モーニング娘。が結成された当初から振付師、ダンスコーチとして関わっていました。
番組の意図もあり、割り切ってやっていたものの、「鬼コーチ」「スパルタ」と、言われるのは「悲しい限り」だったそうです。
しかし、テレビで流れるときは、泣いているシーンの前に叱られているシーンを繋げて、夏さんが泣かしたかのように編集されていたという。
引用元:JCAST
30代の頃は、NHK紅白歌合戦のステージングの担当や、1998年の長野オリンピック閉会式で老若男女が踊れる為の振付の考案・指揮、会社設立など、多岐に渡って活躍されていました。
長野オリンピックのあの閉幕式のダンスも夏先生だったの!?
— 南方朱雀 (@VermillionKite) August 18, 2023
やっぱ凄い人だったんだな#金スマ pic.twitter.com/fYV5ZT49Wy
テレビの演出とはいえ、「厳しい」「怖い」「スパルタ」の印象だった夏さんですが、愛情持って指導されているのも伝わってきました。
モーニング娘。の指導されているイメージが強かったのですが、30代の頃は紅白やオリンピックなど国民的な大きな行事にも関わっていたことを知って、多忙な中でも素晴らしいステージングを作り上げていてすごいと思いました。
モー娘。への指導は厳しくもあり、愛情も感じられたよね!
夏まゆみさんファンに聞いた、夏まゆみさんの30代で印象に残っている出来事
めちゃイケでの姿が印象的ですね。岡村さんと何度も口論を繰り広げていたのがかなり目に焼き付いていますね。キャラも面白かったです。(30代男性)
モーニング娘。の指導を行っていたことです。番組で特集されていて、厳しくも愛情ある指導を見ていて心を打たれました。(30代女性)
1997年のNHK紅白歌合戦のステージングを担当したことです。ここから20年以上にわたって担当するわけですけど、これがその最初だったんだなって印象に残りました。(50代男性)
40代
夏まゆみさんが40代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 2005年(43歳):AKB48の立ち上げ、振り付けや演出も担当
- 2009年(47歳):「FUN-KEY DANCING」を創設
- 2010年(48歳):デビュー25周年を迎える
2005年、夏さんはAKB48の立ち上げだけではなく、劇場創設にも尽力され、メンバーの育成や振り付け、演出も担当されていました。
夏さんはAKB48の立ち上げから参加。劇場創設にも尽力し、ダンス未経験者が大半を占めたメンバーを指導&育成、振り付けや演出まで担当した。
引用元:東スポWEB
私の中で年に2回くらいくる、あの頃のAKBブーム。リクアワ観てたら夏先生でてきて、メンバーでもないのに夏先生の言葉に号泣😭笑
— なぎ🌈 (@Nizi_MAKO_U) July 1, 2024
私も目からビーム毛穴からオーラな人になりたいな〜 pic.twitter.com/IqJN1VOzGc
ジャンルにとらわれることなく楽しみ、表現することを目的として2009年に「FUN-KEY DANCING」を創設されました。
ジャンルにとらわれることなく楽しむこと、表現することを目的として「FUN-KEY DANCING」を創設し、ダンスレッスンを開講している。
引用元:BIZMAP
2010年にデビュー25周年、この年の10月31日に代表を務められていた会社が設立10周年を迎えたそうです。
今年2010年、わたくし夏まゆみ(48歳)はおかげさまでデビュー25周年を迎えました。
そして!そして!!
本日2010年10月31日
代表を務める有限会社ナツ・ファンキーハーツはおかげさまで設立10周年を迎えました。
引用元:夏まゆみブログ
AKB48の立ち上げから関わっていたことは知らなかったので驚きました。
モーニング娘。に続き、国民的アイドルの立ち上げに関わっていた、夏さんの功績はすごいと思います。
AKB48の立ち上げから関わっていたんだね!
夏まゆみさんファンに聞いた、夏まゆみさんの40代で印象に残っている出来事
AKBの振付師として活躍していたことを知り本当に圧倒されました。本当に魅力的な振り付けが色々とあって夏さんらしかったですね。(30代男性)
AKB48の指導を行っていたことです。モーニング娘。に続き、更なるスーパーアイドルの誕生を導いたのはすごいことだなと思いました。(30代女性)
AKB48の指導をしたことです。今となっては日本人ならほとんどの人が知っている国民的ユニットですけど、その立ち上げに尽力していたんだと驚きました。(50代男性)
夏まゆみの若い頃の髪型はウルフカット
夏まゆみさんの若い頃の髪型といえば、ウルフカットを思い出す方も多いのではないでしょうか。
モーニング娘。を指導していた頃、テレビでよく見られたのはウルフカットの夏さんだったのではないでしょうか。
【訃報】モー娘やAKB48を育てた振付師・夏まゆみさん死去 61歳https://t.co/tdMMjLcXJs
— ライブドアニュース (@livedoornews) July 6, 2023
モーニング娘。やAKB48らを育てた振付師・夏まゆみさんが21日、がんのため死去した。61歳。ビジネス社が6日発表した。 pic.twitter.com/4Ksfwmjmtl
夏さんの若い頃の髪型は、他にも前下がりのボブスタイルだったり、ショートヘアだったりと、多様に変わられていた印象もあります。
どの髪型でもカッコよく、自分のものにしていた印象があるね!
まとめ
今回は、夏まゆみさんの若い頃の活躍や出来事を、画像とともに振り返りました。
年代ごとに印象深い出来事がたくさんあったね!