歌手やタレントとして活躍する和田アキ子さん。
若い頃どんな風貌だったのかや、年代ごとにどんなできごとがあったのか気になるかたも多いと思います。
さっそく、和田アキ子さんの若い頃の写真やできごと、デビューのきっかけを年代順に振り返ってみましょう。
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和田アキ子のデビューのきっかけや時期は?
和田アキ子さんは小学5年生の頃から洋楽(特にジャズやブルース)に興味を持ち始めました。
15歳頃になると、大阪市内のジャズ喫茶やゴーゴークラブで歌い始めます。
ある日、たまたまジャズ喫茶「ナンバー番」に来ていたホリプロの堀威社長が和田アキ子さんの歌に惚れたようです。
そして、16歳の時、堀威社長が直接大阪まで来て、和田アキ子さんと面会し、「君で勝負したい」とスカウトを受けました。
ジャズ喫茶で歌っていた私に、ホリプロの大阪支社長が目をつけて、ほどなく創業者の堀威夫さんから「君で勝負したい」
引用:婦人公論.jp
和田アキ子さんは、堀威社長の申し出を承諾し、芸能界入りを決断したそうです。
和田アキ子さんは、当時のホリプロの社長までも注目させる歌声だったんですね!
和田アキ子の幼少期は?若い頃の活躍やできごとを年代順に振り返り
和田アキ子さんの幼少期のエピソードや、若い頃の活躍やできごとを年代順に振り返っていきます。
幼少期
和田アキ子さんは、幼少期に関するインタビューにて非常に厳格な家庭に育ったと語られています。
柔道の町道場を主宰していた父親からは、ベルトのバックルで殴られたりとかなり厳しいしつけを受けていたようです。
さらに、家事に関しても厳しく身につけさせられたそうです。「女は飯と掃除だけはできなあかん」と言われていました。
小学生時には、体重100キロを超えていたという父からは、「女は飯と掃除だけはできなあかん」と言われ、100畳を超える道場の掃除をすることが日課とされていた。
引用元:デイリー
柔道に関しては、父の指導で中学1年生の時点で柔道初段の腕前を持っていたようです。厳しい父親に対してはかなり強い反発心を持っていたようですね。
和田アキ子さんと言えばかなり破天荒なイメージがあります。それは、幼少期から父親の厳しいしつけを受け、それに反発していたことが関係していたのかもしれません。
それにしてもかなり壮絶な幼少期を過ごされていたのですね。
厳しい家庭で過ごした幼少期が和田アキ子さんの今後にどう関わってくるのか非常に気になる…!
10代
和田アキ子さんが10代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1963年(13歳):父親の厳しいしつけに反発・不良番長「ミナミのアコ」として名を馳せる。
- 1965年(15歳):ジャズ喫茶やゴーゴークラブで歌い始める。
- 1968年(18歳):「星空の孤独」でレコードデビュー。
和田アキ子さんの父親はかなり厳格な方だったそうで、中学生時代の和田アキ子さんは反発を繰り返していたようです。
その結果、和田アキ子さんは不良番長「ミナミのアコ」として大阪市内で名を馳せるほど喧嘩に明け暮れることになりました。
柔道黒帯の腕っぷしの強さで子分20人を従え、大阪でその名を知らないものはいない「不良番長」として君臨していた。日々、ケンカに明け暮れ、ついたあだ名が「ミナミのアコ」。
引用元:スポニチ Sponichi Annex
そんな和田アキ子さんですが、たまたま行ったジャズ喫茶で歌手にヤジを飛ばし、代わりに歌を披露するようになります。
その流れで、当時のホリプロ社長堀威社長から直接スカウトを受け、芸能界入りを決意したようです。
和田アキ子さんの若い頃! pic.twitter.com/GkYKv7uxSg
— sakura (@sakura1879424) October 20, 2024
歌手としのスカウトを承諾した和田アキ子さんは18歳で初レコードを発売します。残念ながらこの曲はヒットにはつながりませんでしたが、今後のキャリアの出発点になったに違いありません。
現在の和田アキ子さんのイメージに違いなく10代の頃からやんちゃだったようですね。また、たまたまが重なり歌手デビューにつながったとは、何かの運命だったとしか思えない出来事です。
和田アキ子さんの歌手デビューは中学生のころの生活がきっかけになっていたことが分かりました!
和田アキ子さんファンに聞いた、和田アキ子さんの10代で印象に残っている出来事
学生時代は喧嘩に明け暮れたという話を聞いてイメージ通りでした。特集で若い頃の姿を見ましたが女番長の風格満載でしたね。(30代男性)
歌手としてデビューしていたことが印象的です。当時の映像をみると、この頃から抜群に歌が上手かったのがわかりました。(30代女性)
昔ヤンキーだったことで有名な和田アキ子さん。10代のヤンキー時代には、お風呂で子分の男に全身を洗わせていたエピソードを持っています。(40代女性)
20代
和田アキ子さんが20代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1970年(20歳):4枚目のシングル「笑って許して」が約20万枚売り上げる。・紅白歌合戦出場。
- 1971年(21歳):「さすらいのブルース」「貴方をひとりじめ」など立て続けにシングルをリリース。
- 1972年(22歳):11枚目のシングル「あの鐘を鳴らすのはあなた」で第14回レコード大賞を受賞。
歌手デビューから1年半後にリリースしたシングル「笑って許して」で約20万枚を売り上げました。このシングルが、和田アキ子さんのキャリアの大きな転機となったようです。
21歳の時は、5、6、7枚目のシングルを立て続けにリリースしました。これらの曲は、いずれもオリコン10位台を叩き出し、和田アキ子さんの個性的な歌声で人気を高めるきっかけになったようです。
22歳の時にリリースした「あの鐘を鳴らすのはあなた」は、和田アキ子さんの代表作となりました。
#Nowplaying あの鐘を鳴らすのはあなた - 和田アキ子 (あの鐘を鳴らすのはあなた - Single) pic.twitter.com/h2N4IWq6ba
— ᴷ ᴬ ᴺ ᵀ ᴬ ® 🥐 (@northgroove) June 30, 2023
NHK紅白歌合戦では、計6回歌唱され、和田アキ子さんの歌手としての地位を確立した1曲です。和田アキ子さんの20代は、歌手としての地位を明確にするものだったようです。
この頃からは、どの曲もオリコン上位を叩き出すほど知名度を上げていたようですね!
和田アキ子さんの20代は歌手として本格的にデビューを果たしたといえる時代だったようですね!
和田アキ子さんファンに聞いた、和田アキ子さんの20代で印象に残っている出来事
20歳の頃、女番長野良猫ロックで映画初主演を果たしたことを聞いて驚きましたね。こんなに昔から売れていたなんて本当にすごいです。(30代男性)
「あの鐘を鳴らすのはあなた」で、レコード大賞を受賞していたことが印象的でした。今も色褪せることない名曲だと思います。(30代女性)
10代で歌手としてデビューした和田アキ子さんですが、20代の頃は「男か女かわからない」とつらい仕打ちやいじめを受けます。(40代女性)
30代
和田アキ子さんが30代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1981年(31歳):飯塚浩司と結婚する。
- 1985年(35歳):TBS「アッコにおまかせ!」の司会を務める。
- 1987年(37歳):日本女性放送者懇談会賞を受賞。
和田アキ子さんと飯塚浩司さんは、「ひまわり戦争」というドラマの撮影で出会い結婚しました。
当時、飯塚浩司さんはカメラマンとして働いており、和田アキ子さんを美しく撮る研究をしていたみたいですね。
結婚式については「結婚式も私、2回目だからあまりオーバーにやりたくないって。今の旦那とも40年以上続いているんだけど、カメラマンやってたから、そんなにゆとりのある人じゃなかったし、普通にやりたい、って」
引用元:スポニチ Sponichi Annex
1985年に、あの「アッコにおまかせ」がスタートします。「アッコにおまかせ」は和田アキ子さんの出演するものの中でも代表的な番組ですね。
さまざまなテレビ番組に出演されたことで日本女性放送者懇談会賞を受賞されています。
和田アキ子『アッコにおまかせ!』が来春終了へhttps://t.co/zQlvieUpAT#アッコにおまかせ #終了 pic.twitter.com/6r4DIQS3wI
— 情報てんこもりチャンネル (@t3I8I3aKGOZLzS8) September 11, 2024
和田さんのテレビ内での存在感や独特なキャラクターが評価された結果が、この賞の受賞につながったようですね。
現在の和田アキ子さんの象徴とも言える番組「アッコにおまかせ」をスタートするなどテレビ界でまさに大成を果たしたと言えますね。
「アッコにおまかせ」は和田アキ子さんが35歳のときに始まった番組だったんですね!
和田アキ子さんファンに聞いた、和田アキ子さんの30代で印象に残っている出来事
アッコにおまかせという番組が始まり司会者として魅力を発揮していく姿が印象的です。凄く世間に寄り添っていて魅力的でした。(30代男性)
子宮がんにより子宮を摘出していたことが印象的でした。子ども好きな人だっただけに、すごくショックだったと思います。同じ女性として、とても悲しく感じました。(30代女性)
31歳で現在の旦那さんと再婚しますが、入籍してすぐに子宮がんが見つかり、子宮を全摘出するという辛い経験をしています。(40代女性)
40代
和田アキ子さんが40代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1990年(40歳):ラジオ番組「ゴッドアフタヌーンアッコのいいかげんに1000回」スタート。
- 1996年(46歳):映画「お日柄もよくご愁傷さま」に出演。
- 1998年(48歳):第49回NHK紅白歌合戦で初の大トリを務める。
「ゴッドアフタヌーンアッコのいいかげんに1000回」は、和田アキ子さんののびのびとしたトークが特徴のラジオ番組です。
和田アキ子さんのトークもあってか、1000回以上放送される長寿番組になったようです。
#今日の夏菜子ちゃん
— でこりん (@momota71264) February 1, 2018
(2018/01/20 ラジオはゴッドアフタヌーンアッコのいいかげんに1000回) pic.twitter.com/VA88PRszzs
「お日柄もよくご愁傷さま」で、和田アキ子さんは主人公の母親役を演じられています。この映画で、和田アキ子さんの演技力が高く評価され多彩な一面を披露しています。
和田アキ子さんは、第49回NHK紅白歌合戦で「今あなたにうたいたい」を歌唱されています。
この大トリでの歌唱の際、和田アキ子さんはマイク無しの地声で歌うといったパフォーマンスもなされています。
40代では、ラジオ番組や映画への出演など、和田アキ子さんの多彩な一面が光る年になったようですね。
紅白歌合戦ではマイク無しで歌を歌うという和田アキ子さんの声量あってこそのパフォーマンスに、当時の方々も驚いたでしょうね!
和田アキ子さんはラジオや映画への出演も果たしていたんですね!
和田アキ子さんファンに聞いた、和田アキ子さんの40代で印象に残っている出来事
紅白歌合戦で歌っている姿が印象深いです。古い日記という楽曲が和田さんの声とマッチしていて最高でしたね。歌声がとても力強いです。(30代男性)
芸能界のご意見番として活躍しているのが印象的です。特に、自分の番組である「アッコにおまかせ!」でのトークは当時から痺れるものがあったと思います。(30代女性)
和田アキ子さんが40歳の時に、現在も続く有名なラジオ番組「ゴッドアフタヌーン アッコのいいかげんに1000回」がスタートします。(40代女性)
和田アキ子の若い頃の髪型はウェーブパーマ
和田アキ子さんの若い頃の髪型といえば、ウェーブパーマを思い出す方も多いのではないでしょうか。
和田アキ子の若い頃、
— 工藤® (@kudou_2024) August 15, 2024
けっこう美人だな…。
いい女だ… pic.twitter.com/qnVR89xfdz
若い頃の和田アキ子さんは、現在イメージのある短髪ではなくウェーブパーマが特徴的でした。
現在とは異なり、かなり女性的な髪型をしてらっしゃいます。当時の流行りを盛大に取り入れた髪型という感じですね。
和田アキ子さんが生まれ育った昭和を感じさせる髪型です。
現在のイメージとは違った髪型だね!
まとめ
今回は、和田アキ子さんの若い頃の活躍や出来事を、画像とともに振り返りました。
年代ごとに印象深い出来事がたくさんあったね!
これからの活動も頑張ってほしいと思います。