歌手として活躍する吉井和哉さん。
若い頃どんな風貌だったのかや、年代ごとにどんなできごとがあったのか気になるかたも多いと思います。
さっそく、吉井和哉さんの若い頃の写真やできごと、デビューのきっかけを年代順に振り返ってみましょう。
吉井和哉のデビューのきっかけや時期は?
吉井和哉さんのデビューの時期やきっかけは、1986年の19~20歳頃、吉井さんがアルバイトをしていた喫茶店に、ロックバンドをやっていた男性が客としてやってきたことです。
その男性客と仲良くなり、彼のライブを観に行くようになったそうです。その後、彼に誘われてロックバンド「URGH POLICE(アーグポリス)」にベーシストとして加入しました。
イエローモンキーの前バンド、
— Nono.Rock (@NonoDiy) April 10, 2017
アーグポリスとキラーメイの写真
このアルバムジャケ 懐かしい〜 (^-^) pic.twitter.com/MunE9PriuG
その男性客との出会いから、吉井さんの音楽活動が始動したようですね。
バイト先で運命的な出会いがあったんだ!
吉井和哉の幼少期は?若い頃の活躍やできごとを年代順に振り返り
吉井和哉さんの幼少期のエピソードや、若い頃の活躍やできごとを年代順に振り返っていきます。
幼少期
吉井和哉さんは東京都北区で生まれ育ちました。お父さんは旅芸人をしていましたが、吉井さんが生まれたことをきっかけに旅芸人を辞め鉄工所に転職しました。
しかし吉井さんが5歳の頃、お父さんが仕事中の事故で若くして亡くなってしまい、その後お母さんの実家がある静岡県に引っ越しました。
はい。前にも聞きましたが、旅芸人をされていたというお父さんが。
「うん。まあ今はべつにもう、こういう年齢だから、そんなことは、ね・・・・・・遠い昔のことになってるけど。やっぱり幼少の頃っていうのは、それでガタガタ崩れることもあったし」
引用元:音楽と人
短いながらも共に過ごしたお父さんの存在は、吉井さんの人格形成時に多大なる影響を与えたようです。
小さな頃にお父さんが亡くなったんだね・・・
10代
吉井和哉さんが10代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1982年(15歳):静岡市立安東中学校を卒業。
- 1982年(15歳):喫茶店「地中海」でアルバイトを開始。
- 1986年(19~20歳頃):ロックバンド「URGH POLICE」にベーシストとして加入。
吉井和哉さんは、1982年、15歳の時に静岡市立安東中学校を卒業しました。
中学卒業後は、片親であったことと勉強があまり好きではなかったこともあり、1982年の15歳の頃から喫茶店「地中海」でアルバイトを開始しました。
1986年の19~20歳頃には、喫茶店に客としてやってきたバンドメンバーに誘われて、ロックバンド「URGH POLICE(アーグポリス)」にベーシストとして加入しました。
U.G.H.
— etrntyblue (@etrntyblood0518) January 27, 2019
イエモンの吉井さんがまだベーシストとしてインディーズで活動していた時代にいたバンドが
URGH POLICE ←
でしたよね〜♪#モミマ #bscラジオ pic.twitter.com/5KOkJ4nnPO
吉井さんの10代は、高校へは進学せずアルバイト生活をしつつ、バンド活動を始めた時期だったようです。
最初はベース担当だったんだ!
吉井和哉さんファンに聞いた、吉井和哉さんの10代で印象に残っている出来事
中学を卒業した後に、静岡にある喫茶店でバイトを始める。この頃からバンド活動をしていたようなので、音楽が好きだったのだと思う。(40代男性)
中学卒業後、高校へ進学しなかったことです。今はもちろん当時も高校ってほぼ義務境域に近いぐらいの進学率でしたし、それだけに高校へ行ってないんだと驚きました。(50代男性)
デヴィッドボウイに影響を受けたということを知って、やっぱり昔から音楽は好きだったんだと知れて嬉しかったですね。(30代男性)
20代
吉井和哉さんが20代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1988年(22歳):ロックバンド「THE YELLOW MONKEY」を結成。
- 1992年(26歳):「THE YELLOW MONKEY」としてメジャーデビュー。
- 1995年(29歳):5thアルバム「FOUR SEASONS」でオリコン初登場1位を記録。
吉井和哉さんは、その後「URGH POLICE」を脱退し、1988年の22歳の時にロックバンド「THE YELLOW MONKEY」を結成しました。結成当時はギター担当でしたが、ボーカルメンバーが脱退したため、吉井さんがギターボーカルに転向しました。
1992年の26歳の頃には、シングル「Romantist Taste」で「THE YELLOW MONKEY」としてメジャーデビューを果たしました。
そして、1995年、29歳の時に5thアルバム「FOUR SEASONS」でバンド初のオリコン週間アルバムチャート1位を獲得しました。
ちょうど21年前の1995年11月1日は、5thアルバム『FOUR SEASONS』の発売日です!
— THE YELLOW MONKEY (@TYMSproject) November 1, 2016
初めてロンドン・レコーディングがおこなわれた本作は、開放感の中でメンバーの「素直な気持ち」が表現され、それまでになく自由でストレートな作品に仕上がっています。 pic.twitter.com/jkX8yKy2PW
吉井さんの20代は、「THE YELLOW MONKEY」を結成し、順調に人気を獲得して成長を重ねていった時期だったようです。また私生活ではこの頃に衣装デザイナーの女性と結婚し、娘3人と息子1人をもうけています。
ついにイエモンが始動したんだね!
吉井和哉さんファンに聞いた、吉井和哉さんの20代で印象に残っている出来事
1988年にTHE YELLOW MONKEYを結成してボーカルになる。吉井和哉さんのボーカルは個性的で上手いと思う。(40代男性)
1988年にロックバンドTHE YELLOW MONKEYを結成したことです。吉井さんといえばTHE YELLOW MONKEYの顔みたいなものですし、ここからイエモン吉井が始動したんだと驚きました。(50代男性)
ザイエローモンキーでの活動が印象的です。やっぱりこのグループは伝説的なイメージがありますね。とても格好良かったです。(30代男性)
30代
吉井和哉さんが30代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 2001年(34歳):「THE YELLOW MONKEY」が活動休止する。
- 2003年(36歳):「YOSHII LOVINSON」としてソロデビュー。
- 2004年(37歳):「THE YELLOW MONKEY」が正式に解散。
2001年、吉井さんが34歳の時に、「THE YELLOW MONKEY」が活動を休止しました。休止の理由は、メンバーが家庭を持って周辺が慌ただしくなったことや、独り立ちしていろいろと勉強したかった等が挙げられています。
2003年の36歳の頃には、「YOSHII LOVINSON」名義にてシングル「TALI」でソロデビューをしました。ロビンソンという名前は、吉井さんが元々ロビンというあだ名であったことと、高級オーディオブランド・マークレヴィンソンとアメリカの歌手スモーキー・ロビンソンとを合わせたのが由来だそうです。
『TALI』で好きな歌詞は
— sora🪐11/26栃木🚀TOUR 24-25 Sparkleの惑星X✨✨✨✨ (@Halo358) October 1, 2024
西日で部屋の全部が
オレンジ色になっちゃって
未来がぼんやりでも
おびえることなど何もない
人間でむなしいもんさ
信じてるのは君だけさ
(作詞 YOSHII LOVINSON)
車の中で大声で歌っています🤣
再リリースしてもいいのではないかと思うくらい名曲! pic.twitter.com/uPIw8RaxJ7
そして、2004年、37歳の時に「THE YELLOW MONKEY」が正式に解散しました。解散時の心境について、吉井さんは以下のように語っています。
「とにかくまず疲れた」と率直に打ち明ける。「本来のロックが細胞分裂して多様化してきた時代だった。一回作戦タイムというか。プロデューサー気質なので、ドラマチックに見せたがる癖があった」
引用元:テレ朝POST
吉井さんの30代は、「THE YELLOW MONKEY」の解散やソロデビューなどがあり、39歳の頃には「吉井和哉」名義に変更して活動するなど、歌手人生の転換期だったようです。また私生活では、30代前半の頃に離婚をしています。
イエモンを休んでソロデビューしたんだね!
吉井和哉さんファンに聞いた、吉井和哉さんの30代で印象に残っている出来事
2003年にYOSHII LOVINSONという名前でソロデビューをする。なぜYOSHII LOVINSONという名前にしたのか知りたい。(40代男性)
シングル「TALI」をリリースしソロデビューしたことです。イエモンの吉井と定着していましたけど、ここからソロ歌手として活動を始めました。これが吉井さんの転機ににもなった出来事でしょうし、印象的でした。(50代男性)
ガキの使いの釣り企画に出てきた時には本当に驚きました。やっぱりこの番組の豪華な感じは本当にすごかったですね。(30代男性)
40代
吉井和哉さんが40代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 2007年(41歳):自伝「吉井和哉自伝 失われた愛を求めて」を出版。
- 2013年(46歳):ベストアルバム「18」をリリース。
- 2015年(48歳):タレントの眞鍋かをりさんと再婚。
吉井和哉さんは、2007年、41歳の時、自身の半生を赤裸々に綴った初の自伝「吉井和哉自伝 失われた愛を求めて」を出版しました。
2013年の46歳の頃には、ソロ・デビュー以来、初のベストアルバム「18」をリリースしました。
『18』 は、単なるベスト・アルバムではない。確かにソロになって以降の吉井和哉の足跡がここにはあるが、彼の最初のキャリアであるTHE YELLOW MONKEYの痕跡と、ソロのスタート時点で名乗った“YOSHII LOVINSON”の真意、そしてそれが現在の吉井和哉になっていくプロセスが俯瞰できる。
引用元:Fanplus Music
私生活では、2015年の48歳の時に、タレントの眞鍋かをりさんと再婚しました。結婚発表当時、すでに眞鍋さんは妊娠しており、2015年秋に長女を出産しています。
【祝】眞鍋かをり 元イエモン吉井和哉と結婚 秋に第1子も誕生 - LINE NEWS http://t.co/3oZctmXUzL 13歳差でバツイチ、4人の子供がいる吉井との結婚は障壁が多くありましたが、念願のゴールです。 pic.twitter.com/o1famTJUpS
— LINE NEWS (@news_line_me) June 25, 2015
吉井さんの40代は、ソロ活動の充実や私生活の変化、そして自身の成長が見られた時期だったようです。
この頃に眞鍋さんと再婚したんだ!
吉井和哉さんファンに聞いた、吉井和哉さんの40代で印象に残っている出来事
2016年に活動を終了していたTHE YELLOW MONKEYを再結成する。ファンはずっと待っていたと思う。(40代男性)
ベストアルバム「18」をリリースしたことです。これが吉井さん初のベストアルバムにもなりますし、ソロ歌手としての集大成的な作品なこともあって印象に残りました。(50代男性)
ソロ活動としての印象が強いですね。吉井ロビンソンという名前がなんだかすごく彼に合っていてとても素晴らしいです。(30代男性)
吉井和哉の若い頃の髪型は茶髪でショートカット
吉井和哉さんの若い頃の髪型といえば、茶髪でショートカットな髪型を思い出す方も多いのではないでしょうか。
'95年3月1日は6thシングル『嘆くなり我が夜のFantasy』の発売日。
— THE YELLOW MONKEY (@TYMSproject) March 1, 2017
カッティングに重なるシェイクビート。ボーカルの叫声を合図にうねり出すベース。インディーズから演奏されてきたグラマラスなバンドサウンドの一曲です。
▼MVhttps://t.co/4AFUYgwsv0 pic.twitter.com/NXptvpwzw3
茶髪で海外ロック歌手のような雰囲気と、細身の顔立ちに合わせたショートカットがよりスタイリッシュですね。
この頃、1990年代のアメリカの音楽ジャンル「グランジ・ロック」から派生した「グランジ(汚れた)ファッション」が流行しました。ダメージデニムやネルシャツなどのアイテムを無造作に着こなす服装で、それに合わせてヘアスタイルも髪の色を抜き、思い思いのカラーに染め上げる人が多かったそうです。
まさにロックな感じでかっこいい!
まとめ
今回は、吉井和哉さんの若い頃の活躍や出来事を、画像とともに振り返りました。
年代ごとに印象深い出来事がたくさんあったね!
これからの活動も頑張ってほしいと思います。