女優として活躍する吉田羊さん。
若い頃どんな風貌だったのかや、年代ごとにどんなできごとがあったのか気になるかたも多いと思います。
さっそく、吉田羊さんの若い頃の写真やできごと、デビューのきっかけを年代順に振り返ってみましょう。
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吉田羊のデビューのきっかけや時期は?
吉田羊さんのデビューのきっかけや時期は、大学3年生の時、小劇場の女優募集の広告に応募しました。その結果、見事合格し女優の第一歩舞台デビューを果たしました。
この経験を通じて演劇の楽しさに目覚め、定期的に舞台に立つようになりました。
自分には会社務めは向いてないと思い、女優の道を選んだんだって!
吉田羊の若い頃最強や pic.twitter.com/YhT8Zrf8wH
— 難波怪獣 (@fuckkaiju) October 28, 2016
テレビ業界への進出は、吉田羊さんが30代になってからのことです。きっかけとなったのは、元マネージャーの存在でした。このマネージャーが『映像をやらないですか?』と声をかけたことが、吉田羊さんのテレビデビューにつながりました。
吉田羊の幼少期は?若い頃の活躍やできごとを年代順に振り返り
吉田羊さんの幼少期のエピソードや、若い頃の活躍やできごとを年代順に振り返っていきます。
幼少期
吉田羊さんは、1974年2月3日に福岡県久留米市の牧師の家庭に生まれました。
5人兄弟の末っ子として育ち、優秀な兄弟の中で育ったことからコンプレックスを抱えていたそうです。
「私のコンプレックスのひとつは、きょうだい。4人ともすごく優秀だし、両親が喜ぶ仕事に就いているし。私一人だけずっと半人前という意識がいまだにあって」
引用元:文春オンライン
幼少期は自分に自信のない子供で、小学生の頃は成績も良くなく勉強も嫌いだったそう。友達も少なかったため、トイレにこもって一人芝居をするなど、独特の過ごし方をしていました。
子供の頃から人前で歌うことが好きだっだんだって!
また、松田聖子さんや中森明菜さんのモノマネをしたり、誰かを演じるのが楽しくて中学1年生まで続けていた…というエピソードも!
10代
吉田羊さんが10代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1989年(15歳):久留米信愛女学院高校に進学
- 1991年(17歳):高校3年生の時に体育祭で応援団長を務める
- 1992年(18歳):高校卒業後、久留米を離れ上京
吉田羊さんは、福岡県の久留米信愛女学院高校に進学します。
高校3年生の時、体育祭で応援団長を務めました。そこから学校内で注目が集まり、後輩たちからファンクラブが結成されるほどの人気となりました。
友人から「あなたの自転車のサドルに頬ずりしている女の子を見たよ」と言われたほどの人気ぶりで、年下からかなり慕われたと振り返った。
引用元:スポニチ
この体験が女優を目指すきっかけになったそうだよ!
吉田羊さん
— GRAYSON (@gtrvariedades) November 15, 2022
学生時代と聖火を手にしている
Yo Yoshida
Student days and holding olympic torch #吉田羊 #仮面ライダーBLACKSUN pic.twitter.com/BT8rKuTsrz
高校を卒業後、吉田羊さんは久留米を離れ上京します。金沢市内の大学に通っていた姉のもとへ向かい、喫茶店でアルバイトをしながら金沢で生活していた時期もあったようです。
その後、大学に進学します。周囲が就職活動を始める中、自分は会社勤めは向いていないと思い小さい頃から興味があった女優の道へと進むこととなりました。
吉田羊さんファンに聞いた、吉田羊さんの10代で印象に残っている出来事
久留米信愛女学院高校の3年生の時、体育祭で応援団長を務めたことです。この頃から人の上に立つというかグイグイひっぱるカリスマのようなものを身に着けていたんだろうなって感じました。(50代男性)
高校時代に体育祭で応援団長を務めた。吉田羊さんには姉御肌なイメージがあって、まさに彼女らしいエピソードだったと思ったから。(20代女性)
高校卒業を機に久留米から上京したという話を聞いて結構早くから東京に来ていたんだなと驚きました。でも活発そうなイメージもあったのである種納得です。(30代男性)
20代
吉田羊さんが20代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1997年(23歳):雑誌『ぴあ』の女優募集広告に応募し、舞台デビュー
- 2001年(27歳):劇団『東京スウィカ』を立ち上げる
- 2003年(29歳):小劇場を中心とした舞台活動に専念
1997年、23歳の大学3年生の時、吉田羊さんは雑誌『ぴあ』の女優募集の広告に応募し合格します。
3か月後に下北沢の『劇』小劇場で舞台デビューとなり、この経験から演技に対する強い情熱を持ち、女優としての道をスタートさせました。
「ヒロイン的な役柄で、願ってもないポジションでしたが、見に来てくれた友達が『目が泳いでたよ』というくらい、私の芝居はひどかった。それでもカーテンコールでスポットライトが右頬に当たって、それが温かくて、気持ち良くて『私はずっと、ここに立ち続けるだろうな』と確信したことを覚えています」
引用元:スポーツ報知
27歳の時、吉田羊さんは舞台で知り合った女性たちと3人で劇団『東京スウィカ』を立ち上げました。この劇団では、吉田羊さんが俳優部の看板女優を務め、他のメンバーが脚本・演出や制作を担当しました。
連日満員御礼の人気だったそうだよ!
チラシ配りや広告営業など裏方の仕事もこなし、生計を立てるためにアルバイトもしていたのだとか。
吉田羊の昔の写真#ナイス横顔 pic.twitter.com/vEfr4gikqB
— 金城 惇希 (@AtsukiKinjou) October 26, 2016
20代の吉田羊さんは、芝居が好きで楽しく夢中になっており、10年間の舞台活動を『下積み』とは考えていませんでした。毎日舞台に立てることが幸せで、『生きている』という実感に満ちていたと振り返っています。
毎日舞台に立てればそれでハッピーで、「生きてる!」という実感でいっぱいでした。本当に、純粋で贅沢な時代だったと思います。
引用元:ORICON NEWS
吉田羊さんファンに聞いた、吉田羊さんの20代で印象に残っている出来事
女性3人で演劇プロデュース集団「東京スウィカ」を旗揚げしたことです。ここから本格的に俳優活動が始まったわけですし、印象に残りました。(50代男性)
デビュー当初は本名の吉田羊右子という名で活動していた。ずっと吉田羊が本名だと思っていて、芸名であることを知らなかったから。(20代女性)
小劇場で舞台デビューしたという事が印象的です。吉田さんは器用な方なので堂々とした演技をしていたのでしょうね。(30代男性)
30代
吉田羊さんが30代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 2007年(33歳):芸能事務所に所属し、昼ドラ『愛の迷宮』でドラマデビュー
- 2008年(34歳):映画『20世紀少年 第2章> 最後の希望』で映画デビュー
- 2012年(38歳):NHK連続テレビ小説『純と愛』にレギュラー出演
吉田羊さんは30歳の頃、大きな挫折を経験します。同年代の女優さんと共演する中で、自分の存在価値について『自分なんて必要ないんじゃないか』と感じるようになりました。
このとき、女優を辞めようと考えたこともあったそうですが、他劇団からのオファーを受けて舞台に立ったところやはりお芝居が楽しいと再確認。これにより女優としての道を続ける決意を固めたそうです。
こんな人がいるなら自分なんていらないんじゃないか、必要ないんじゃないか、と思うようになって……30歳のときに挫折したんです」
引用元:毎日キレイ
結婚願望はあまりなかったそうだよ!
2007年、吉田羊さんはテレビドラマ『愛の迷宮』でドラマデビューを果たします。デビューのきっかけは、元マネージャーからのスカウトでした。
当時舞台を中心に活動していた吉田さんに、マネージャーから『映像をやらないですか?』と声をかけられ、テレビの世界へと足を踏み入れたそうです。
そーいや、この前吉田羊さんが出たバナナマンのバラエティ番組で、案の定ドラマデビュー作の昼ドラ「愛の迷宮」が紹介されてて嬉しかったー!録画して正解。昼ドラからの月9レギュラーなんて本当すごいよな〜 pic.twitter.com/xNE6cgETus
— ちゅんちゅん (@k_chunmasa) August 31, 2014
その後、2008年にNHK連続テレビ小説『瞳』で看護師役を演じ、さらに知名度を上げました。
ドラマをたまたま見た中井貴一さんは、テレビで彼女の演技を見て、舞台に出演する女優を探していた三谷幸喜さんに紹介したそう。この出会いが、吉田羊さんにとって大きな転機となりました。
NHK連続テレビ小説「瞳」(榮倉奈々主演)に出演していたところ、たまたまテレビで見ていた中井の目に留まった。
引用元:スポーツ報知
吉田羊さんファンに聞いた、吉田羊さんの30代で印象に残っている出来事
NHK連続テレビ小説『瞳』に出演したことです。ドラマの王道ともいうべき朝ドラに出演したことで、女優として大きなステップを駆け上がりだしたなって感じました。(50代男性)
中井貴一さんの目に留まり、朝ドラに出演する。ドラマのようなシンデレラストーリーが本当に存在するんだと思ったから。(20代女性)
昼ドラ愛の迷宮という作品で初めて彼女を認識しましたね。すごく演技に信念がこもっていて見応えがありました。(30代男性)
40代
吉田羊さんが40代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 2014年(40歳):フジテレビ系ドラマ『HERO』に出演
- 2016年(41歳):『日本ジュエリー ベストドレッサー賞』の40代部門を受賞
- 2016年(42歳):フジテレビ系ドラマ『メディカルチーム レディ・ダ・ヴィンチの診断』で地上波連続ドラマ初主演
2014年に放送された木村拓哉さん主演のドラマ『HERO』第2シーズンで、吉田羊さんは女性検事、馬場礼子を演じました。この役で一気に知名度が上がり、ブレイクのきっかけとなりました!
その演技力と魅力的なキャラクターが人気につながり、その後も多くのドラマや映画で活躍することとなりました。
「圧倒的に全国的に名前を知っていただいたという意味ではやはりHEROの影響は大きかったなと思います」と語り、「初回放送の翌日に町で声を掛けられました」と語った。
引用元:スポニチ
【#HERO ただいま放送中!】
— 【公式】フジテレビムービー (@fujitv_movie) December 10, 2016
本作の監督を務めたのは、第1シリーズからHEROを手掛ける、鈴木雅之監督。監督はこの映画について「自分の宝物だと思えるように、作っていかなきゃいけないんだと思いました」と話しています。#HERO #木村拓哉 #松たか子 #北川景子 #吉田羊 pic.twitter.com/TAPdZr6KoI
2016年、吉田羊さんは『第27回 日本ジュエリー ベストドレッサー賞』の40代部門を受賞しました。
この賞は各年代で最もジュエリーが似合う著名人に贈られるもので、年齢を非公表にしていた吉田羊さんですが、40代部門での受賞を喜んで受け入れました。
年齢非公表としながらも、今回「40代部門」に選出された吉田は「40代と明記しますということで、マネージャーが『断るしかないね』と言ったのを、『え、欲しい』とふたつ返事をしました」
引用元:ORICON NEWS
『ベストジーニスト2015』『第44回 ベストドレッサー賞』『VOGUE JAPAN Women of the Year 2015』も受賞しているよ!
吉田羊さんは、自身の年齢について非公表としていたため年齢が明らかになった時には、多くの人々が驚きました。自身の仕事や私生活についてもオープンに語り、多くのファンに支持されているようですね!
吉田羊さんファンに聞いた、吉田羊さんの40代で印象に残っている出来事
『ネプリーグ』に出演し、漢字問題を全問正解したことです。漢字検定2級持ちとのことですし、かなり博識な人なんだなとこれまでもっていたイメージに変化がうまれました。(50代男性)
ドラマHERO出演直前に、事務所の借金を完済。吉田羊さんの演技を初めて見た作品でしたし、直前まで事務所が借金を抱えていたことに驚いたから。(20代女性)
HEROという作品でブレイクしたという印象が強いです。やっぱりあの涼しげな眼差しがとても魅力的で素晴らしいです。(30代男性)
吉田羊の若い頃の髪型はロングヘアー
吉田羊さんの若い頃の髪型といえば、ロングヘアーを思い出す方も多いのではないでしょうか。
若い頃の山田邦子の画像を検索していたら、えらく美人な誰だかわからない写真が出てきて、この人の名前が吉田羊だと判明するまでに1時間以上かかった。 pic.twitter.com/654bzcwqIZ
— 山岡オニオンN 🌪 (@yamaoka26onion) August 14, 2017
20代の頃は、自然な流れのロングヘアーが多かったようです。
30代に入り、テレビドラマ『HERO』に出演する際に髪を大胆にカットし、ボブスタイルに変えました。このヘアスタイルは『飾らない女性らしさ』を表現していると、多くのファンの憧れの髪形となっているようです!
このボブスタイルは『ひつじボブ』と呼ばれているみたいだよ!
まとめ
今回は、吉田羊さんの若い頃の活躍や出来事を、画像とともに振り返りました。
年代ごとに印象深い出来事がたくさんあったね!
これからの活動も頑張ってほしいと思います。