歌手や作曲家などとして活躍する横山剣さん。
若い頃どんな風貌だったのかや、年代ごとにどんなできごとがあったのか気になるかたも多いと思います。
さっそく、横山剣さんの若い頃の写真やできごと、デビューのきっかけを年代順に振り返ってみましょう。
横山剣のデビューのきっかけや時期は?

横山剣さんは小学生の頃から作曲家を志し、17歳の頃、「CHOPPER」というブティックでロックバンド「クールスR.C.」のリーダー佐藤秀光さんと出会います。その後マネージャーやファンクラブの責任者を担当し、3年後ボーカルに抜擢。21歳の時、自身が作詞作曲を手掛けた「シンデレラ・リバティ」でデビューを果たします。

デビュー前からレコード会社に売り込みをしていたそう!
横山剣の幼少期は?若い頃の活躍やできごとを年代順に振り返り

横山剣さんの幼少期のエピソードや、若い頃の活躍やできごとを年代順に振り返っていきます。
幼少期
横山剣さんは1960年7月7日神奈川県横浜市に生まれます。本名は横山 正佳(よこやま まさよし)さんといいます。子供時代は親戚など11人と一つ屋根の下で暮らし、映画音楽、グループサウンズやR&B、ジャズにボサノバなどいつも音楽が流れる環境で育ったといいます。また日本歌謡も好きで特に作曲家・筒美京平さんに憧れていたのだとか。そのころから自分も「作曲屋になりたい」と思うようになったそうです。
日本の歌謡曲も好きで、「この曲いいな」と思ってクレジットを見るとほとんどが「筒美京平」。最初に自分で買ったレコードも、筒美さん作曲の「ブルーライトヨコハマ」でした。筒美さんや村井邦彦さんみたいな洋楽チックな曲を書く人に憧れ、自分も「作曲屋になりたい」と思うようになりました。
音楽に溢れた子供時代に培った感性が、のちの音楽活動に結びついているんですね。

映画音楽やコマーシャルソングなどを手掛けてみたいと考えていたそう!
10代
横山剣さんが10代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1974年(14歳):バンド活動開始
- 1976年(16歳):堀越高等学校に進学する
- 1978年(18歳):「クールスR.C.」のローディになる
1974年、中学2年の時バンド活動を開始します。横浜市立大正中学校に通いながら、仲間と共に「ライナーズ」というバンドを組み、ボーカリストとして第一歩を踏み出したといいます。
1976年、堀越高等学校の普通科へ進学します。しかし、普通科は自由がないという理由から高校2年の夏に中退。その後は横浜市立港高校の定時制に編入するなど定時制高校を転々としながら、程なくしてガソリンスタンドに就職します。
1978年、ロックバンド「クールスR.C.」の付き人として雑用などを担うローディになります。きっかけはリーダー佐藤秀光さんと出会いでした。佐藤さんが店長を務める「CHOPPER」というブティックに通っていたある日、明日からツアーに来いと誘われそのままローディになったといいます。
中学生にしてバンド活動を開始し、早くから音楽の道を志した10代の横山さん。堀越高校を選んだのも、作曲家として仕事をあっせんしてもらえるのではという思いからだったとか。

音楽に携わりたいという意志の強さを感じるね!
横山剣さんファンに聞いた、横山剣さんの10代で印象に残っている出来事


堀越高校の一般コースに進学したというのが意外でした。今の強面の姿からは想像できない感じなのでびっくりですね。(30代男性)

小学六年生の頃に、自作の曲を完成させていたというエピソードが印象的でした。小さい時から音楽の道を極めていたんだなと感じたからです。(30代女性)

10代の頃にクールス・ロカビリー・クラブのグループのメンバーと出会い、17歳で東京に出てからその店の近くに住んだそうです。最初はスタッフのような感じで、ここからバンド活動が始まったとも言えます。(40代女性)
20代
横山剣さんが20代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1981年(21歳):「クールスR.C.」のボーカリストとしてデビュー
- 1984年(24歳):「クールスR.C.」を脱退
- 1988年(28歳):「ENJOY RELAX DELIGHT」(E.R.D.)を結成
1981年、横山さんが17歳の時に作詞・作曲を手掛けた「シンデレラ・リバティ」で「クールスR.C.」のボーカリストとしてデビューを果たします。意外にも「シンデレラ・リバティ」は過去にレコード会社に売り込みをしていた際、NGを出された曲だったそうです。
実は以前から曲を作ってはレコード会社に売り込みをしていたんだけど、まったく取り合ってもらえなかった。デビューシングルの曲も以前NG食らった曲だった。ようやく日の目を見ることができて、うれしかったですね。
1984年、「クールスR.C.」を脱退します。その後ラッツ&スターの元メンバーだった山崎廣明さんらとともに「ダックテイルズ」を結成。「ダックテイルズ」はもともと山崎さんが70年代にやっていたバンドで、「第2期ダックテイルズ」と称し活動を開始したといいます。
1988年、「ENJOY RELAX DELIGHT」(E.R.D.)を結成します。E.R.D.にはのちのクレイジーケンバンドでも活躍する廣石惠一さんも在籍していました。横山さんはキーボードとボーカルを担当しました。
バンド活動を本格化させていった20代の横山さん。一方、「ダックテイルズ」結成後は売れない時代も経験したといいます。

ずば抜けた才能がありながらも売れない時期があったんだね。
横山剣さんファンに聞いた、横山剣さんの20代で印象に残っている出来事


クールスRCのボーカルをしていたというのがすごいですね。想像するにこの頃から歌の才能は抜群だったのでしょうね。(30代男性)

クールスRCのボーカリストになっていたことが印象的です。今も現役のこのバンドに、彼がいたことを知らなかったので、ビックリしたからです。(30代女性)

20代の頃、車の芳香剤にも拘りがあり、アメリカで買った石鹸やサーフボードに塗るココナッツ系のワックスを後部座席に置いていたそうです。これもスタイリッシュでカッコいいなぁと思います。(40代女性)
30代
横山剣さんが30代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1990年(30歳):「ZAZOU」として1stシングル「愛しの帰国子女」を発表
- 1991年(31歳):「CK’S」を結成
- 1997年(37歳):「クレイジーケンバンド」を結成
1990年、バンド名を「ENJOY RELAX DELIGHT」から「ZAZOU」に変更し、1stシングル「愛しの帰国子女」を発表します。「ZAZOU」は横山さんのほか、廣石惠一さん、リッキー坪井さん、佐々木あつしさん、池田賢司さんの5人でのスタートでした。
1991年、のちのクレイジーケンバンドの母体ともなる「CK’S」を結成します。横山さん、廣石惠一さん、小野瀬雅生さんら8名がレギュラーで参加したほか、クレイジーケンバンドでも活躍する澤野博敬さん、キング町田さん等多数のメンバーが入れ替わりで参加する大所帯となりました。
1997年、「クレイジーケンバンド」を結成します。「CK’S」終了後、作曲専業を考えていた横山さんでしたが、営業のために組んだバンド「ゲロッパ1600GT」の雰囲気が良く、そのまま「クレイジーケンバンド」と改名し活動を開始しました。
とりあえず思いつきで「ゲロッパ1600GT」、略してゲロGというバンド名をつけて営業したらすごくいい感じで、これで終わるのはもったいないと。その後、もっとマシなバンド名にしようと「クレイジーケンバンド」に改めました。
様々なバンドを組み、常に新しいことに挑戦していた30代の横山さん。紆余曲折を経てついに「クレイジーケンバンド」が誕生します。

様々な経験が「クレイジーケンバンド」を生み出したんだね!
横山剣さんファンに聞いた、横山剣さんの30代で印象に残っている出来事


自社レーベルを立ち上げたというのがすごいですね。なかなかこういう大胆なことはできないので彼の采配は素晴らしいですね。(30代男性)

「CK's」を結成したことが印象的でした。これこそが、今のクレイジーケンバンドの原型だとも思うからです。(30代女性)

1997年の37歳の時に「クレイジーケンバンド」を結成します。テレビやライブ活動で全国的に知られて人気になりました。歌の途中の「イーネッ!」も印象的で、歌も渋くていいです。(40代女性)
40代
横山剣さんが40代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 2002年(42歳):シングル「タイガー&ドラゴン」をリリース
- 2005年(45歳):「タイガー&ドラゴン」がヒット
- 2009年(49歳):アルバム「ガール!ガール!ガール!」をリリース
2002年、シングル「タイガー&ドラゴン」をリリースします。「タイガー&ドラゴン」は、横山さんが和田アキ子さんのボーカルをイメージして書いた曲でした。のちに和田アキ子さんのカバーが実現しています。
2005年、3年前にリリースした「タイガー&ドラゴン」がヒットします。きっかけは宮藤官九郎さん脚本のドラマ「タイガー&ドラゴン」の主題歌、劇中歌として曲が使用されたことでした。10万枚を超える売り上げを記録し「クレイジーケンバンド」の名前を一躍世に広めた一曲となりました。
2009年、12thアルバム「ガール!ガール!ガール!」をリリースします。ヒットチャートはクレイジーケンバンド史上最高位の4位を記録しました。同年、ユニバーサルミュージックと契約し、新レーベル「Double Joy International」を設立しています。
クレイジーケンバンドとして躍進を続けた40代の横山さん。渋くてかっこいい、新たなジャンルのバンドスタイルで多くの人を魅了しました。

唯一無二の存在感だよね!
横山剣さんファンに聞いた、横山剣さんの40代で印象に残っている出来事


クレイジーケンバンドとしてブレイクしていったのが本当にすごいです。CMの曲を聞いてすごく胸が躍ったことを覚えています。(30代男性)

『タイガー&ドラゴン』という曲のリリースが印象的でした。大好きな曲で、ドラマにもすごくマッチしていたからです。(30代女性)

2005年45歳の時に「タイガー&ドラゴン」で、紅白歌合戦出場を打診されたそうですが辞退されてます。これも横山さんなりの拘りがあるのかなと思いました。(40代女性)
横山剣の若い頃の髪型はリーゼント

横山剣さんの若い頃の髪型といえば、リーゼントスタイルを思い出す方も多いのではないでしょうか。
昔の横山剣もものすごかっこいいよねぇ pic.twitter.com/CsrechLQTv
— 万両 ミュート推奨 (@man77952467) July 10, 2023
リーゼントという少し尖ったヘアスタイルでありながら、さわやかさもあり素敵ですね!
若い頃組んでいたバンドがロックバンドだったこともあり、バンドのイメージにマッチしつつ、当時のロックを象徴するようなリーゼントヘアを好んでいたのではないでしょうか。

今の渋さとは対照的なさわやかイケメン!
まとめ

今回は、横山剣さんの若い頃の活躍や出来事を、画像とともに振り返りました。

年代ごとに印象深い出来事がたくさんあったね!
これからの活動も頑張ってほしいと思います。