漫画家や随筆家、画家として活躍するヤマザキマリさん。
若い頃どんな風貌だったのかや、年代ごとにどんなできごとがあったのか気になるかたも多いと思います。
さっそく、ヤマザキマリさんの若い頃の写真やできごと、デビューのきっかけを年代順に振り返ってみましょう。
ヤマザキマリのデビューのきっかけや時期は?

ヤマザキマリさんが有名になったのは、漫画家としてデビューしたことでした。
そのきっかけは生活のため・周囲の影響があったそうです。
ヤマザキマリさんは、17歳でイタリアに留学し、11年間絵を学びながらアルバイトで生活をやりくりしていました。
そんななかで、28歳の時に人生初めての漫画作品を描き、賞に応募したところ、みごと入賞することができました。
そこから、ヤマザキマリさんは妊娠し、生活の支えとして漫画を本格的に描き始めました。

ヤマザキマリさんはもともと漫画家志望ではなかったんですね!
ヤマザキマリの幼少期は?若い頃の活躍やできごとを年代順に振り返り

ヤマザキマリさんの幼少期のエピソードや、若い頃の活躍やできごとを年代順に振り返っていきます。
幼少期
ヤマザキマリさんはヴィオラ奏者である母親の移籍に伴い、4歳の頃に東京から北海道に移住しました。
北海道の大自然で育ち、公園の遊具よりも木登りや川遊びが好きな活発さだったそうです。
ヤマザキマリさんの幼少期の写真です。 pic.twitter.com/ZcdcOiMnAY
— sakura (@sakura1879424) March 1, 2025
また、学校ではランドセルの代わりにスヌーピーバッグを使用していたりと変わり者として認識されていたようです。
家庭では母親が仕事柄留守がちだったようで、寂しい思いをすることもあったそうです。
その寂しさを紛らわすために本をたくさん読んだり、昆虫に興味を持ったりしたようです。
っヤマザキマリさんは活発な子どもながら、家庭では寂しい思いをしたことで本に興味を持ち始めたようですね。

ヤマザキマリさんは自然に対する興味関心が特に強かったようですね!
10代
ヤマザキマリさんが10代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1981年(14歳):母親の代わりに1ヶ月間ドイツとフランスを1人旅する。
- 1984年(17歳):イタリアの陶芸家マルコの招きで、単身イタリアに渡る。
- 1984年(17歳):フィレンツェの国立フィレンツェ・アカデミア美術学院に入学する。
当初は母親と2人で行く予定だったドイツ・フランス旅行は、急遽ヤマザキマリさん1人での旅となりました。
言葉も分からない中のヨーロッパ旅で、ヤマザキマリさんは14歳ながら自立心というものを養いました。
ヤマザキマリさんは17歳の時に、単身イタリアへ渡り、陶芸家マルコのもとに向かいました。
当時通っていた高校は中退して、イタリアへ渡るというのは母親の勧めだったそうです。
単身でイタリアに渡ったヤマザキマリさんは、その後フィレンツェ・アカデミア美術学院に入学します。
学院では、美術史と油絵を専攻し、慣れない環境で美術を学びました。
ヤマザキマリさんの10代は普通では考えられない思い切った決断の連続でした。
通常14歳だったら、1人で言葉も分からない外国に行くなん不安で仕方ないと思ってしまいます。
ヤマザキマリさんも最初は不安だったのでしょうが、だんだんと慣れてくる物なのでしょうか。

ヤマザキマリさんは10代からヨーロッパの文化に触れていきます。
ヤマザキマリさんファンに聞いた、ヤマザキマリさんの10代で印象に残っている出来事


単独でイタリアに留学するなどアクティブな印象。
正直この方を存じ上げないが、調べるとこの年代の方にしてはなかなかあくだなぁと思いました。(40代女性)

イタリアへ留学したということを聞いて本当にすごいなと思いましたね。まだ若かったのにここまで積極的に海外に行けるなんて尊敬します。(30代男性)

母からの薦めで高校を中退してイタリアに留学。常識にとらわれない生き方をされていてカルチャーショックを受けたから。(20代女性)
20代
ヤマザキマリさんが20代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1987年(20歳):自称詩人の彼氏ができる。
- 1994年(27歳):1人で子どもを出産し、絵画の道を辞め漫画に転向する。
- 1996年(29歳):イタリア暮らしを綴ったエッセー漫画でデビューを果たす。
20歳頃にヤマザキマリさんは自称詩人の男性とお付き合いを始めるようになったそうです。
彼氏はお金よりも芸術と文学が大切だという考え方で、当時は貧しい思いをすることも多かったそうです。
20代のヤマザキマリさんです。
— sakura (@sakura1879424) March 1, 2025
場所は、イタリアでしょうか? pic.twitter.com/QWLh8qzVef
27歳にして詩人の彼氏との子どもを出産することになります。
この時期にすぐ彼氏と別れ、シングルマザーとして生きていく決心をし、絵画から漫画への転向を決めました。
ヤマザキマリさんはイタリア暮らしを描いたエッセー漫画を描き、漫画家デビューを果たします。
この頃にイタリアから一時帰宅し、北海道で再度生活することになります。
ヤマザキマリさんの20代は苦労という苦労はほとんどしたと言えるほど大変だったようです。
イタリアでの貧乏暮らしが長く、そこで子どもを授かり、シングルマザーになりと正に壮絶です。
そして、エッセー漫画で漫画家デビューしたヤマザキマリさんは今後どのような活動を広げていくのでしょうか。

記念すべきヤマザキマリさんの漫画家デビューの年になりました。
ヤマザキマリさんファンに聞いた、ヤマザキマリさんの20代で印象に残っている出来事


結婚、出産も経験して人生の分岐点なのかな?と思う
それも海外で、死別、再婚などなかなかの人生だなぁと思いました。(40代女性)

漫画家としてデビューしたというのが印象的ですね。この頃はここまで大先生になるなんて正直思いませんでした。(30代男性)

イタリアでの生活を綴ったエッセー漫画でデビュー。世界を見て育ったヤマザキさんらしい異国の文化を感じられる漫画が多いから。(20代女性)
30代
ヤマザキマリさんが30代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1998年(31歳):北海道札幌テレビの番組「どさんこワイド」で温泉リポーターを担当する。
- 2001年(34歳):ポルトガルのリスボンに移住する。
- 2002年(35歳):14歳のときに出会ったイタリア陶芸家の孫と結婚する。
ヤマザキマリさんは、北海道札幌テレビの番組「どさんこワイド」の温泉リポーターを担当していた時期がありました。
この、「温泉」にまつわる仕事がヤマザキマリさんの後の漫画活動に大きな影響を与えました。
テルマエロマエの原作者ヤマザキマリはその昔、どさんこワイド(北海道ローカル)で、湯けむりレポートをやっていたけど、あの時の経験がテルマエロマエを生むきっかけになったのだろうか。#テルマエロマエ pic.twitter.com/pL1MIciLUD
— 特撮/UNDERMINER (@UNDERMINER1118) January 13, 2018
2001年、ヤマザキマリさんはポルトガルのリスボンへの移住を決めることになりました。
ヤマザキマリさんは、14歳の時のヨーロッパ旅で出会ったマルコさんの孫であるベッピーノさんと結婚します。
結婚式は、エジプトのイタリア大使館で行なわれるほど大がかりなものとなったようです。
ヤマザキマリさんの30代は、北海道での活動にヨーロッパ移住にと世界を股にかけた活躍が見られました。
ヤマザキマリさんの生き方を見ていると、人間はどんな環境であれ、生きていけるのだなと感じさせられます。
ヤマザキマリさんの国際性は、一般の日本人も見習うべき物があると思わせられます。

ヤマザキマリさんは正に世界を股にかけた漫画家ですね!
ヤマザキマリさんファンに聞いた、ヤマザキマリさんの30代で印象に残っている出来事


人生色々な事を経験して、波乱万丈なイメージです。
海外での生活などで典型的な日本人とは少し違うのかな?と思います。(40代女性)

旅先で出会ったイタリア人と結婚したという事実が印象的ですね。やっぱり昔からグローバル思考が強い方だったので驚きはありませんでした。(30代男性)

イタリア人男性と結婚。学生時代に行った旅行先で一人の陶芸家と出会い、時を経てそのお孫さんと結婚することになるなんて凄く運命的なめぐり合わせだなと思ったから。(20代女性)
40代
ヤマザキマリさんが40代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 2008年(41歳):「テルマエ・ロマエ」の連載を開始する。
- 2010年(43歳):「テルマエ・ロマエ」で第3回マンガ賞と手塚治虫賞を受賞する。
- 2015年(48歳):芸術選奨文部科学大臣賞メディア芸術新人賞を受賞する。
ヤマザキマリさんは漫画「テルマエ・ロマエ」の連載を開始しました。
この作品は、温泉リポーターや海外での経験が反映されたヤマザキマリさんならではの視点で描かれた漫画です。
本日発売の「サンデー毎日」対談、最後から2番目のゲストはご存知「テルマエロマエ」の生みの親、漫画家のヤマザキマリさん。なんて心が自由!こういう方に出会うと生きる勇気が湧く。国際的な視点も清新。さらにマリさんのお話、爆笑です(^^) pic.twitter.com/i8FvYapcR9
— Miki Sumiyoshi 住吉美紀 (@miki_catgirl45) March 18, 2014
ヤマザキマリさんは、漫画「テルマエ・ロマエ」で、第3回漫画賞や手塚治虫賞を受賞しました。
古代ローマの温泉技師をテーマにした、壮大活コミカルナ漫画で、読者を魅了しました。
ヤマザキマリさんは、芸術選奨文部科学大臣賞メディア芸術新人賞を受賞しました。
漫画「テルマエ・ロマエ」や漫画「スティーブ・ジョブズ」が高評価を得て受賞に至ったようです。
ここで、ヤマザキマリさんの代表作品である「テルマエ・ロマエ」が連載を開始しましたね!
この漫画は、北海道での温泉リポーターやヨーロッパでの経験が詰め込まれた作品です。
正に、ヤマザキマリさんならではの漫画作品となったのではないでしょうか。

41歳にして、「テルマエ・ロマエ」の連載が開始されます。
ヤマザキマリさんファンに聞いた、ヤマザキマリさんの40代で印象に残っている出来事


テルマエ・ロマエという作品を描かれて独自の路線を進まれてるイメージです。海外のアイデンティティを理解されてそれを日本人ならではの思考の結びつけた感じがする。(40代女性)

テルマエロマエが大ヒットしたというのがやっぱりすごいですね。ここまで知名度を上げるなんて正直意外でしたね。(30代男性)

「テルマエ・ロマエ」の連載がスタート。阿部寛さん主演で映画化されたことで、知っている人も多い作品だと思うから。(20代女性)
ヤマザキマリの若い頃の髪型はファンキーな髪型だった!

ヤマザキマリさんの若い頃の髪型といえば、ファンキーな髪型を思い出す方も多いのではないでしょうか。
若い頃のヤマザキマリさんは、ヨーロッパの雰囲気に合わせたようなファンキーな髪型でした。
写真のようなロングで強くパーマをかけたような髪型は、イケイケな感じを感じさせますね。
若い頃は、ヨーロッパで過ごした時期が長いヤマザキマリさんです。
なので、現地の雰囲気に合わせるようにファンキーさを出した髪型をチョイスしたのかなと思います。

ショートヘアのイメージが強いですが、若い頃はファンキーめな髪型だったんですね!
まとめ

今回は、ヤマザキマリさんの若い頃の活躍や出来事を、画像とともに振り返りました。

年代ごとに印象深い出来事がたくさんあったね!
これからの活動も頑張ってほしいと思います。