山本リンダの若い頃の写真が超美人でスタイル良すぎ!昔の髪型はふんわりロングヘア

歌手として活躍する山本リンダさん。

若い頃どんな風貌だったのかや、年代ごとにどんなできごとがあったのか気になるかたも多いと思います。

さっそく、山本リンダさんの若い頃の写真やできごと、デビューのきっかけを年代順に振り返ってみましょう。

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目次

山本リンダのデビューのきっかけや時期は?

デビューのきっかけや時期

12歳の時に『装苑』のモデル募集記事を見て応募し、1年間の契約でファッションモデルの仲間入りになりました。

12歳から1年間の契約でファッションモデルの仲間入りを果たしました。

引用元:Wendy-Net

『装苑』のモデル契約終了後、もっとモデルの仕事をしたいと思い、自ら出版社に売り込みの電話をしました。

そのうち数社で仕事をした後に、中学3年生の時には有名なモデルクラブに所属できました。

そのあとも「もっとモデルのお仕事をしたい。職業として続けたい」という思いが募りました。そして、勇気を出して、自分から出版社に売り込みの電話をすることにしたのです。

引用元:Wendy-Net

モデルの仕事をしながら歌のレッスンにも通ったり、コンテストに出場していました。

そして15歳の時に『こまっちゃうナ』で歌手デビューしました。

この頃は歌うファッションモデルと言われていました。

「歌うファッションモデル」と言われ、『こまっちゃうナ』がいきなり大ヒット
引用元:Wendy-Net

ねこ太郎

モデルデビュー後に歌手デビューしたんだね!

山本リンダの幼少期は?若い頃の活躍やできごとを年代順に振り返り

山本リンダさんの幼少期のエピソードや、若い頃の活躍やできごとを年代順に振り返っていきます。

幼少期

山本さんはお父さんがアメリカの軍人でお母さんは日本人のハーフです。

幼少の頃はハーフが珍しい時代だったので、いじめられたこともあったそうです。

私はハーフです。福岡県小倉市のダンスホールでダンサーとして働いていた母と米兵だった父が恋に落ち、私が生まれました。
引用元:Wendy-Net

お母さまの慰めの言葉に勇気をもらい、山本さんを守ってくれる友人もいたので自分を卑下したりすることなく、過ごすことができたようです。

「みにくいアヒルの子は、最後は白鳥になるの。あつ子は白鳥なのよ。だから、自信を持って育ってほしいの」。その言葉に勇気をもらい、自分を卑下することなく過ごすことができました。
引用元:Wendy-Net

物心ついたころから歌も大好きで、1日中歌っていたそうです。

物心ついた頃から歌が大好きで、朝から晩まで歌っているような子どもでした
引用元:Wendy-Net

山本さんが幼少の頃はハーフが珍しかったのですね。

大変なこともあったかと思いますが、お母さまや友人に支えられて卑下することなく過ごされてよかったと思います。

ねこ太郎

歌は幼少の頃から好きだったんだね!

10代

山本リンダさんが10代の頃の代表的なできごとはこちらです。

  • 1963年(12歳):『装苑』の専属少女モデルとして1年間の契約でデビュー
  • 1964年(13歳):自ら売り込みの電話をかけ、モデルの仕事をする
  • 1966年(15歳):山本リンダの芸名で『こまっちゃうナ』で歌手デビュー

12歳の頃に『装苑』のモデル募集の切り抜きを見て応募し、モデルへのステップを踏みました。

『装苑』のモデルは1年契約だったので、その後もっとモデルの仕事をしたいと思った山本さんは自ら売り込みの電話をしたそうです。

モデルの仕事が忙しい中でも歌手の夢は諦めてなく、歌のコンテストを受けていました。

コンテスト主催のプロダクションの社長から、「歌手デビューさせたい」との話があり、15歳の時に歌手デビューが決まりました。

プロダクションの社長から「歌手デビューさせたいから、モデルクラブと話をつけていらっしゃい」と言われました。

引用元:Wendy-Net

切り抜きを見て応募したり、13歳の時に自ら売り込みの電話をするのは、一歩踏み出す勇気も必要だったと思いますし、行動力のある人だと思いました。

そしてその行動力があったからこそ、夢が現実になったのもすごいと思いました。

ねこ太郎

デビュー曲「こまっちゃうナ」は、今でもよく知られているよね!

山本リンダさんファンに聞いた、山本リンダさんの10代で印象に残っている出来事

アンケート調査結果
ネット上の人物

「こまっちゃうナ」で歌手デビュー。トマト飲料のCMで替え歌バージョンが使われていて馴染み深いメロディだから。(20代女性)

ネット上の人物

ハーフだからといって学校でいじめられたというエピソードを聞いてびっくりしました。あんなに可愛かったら人気者になっていたと思っていたので意外です。(30代男性)

ネット上の人物

1966年に「こまっちゃうナ」という曲でレコードデビューをする。この曲は生まれる前に発売した曲であるが、聞いたことがある。(40代男性)

20代

山本リンダさんが20代の頃の代表的なできごとはこちらです。

  • 1971年(20歳):東映制作の『仮面ライダー』に出演
  • 1972年(21歳):『どうにもとまらない』がヒット
  • 1973年(22歳):『狙いうち』がヒット

20歳の頃、1971年7月~12月まで放送された『仮面ライダー』でマリという役で出演していました。

参照元:仮面ライダー図鑑

1972年に出した『どうにもとまらない』がヒットし、NHK紅白歌合戦に初出場しました。

1973年の22歳には『狙いうち』が大ヒットし、2年連続でNHK紅白歌合戦に出場しました。

仮面ライダーにも出演されていたんですね!

『どうにもとまらない』と『狙いうち』は20代の頃に出されたとのことですが、色褪せず今でも有名な曲ですよね!

ねこ太郎

2年連続で紅白歌合戦に出場されたんだね!

山本リンダさんファンに聞いた、山本リンダさんの20代で印象に残っている出来事

アンケート調査結果
ネット上の人物

歌手活動を控えていた時期に仮面ライダーに出演。移籍前に活動をしてはいけないなんて今の時代では考えられない話だから。(20代女性)

ネット上の人物

仮面ライダーに出演していた姿を再放送で見たことがあったのですが本当に可愛い顔でした。荒い画質でもすごく色気があってたまりません。(30代男性)

ネット上の人物

1972年に「どうにもとまらない」という曲をリリースしてヒットする。この曲も非常に有名であるので知っている。(40代男性)

30代

山本リンダさんが30代の頃の代表的なできごとはこちらです。

  • 1982年(31歳):初のレビューショーを開催
  • 1983年(32歳):『フラッシュダンス』をリリース
  • 1989年(38歳):シャンソンの祭典「パリ祭」に初めて参加

1982年に31歳で初のレビューショーを開催されました。

レビューショーは、歌、ダンス、演劇の要素を組み合わせた舞台芸術の一形態であり、特にライブパフォーマンスにおけるエンターテインメントの一種です。

山本さんはこの1982年から1996年まで毎年長期レビューを公演していました。

1982
ホテル・ニューオータニ・クリスタルルーム初レビュー。
この年より1996年まで毎年。長期レビューを公演。

引用元:山本リンダ公式ホームページ

そして当時世界的なヒットを記録し、日本でも大流行した映画『フラッシュダンス』の主題歌の日本語カバーを1983年にリリースされました。

また、10代の頃から好きだったシャンソンも歌うようになり、1989年にはシャンソンの祭典『パリ祭』にも初出演されました。

以降『パリ祭』には毎年出演されています。

フラッシュダンスは麻倉未稀さんが歌われているイメージだったので、山本さんも歌われていたのには知らなかったのでビックリしました。

ねこ太郎

幼少の頃からシャンソンが好きだったんだね!

山本リンダさんファンに聞いた、山本リンダさんの30代で印象に残っている出来事

アンケート調査結果
ネット上の人物

人気が低迷したことで再び下積み生活に戻る。浮き沈みが激しい世界ということは承知の上でも、想像以上に波瀾万丈な人生すぎたから。(20代女性)

ネット上の人物

ちびまる子ちゃんで取り上げられて再ブレイクしたということを知って驚きましたね。たしかに「うらら」と歌っている姿が度々アニメ内で流れていたのでそれがきっかけでしょうね。(30代男性)

ネット上の人物

1980年代に米米CLUBによって自身の楽曲をカバーされる。後輩のミュージシャンにも曲をカバーされることはすごいと思った。(40代男性)

40代

山本リンダさんが40代の頃の代表的なできごとはこちらです。

  • 1991年(40歳):第三次リンダブームが巻き起こる
  • 1991年(40歳):17年ぶりに紅白歌合戦に出場
  • 1991年(40歳):レコード大賞で特別賞受賞

第三次リンダブームが起こったきっかけの1つとして『ちびまる子ちゃん』がありました。

「私は『ちびまる子ちゃん』のアニメを知らなくて“子供がサインを欲しがっている”と聞いて漫画とアニメを見て、私が出ていると知ってビックリ。3世代、4世代と知ってもらって、すごくうれしかったのをさくらさんにもお伝えすると『私も大ファンでした』と笑顔で言っていただきました」(リンダ)

引用元:東スポWEB

90年代、大人気だったアニメ『ちびまる子ちゃん』で『狙いうち』などの楽曲が使用され、子供たちにも認知されるようになり、山本さん自身も17年ぶりに紅白に出場が決まったり、レコード大賞で特別賞を受賞されたりしました。

大人気アニメがきっかけで再び人気に火がついたんですね!70年代に発表した曲が十数年超えて、世代を超えて愛され続けているのはすごいですよね。

ちなみに第二次リンダブームは1970年代に起こっており、『どうにもとまらない』をリリースされた頃になります。

「歌うファッションモデル」のイメージから脱却した頃と言われています。

ねこ太郎

山本さんご本人も『ちびまる子ちゃん』の声の出演をされたことがあるんだよね!

山本リンダさんファンに聞いた、山本リンダさんの40代で印象に残っている出来事

アンケート調査結果
ネット上の人物

アニメ「ちびまる子ちゃん」の影響で再び紅白歌合戦に出場を果たす。私もちびまる子ちゃんのおかげで山本リンダさんという存在を知ることができたから。(20代女性)

ネット上の人物

ヘアヌード写真集を発売したということを知り驚きましたね。中年でもアグレッシブに邁進している姿に格好良さがありましたね。(30代男性)

ネット上の人物

1993年にヘアヌードの写真集を掲載する。40歳を超えても写真集を出すことができることはすごいと思う。(40代男性)

山本リンダの若い頃の髪型はふんわりとしたロングヘア

山本リンダさんの若い頃の髪型といえば、ふんわりとしたボリュームで、毛先が外側カールされている髪型を思い出す方も多いのではないでしょうか。

当時の若い女性に大きな影響を与えていた山本さんの髪型ですが、髪型だけではなく、全体的なファッションスタイルも注目されていました

今見てもとてもカッコいいですよね。

ねこ太郎

オシャレでステキだよね!

まとめ

まとめ

今回は、山本リンダさんの若い頃の活躍や出来事を、画像とともに振り返りました。

ねこ太郎

年代ごとに印象深い出来事がたくさんあったね!

これからの活動も頑張ってほしいと思います。

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