野球指導者として活躍する渡辺久信さん。
若い頃どんな風貌だったのかや、年代ごとにどんなできごとがあったのか気になるかたも多いと思います。
さっそく、渡辺久信さんの若い頃の写真やできごと、デビューのきっかけを年代順に振り返ってみましょう。
渡辺久信のデビューのきっかけや時期は?
渡辺久信さんのデビューの時期やきっかけは、1983年、18歳の時、西部ライオンズにドラフト1位指名されたことです。渡辺久信さんは、群馬県出身者として初のドラフト1位指名選手となり、当時の最高球速147 km/hを記録していました。
かっこ良かったなぁ〜。
— つるちゃ͜ん🇯🇵 (@TURU_Chan2525) October 4, 2016
渡辺久信さん。
当時145㎞で放る投手はいなかったもんな。
西武もドラ1で獲得して、黄金期を作ったもんな。 pic.twitter.com/iePGZllkXN
実は西部ライオンズへは外れ1位で指名され、入団したそう!
渡辺久信の幼少期は?若い頃の活躍やできごとを年代順に振り返り
渡辺久信さんの幼少期のエピソードや、若い頃の活躍やできごとを年代順に振り返っていきます。
幼少期
渡辺久信さんは、1965年に群馬県勢多郡新里村(現在の桐生市)で生まれました。新里村立新里村中学校に進学し、中学時代には、すでに球速140km/hに近いストレートを投げていたそうです。また、運動神経がよく、ハイジャンプでは、小学6年生の時に1.42m、中学3年生の時には1.75mを記録していました。
渡辺久信さんは、幼少期からすでにスポーツに秀でており、特に野球での才能を開花させました。この経験がのちのプロ野球入りへとつながる基盤となっているのでしょう。
将来有望選手だったんだね!
10代
渡辺久信さんが10代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1981年(16歳):前橋工業高校への進学が決まり、野球部に入部。
- 1981年(16歳):第63回全国高校野球選手権出場。
- 1983年(18歳):ドラフト1位指名で西武ライオンズに入団
渡辺久信さんは、1981年、16歳のとき、前橋工業高校への進学しました。当初、桐生高校を志望していましたが、勉強が苦手だったため受験を断念し、前橋工業高校への進学を決めたそうです。
進学後は野球部に入部しました。渡辺久信さんが甲子園に出場したのは、第63回全国高校野球選手権のみでした。
大好評?!
— 甲子園大好き芸人 (@Wz7t8lp) January 30, 2024
久々もしものコーナー😄
怪腕渡辺久信投手が…
ラストサマー
甲子園に出場していたら
強豪相手でも…
もしや歴史が??
妄想すると
楽しくなるな〜⚾️
いきなり池田?PL?
Y校や中京と新たな伝説も?
勝ち上がりなど
リアルで楽しいコメント
皆さんお願いします☺️#渡辺久信 #前橋工 pic.twitter.com/2nuRr6UVal
1983年のドラフト会議で、西武ライオンズは高野光さんを1位指名するも抽選で外れ、外れ1位で指名され入団しました。翌1984年6月29日にプロ初出場を果たし、一軍に定着しました。
高校時代に甲子園出場を果たした経験が、その後のプロ野球選手としての道に大きく影響したことでしょう。プロ1年目から1軍で定着。渡辺久信さんの実力の高さがわかりますね。
群馬県出身初のドラフト1位指名選手!
渡辺久信さんファンに聞いた、渡辺久信さんの10代で印象に残っている出来事
西武ライオンズに入団後、一年目にして一軍に定着したことです。高校を卒業したばかりの身体が出来上がっていない状態だというのに、それでも実力を認められるなんて凄いなと驚きました。(50代男性)
高校1年生の時に夏の全国高校野球選手権に出場する。この時は1回戦で負けてしまったので、とてもくやしかったと思う。(40代男性)
中学時代から豪速球を投げていたという背景が凄すぎますね。やっぱりプロ野球選手は昔からすごかったということを痛感させられます。(30代男性)
20代
渡辺久信さんが20代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1985年(20歳):シーズン43試合に登板し、8勝8敗、11セーブを記録
- 1986年(21歳):リーグ最多の16勝を挙げて最多勝を獲得
- 1988年(23歳): 15勝7敗を記録し、再び最多勝を獲得
プロ2年目となる1985年には、先発とリリーフを兼任し、シーズン43試合に登板し、8勝8敗、11セーブを記録しました。この年の日本シリーズにも出場し、登板しています。
翌年、プロ3年目となる1986年には先発ローテーションの柱となりリーグ最多の16勝を挙げ、最多勝を獲得しました。さらに、リーグ最多奪三振も記録しています。
ライオンズOB列伝
— ぱんじゃ改 turbo type P (@panja20080101) September 9, 2024
渡辺久信
黄金期を支えた右の本格派。
言わずも知れた現在の監督代行。
常時140km/h台の速球を軸に
スライダー・カーブ・フォークボール
を交える典型的な力投型投手。
制球難で通算防御率は見劣りするが
「勝つ」投手と言うイメージがある。
ノーヒットノーランTVで観てました😊 pic.twitter.com/qTp7vuwFyM
1988年、1990年には、再び最多勝を獲得するなど、西部ライオンズのチームの柱として活躍をしました。
西部ライオンズが黄金期を迎える中で、渡辺久信は20代の間に数々の成功を収め、日本プロ野球界での地位を確立しました。
プロとしての実力を徐々に開花!
渡辺久信さんファンに聞いた、渡辺久信さんの20代で印象に残っている出来事
西武ライオンズ入団三年目にして16勝をあげ、最多勝を獲得したことです。たった三年で一軍入りどころか、一軍の打者達をものともせず三振に取るなんて凄い!と驚きました。(50代男性)
1986年に西武ライオンズの投手として16勝の成績をあげる。最多勝のタイトルも獲得することができたので、人気も上がったと思う。(40代男性)
西武に入団して活躍したという実績を知って本当に選ばれし存在だとわかりました。投球スタイルもすごい格好良くて魅力的です。(30代男性)
30代
渡辺久信さんが30代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1996年(31歳):オリックスとの試合でノーヒットノーランを達成
- 1997年(32歳):オフに西武から戦力外通告を受け、その後ヤクルトスワローズに移籍
- 2001年(36歳):現役引退を決断
渡辺久信さんは、1996年6月11日のオリックスとの試合で悲願のノーヒットノーランを達成しました。
渡辺久信GMお誕生日おめでとうございます🎂
— 平助⚾︎ (@BEKESU2) August 2, 2023
27年前、200本安打達成し2年連続首位打者でその年も.356打ってたバリバリ全盛期のイチロー擁するオリックス相手にノーヒットノーラン達成した時の興奮は忘れません
お身体にお気をつけてこれからもライオンズを宜しくお願い致します! pic.twitter.com/6Uep1y0NDW
しかし、1996年シーズン全体では、20試合に登板し、6勝9敗、防御率4.56という成績で、翌年1997年のオフに西部ライオンズから戦力外通告を受けます。その後、渡辺久信さんは新たな挑戦を求めて、ヤクルトスワローズに移籍します。
1999年には台湾にわたり選手兼任コーチとして活動しました。台湾でのシーズンを終えた後、渡辺久信は現役引退を決断し、選手としてのキャリアを終えました。
台湾にわたり、選手兼任コーチとして活動した渡辺久信さん。のちに指導者としての道を歩む基盤となった出来事なのかもしれません。
大きな転機だね!
渡辺久信さんファンに聞いた、渡辺久信さんの30代で印象に残っている出来事
1996年6月11日のオリックス戦でノーヒットノーランを達成したことです。高校野球なら相手チームに実力がなかったとかありますけど、プロのマウンドでこれするか~と驚きました。(50代男性)
1997年にヤクルトスワローズに入団する。30代になって良い成績も残せなくなっていたが、まだ現役の選手を続けたかったのだと思う。(40代男性)
一軍で未勝利に終わったという部分が印象的ですね。やはりプロ野球選手にはスランプというものが付き物ですから仕方がないですね。(30代男性)
40代
渡辺久信さんが40代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 2005年(40歳):西武ライオンズの2軍投手コーチに就任
- 2008年(43歳):西武ライオンズの監督に就任
- 2014年(49歳):西武ライオンズのゼネラルマネージャー(GM)に就任
渡辺久信さんは、2005年、40歳の時、古巣である西武ライオンズの2軍投手コーチに就任しました。
2008年には、西武ライオンズの監督に就任しました。監督として就任初年度に、チームをリーグ優勝に導きました。2013年に退任するまで、監督として指揮を執り、選手たちの成長に貢献しました。
監督退任後の2014年には、渡辺は西武ライオンズのゼネラルマネージャー(GM)に就任し、チーム編成や戦略に関与する役割を担いました。
渡辺久信GMは前期監督時代、幼かった私に握手とハグのファンサービスしてくださる、素晴らしい人でした。
— 生つくね² (@namatsukune2) May 26, 2024
松井稼頭央さんには休養後打撃コーチとして戻ってきてほしいですね pic.twitter.com/v6KCk16MCw
渡辺久信さんは、台湾での選手兼任コーチとして活動した経験をもとに、指導者へ転身し、監督としてチームを成功に導きました。選手時代を過ごした西武ライオンズに戻り、コーチや監督、GMとしてチームを支え続ける姿からチームへの深い愛情が感じられます。
情熱的な指導者だね!
渡辺久信さんファンに聞いた、渡辺久信さんの40代で印象に残っている出来事
埼玉西武ライオンズの監督を務めたことです。ピッチャーとしての実力だけでなく、監督となって采配をふるうことにも能力があることに驚きました。(50代男性)
2008年から西武ライオンズの監督を務める。その前の年は下位であったのに、監督になった年にすぐ優勝することができたので、監督の才能があるのだと思う。(40代男性)
西武の監督として活躍している姿を見てやっぱり指揮している姿は格好いいと思いましたね。いろいろな戦略を立てなければならないので本当に尊敬できます。(30代男性)
渡辺久信の若い頃の髪型はツーブロック
渡辺久信さんの若い頃の髪型といえば、ツーブロックな髪型を思い出す方も多いのではないでしょうか。
若い頃はこんなにフサフサでトレンディエースと言われてた西武の渡辺久信SD #お若いプロ野球ファンが知らなさそうなこと pic.twitter.com/Lpxdz5Nq7z
— モボ105 (@mobo105) March 27, 2019</a >
渡辺久信さんは、まるでトレンディドラマに登場する俳優のような魅力があり、かっこいいですね。
1990年代には、トップは長めですが、下はすっきりとした印象のツーブロックが流行しました。さわやかで清潔感のある髪型です。
とてもさわやかだね!
まとめ
今回は、渡辺久信さんの若い頃の活躍や出来事を、画像とともに振り返りました。
年代ごとに印象深い出来事がたくさんあったね!
これからの活動も頑張ってほしいと思います。