俳優として活躍する内野聖陽さん。
若い頃どんな風貌だったのかや、年代ごとにどんなできごとがあったのか気になるかたも多いと思います。
さっそく、内野聖陽さんの若い頃の写真やできごと、デビューのきっかけを年代順に振り返ってみましょう。
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内野聖陽のデビューのきっかけや時期は?
内野聖陽さんは、早稲田大学在学中にESS(English,Speaking,Society)サークルで英語劇を経験したことで演劇に興味を持ったそうです。その後、文学座研究所に入所して俳優としてのキャリアをスタートしました。そして、1993年のテレビドラマ「街角」でみごと俳優デビューを果たしました。
内野聖陽さんの俳優人生は大学時代の英語劇から始まったんですね。
内野聖陽の幼少期は?若い頃の活躍やできごとを年代順に振り返り
内野聖陽さんの幼少期のエピソードや、若い頃の活躍やできごとを年代順に振り返っていきます。
幼少期
内野聖陽さんの幼少期は、人見知りで引っ込み事案な性格だったとインタビューで語っています。
一方で、「田んぼや山に囲まれて育った」とも語られていていたそうで、フナやドジョウを捕まえて遊ぶといったように、わんぱくな一面もあったようです。
この背景には、実家がお寺だったということもあったのかもしれません。
田んぼや山に囲まれて育ったと言う内野さんは「フナを獲ったりドジョウやザリガニを獲ったりしていました」と幼少期を回顧。
引用元:MBSコラム powered by LINE NEWS
物静かな幼少期を過ごした内野聖陽さんがどのような人生を歩んで、俳優という道を選んだのか興味深く感じますね。
俳優の内野聖陽さんが物静かな少年だったなんてなんだか意外な気がします。
10代
内野聖陽さんが10代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1981年(12歳):世田谷学園中学校に入学。
- 1984年(15歳):世田谷学園高等学校(仏教専修科)に入学、僧侶の資格を取得。
- 1988年(19歳):1浪した後、早稲田大学政治経済学部経済学科(偏差値70)に入学。
世田谷学園中学校は中高一貫の仏教校(偏差値60)です。
学校生活では、バレー部に所属し学業も成績トップクラスだったそうです。まさに文武両道の生徒さんだったんですね。
俳優の内野聖陽さん
— sakura (@sakura1879424) October 13, 2024
中学校入学式の時かな? pic.twitter.com/j2TdrNnhpJ
高校へはエスカレーター式に入学し、仏教専修科に在籍していたそうです。
そこで、僧侶の資格を取得します。ちなみに、お寺の僧侶だった父親からは後を継ぐために仏教系の大学への進学を勧められていたそうです。
父親からの勧めは内野聖陽さんには残念ながら届かず、大学は早稲田大学政治経済学部経済学科を選択されています。
1浪したとはいえ偏差値70の大学へ入学できるなんて、高校時代も学力はかなり高かったようですね。
内野聖陽さんの10代を振り返ってみましたが、内野さんは中学校時代から勉学とスポーツを両立し、高校でもしっかりと僧侶の資格を取得しつつ、早稲田大学の政治経済学部に合格しちゃうほど優等生だったようです。
お父様の勧めを振り切ってまで、異なる進路を選んだ内野聖陽さんがどのように俳優の道に進んでいったのか非常に気になります。
中学校から学業に関してかなり努力されていたことが想像できるね!
内野聖陽さんファンに聞いた、内野聖陽さんの10代で印象に残っている出来事
内野聖陽さんのご実家は神奈川県にある雲松院というお寺です。長男であることから寺を継ぐことが義務付けられていたものの、大学在学中に文学座研究所に入所、演技の世界に魅せられ俳優になる道を歩んだそうです。(40代女性)
大学在学中に演劇で英語劇をやったという出来事を聞いてその頃から演技が好きだったんだなと驚きました。それが今の活躍につながっているのはすごいです。(30代男性)
家業が曹洞宗の寺院ということから幼少期から家業を継ぐのは当たり前の事と感じていたそうで、高校進学も曹洞宗が運営する世田谷学園に進学されたという話は真っすぐな彼の性格を表すようで印象的でした。(50代女性)
20代
内野聖陽さんが20代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1992年(23歳):文学座研究所に入所。
- 1993年(25歳):NHKドラマ「街角」でテレビドラマデビュー。
- 1998年(28歳):NHK連続テレビ小説「ふたりっ子」に出演!
文学座研究所への入所のきっかけは、大学の留年が決まった年に大学の先輩から文学座の願書を渡されたことだったそうです。
当時の内野聖陽さんは「えー、文学座ですか、よく知りませんけど」といった反応だったそうです。
それなりに就職活動も始めてたんですが、留年が決まってしまい、先輩に「どうせ一年遊んでるんなら、芝居の勉強でもしたらどうだ」って、渡されたのが文学座の入学願書でした。「えー、文学座ですか、よく知りませんけど(笑)」っていう感じで、願書を出したら、受かっちゃった。
引用元:早稲田ウィークリー Waseda Weekly
デビュー作「街角」には、若き新人カメラマン福田遊子という役で出演。当時から内野聖陽さんは、イケメン・好青年ながらも落ち着いた雰囲気を漂わせていたようです。
内野聖陽さんの知名度を爆発的に上げる1作となったNHK連続テレビ小説「ふたりっ子」は、歴代朝ドラNo.1と呼び声高い作品となりました。本作品で内野聖陽さんは、ヒロインの相手役で棋士の森山史郎を演じています。
内野聖陽さんの俳優への道は、偶然から始まったんですね。
文学座研究所への入所後は、流れるようにテレビドラマデビューを果たしました。
NHK連続テレビ小説のヒロインの相手役に抜擢されるほど当時から俳優として頭角を現していたことが伺えますね!
内野聖陽さんが朝ドラ出てるけど、ふたりっ子がチラついて、なんにも入ってこない。ふたりっ子放送当時、小学生だったけど朝からえらい色気で。。視聴者みんな好きだったと思う。 pic.twitter.com/xqW7812Hea
— つばら (@tubaratubara) May 24, 2021
大学の留年がきっかけで偶然にも俳優への道が開かれていったんだね!
内野聖陽さんファンに聞いた、内野聖陽さんの20代で印象に残っている出来事
20代の頃の内野聖陽さんの代表作といえば、NHK連続テレビ小説の「ふたりっ子」です。この出演で改めて俳優としての地位を築き、その後の俳優人生の転機となりました。(40代女性)
朝ドラ「ふたりっ子」という作品が大好きでした。この頃の演技は本当にナチュラルで演技しているという感じが全くありませんでした。(30代男性)
棋士役を演じられた時駒を扱う指の動かし方を美しく表現する為にいつもポケットに駒を偲ばせて指に馴染ませていたとい話は役者として真摯に役と向き合う様子が伝わりとても印象に残りました。(50代女性)
30代
内野聖陽さんが30代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1998年(30歳):NHK大河ドラマ「徳川慶喜」で徳川慶篤役を演じる。
- 2004年(35歳):実写化ドラマ「エースをねらえ」で宗方仁役を演じる。
- 2007年(39歳):元宝塚女優の一路真輝さんと結婚!
内野聖陽さんは、30歳で大河ドラマのキャストに抜擢されています。
時代劇でも俳優として存在感を示すことができたことで、内野聖陽さんの知名度が更にアップするきっかけとなったようです。
大河ドラマ『徳川慶喜』。
— 武田正悦@pro (@takedapro) June 23, 2021
内野聖陽さんの徳川慶篤役。
慶喜公の兄上。
今観るとまた良いですね。
内野さんは後に大河ドラマきっての名作『風林火山』で主役の山本勘助で大ブレーク。#徳川慶喜#青天を衝け #大河ドラマ pic.twitter.com/CnfslU29mJ
漫画実写化ドラマである「エースをねらえ」で、ヒロインのコーチ役宗方仁役を演じています。
内野聖陽さんは、39歳のときに元宝塚女優である一路真輝さんとご結婚されています!2000年にミュージカル「エリザベート」で共演したことがきっかけで交際がスタートしたそうです。
20代までは現代劇への出演が目立っていましたが、大河ドラマへの出演をきっかけに時代劇でも存在感を示す俳優へとステップアップしていったようですね。
今ではいろんな役をこなしているイメージがある内野聖陽さんですが、そのイメージは30代での活躍がきっかけだったんですね!
内野聖陽さんの30歳は、俳優としても1人の人としても飛躍の年になったみたい!
内野聖陽さんファンに聞いた、内野聖陽さんの30代で印象に残っている出来事
内野聖陽さんは2006年7月、元宝塚女優の一路真輝さんとご結婚されています。当時、内野さんは39歳、一路真輝さんは42歳の時でした。(40代女性)
エースを狙えという作品の宗方コーチは原作と瓜二つでしたね。再現度が本当にすごくて上戸さんとの相性も抜群でした。(30代男性)
エースをねらえの宗方コーチ役は原作がコミックで今までに演じられた役どころと違いが大きくどう演じられるかとても興味深いものでしたが、違和感のない雰囲気作りに役者魂を感じる役作りだと感心しました。(50代女性)
40代
内野聖陽さんが40代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 2009年(41歳):「JIN-仁-」シリーズに坂本龍馬役で出演。
- 2009年(41歳):「臨場」シリーズで主演・倉石義男役で出演。
- 2011年(43歳):一路真輝さんと離婚。
「JIN-仁-」シリーズ(2009年、2011年)にて坂本龍馬役で出演。人たらしな演技が評価を得て、多くの視聴者の心をつかんだようです。
「臨場」シリーズ(2009年、2010年、映画2012年)では、主演を演じました。妻を失った検察官役で、優しい一面や強さを表現し演じています。
2011年には、残念ながら一路真輝さんとの離婚が報道されました。内野聖陽さんは、離婚の原因となった既婚女性とのダブル不倫や飲酒運転などに関して「軽率な行動でダメ親父さを披歴してしまった」と語られています。
昨年8月の“ダブル不倫&飲酒運転疑惑”について触れ「軽率な行動でダメ親父さを披歴してしまった」と釈明した上で「それ以前からずっと2人の間でどうしたらお互いにとっていい未来を探せるのかと話し合いを続けてきた」
引用元:スポニチ Sponichi Annex
内野聖陽さんの40代は俳優としてさらに飛躍する年になったみたいですね。対して、私生活では仕事の忙しさもあったのか上手くいかないところが多々あったようです。
「JIN-仁-」での坂本龍馬は、これぞ坂本龍馬!といった演技だったね!
内野聖陽さんファンに聞いた、内野聖陽さんの40代で印象に残っている出来事
内野聖陽さんはドラマや舞台、映画など幅広く活動されていましたが、40代半ばで初めての声優の仕事に挑戦されています。(40代女性)
女信長の明智光秀役が印象的ですね。本当に内野さんは時代劇をやらせたらめちゃくちゃハマります。光秀も格好良くて最高でした。(30代男性)
検視官倉石役を演じられた時のセリフは、検視官という立場なら遺族にどう話すかを自身で吟味して提案もしていたという話を聞いた時、演じる事だけに留まらない役者としての拘りが感じられとても印象的でした。(50代女性)
内野聖陽の若い頃の髪型は真面目
内野聖陽さんの若い頃の髪型といえば、真面目な髪型を思い出す方も多いのではないでしょうか。
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— NHKアーカイブス (@nhk_archives) September 15, 2024
明日お誕生日🎂
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【#内野聖陽 さん特集】
9月16日は俳優の内野聖陽さんのお誕生日です。おめでとうございます!
ここでは、大河ドラマ『風林火山』や連続テレビ小説『ふたりっ子』など、これまでの出演番組とインタビューをご紹介。
★NHK人×物×録★ まとめページhttps://t.co/8Ud9ag2sHt pic.twitter.com/oUKms9EvZe
内野聖陽さんの若い頃の髪型は、「ふたりっ子」出演の真面目な髪型が印象的です。
当時の流行りは、さらさらな長髪のイメージがありますが、棋士という役柄かかなり好青年なイメージの髪型になったのだと思います。
今の髪型はパーマのイメージが強いから、短髪センター分けは新鮮ですね!
まとめ
今回は、内野聖陽さんの若い頃の活躍や出来事を、画像とともに振り返りました。
年代ごとに印象深い出来事がたくさんあったね!
これからの活動も頑張ってほしいと思います。