タレントとして活躍する所ジョージさん。
若い頃どんな風貌だったのかや、年代ごとにどんなできごとがあったのか気になるかたも多いと思います。
さっそく、所ジョージの若い頃の写真やできごと、デビューのきっかけを年代順に振り返ってみましょう。
所ジョージのデビューのきっかけや時期は?
所ジョージさんは、大学1年生のとき単位不足が原因で2年生に進級できなかったことがきっかけで、音楽業界への道を志すようになりました。
中学時代に独学でギターを始めコードを知っていたことから、40〜50曲を作って複数のレコード会社に持ち込んでいたそうです。
そしてライブハウスでの前座を経て、宇崎竜童と出会ったことがきっかけで、1977年7月25日に『ギャンブル狂想曲/組曲 冬の情景』で、シンガーソングライターとしてデビューしました。
デビューのきっかけや時期を3〜5行程度で書く
昔は歌手だったんだ!
所ジョージの幼少期は?若い頃の活躍やできごとを年代順に振り返り
所ジョージさんの幼少期のエピソードや、若い頃の活躍やできごとを年代順に振り返っていきます。
幼少期
所ジョージさんは1955年1月26日に埼玉県所沢市で生まれました。
所さんの幼少期の情報は限られていますが、小学生の頃はプラモデル作りに夢中になっていたようです。
子供の頃の所ジョージさん
— しろくろ (@shoryu1202) August 10, 2021
カッコ良いいな!?#ファミリーヒストリー pic.twitter.com/FeIEluzFYL
豊かな自然に囲まれ、のびのびと育ったのですね!
かっこいい!
10代
所ジョージさんが10代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1970年(15歳):小平市の錦城高等学校に通学する
- 1974年(19歳):1年浪人し、公募推薦で拓殖大学商学部に進学する
- 1974年(19歳):大学1年生のとき1度も授業に出ず留年が確定したため音楽の道を志す
所ジョージさんは、1970年に東京都小平市にある進学校の錦城高等学校に進学しました。
そして高校卒業後、1年浪人して公募推薦で拓殖大学商学部に進学します。
しかし大学1年生のときに1度も授業に出ず、留年することが確定。
このとき父親に、留年してもしょうがない理由を言おうと思い付いたのが「芸能界の仕事が忙しいから」というもので、音楽の道を志して活動を始めます。
所さんってシンガーソングライターだったんだ#所ジョージ#ファミリーヒストリー pic.twitter.com/nWXEpCiITi
— shin tanino (@Rui_works_2024) December 9, 2024
留年する言い訳を、言葉だけで終わらせない行動力がすごいですね!
才能があったんだね!
所ジョージさんファンに聞いた、所ジョージさんの10代で印象に残っている出来事
拓殖大学に入学したというエピソードが印象的ですね。入学したはいいものの一度も通わなかったという話がすごいです。(30代男性)
所ジョージさんは拓殖大学に入学するも1度も授業に出ず、学費納入の手続きも忘れて学費未納で除籍されています。そのことがきっかけで音楽の道を志したそうですが、なんとも悠々としたエピソードですね。(40代女性)
拓殖大学に入学するも1度も授業に出なかったことです。普通は大学へ入ったら勉強を頑張ると思うので、若い頃から破天荒なことをしていたんだなと印象に残りました。(50代男性)
20代
所ジョージさんが20代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1977年(22歳):「ギャンブル狂想曲/組曲 冬の情景」でシンガーソングライターとしてデビュー
- 1977年(22歳):ラジオ「オールナイトニッポン」のメインパーソナリティに抜擢
- 1979年(24歳):ゲームバラエティ番組「ドバドバ大爆弾」のメイン司会者に就任
所ジョージさんは、レコード会社に送ったデモテープがプロデューサーに認められて音楽業界に入り、ライブハウスの前座を務めていました。
このとき宇崎竜童と出会い、1977年22歳で「ギャンブル狂想曲/組曲 冬の情景」でシンガーソングライターとしてデビューしました。
■ 所ジョージ
— 冗談絵巻 - JODAN EMAKI - (@3vMaFkTDSortYAl) September 21, 2019
1977年に"シンガーソングライター"としてデビュー。1979年には自身初のテレビでのメイン番組『ドバドバ大爆弾』を皮切りに、'80年代初頭からは『笑っていいとも!』『11PM』『所さんのただものではない!』などの人気番組でタレント司会業も務めるようになる。@retoro_mode pic.twitter.com/eePDiIcvFY
さらに1977年、無名だった当時にラジオ「オールナイトニッポン」のメインパーソナリティに抜擢され、これをきっかけに本格的にタレント業に進出します。
肩の力を抜いたいい意味での「いい加減さ」が人気を集め、1979年からはゲームバラエティ番組「ドバドバ大爆弾」のメイン司会者に就任して一躍名が知れ渡ります。
所ジョージのドバドバ大爆弾
— レトロ系 (@retoro_mode) July 22, 2014
1979年から放送。公開生放送で、一般視聴者がペアを組んで出場して一芸披露と
ゲームで最高賞金100万円の獲得を目指す番組。所にとっては、初の司会番組だった。 pic.twitter.com/NqI1uCJlg4
適度ないい加減さがありつつも、20代でしっかり司会業をこなす絶妙なバランスは、きっと当時から唯一無二の存在だったはず!
かっこいい!
所ジョージさんファンに聞いた、所ジョージさんの20代で印象に残っている出来事
シンガーソングライターとして活動していく姿に凄さがありますね。所さんの曲には独特の趣がありすごく魅力を感じますね。(30代男性)
所ジョージさんの芸名の由来は出身地の所沢市と柳ジョージをモチーフに、宇崎竜童さんが命名されています。一回聞いたら忘れないインパクトのある芸名ですよね。(40代女性)
『ギャンブル狂想曲/組曲 冬の情景』で、シンガーソングライターとしてデビューしたことです。所さんはコメディアンとしての印象が強いので、シンガーソングライターもしていたんだと驚きました。(50代男性)
30代
所ジョージさんが30代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1984年(29歳):30歳になる年に第22回ゴールデン・アロー賞放送賞を受賞
- 1985年(30歳):自身の冠番組「所さんのただものではない!」が開始
- 1993年(38歳):黒澤明監督作品の映画『まあだだよ』に出演し2つの賞を受賞
20代で多数の番組に出演しタレント業や司会業をこなしてきた所さんは、1984年30歳になる年に第22回ゴールデン・アロー賞放送賞を受賞します。
そして翌1985年には自身の冠番組「所さんのただものではない!」が始まるなど、まさに順風満帆の芸能活動を行っていきます。
昭和爆笑お笑いシリーズ第52弾「ツムラタイム 所さんのただものではない!」1985年10月12日〜1991年9月21日フジ系で放送されてた所ジョージの冠番組。1985年5月から半年間放送してた宇崎竜童所ジョージの番組のワンコーナ「所さんのただものではナイ」が好評だったため同番組終了後昇格した😁 pic.twitter.com/p0uHruSjqP
— 武藤たかし (@PUoyf1Kt6q8FJuY) November 26, 2023
また、所さんは俳優としても活動をしており、1993年には黒澤明監督作品の映画「まあだだよ」に出演し、第17回日本アカデミー賞優秀助演男優賞、第36回ブルーリボン賞助演男優賞を受賞しています!
1986年からは「ミスタードーナツ」のCMに出演し15年間に渡りCMキャラクターを務めたほか、明るく弾けたキャラクターで多数のCMやテレビ番組に出演します。
みんなから愛されるキャラクターで、お茶の間でも人気だったんですね!
なんて多彩な才能!
所ジョージさんファンに聞いた、所ジョージさんの30代で印象に残っている出来事
マジカル頭脳パワーでの正解率の高さが本当にすごかったですね。みんながわからない問題でもあっさりわかってしまう頭の良さはすごいです。(30代男性)
1985年からはテレビ番組「所さんのただものではない!」が始まり、バラエティー番組に引っ張りだこでバラエティーには欠かせない存在となる。所ジョージさんと言えばバラエティーのイメージも強いですよね。(40代女性)
1986年にミスタードーナツのTVCMに出演されたことです。ここから2001年まで出演し、所さんといえばミスタードーナツというイメージを作りあげることになりました。それだけに印象に残っています。(50代男性)
40代
所ジョージさんが40代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1996年(42歳):バラエティ番組「1億人の大質問!?笑ってコラえて!」が放送開始
- 1997年(43歳):経済効果がアメリカの経済紙「ウォールストリート・ジャーナル」に取り上げられる
- 1999年(45歳):シングルCD「明石家さんまさんに聞いてみないとネ」を作詞・作曲しリリース
所ジョージさん司会のバラエティ番組「笑って」シリーズは、1983年の「クイズ笑って許して!」から始まっていますが、変遷を経て1996年に「1億人の大質問!?笑ってコラえて!」が放送開始となります。
また、1997年にはCM出演に関してアメリカの経済紙「ウォールストリート・ジャーナル」の一面に取り上げられました。
トヨタ・キャバリエやコカ・コーラのCMに出ていたことを例に挙げ、「アメリカが日本に商品を売りたいのならジョージ・トコロに任せればいい。ミスター・トコロに匹敵するアメリカ通商代表はいない」と顔写真付きで紹介されたのです。
1999年には、明石家さんまさんが司会を務める番組「さんまのまんま」に所さんがゲスト出演したことがきっかけで企画された、さんまさんとのコラボレーション・シングル「明石家さんまさんに聞いてみないとネ」がリリースされました。
この楽曲には、ゲストとしてたまたま通りかかった工藤静香さんも参加されています。
40代も多方面で活躍し、長く愛されて続けている所さん。芸能界に欠かせない存在ですね!
他の歌手への楽曲提供もしてるんだって!
所ジョージさんファンに聞いた、所ジョージさんの40代で印象に残っている出来事
世田谷ベースでの姿が印象的ですね。とても高価なものがたくさんこの場所にはあって本当に行けた後輩芸人さんたちが羨ましいです。(30代男性)
2002年には、女性フォークデュオすっぴんのシングルで初めて他のアーティストのプロデュースをされています。音楽にバラエティーに、なんとも多才ですよね。(40代女性)
アメリカの経済紙・ウォールストリート・ジャーナルに取り上げられたことです。こちらではかなりの高評価を受けており、日本だけでなく世界的にも有名なんだなと驚きました。(50代男性)
所ジョージの若い頃の髪型は黒髪のリーゼント風ヘア
所ジョージさんの若い頃の髪型といえば、黒髪のリーゼント風ヘアを思い出す方も多いのではないでしょうか。
所ジョージかっこいいなぁと思いながら #何か観てる んだけど,若い頃の姿が映った時何故か頭によるうどんさんが浮かんだんですよ… pic.twitter.com/oxzW0KxVZ3
— 宮っち🌱 (@202miyako) January 30, 2021
金髪ショートヘアのイメージが強い印象ですが、若い頃は黒髪のふんわりリーゼント風だったのですね!
この頃世間では、ダウン・タウン・ブギウギ・バンド「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」や横浜銀蝿「ツッパリHigh School Rock’n Roll」などが大ヒットするなど、ヤンキーブームが訪れておりました。
黒髪にサングラスも似合っていますね!
ヤンキー風もかっこいい!
まとめ
今回は、所ジョージさんの若い頃の活躍や出来事を、画像とともに振り返りました。
年代ごとに印象深い出来事がたくさんあったね!
これからの活動も頑張ってほしいと思います。