時任三郎の若い頃は?昔の髪型はナチュラルな短髪だった!

俳優として活躍する時任三郎さん。

若い頃どんな風貌だったのかや、年代ごとにどんなできごとがあったのか気になるかたも多いと思います。

さっそく、時任三郎さんの若い頃の写真やできごと、デビューのきっかけを年代順に振り返ってみましょう。

目次

時任三郎のデビューのきっかけや時期は?

デビューのきっかけや時期

時任三郎さんのデビューのきっかけは、1980年に舞台『ヘアー』で俳優デビューしたことです。当時、俳優養成所に通いながら演劇や音楽活動を行っており、ロック・ミュージカル『ヘアー』の一般公募に合格して舞台に立ったのが最初の本格的な芸能活動となりました。

ねこ太郎

俳優養成所に通っていたんだね!

時任三郎の幼少期は?若い頃の活躍やできごとを年代順に振り返り

時任三郎さんの幼少期のエピソードや、若い頃の活躍やできごとを年代順に振り返っていきます。

幼少期

時任三郎さんは、1958年、5人兄弟の末っ子として東京都世田谷区に生まれました。幼少期に青森県弘前市へ移り住み、その後6歳の時に大阪へ引っ越します。以降、幼稚園から大学までを大阪府松原市で過ごしました。学生時代は手芸部で毛糸の座布団カバーを作るなど、ものづくりに親しみつつ、中学校ではブラスバンド部と水泳部に所属し、音楽やスポーツにも積極的に取り組みました。

転居を重ねた経験と、多彩な部活動・趣味を通して培われた自由で好奇心旺盛な感性は、後の俳優・アーティストとしての多才さにつながっているのかもしれませんね。

ねこ太郎

豊かな表現力の原点だね!

10代

時任三郎さんが10代の頃の代表的なできごとはこちらです。

  • 1970年(12歳):大阪府松原市立松原中学校に進学
  • 1973年(15歳):大阪市立工芸高校に進学
  • 1976年(18歳):大阪芸術大学芸術学部デザイン学科に進学

1970年に大阪府松原市立松原中学校に進学します。

その後、大阪市立工芸高校に進学し、生徒会長を務めるなどリーダーシップを発揮しました。成績も優秀な模範生だったといいます。

高校卒業後は、大阪芸術大学芸術学部デザイン学科に進学。大学では工業デザインを専攻する一方で、演劇サークルに所属し、演技に初めて挑戦しました。

学業・芸術のすべてに全力で取り組む姿勢が、すでにこの頃から光っていたんですね。大学での演技との出会いが、人生の転機となったのだと思います。

ねこ太郎

演劇との出会い!

時任三郎さんファンに聞いた、時任三郎さんの10代で印象に残っている出来事

アンケート調査結果
ネット上の人物

身長が188センチあるということです。
テレビで拝見するかぎりそのような長身に見えないから
今回調べてみて驚きました
。(30代女性)

ネット上の人物

大阪芸術大学デザイン学科に入学。工芸も演技も表現という括りでは同じなので、昔から何かをつくりだすことが好きだったんだろうなと思ったから。(20代女性)

ネット上の人物

大阪芸術大学を中退して上京したという話を聞いてすごく驚きました。結構やると決めたら猪突猛進だったということを知りより好きになりました。(30代男性)

20代

時任三郎さんが20代の頃の代表的なできごとはこちらです。

  • 1980年(22歳):ロックミュージカル『ヘアー』で俳優デビュー
  • 1981年(23歳):シングル「川の流れを抱いて眠りたい」で歌手デビュー
  • 1983年(25歳):ドラマ『ふぞろいの林檎たち』出演

22歳のとき、大学を中退して上京し、ロックミュージカル『ヘアー』で俳優デビューを果たします。

翌年には、シングル「川の流れを抱いて眠りたい」で歌手としてもデビュー

1983年にはドラマ『ふぞろいの林檎たち』に出演。社会現象となるヒット作で注目を集めます。さらに、映画『海燕ジョーの奇跡』では主演を務め、日本アカデミー賞優秀主演男優賞などを受賞しました。

1980年代後半には主演映画が相次ぎ、数多くの映画賞を受賞するなど、瞬く間に時代の顔となった姿が印象的です。まさに飛躍の時期ですね。

ねこ太郎

一気に実力派俳優に!

時任三郎さんファンに聞いた、時任三郎さんの20代で印象に残っている出来事

アンケート調査結果
ネット上の人物

ふぞろいのりんごたちです。
中井貴一さんや石原まり子さんとかの印象はあったのですが
時任三郎さんが出てるとは思わなかったです。(30代女性)

ネット上の人物

ドラマ「ふぞろいの林檎たち」に出演。主題歌だったサザンオールスターズの「いとしのエリー」という曲が好きでよく聞くから。(20代女性)

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俳優養成所に入り舞台でデビューを飾ったと言うのが印象的ですね。この頃から芝居にどっぷり浸かっていたということが伺えて本当にすごいなと思いましたね。(30代男性)

30代

時任三郎さんが30代の頃の代表的なできごとはこちらです。

  • 1988年(30歳):栄養ドリンク「リゲイン」CM初代キャラクターに起用
  • 1991年(31歳):元タレントの女性と結婚
  • 1993年(35歳):映画『いつか どこかで』主演

30歳のとき、栄養ドリンク「リゲイン」のCM初代キャラクターに起用され、CMソング「24時間タタカエマスカ」が話題となり、社会現象を巻き起こしました。

プライベートでは、31歳で元タレントの女性と結婚し、後に3児の父となります。

映画・ドラマで主演作が続き、映画『いつか どこかで』では主演を務めました。また、俳優以外にも日本テレビ『FAN』でナレーター(進行役)を担当するなど、幅広い分野で活躍しました。

俳優としてだけでなく、CMやナレーションなど幅広いメディアでの活躍が印象的ですね。

ねこ太郎

「24時間戦えますか?」が印象的だよね!

時任三郎さんファンに聞いた、時任三郎さんの30代で印象に残っている出来事

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リゲインのCMです。
24時間闘えますか?で大きな口をあけて歌ってる姿に驚きました。今の時任三郎さんからは想像ができません。(30代女性)

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長女が誕生。娘さんもCanaというアーティスト名で歌手として活動されているそうで歌声を聞いてみたくなったから。(20代女性)

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ふぞろいの林檎たちシリーズが本当に好きでした。自分は再放送で見たのですが中井貴一さんとの掛け合いの。姿など見ていて非常に面白かったです(30代男性)

40代

時任三郎さんが40代の頃の代表的なできごとはこちらです。

  • 1999年(41歳):子どもたちの成長と自然環境を重視し、家族でニュージーランドへ移住
  • 2003年(45歳):ドラマ『Dr.コトー診療所』に出演
  • 2004年(46歳):映画『海猿 UMIZARU』に出演

41歳のときに子どもの成長と自然環境を重視し、家族でニュージーランドに移住します。俳優活動をほぼ休止し、子育てと家族との時間を最優先に過ごしました。

その後、日本に帰国し、俳優業に本格復帰。2003年には、ドラマ『Dr.コトー診療所』で原剛利役を演じ、再ブレイクを果たします。

映画『海猿 UMIZARU』シリーズでは下川嵓役を演じ、その後もシリーズ作に継続して出演しました。

家族との絆を深めるために俳優業を一時休止した決断は、時任三郎さんにとって人生の大きな転機となったことでしょう。復帰後の活躍は、その俳優としての魅力を改めて証明し、今もなお多くのファンに愛され続ける理由を感じさせますね。

ねこ太郎

“イクメン”の先駆け的存在!

時任三郎さんファンに聞いた、時任三郎さんの40代で印象に残っている出来事

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こどもをのびのび育てたいと
ニュージーランドに移住した事です。
仕事をセーブして子どものために移住をするほど
子どもが大好きなんだと思いました。
確かにものすごく優しい顔をされております。(30代女性)

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子育てのためにニュージーランドに移住。演技の仕事を全て差し置いてまで家族のことを第一に優先してくれるなんて良いお父さんすぎるから。(20代女性)

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ドクターコトー診療所での芝居が本当に好きでしたね。すごく自然体な感じで役に没頭していて見ていて本当に作品にのめり込むことができました。(30代男性)

時任三郎の若い頃の髪型はナチュラルな短髪

時任三郎さんの若い頃の髪型といえば、ナチュラルな短髪の髪型を思い出す方も多いのではないでしょうか。

黒髪で、爽やかさと色気を兼ね備えた髪型が、時任三郎さんのかっこよさを際立たせていますね。

時任三郎さんのようなサイドと襟足を短くカットし、全体的にすっきりとした短髪は、動きやすく、清潔感があり、特に営業職の会社員の間で流行していました。

ねこ太郎

企業戦士のイメージが強いよね!

まとめ

まとめ

今回は、時任三郎さんの若い頃の活躍や出来事を、画像とともに振り返りました。

ねこ太郎

年代ごとに印象深い出来事がたくさんあったね!

これからの活動も頑張ってほしいと思います。

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