【画像】寺尾聰の若い頃の写真がイケメン!幼少期や昔の出演ドラマまとめ!

俳優・ミュージシャンとして活躍する寺尾聰さん。

若い頃どんな風貌だったのかや、年代ごとにどんなできごとがあったのか気になるかたも多いと思います。

さっそく、寺尾聰さんの若い頃の写真やできごと、デビューのきっかけを年代順に振り返ってみましょう。

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目次

寺尾聰のデビューのきっかけや時期は?

デビューのきっかけや時期

寺尾聰さんのデビューのきっかけは、1965年にカレッジ・フォーク・グループ「ザ・サベージ」に加入し、ベースを担当したことです。その後、1966年にシングル「いつまでも いつまでも」でレコードデビューを果たしました。この曲は大ヒットし、続く「この手のひらに愛を」も成功を収めました。

ねこ太郎

俳優のイメージが強い寺尾聰さん。音楽が先だったんだね!

寺尾聰の幼少期は?若い頃の活躍やできごとを年代順に振り返り

寺尾聰さんの幼少期のエピソードや、若い頃の活躍やできごとを年代順に振り返っていきます。

幼少期

寺尾聰さんは、1947年に神奈川県横浜市保土ケ谷区に生まれました。父は俳優で劇団民藝の創設者である宇野重吉さん。芸能一家に生まれたことで、幼い頃から演劇や芸術に触れる機会が多くありました。目黒区立第十中学校に進学し、その後は、和光学園や法政大学第二高等学校など、自由な校風の学校に通い、自主性を育む教育を受けました。

芸能一家で育つ一方、寺尾聰さん自身は、幼少期から音楽に興味を持ち、高校時代にはバンド活動を開始しました。これがのちの音楽デビューのきっかけとなったのでしょうね。

ねこ太郎

「親の七光り」と見られることに反発していたそう!

10代

寺尾聰の若い頃の10代の年表

寺尾聰さんが10代の頃の代表的なできごとはこちらです。

  • 1962年(15歳):法政大学第二高等学校に進学
  • 1965年(18歳):バンド「ザ・サベージ」に加入し、ベーシストとして活動を開始
  • 1966年(19歳):シングル「いつまでも いつまでも」でレコードデビュー

1962年、寺尾聰さんが15歳のとき、法政大学第二高等学校に進学します。この頃から音楽に興味を持ち、バンド活動を始めました。

18歳になると、バンド「ザ・サベージ」に加入し、ベーシストとして本格的に音楽活動を開始します。

翌年には、「ザ・サベージ」としてシングル「いつまでも いつまでも」でレコードデビューを果たしました。この曲は大ヒットし、続く2ndシングル「この手のひらに愛を」も成功を収めました。

父・宇野重吉さんの影響で幼少期から芸術に触れていたことが、バンドマンとしてのキャリア形成に繋がったのかもしれません。

ねこ太郎

デビュー曲が大ヒット!才能があったんだね!

寺尾聰さんファンに聞いた、寺尾聰さんの10代で印象に残っている出来事

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カレッジ・フォーク・グループ「ザ・サベージ」に加入したことです。ここからレコードデビューをしていきますし、寺尾さんの音楽活動の原点はここなんだなと印象に残りました。(50代男性)

ネット上の人物

音楽にのめり込みベースをやっていたと言うことを知って驚きましたね。ギターではなくベースというところが寺尾さんぽいですね。(30代男性)

ネット上の人物

寺尾さんは10代の時にバンドでデビューしていて、初めて聞いた時はとても驚きました。デビュー曲がヒットしたと聞いてさすがだと思った。(40代女性)

20代

寺尾聰の若い頃の20代の年表

寺尾聰さんが20代の頃の代表的なできごとはこちらです。

  • 1968年(21歳):石原プロ製作の大作『黒部の太陽』に出演
  • 1972年(25歳):数々の刑事ドラマやアクション作品に出演
  • 1976年(29歳):音楽活動の再開

1968年、21歳のとき、『黒部の太陽』に出演します。この作品は石原裕次郎さんが製作・主演を務めたもので、父・宇野重吉さんの紹介を受けて出演しました。その後、石原軍団に所属し、俳優としての道を歩み始めます。

『黒部の太陽』以降、石原プロモーション所属の俳優として、数々の刑事ドラマやアクション作品に出演しました。

20代後半には、俳優活動と並行して音楽活動も再開し、ミュージシャンとして成功する基盤を築きました。

俳優としてのキャリアを築く中で、自分の道を切り開こうとする姿勢が素晴らしいですね。寺尾聰さんの多才さと、努力や挑戦を忘れない姿勢が、今の寺尾聰さんの基盤となっているのでしょう。

ねこ太郎

サングラス姿が印象的でハードボイルドなイメージだよね!

寺尾聰さんファンに聞いた、寺尾聰さんの20代で印象に残っている出来事

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石原裕次郎製作・主演の映画『黒部の太陽』に出演したことです。この出演がきっかけで石原軍団入りしましたし、俳優デビューもしたので印象に残りました。(50代男性)

ネット上の人物

テレビドラマに出演したという話が印象的ですね。石原裕次郎さんとも関係があったようですごく意外性を感じましたね。(30代男性)

ネット上の人物

20代はバンドを脱退して俳優さんとして作品にたくさん出ていると知って多才な人だなと思った。魅力にあふれている。(40代女性)

30代

寺尾聰の若い頃の30代の年表

寺尾聰さんが30代の頃の代表的なできごとはこちらです。

  • 1979年(32歳):テレビドラマ『西部警察』に出演
  • 1981年(34歳):シングル『ルビーの指標』をリリース
  • 1985年(38歳):黒澤明監督作品・映画『乱』に出演

1979年、32歳のときにテレビドラマ『西部警察』に刑事・平尾一兵(通称リキ)役で出演。サングラス姿がトレードマークとなり、「石原軍団」の一員として強い存在感を発揮しました。

34歳のときにシングル『ルビーの指環』をリリースします。この楽曲は大ヒットし、第23回日本レコード大賞をはじめ、多くの賞を受賞しました。

38歳のときには、黒澤明監督作品の映画『乱』に出演しました。

大人気ドラマ『西部警察』への出演や、『ルビーの指環』でのヒットシングルのリリースなど、俳優業と音楽活動の両方で飛躍し、成功を収めました。俳優業と音楽活動を並行して成功させたその多才さと、時代を超えて愛される作品を生み出したのは、寺尾聰さんの魅力に他ならないでしょう。

ねこ太郎

『ルビーの指標』は今なお、多くの人々に歌い継がれる名作!

寺尾聰さんファンに聞いた、寺尾聰さんの30代で印象に残っている出来事

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西部警察に出演されたことです。当時の西部警察って派手な演出が多く、超人気のあった作品です。そちらへ出演されていたのはすごい!と驚きました。(50代男性)

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火曜サスペンス劇場での芝居がとても印象に残っていますね。やっぱり彼の演技には信念が込められている感じがして最高でした。(30代男性)

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30代はやはり大ヒットしたルビーの指輪の印象が強い。今でもテレビで流れてくるし、たくさんの人が知っている大ヒット曲だと思う。(40代女性)

40代

寺尾聰の若い頃の40代の年表

寺尾聰さんが40代の頃の代表的なできごとはこちらです。

  • 1987年(40歳):宝酒造「松竹梅」のCMに出演
  • 1990年(43歳):黒澤明監督作品・映画『夢』に出演
  • 1995年(48歳):テレビドラマ『星の金貨』に出演

1987年、寺尾聰さんが40歳のとき、宝酒造「松竹梅」のCMに出演し、父・宇野重吉がかつて演じた役を引き継ぎ、息子として父を演じる形で話題となりました。

1990年には映画『夢』、1993年には黒澤明監督の遺作となる映画『まあだだよ』に出演しました。

また、テレビドラマ『星の金貨』にも出演し、映画やテレビドラマで幅広いジャンルに挑戦します。シリアスから感動的な作品まで、さまざまな役柄を演じました。

黒澤明監督作品への出演が続き、日本国内外で俳優としての評価が高まりました。名実ともに日本を代表する名優へとなっていったのですね。

ねこ太郎

幅広い才能に圧倒!

寺尾聰さんファンに聞いた、寺尾聰さんの40代で印象に残っている出来事

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「いい旅・日本」にレポーター役として出演したことです。これまでも寺尾さんはテレビ番組へよく出ていましたけど、レポーター役は初めてみたので印象に残りました。(50代男性)

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タクシードライバー推理日誌での芝居が本当に良かったです。渡瀬さんとのやりとりもすごく良くて本当に見応えがありました。(30代男性)

ネット上の人物

40代は映画にたくさん出ていて、男優賞を何度か受賞している。私は映画館で観たが、声も素敵で印象に残っている。(40代女性)

寺尾聰の若い頃の髪型は短髪

寺尾聰さんの若い頃の髪型といえば、短髪な髪型を思い出す方も多いのではないでしょうか。

軽くセットされたナチュラルなヘアスタイルで、サングラスと合わせたハードボイルドなイメージが印象的ですね。

自然なショートヘアで、サイドはすっきりとカットされており、清潔感と男らしさを感じさせる髪型です。当時『西部警察』に出演したキャラクターの中では、シンプルで真似しやすいスタイルだったのかもしれません。

ねこ太郎

強さや魅力を引き立てる髪型だね!

まとめ

まとめ

今回は、寺尾聰さんの若い頃の活躍や出来事を、画像とともに振り返りました。

ねこ太郎

年代ごとに印象深い出来事がたくさんあったね!

これからの活動も頑張ってほしいと思います。

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