タモリの若い頃は?髪型は七三分けだった!

お笑いタレントや司会として活躍するタモリさん。

若い頃どんな風貌だったのかや、年代ごとにどんなできごとがあったのか気になるかたも多いと思います。

さっそく、タモリさんの若い頃の写真やできごと、デビューのきっかけを年代順に振り返ってみましょう。

目次

タモリのデビューのきっかけや時期は?

デビューのきっかけや時期

タモリさんの芸能界デビューのきっかけですが、ジャズピアニストの山下洋輔さんとの出会いだったそうです。

そしてその山下洋輔さんが漫画家でタレントの赤塚不二夫さんにタモリさんを紹介したとのことです。

赤塚不二夫さんは、タモリさんの芸を見てその才能に惚れ込んだとされています。

ねこ太郎

山下洋輔さんとの出会いが、上京するきっかけになったらしいよ!

タモリの幼少期は?若い頃の活躍やできごとを年代順に振り返り

タモリさんの幼少期のエピソードや、若い頃の活躍やできごとを年代順に振り返っていきます。

幼少期

タモリさん(本名:森田一義)は、1945年8月22日に福岡県福岡市南区で生まれました。中学生の位の学歴程度では理解できないほど、彼の幼少期は非常に特異な家族背景を持っていたそうです。

祖父母は子供に恵まれず、以下のような独特の方法で子供を得ました。祖母の最も年下の弟(タモリの実父)を養子にし、祖父の姪(タモリの実母)を養子にし、そしてこの二人を結婚させ、タモリと姉を授かるという方法だったそうです。

タモリさんの生い立ちをパッと見ただけでは複雑すぎて混乱しますね。また小学3年生の時、下校途中に電柱のワイヤに顔をぶつけ、針金の結び目が右目に突き刺さり失明したというエピソードもあり、大変な幼少期を過ごされたイメージです。

ねこ太郎

こんなに複雑な家庭環境を過ごしてきたなんて思わなかったな~。

10代

タモリさんが10代の頃の代表的なできごとはこちらです。

  • 1960年(15歳):中学3年生で生徒会長を務める
  • 1962年(17歳):『柳生新陰流兵法居合道』の2段を取得
  • 1964年(19歳):早稲田大学第二文学部に入学

1969年15歳の時、タモリさんは中学3年生で生徒会長を務めます。タモリさんが通っていた中学校は福岡市立高宮中学校だそうです。

1962年17歳では、『柳生新陰流兵法居合道』の2段を取得したとことです。この流派は、江戸時代に栄えた剣術の流派で「将軍の剣」とも呼ばれるそうです!

「高校2年生のころ、柳生新陰流兵法居合道の2段を取得。通っていた道場が福岡のローカル局から取材を受け、タモリの練習風景がテレビに映る。

引用元:ITmedia NEWS

1964年19歳の時には、早稲田大学第二文学部に入学します。大学時代のタモリさんは静かでおとなしい方だったとか。

10代の頃からタモリさんは多才な一面を見せ、学業の面でも学校以外の活動でも活躍していますね!おそらくこの頃からの多くの経験が、今後のタモリさんの活躍に繋がっているのだと思います^^

ねこ太郎

タモリさんてとっても優秀な人なんだね!

タモリさんファンに聞いた、タモリさんの10代で印象に残っている出来事

アンケート調査結果
ネット上の人物

高校時代に無線通信士と居合道の資格を取る。学生とは思えない興味関心の広さで、さすがは物知りなタモリさんらしい学生時代だなと思ったから。(20代女性)

ネット上の人物

早稲田大学に入学したということがすごいですね。吉永小百合さんと同じ学校だったという話はかなり有名ですね。(30代男性)

ネット上の人物

アマチュア無線技士の資格を取得し、個人の無線局JA6CSHを開局したことです。かなり本格的な活動ですし、アマチュア無線にハマっていた時期があったんだと驚きました。(50代男性)

20代

タモリさんが20代の頃の代表的なできごとはこちらです。

  • 1965年(20歳):モダンジャズ研究会に所属
  • 〃 年(20歳):早稲田大学を中退
  • 1968年(23歳):サラリーマン生活を送る

1965年20歳の時、タモリさんは早稲田大学で『モダンジャズ研究会』に所属していました。そこではトランペットを演奏していましたが、すぐに辞めて司会を担当することになったそうです。

同年20歳の時、わずか在籍1年で早稲田大学を中退してしまいます。理由は、友人との海外旅行で仕送りを使い果たし、学費を滞納したことによる「除籍」によるものだったそうです。

早稲田大学第二文学部(2014年に廃止)に在籍していましたが、学費滞納で除籍になったという話もあります。ジャズが大好きで、在籍していたモダンジャズ研究会の思い出ばかりだったとも語っていますね。

引用元:All About ニュース

1968年23歳からは、7年間サラリーマンとして生活を送っていたそうです。朝日生命で保険外交員として3年間務め、外交員時代に出会った女性と結婚もされたようです。

20代のタモリさんは、常に新しい環境で活動されていたようですね!早稲田大学も1年で中退した理由も驚きですが、サラリーマンとして働いていた時代もあったということで、今のタモリさんとは想像つきませんね^^

ねこ太郎

大学時代の司会経験が今の活躍に繋がってそうだね~。

タモリさんファンに聞いた、タモリさんの20代で印象に残っている出来事

アンケート調査結果
ネット上の人物

保険会社に就職し、同僚の女性と結婚。タモリさんを見て育ったような世代にとっては彼のいないテレビは考えられないから。(20代女性)

ネット上の人物

ボーリング場の支配人をしていたという話が意外でしたね。芸能界に入ったのは結構遅かったんだとびっくりしました。(30代男性)

ネット上の人物

東京12チャンネルの『空飛ぶモンティ・パイソン』でメディアデビューを果たしたことです。ここから芸能人「タモリさん」さんが本格的に始動を始めたわけですし、印象に残りました。(50代男性)

30代

タモリさんが30代の頃の代表的なできごとはこちらです。

  • 1975年(30歳):赤塚不二夫の番組に出演し、芸能界デビュー
  • 1981年(36歳):第10回『ベストドレッサー賞』受賞
  • 1982年(37歳):『笑っていいとも!』がスタート

1975年30歳で、赤塚不二夫の番組に出演し、芸能界デビューを果たします。30歳でデビューしたため、ビートたけしさん、笑福亭鶴瓶さん、明石家さんまさんなど、年下の芸人が先輩となる珍しい立場となります。

1981年36歳では、第10回『ベストドレッサー賞』をスポーツ・芸能部門で受賞をします。この頃から、タモリさんの独特なスタイルとファッションセンスが伺えますね!

1982年37歳の時に、『笑っていいとも!』がスタートします。この番組は、日本の昼のバラエティ番組で、タモリが総合司会を務めました。また、2014年までの32年間、日本の長寿番組として多くの視聴者に愛されました。

30代では数々の場面で活躍されたきましたね!特に、『笑っていいとも!』は平日のお昼に毎日放送していた番組ですから、日本のお昼にはなくてはならない番組だったと思います!

ねこ太郎

タモリさんにしかない雰囲気の司会がすごく心地いよね!

タモリさんファンに聞いた、タモリさんの30代で印象に残っている出来事

アンケート調査結果
ネット上の人物

「笑っていいとも!」の放送がスタート。物心ついた頃からずっとそばにあった大変馴染みの深い番組だから。(20代女性)

ネット上の人物

笑っていいともでの司会ぶりが本当に素晴らしいです。やっぱり今でもお昼はいいとも以外は考えられませんね。(30代男性)

ネット上の人物

バラエティー番組「笑っていいとも!」に出演されたことです。これがタモリさんを超メジャーへと押し上げた番組でもありますし、印象に残っています。(50代男性)

40代

タモリさんが40代の頃の代表的なできごとはこちらです。

  • 1986年(41歳):『ミュージックステーション』がスタート
  • 〃 年(41歳):『流行語大賞』を受賞
  • 1990年(45歳):『世にも奇妙な物語』が放送開始

1986年41歳では『ミュージックステーション』がスタートし、司会を務めます。この番組は、毎週金曜日の夜に生放送され、最新の音楽をリアルタイムでアーティストのパフォーマンスを楽しむことができる点が魅力です。

同年41歳の時、タモリさんは『流行語大賞』を受賞されいています。受賞した流行語は「ユンケルンバ ガンバルンバ」で、栄養剤「ユンケル黄帝液」のテレビCMでタモリさんが発するセリフだそうです。

森田 一義 さん(タレント)

栄養剤「ユンケル黄帝液」のテレビCMで森田(タモリ)が発するセリフ。言葉自体を取り上げると、さほどおもしろくはないのだが、タモリの個性と表現能力が加わると独特の味がある。言葉と人間が合わさって一つの世界を築いている。

引用元:ユーキャン 新語・流行語大賞

1990年45歳では、『世にも奇妙な物語』の放送が開始られます。この番組は、日本のオムニバス形式のテレビドラマで、タモリさんがストーリーテラーを務めています。日常生活に潜む奇妙な出来事をテーマにした短編ストーリーが特徴です。

40代では、自分の番組が視聴者に定着をして、どの番組も印象に強く残るものばかりですね!その視聴者の定着度的なものは番組の継続期間の長さでも物語っています。多くの中高年の方々は、タモリさんの番組とともに時代を過ごしてきたと言っても良いかもしれません^^

タモリさんファンに聞いた、タモリさんの40代で印象に残っている出来事

アンケート調査結果
ネット上の人物

「ミュージックステーション」の2代目MCに抜擢。関口さんから司会が引き継がれた事実を初めて知ったから。(20代女性)

ネット上の人物

タモリ倶楽部での自由な姿がとてもいいですね。ゆるい空気感でいろんなトークを展開しているのがすごく面白かったです。(30代男性)

ネット上の人物

『ミュージックステーション』の総合司会に就任したことです。「笑っていいとも!」のタモリさんの印象が強かっただけでに、音楽番組のとりまとめも出来る人なんだと驚きました。(50代男性)

タモリの若い頃の髪型は七三分けだった!

タモリさんの髪型といえば、サングラスにオールバックな髪型を思い出す方も多いのではないでしょうか。
ですが、タモリさんの若い時の髪型はオールバックではなく、ボリュームのある七三分けだったのです!

ずっとオールバックにしているイメージでしたが、若い時は七三分けの髪型だった時もあったのですね!印象がずいぶん違います^^

タモリさんは、独特のファッションやキャラクター確立されていた方なので、流行の髪型を意識していた感じではなさそうですね。七三分けヘアからお早い段階でのオールバックヘアになっているようです^^

ねこ太郎

やっぱりタモリさんはピシッとしたオールバックヘアだよ~。

まとめ

まとめ

今回は、タモリさんの若い頃の活躍や出来事を、画像とともに振り返りました。

ねこ太郎

年代ごとに印象深い出来事がたくさんあったね!

これからの活動も頑張ってほしいと思います。

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