軍事評論家として活躍する田母神俊雄さん。
若い頃どんな風貌だったのかや、年代ごとにどんなできごとがあったのか気になるかたも多いと思います。
さっそく、田母神俊雄さんの若い頃の写真やできごと、デビューのきっかけを年代順に振り返ってみましょう。
田母神俊雄さんのデビューのきっかけや時期は?
田母神俊雄さんのデビューのきっかけは、2008年に開催されたAPAホテル主催の懸賞論文『真の近現代史観』で大賞を受賞したことです。
この論文では、日本の歴史に対する独自の見解を示し、特に日中戦争についての主張が注目されました。
田母神俊雄さんはこの受賞を契機に、保守系メディアや政治団体との関係を深め、2014年には東京都知事選に立候補することになります。
経歴が気になりますね!
田母神俊雄さんの幼少期は?若い頃の活躍やできごとを年代順に振り返り
田母神俊雄さんの幼少期のエピソードや、若い頃の活躍やできごとを年代順に振り返っていきます。
幼少期
田母神俊雄さんは1948年7月22日、福島県郡山市田村町の農村で生まれました。
【事務局】本日もデヴィ夫人参戦です!『田母神としおの故郷は福島県です。被災地を故郷に持つ人間として今も胸の痛みを感じています。同じ悲しみ苦しみを日本国民に経験させたくないのです!』#比例は次世代 #選挙に行こう #田母神 #たもがみ pic.twitter.com/McUuHPw3pJ
— 田母神俊雄 (@toshio_tamogami) December 11, 2014
田母神俊雄氏は福島県郡山市田村町田母神(現存する同県田村市とは別)の出身。そこには田母神簡易郵便局があります。受託者は関係ない方だそうですが、ご実家は近くにあるんだそう。2014/12撮影 pic.twitter.com/aiL5aig3pC
— ちゃあ (@chamitter) April 14, 2016
幼少期は農業に従事する家庭で育ち、地元の中学校を経て福島県立安積高等学校に進学しました。
田母神俊雄さんの学業は優秀で、1967年に高校を卒業後、防衛大学校に入校しています!
優秀な学業成績と努力で自衛隊のキャリアを切り開いた姿には、学ぶべき点があると感じます。
学生に頃から優秀だったのですね!
10代
田母神俊雄さんが10代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1960年〜1963年(12歳〜15歳):地元の中学校で学び、優秀な成績を収める
- 1963年(15歳): 福島県立安積高等学校に進学
- 1967年(19歳):防衛大学校に入校
中学時代や高校時代については詳しい情報がありませんが、この経験が田母神俊雄さんのその後のキャリアに影響を与えたと考えられます。
また、防衛大学校で電気工学を専攻していることから、理系科目に興味を持っていたかもしれませんね。
福島県の生まれの【田母神俊雄】プロフィール
— 大橋清隆の政策工房:南会津・奥会津の真相情報地域紙 2024 (@aizunokumasan) July 5, 2024
昭和23(1948)年、福島県生まれ。防衛大学校卒業後、航空自衛隊入隊。
平成19(2007)年、第29代航空幕僚長に就任。
平成20年、懸賞論文の内容が政府見解と異なるとして職を解かれ、同年11月に退官。
現在は、危機管理の専門家。 pic.twitter.com/kD0ToL59TW
学業に励む一方で、落語が好きで東京・渋谷の東急文化寄席に通っていたことが知られています!
学業だけでなく、落語が好きで寄席に通っていたという一面からは、文化や芸術への親しみを持つ人間的な魅力も感じられますね。
どの落語が好きだったのか気になります!
田母神俊雄さんファンに聞いた、田母神俊雄さんの10代で印象に残っている出来事
防衛大学に入学したという部分が印象的です。国のために何かしようという気持ちがこの頃から芽生えていたのでしょうね。(30代男性)
福島県立安積高等学校を卒業する。福島県の出身であることはまったく知らなかったので、意外であると思った。(40代男性)
防衛大学校に入校したことです。防衛大学といえば偏差値が凄く高いですし、それに合格できるだけの頭脳があるんだと驚きました。(50代男性)
20代
田母神俊雄さんが20代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1971年(23歳):防衛大学校を卒業、航空自衛隊に入隊
- 1974年〜1975年(26歳〜27歳):第6航空団に配属され、戦闘機パイロットとして活躍
- 1970年代中盤(20代中盤頃):自衛隊の一環として、外国軍との交流や共同演習に参加
田母神俊雄さんは本来パイロットになりたかったものの、適性検査に合格しなかったため、地対空ミサイルの運用幹部を選択したみたいですね。
また、1974年〜1975年には第6航空団に配属され、1977年に1等空尉へと昇進しています!
これらの昇進は、田母神俊雄さんの職務における能力や成果が評価された結果と考えられます。
さらに、他国の軍隊との共同訓練や演習を通じて、異なる軍事文化や戦術を学び、相互理解を深める機会を得ていたそうです。
他国との相互理解を深めた経験は、自衛隊の発展にも寄与したのではないかと考えます。
元航空幕僚長の田母神俊雄氏の講演会が宇都宮で12月22日開催されます。田母神氏の国への想いをぜひ聞きに来てください。参加希望者は03-3275-8922(鈴木)まで。#田母神 #自衛隊 #国のかたち #正論 #産経新聞 pic.twitter.com/Tqs4uNCVMY
— チャンネル正論 @CHANNEL SEIRON (@l2biPLzStXchB33) November 28, 2024
努力の積み重ねが大事ということですね!
田母神俊雄さんファンに聞いた、田母神俊雄さんの20代で印象に残っている出来事
航空自衛隊に入隊したという姿が印象的ですね。なかなか第一歩を踏み出すのが大変だと思うのに行動に移すのは本当にすごいことです。(30代男性)
1971年に防衛大学校を卒業する。防衛大学校の学生であったころはどのような雰囲気だったのか、当時の写真を見てみたい。(40代男性)
航空自衛隊幹部候補生学校入校へ入校したことです。ここから航空自衛隊の幹部としてあゆむ道がスタートしたわけですし、印象に残りました。(50代男性)
30代
田母神俊雄さんが30代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1978年〜1983年(30代前半頃):地対空ミサイルの運用幹部としてアメリカでの訓練に参加
- 1980年代(30代頃):航空幕僚監部防衛課などで重要な役職を歴任
- 1980年代(30代頃): 地対空ミサイルの運用幹部として活動し、防衛政策に関する実務経験を積む
アメリカの訓練では、ナイキミサイルシステムの実射訓練を行い、アメリカの軍事技術や戦術を学ぶ機会を得ています。
これにより、田母神俊雄さんは国際的な視野を広げ、自衛隊内での地対空ミサイル運用に関する専門知識を深めることができたそうです!
また、航空幕僚監部は、防衛省の特別機関として、航空自衛隊の防衛および警備に関する計画の立案を担当しています。
この期間、田母神俊雄さんは航空自衛隊の重要な役割を果たし、特に地対空ミサイルシステムの運用に関する専門知識をさらに深めています。
30代での活動は、将来のさらなる活躍の基盤を築いた非常に重要な時期だったのではないでしょうか。
田母神俊雄
— 不動産賃貸のカワダ@投資+経済調査用 川田倫也 新潟市 (@kawachan2022kps) June 29, 2024
・航空自衛隊出身 地対空ミサイル部隊
・航空幕僚長 2007.3.28 - 2008.10.31
・戦争は来るんだったら来いという気持ちでいないと来る
・1日2回は那覇基地 対中国スクランブル🧐
・尖閣、中国は現状戦ってとってくる気はなさそう
・台湾有事=日本有事 準備に半年かかる
動けばわかる pic.twitter.com/ia6jAvODnW
30代での昇進と活躍がすごいですね!
田母神俊雄さんファンに聞いた、田母神俊雄さんの30代で印象に残っている出来事
30代後半で2等空佐になった姿にとても感銘を受けましたね。着実にステップアップしている感があり本当に優秀ですね。(30代男性)
30代の頃は航空自衛隊員としてずっと働く。本当は航空機のパイロットになりたかったらしいが、なることができなかったので残念だったと思う。(40代男性)
2等空佐に昇任したことです。田母神さんは着々と航空自衛隊の幹部として出世コースを進んでいるんだなと感心しました。(50代男性)
40代
田母神俊雄さんが40代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1991年(43歳):航空幕僚監部防衛課に勤務し、防衛政策に関与
- 1993年(45歳):第3航空団基地業務群司令に就任し、部隊運営を担当
- 1995年(47歳):航空幕僚監部厚生課長に就任し、厚生関連業務を管理
1991年では航空幕僚監部防衛課に勤務し、防衛政策の立案や調整に関与しています。
この役職では、航空自衛隊の防衛計画の策定や政策の実行をサポートし、組織内での戦略的な判断に貢献しました。
田母神俊雄さんの役割は、防衛省内での政策形成プロセスにおいて重要な位置を占めていたそうです!
また、1993年には第3航空団基地業務群司令に就任しています。
この役職では、基地の運営管理を担当し、部隊の効率的な運用を確保するための指揮を執りました。
田母神俊雄さんは基地内の様々な業務を統括し、組織運営能力を高める経験を積んでいます。
さらに、1995年に航空幕僚監部厚生課長に就任し、自衛隊員の福利厚生や生活環境の改善に取り組みました。
この時期には、自衛隊内部での人間関係やネットワークを構築する機会も多く、田母神俊雄さん自身が後に影響力を持つ「保守人脈」を築くきっかけともなっています!
田母神俊雄さんの柔軟な適応力と幅広い視野が、航空自衛隊の発展に寄与したと強く感じます。
田母神俊雄氏は、元航空自衛隊の幕僚長であり、政治活動家としても知られています。
— カミーユ ディアラン(ΦωΦ)Uo・ェ・oU🦜 (@Camille_Dyalan) May 30, 2024
彼は日本会議のメンバーとして活動しており、保守的な立場から多くの発言をしています¹²。
日本会議は、日本の伝統的な価値観や文化を重んじる国家主義的な立場を取る団体として知られています。… pic.twitter.com/nYjQGw89Oo
自衛隊での貢献度がすごいですね!
田母神俊雄さんファンに聞いた、田母神俊雄さんの40代で印象に残っている出来事
1996年に空将補昇任にまでなったというのが本当にすごいと実感させられましたね。やっぱり優秀な人材は上に立つべき存在です。(30代男性)
航空幕僚監部人事教育部の厚生課長になる。この仕事をしている時にマスコミの関係者と知り合いになったことは興味深い。(40代男性)
第6航空団司令兼小松基地司令に就任されたことです。基地司令といえばその基地内のトップですし、ここまで出世したのかと驚きました。(50代男性)
田母神俊雄さんの若い頃の髪型は短髪
田母神俊雄さんの若い頃の髪型といえば、短髪の髪型を思い出す方も多いのではないでしょうか。
石原慎太郎の紹介で笑っていいともに
— サキガケ (@nihonpatriot) June 18, 2024
出演した田母神さん
10年前、都知事選で石原慎太郎に
応援された田母神さん
石原イズムを引き継いでいるのは
田母神俊雄さん、同感の方はいいね押して! pic.twitter.com/tE1XxEIacv
田母神俊雄さんの若い頃の髪型に関する具体的な情報は見つかりませんでしたが、一般的に短髪で整ったスタイルをしていたとされています。
特に自衛官としてのキャリアを通じて、規律ある髪型が求められるため、清潔感のある短髪が特徴的だったと考えられます。
田母神俊雄さんが20代頃に流行っていた髪型はウルフカットやパンチパーマスタイルなどです!
ウルフカットは沢田研二さんなどの著名な芸能人がこの髪型を取り入れたことで、特に男性の間で人気がありました。
また、清水健太郎さんによるパンチパーマスタイルも流行していたそうです!
このスタイルは、オールバックではなく短髪を前に流す形で、多くの散髪屋雑誌に掲載されるほど人気だったみたいですね。
短髪姿がカッコイイですね!
まとめ
今回は、田母神俊雄さんの若い頃の活躍や出来事を、画像とともに振り返りました。
年代ごとに印象深い出来事がたくさんあったね!
これからの活動も頑張ってほしいと思います。