【画像】玉置浩二の若い頃は?昔の髪型はマレットヘアだった!

シンガーソングライターとして活躍する玉置浩二さん。

若い頃どんな風貌だったのかや、年代ごとにどんなできごとがあったのか気になるかたも多いと思います。

さっそく、玉置浩二さんの若い頃の写真やできごと、デビューのきっかけを年代順に振り返ってみましょう。

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目次

玉置浩二のデビューのきっかけや時期は?

デビューのきっかけや時期

玉置浩二さんのデビューのきっかけですが、彼が中心となって活動していた『安全地帯』というバンド活動によるものです。

このバンドは、北海道の地元メンバーとの音楽活動の延長で1973年に結成されたということです。

後の1981年、井上陽水さんのツアーでのバックバンド活動がきっかけとなり、音楽業界で注目を集めたそうです。

ねこ太郎

井上陽水さんのバックバンドをしていたんだね!

玉置浩二の幼少期は?若い頃の活躍やできごとを年代順に振り返り

玉置浩二さんの幼少期のエピソードや、若い頃の活躍やできごとを年代順に振り返っていきます。

幼少期

玉置浩二さんは、1958年9月13日に北海道旭川市で生まれました。

玉置さんの祖母が民謡教室で講師を務めていたことから、幼い頃から音楽に触れる機会に恵まれていたそうです。2歳の頃から民謡を歌うなど、幼少期から歌との関わりが深かった環境がありました。

2歳の頃から音楽に触れる環境を用意することは、なかなかできないことだと思います。玉置浩二さんの音楽センスは、そういった幼少期からの経験がとても影響していそうですね。

ねこ太郎

小さなころから民謡を歌うなんてすごい!

10代

玉置浩二の若い頃の10代の年表

玉置浩二さんが10代の頃の代表的なできごとはこちらです。

  • 1973年(14歳):バンド『インベーダー』を結成
  • 1974年(16歳):北海道旭川農業高等学校に入学
  • 1975年(17歳):音楽活動に専念する生活を送る

1973年の中学2年生の時、友人たちとフォークグループとして、バンド『インベーダー』結成し音楽活動を開始します。地元のライブハウスやイベントなどで演奏し、その後ロックバンドとして『安全地帯』へ名称を変更します。

さらに安全地帯の始まりまで遡ると、中学2年生。玉置さんとギターの武沢侑昂さんがバンド「インベーダー」を結成、その後名前を「安全地帯」に変え、オリジナル楽曲を作り、ポプコン(ヤマハポピュラーソングコンテスト)にも積極的に出場したという。

引用元:女性セブンプラス

1974年4月、北海道旭川農業高等学校に入学しましたが、程なくして退学してしまったようです。

1975年17歳の時、玉置浩二さんは安全地帯のメンバーとともに旭川市郊外の永山の農機具小屋で「合宿生活」を続けていました。この生活は約4年間続き、メンバーと寝食を共にしながら、音楽活動に打ち込んでいたそうです。

そんな玉置の〈原点〉は1970年代、安全地帯を結成した自然豊かな故郷・北海道旭川市にあった。農機具小屋を改修し、合宿生活を送りながら音楽を奏でた青春時代には、病やケガなどに見舞われ、メンバーチェンジを重ねながらもがいた日々がある。

引用元:Mikiki

高校をすぐに中退して、農機具小屋で音楽活動を中心とした生活を送っていたとは非常におどろきました。複数のメンバーもいたことで方向性の判断など、若くしてすごい行動力です。

ねこ太郎

音楽に対する情熱が溢れているね!

玉置浩二さんファンに聞いた、玉置浩二さんの10代で印象に残っている出来事

アンケート調査結果
ネット上の人物

中学時代野球部に所属していたことを聞いて合点が行きました。コーチというドラマはそれがきっかけだったのでしょうね。(30代男性)

ネット上の人物

玉置浩二さんの10代の頃の出来事で印象的なことといえば、中学2年生のころからすでにバンド活動をされていたということです。すでに活動されていたのには驚きました。(40代女性)

ネット上の人物

中学校時代に生徒会長を務めたことです。この頃から人を惹きつけるカリスマとぐいぐい引っ張っていくリーダーシップを持っていたんだなって感じました。(代50男性)

20代

玉置浩二の若い頃の20代の年表

玉置浩二さんが20代の頃の代表的なできごとはこちらです。

  • 1982年(25歳):バンド『安全地帯』がメジャーデビュー
  • 1983年(26歳):シングル曲『ワインレッドの心』が大ヒット
  • 1987年(29歳):シングル曲『All Do』でソロデビュー

1982年25歳の時、バンド『安全地帯』が「萠黄色のスナップ」でメジャーデビューを果たします。井上陽水さんのバックバンドを担当しており、井上陽水さんの目に留まったこともきっかけになったそうです。

1983年26歳の時には、『ワインレッドの心』をリリースし大ヒットとなりました。この曲は、ドラマ「瑠璃色の地球」の主題歌に起用されたそうです。

1987年29歳の時、玉置浩二さんはシングル曲『All Do』でソロデビューを果たします。この曲はバラード調の曲で、ソロ活動のスタートに非常にふさわしい曲だったそうです。

バンド『安全地帯』としてグループでも大活躍だった玉置浩二さんでしたが、ソロ活動でも魅力的な楽曲を生み出していて素晴らしいですね。

ねこ太郎

20代の玉置浩二さん、実は一般の女性と結婚していたらしいんだ!

玉置浩二さんファンに聞いた、玉置浩二さんの20代で印象に残っている出来事

アンケート調査結果
ネット上の人物

井上陽水さんのバックバンドとして活躍し出したのがすごいですね。昔から歌詞力があったのは間違いないと思いますね。(30代男性)

ネット上の人物

玉置浩二さんの20代の頃の出来事で印象的といえば、すでにご結婚をされていたということです。青田さんのイメージが強かったので驚きました。(40代女性)

ネット上の人物

一般女性と結婚としたことです。芸能人なら相手も女性芸能人と結婚するのかと思っていたので、玉置さんは一般女性を選んだんだと印象に残りました。(50代男性)

30代

玉置浩二の若い頃の30代の年表

玉置浩二さんが30代の頃の代表的なできごとはこちらです。

  • 1988年(30歳):バンド『安全地帯』が活動を休止
  • 1991年(33歳):女優の薬師丸ひろ子さんと再婚
  • 1996年(38歳):ソロシングル『田園』が大ヒット

1988年30歳の時、玉置浩二さんの宣言により『安全地帯』は活動を休止することになります。その背景として、音楽性の変化や玉置浩二さんの心情的要因などがあるようですが、はっきりとした理由の情報はありません。

1988年秋、香港コロシアムでのコンサートを最後に突然活動休止を宣言。

引用元:Sony Music

1991年33歳の時に、女優の薬師丸ひろ子さんと再婚します。1991年1月にハワイのマウイ島で式を挙げしました。当時、お二人とも人気絶頂だったため、大物カップルの誕生として大変話題になりました。

1996年38歳の時、ソロシングル『田園』がリリースされ大ヒットします。この楽曲の歌詞の中には、玉置浩二さんが『安全地帯』の休止後に精神的に不安定だった時の心情が込められているということです。

アーティストとしてもプライベートでも、様々な変化があった時期のようですね。多くの楽曲が大ヒットした背景には、私たちが想像もできないような苦労もあったことと思います。

ねこ太郎

音楽に対して情熱があるからこそ、大変なこともたくさんあるんだね。

玉置浩二さんファンに聞いた、玉置浩二さんの30代で印象に残っている出来事

アンケート調査結果
ネット上の人物

田園という曲が大好きでした。本当にメロディラインが素晴らしくてカラオケで絶対に歌いたい一曲ですね。本当に歌っていると気持ちいいです。(30代男性)

ネット上の人物

玉置浩二さんの30代の頃の出来事で印象的なことといえば、俳優業としても活動されていたということです。大河ドラマに出演されていたと記憶しています。(40代女性)

ネット上の人物

薬師丸ひろ子と再婚したことです。薬師丸ひろ子さんも女性芸能人としては超有名人ですけど、玉置さんクラスになると薬師丸さんと結婚出来るもんなんだなって感じました。(50代男性)

40代

玉置浩二の若い頃の40代の年表

玉置浩二さんが40代の頃の代表的なできごとはこちらです。

  • 1998年(40歳):ソロアルバム『ルーキー』をリリース
  • 2002年(44歳):バンド『安全地帯』が活動再開
  • 2005年(47歳):ドラマ『あいのうた』に出演

1998年40歳の時、ソロアルバム『ルーキー』をリリースします。当時は『安全地帯』が活動休止だったため、ソロとしての活動を模索し、そして挑戦していこうという玉置浩二さんの意気込みを感じられる作品となっているようです。

2002年44歳の時、バンド『安全地帯』が約9年ぶりに活動を再開します。同年7月10日に24thシングル『出逢い』をリリースし、活動再開を正式に発表しました。シングル発売前日の7月9日には、メンバーが全員揃った形で記者会見が行われたそうです。

2005年47歳の時、ドラマ『あいのうた』に出演しています。玉置浩二さんの役柄はヒロインの菅野美穂さんを支える心優しい中年警官を演じているそうです。主題歌「プレセント」も玉置浩二さんが提供しており、ドラマの良さを引き立てています。

バンド『安全地帯』の活動開始も大きな動きとなったようですが、音楽活動だけにとどまらず俳優としても活躍されていて素晴らしいですね!ドラマで役を演じている玉置浩二さんがとても新鮮に感じます。

ねこ太郎

歌っている時と役を演じている時…どちらも魅力的だ~。

玉置浩二さんファンに聞いた、玉置浩二さんの40代で印象に残っている出来事

アンケート調査結果
ネット上の人物

古畑任三郎での演技が最高でした。ちょっとシュールな感じに演技していてコメディ作品としては最高の作品でしたね。(30代男性)

ネット上の人物

玉置浩二さんの40代の頃の出来事で最も印象的なことは安全地帯をされていたということです。また結成されるのであれば見てみたいと思いました。(40代女性)

ネット上の人物

キーボーディストの安藤さと子と再婚したことです。これまで結婚はされていますけど離婚しています。でも結婚はしたいものなんだなって驚きました。恋多き人って感じで驚きです。(50代男性)

玉置浩二の若い頃の髪型はマレットヘア

玉置浩二さんの若い頃の髪型といえば、トップやサイドの髪型を短くし襟足だけを長く伸ばした「マレットヘア」を思い出す方も多いのではないでしょうか。

このマレットヘアに肩パットが入ったスーツを着こなして、歌を歌う姿が印象に強く残っています。玉置浩二さんの男の色気がいい感じに出ているスタイルだと思います!

この髪型は、1970年代にアメリカを中心に流行した髪型で、1980年代に全盛期を迎えたヘアスタイルだそうです。玉置浩二さんも当時の流行の髪型にアンテナを張っていたことが伺えますね。

ねこ太郎

今も昔もおしゃれでかっこいいね!

まとめ

まとめ

今回は、玉置浩二さんの若い頃の活躍や出来事を、画像とともに振り返りました。

ねこ太郎

年代ごとに印象深い出来事がたくさんあったね!

これからの活動も頑張ってほしいと思います。

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