俳優として活躍する竹内力さん。
若い頃どんな風貌だったのかや、年代ごとにどんなできごとがあったのか気になるかたも多いと思います。
さっそく、竹内力さんの若い頃の写真やできごと、デビューのきっかけを年代順に振り返ってみましょう。

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竹内力のデビューのきっかけや時期は?

高校卒業後に銀行員として働いていたようですが、2年半勤めて退職します。先輩の影響で上京し、ライブハウスでアルバイトをしていたところスカウトされたようです。
営業成績トップに上り詰めたものの、何かが物足りない。2年2カ月で退職した。
そこで出合ったのが芸能界だ。六本木のライブハウスでアルバイトをしていたところをスカウトされ、1986年に俳優デビュー。「引用元:スポニチ」
22歳の時に映画「彼のオートバイ、彼女の島」で主演を務め俳優デビューをしました。演技はやったことがなかったため、監督自身が芝居をしてくれるのを真似して演じたとのことです。
映画監督の大林宣彦さんがお亡くなりになりました。作品では尾道三部作が有名ですが、あのミナミの帝王の萬田役、竹内力さんのデビュー作「彼のオートバイ、彼女の島」のメガホンを取ったことでも有名ですね。随所にバイクが登場するこの映画、今見ても素敵です♪監督のご冥福をお祈り致します。 pic.twitter.com/9kQ1Ti6lr8
— モトオークレンタルバイク (@OfpjZ) April 11, 2020
映画「彼のオートバイ、彼女の島」と同時に公開された併映作品の映画「キャバレー」にも出演しています。竹内力さんは2作同時の映画デビューでした。

デビュー作でいきなり主演だったんだね!
竹内力の幼少期は?若い頃の活躍やできごとを年代順に振り返り

竹内力さんの幼少期のエピソードや、若い頃の活躍やできごとを年代順に振り返っていきます。
幼少期
幼い頃から正義感が強い子だったようです。いじめっ子がいたら成敗するタイプだったと語っています。幼馴染がいじめられて泣いて帰ってきた際にはプラスチックのバットを持ってかたき討ちしようとしたとのことです。
幼少期も、幼馴染が近所の子どもにいじめられて泣いて帰ってきたときに、かたき討ちをしようとプラスチックのバットを持って飛び出していったことがあったんだ。親父が俺を必死に止めにかかったよ。そういうのって性格だよね、もう(笑)。
「引用元:U-WATCH」
小さいときにバットを持って飛び出していったなんて正義感がとても強かったのですね。

運動神経が非常に良くて学年で1位だったんだって!
10代

竹内力さんが10代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1980年(16歳):高校へバイクで通学する
- 1982年(18歳):務めていた銀行にて定期預金の契約件数全国1位になる
- 1982年(18歳):銀行でもリーゼントのまま過ごす
高校時代はバイクで通学していたようです。バイクでの通学は禁止だったため、草むらなどに隠していたとのことでした。たまにバレてしまい怒られていたようです。
高校時代はリーゼント決めてバイクに乗って(笑)。単車での通学は禁止だったから草むらに隠して通学するんだけど、たまにバレて怒られて。
「引用元:U-WATCH」
大分県佐伯市出身の竹内力さんは高校の先生の勧めで三和銀行(現・三菱UFJ銀行)に就職し大阪の淡路支店配属されたようです。そこで定期預金の契約件数全国1位だったとのことでした。
定期預金の契約件数は全国1位だった。でも、優秀じゃない。『へい、いらっしゃい』という八百屋さんの営業パターンで、呼び込みをかけるだけ。定期預金に預けたら、何%金利がつくのかは、覚えていない。難しいところは先輩にお願いしていた。
「引用元:ENCOUNT」
高校時代からリーゼントヘアだった竹内力さんですが、銀行でもリーゼントのままだったようです。退職する最後までリーゼントだったとのことでした。
竹内は高校時代の先生の口利きで入行したが、リーゼントヘアのまま窓口で働いていたという。「リーゼントはしばらくしたら(文句を)言われなくなりましたね。“いらっしゃいませ”も“へい、らっしゃいませ”って言ってました」
「引用元:デイリースポーツ」
銀行時代に髪型のことを言われる度に「俺、辞めますから」といっていたようですが、成績が良かったから辞めさせてくれなかったようです。

円満退社のようで、送別会は17回も行われたんだって!
竹内力さんファンに聞いた、竹内力さんの10代で印象に残っている出来事


高校卒業後に銀行員だった事が印象に残りました。俳優業で名のある方でしたので、銀行員だった事が意外で驚きました。(30代男性)

俳優になる前は銀行員として勤務。銀行員というお堅い職業はその風貌とはかなり掛け離れたもので意外でした。(30代男性)

10代の頃に銀行員として働いていたということを知り驚愕しました。そんなに優秀だったんだという驚きがあって、それでもリーゼントで仕事をしていたということを知り竹内さんっぽいなと思いました。(20代女性)
20代

竹内力さんが20代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1984年(20歳):銀行を退職し上京する
- 1986年(22歳):映画「彼のオートバイ、彼女の島」にて主演を務める
- 1992年(28歳):「難波金融伝・ミナミの帝王」シリーズにて主演を務める
高校時代の先輩の影響で東京見物をしようとバイクで上京し、一時的に滞在するつもりがそのまま東京に残ることを決め、ライブハウスでアルバイトを始めたとのことです。
バイクで大分から上京してきた経験があったため、オーディションのとき大林亘彦監督が「これは君のための役だ。ぴったりだ。君の話をきいていると」と言ったようです。
「そうそう。それは覚えている。オーディションのときに、(大林亘彦)監督が『これは君のための役だ。ぴったりだ。君の話をきいていると』って。俺もぴったりだなあと思いましたけどね」
「引用元:テレ朝POST」
「難波金融伝 ミナミの帝王」は1992年~2007年まで15年間、64作品が制作され大ヒットシリーズとなりました。主人公、萬田銀次郎の役作りについては竹内力さん自身でキャラクターを作ったとのことです。
萩庭貞明監督『難波金融伝ミナミの帝王 トイチの萬田銀次郎』観た
— kawata (@MugenShinsi) June 13, 2022
竹内力と言えば(特に関西人)の大長寿シリーズ1作目。全部ここから始まった
柳沢慎吾のチンピラが萬田に弟子入り。工場社長から取り立てようとするが、別の金融業者を敵に回す
この頃は萬田も若いっす。シリーズ基本の形がもう出来てる pic.twitter.com/Qwt2OENGbN
元銀行員だった竹内力さんが「ミナミの帝王」で金融屋を演じることになったのですね。竹内力さんが演じるからこそ多くのファンを魅了してきたのだと感じました。

段々と漫画のキャラクターが竹内力さんの演じるキャラクターに似てきたんだって!
竹内力さんファンに聞いた、竹内力さんの20代で印象に残っている出来事


映画"難波金融伝・ミナミの帝王"の出演が印象に残りました。
銀行員だった竹内力さんが金融屋の役で、映画に出演するのは面白いなとおもいました。(30代男性)

ミナミの帝王への出演。やっぱり竹内力さんを語る上でこの作品は欠かせないですし、私もこの作品で竹内力さんの存在を知ったから。(30代男性)

映画版のヤワラに出演していた姿が印象的です。アニメも映画も大好きなのですが風祭役という結構なメインキャラを演じていてすごく胸がときめきましたね。(20代女性)
30代

竹内力さんが30代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1995年(31歳):Vシネマの撮影中に首の骨を折り手術をする
- 1997年(33歳):映像制作会社「RIKIプロジェクト」を設立する
- 1998年(34歳):7LLLDKの間取りの豪邸を購入する
12~13メートル上から飛び降りるシーンの撮影中に頭からマットへ落ちたとのことです。その日以降も仕事を続けますが、1か月後に体の痺れから手が使えなくなり病院に行くと、首の骨を折る重傷と診断され即入院し手術を行ったとのことでした。
体の痺れはずっと感じていたんだけど、ついに箸も持てなくなるし、ズボンも自力では穿けなくなったんで、さすがに病院に行ったんだよね。そしたら、首の骨が折れてた!
「引用元:週刊実話」
芸能界は甘くない世界のため、自分の仕事は自分で生み出していこうと独立を決めたとのことです。独立後は個性を生かせる作品や役柄にこだわり仕事を選んできたようです。
「芸能界というのは甘くない世界ですから、自分の仕事は自分で生み出していこうと30代前半で(独立を)決心しました。俳優には、向いている人と向いていない人がいて、俺はどちらかと言えば向いていないと思ったし、でもモノを作ることは子どもの頃から得意だった。
「引用元:ORICON」
元大使館の建物を改築したもののようで、3階建てでトイレが5つ、お風呂が5つあったようです。購入費用と改築費用で合計役12億かけたと言われています。
地上3階、総床面積414平米、トイレが5つもある7LLLDKという大豪邸。土地建物の購入費用のほか改装費を含めて12億円ものカネがつぎ込まれるなど、本人のキャラクター通りの豪快さだ。
「引用元:日刊ゲンダイ」
34歳で大豪邸を購入するなんて大成功した証だと思いました。25年間住んでいたようですが、現在は終活の一環で売却しマンションに引っ越したようです。

広すぎて使わない部屋もあったりゴミ出しも大変だったみたい!
竹内力さんファンに聞いた、竹内力さんの30代で印象に残っている出来事


1998年にVシネマ27本に出演した事が印象に残りました。
年間で27本の映画に出る事は容易な事ではなく、Vシネマの帝王と呼ばれている理由だと思いました。(30代男性)

映像製作会社を設立。Vシネマの第一線を走ってこられた方だからこそ、映像作品への愛も人一倍強いんだなと感じました。(30代男性)

極道の妻たちの決着という作品を見たのですが、やっぱり強面俳優の名は伊達ではありませんね。見事に作品内に収まっていて違和感なく楽しめました。(20代女性)
40代

竹内力さんが40代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 2004年(40歳):Vシネマ「MURAMASA ムラマサ」シリーズなど主演、製作総指揮を務める
- 2010年(46歳):10歳年下の一般女性と再婚する
- 2012年(48歳):控えていたテレビに出演するようになる
「MURAMASA ムラマサ」シリーズ2004年~2007年制作全12作品、「死刑確定シリーズ」2004年~2006年の全5作品にて主演を務めながら制作総指揮も行っていました。
謎にダーティハリーがトレンド入りしてるけどそこから(主に2)影響され白バイが本当の必要悪であったら?という議題に真っ向から取り入れた竹内力の死刑確定シリーズ(ダーティハリーと同じ5作品で完結)を誰も話題に挙げないのは何故なのか…最初の作品以外は傑作揃いなのに… pic.twitter.com/ZcST9zJ2Ku
— 自己主張する灯油タンク (@ntc0394ntc) August 27, 2024
2000年に16歳年下の一般女性と結婚しており1人の子供がいましたが、2006年に離婚しています。その後10歳年下の一般女性と2009年12月に出会い約11ヵ月の交際期間を経て再婚したようです。お相手の女性も再婚で子供が1人いるとのことでした。
所属事務所によるとお相手は37歳の一般女性(37)で、2009年12月に知人のパーティーで知り合い、昨年11月11日に婚姻届を提出。
「引用元:ORICON」
2012年頃からテレビ出演が増えていったうです。テレビでは竹内力さんの性格と真逆の役柄を演じることが多くストレスが溜まっていたようで、独立後15年ほどはあえてテレビの出演は控えていたようです。
独立して15年くらいはテレビの仕事はあえて出演しないという方針でした。テレビでは、自分とは真逆の性格の役柄が多かったためストレスが溜まっていたし、ほかの俳優さんたちのように自分に合った役柄でどこまでいけるか勝負したかったから。
「引用元:ORICON」
主演しながら制作総指揮も務めていたなんて凄いと感じました。テレビ出演を控えたり自分に合った役柄の出演をするなど自己プロデュースがとても上手だと思いました。

バラエティ番組など多く出演するよになったよね!
竹内力さんファンに聞いた、竹内力さんの40代で印象に残っている出来事


2010年11月に一般女性との再婚が印象に残りました。
家庭的なイメージがなかったので、結婚しているとは思いませんでした。が、離婚して再婚というのは意外でした。(30代男性)

音楽面でもプロデューサー活動。映像の世界だけでなく音楽の世界でもその発想力を発揮されていて、コワモテなイメージとは反してかなりユーモアに溢れた方なのかもしれないと新たな一面を発見できたから。(30代男性)

松本人志さんのデビュー作である大日本人に出演していた姿を見てすごく驚きました。こういう作品にも果敢にチャレンジしていく竹内さんの積極性が非常に魅力的です。(20代女性)
竹内力の若い頃の髪型はリーゼント

竹内力さんの若い頃の髪型といえば、リーゼントの髪型を思い出す方も多いのではないでしょうか。
銀行員の頃から現在までリーゼント姿で活躍されているので竹内力さんのトレードマークになっていると思いました。
竹内力…銀行員だった過去「リーゼントで窓口で働いていました」 https://t.co/1nlqQ85EZ8 #芸能ニュース #スポーツ新聞 pic.twitter.com/80CtTXokBY
— スポーツ報知 (@SportsHochi) January 30, 2017
幼いころから顔立ちが整っていたようで「可愛い」と言われるのが嫌だったようです。強くてカッコいい姿に憧れていたのかもしれませんね。

とてもかっこよくて似合っているね!
まとめ

今回は、竹内力さんの若い頃の活躍や出来事を、画像とともに振り返りました。

年代ごとに印象深い出来事がたくさんあったね!
これからの活動も頑張ってほしいと思います。