高島礼子の若い頃は?昔の髪型はレイヤーカットだった!

女優として活躍する高島礼子さん。

若い頃どんな風貌だったのかや、年代ごとにどんなできごとがあったのか気になるかたも多いと思います。

さっそく、高島礼子さんの若い頃の写真やできごと、デビューのきっかけを年代順に振り返ってみましょう。

目次

高島礼子のデビューのきっかけや時期は?

デビューのきっかけや時期

高島礼子さんの芸能界デビューのきっかけは、カーレース活動費を捻出するためにレースクイーンを始めたことからモデル事務所に所属されたことでした。

「カーレースの活動費を捻出するため」にレースクイーンを始めたことから、モデル事務所に所属。

引用元:毎日キレイ

1988年に「とらばーゆ」のCMでデビューされたのですが、このCMを見ていた俳優の松平健さんの紹介により、ドラマ初出演を果たし、女優としてデビューされました。

オーディションに合格して、「とらばーゆ」のCMに出演したんです。それを見てくださった松平健さんが声をかけてくださって、『暴れん坊将軍III』の出演が決まりました。

引用元:Yahoo!JAPANニュース

カーレースに出場するためのデビューだったんですね。

とても車が好きだったのがうかがえますよね。

ねこ太郎

松平健さんに見出されたのはすごいね!

高島礼子の幼少期は?若い頃の活躍やできごとを年代順に振り返り

高島礼子さんの幼少期のエピソードや、若い頃の活躍やできごとを年代順に振り返っていきます。

幼少期

高島さんの幼少期の頃は、性格がとても内気で内向的だったそうです。

引きこもりではなかったとのことですが、一人でいるのが好きであまり人と関わりたくない感じだったそうです。

「もともとの性格がものすごい内気で内向的だったんですよ。子供の頃は引きこもりじゃないんですけど、いじめられっ子だった。一人でいるのが好き、あまり人と関わりたくないっという感じだった」
引用元:スポニチ

社交的な印象だったので、幼い頃は内向的だったエピソードには驚きました。

ねこ太郎

1人で過ごすのが好きだったんね!

10代

高島礼子の若い頃10代の年表

高島礼子さんが10代の頃の代表的なできごとはこちらです。

  • 1980年(16歳):原動機付自転車免許を取得
  • 1982年(18歳):普通自動車免許を取得
  • 1983年(19歳):アマチュアレースに参加

16歳で原付バイクの免許を取得し、行動範囲が大きく広がりました。

休日には横浜の山下公園や湘南、箱根まで遠出するようになりました。

友達にはバイク好き、車好きが多くて、私も16歳になった夏に原付免許を取りました。
引用元:JAFMateOnline

18歳になったのと同時に普通自動車免許を取得しました。

その際、お母様が18万円の中古車(日産ラングレー)を買ってくれたのだそうです。

17歳のうちに仮免許まで取っておいて、18歳になったのと同時に免許を取りました。
引用元:JAFMateOnline

高島さんは、高校卒業後は自動車関連企業に就職されました。

その頃、アマチュアレースにも参加されていたそうですよ。

――アマチュアレースに参加したきっかけを教えてください。
自動車会社で働いていた19歳の時でした。車好きの友達が多くて、富士スピードウェイで開催されるフレッシュマンズ・レースや筑波サーキットでの走行会に誘われて、ハマりました。
引用元:JAFMateOnline

レースにも出場するくらいの車好きだったのは知らなかったので驚きました!

ねこ太郎

車が本当に好きなんだね!

高島礼子さんファンに聞いた、高島礼子さんの10代で印象に残っている出来事

アンケート調査結果
ネット上の人物

自動車関連会社に入社。車が好きな女性は珍しいと思うのに、ましてや女優さんで車が好きなんて意外すぎたから。(20代女性)

ネット上の人物

高校卒業後に3年間OLをしていたというエピソードが印象的でした。昔から芸能人というイメージが強かったので、社会人経験があるとは思わなかったからです。(30代女性)

ネット上の人物

親が厳しかったためか、それに反発して自立するために高校時代にアルバイトをして、大学に進学せずに就職をしたことは、当時から自分をしっかり持ってやりたいことを持っていた人だと感じたから(40代男性)

20代

高島礼子の若い頃20代の年表

高島礼子さんが20代の頃の代表的なできごとはこちらです。

  • 1987年(23歳):キャンペーンガールを始める
  • 1988年(24歳):「暴れん坊将軍Ⅲ」で女優デビュー
  • 1993年(29歳):映画「さまよえる脳髄」で映画初出演

1987年、カーレースには多額の費用がかかり、カーレースに参加するための資金を稼ぐため、高島さんはキャンペーンガールを始めました。

カーレースはとてもお金がかかるので、資金稼ぎのために、キャンペーンガールをやっていたのです。
引用元:ニッポン放送NEWS ONLINE

高島さんが出演していた「とらばーゆ」のCMを見た、松平健さんとプロデューサーの近藤さんが声をかけてくれて、1988年に『暴れん坊将軍Ⅲ』の出演が決まり、女優としてデビューすることになりました。

松平さんと、『暴れん坊将軍III』のプロデューサーの近藤洲弘さんが、同時に私がいいんじゃないかと思ってくださって、お二人から声をかけていただきました。
引用元:Yahoo!JAPANニュース

29歳の時に『さまよえる脳髄』で映画デビューをされました。

高島礼子の劇場映画デビュー作。
逢坂剛原作の「さまよえる脳髄」を完全映画化。
引用元:衛星劇場

松平健さんの目に留まって、『暴れん坊将軍Ⅲ』でデビューをした高島さんは、その時は演技経験は皆無だったそうなのですが、大抜擢でしたよね。

ねこ太郎

松平さんやプロデューサーの目に留まるくらい、惹きつけるものがあったんだね!

高島礼子さんファンに聞いた、高島礼子さんの20代で印象に残っている出来事

アンケート調査結果
ネット上の人物

CMが松平健さんの目に留まり「暴れん坊将軍III」でドラマデビュー。松平健さんの先見の明がすごいと思ったから。(20代女性)

ネット上の人物

会社を辞めてレースクイーンをしていたというエピソードが印象的でした。レースクイーン出身の女優さんだったとは思わなかったからです。(30代女性)

ネット上の人物

レーサーを目指していたところを金銭面で断念して、キャンペーンガールを経てモデルになったこと。夢を追いかけて、現実では厳しいことを理解した上で自分がそれに近いもので働こうとする意欲を感じられました。(40代男性)

30代

高島礼子の若い頃30代の年表

高島礼子さんが30代の頃の代表的なできごとはこちらです。

  • 1996年(32歳):映画『陽炎2』に主演
  • 1999年(35歳):結婚
  • 2001年(36歳):日本アカデミー賞優秀助演女優賞受賞

1996年には『陽炎2』の主演をされました。

任侠の賭博師という強い女性の役のオファーはこの作品が初めてだったようですが、オファーをもらった時はすぐ引き受けたそうです。

それまでは、誰かのお姉さんだったり、誰かの奥さんだったり、普通の役が多かったんですけど、『陽炎2』では任侠の賭博師。そんな強い女性の役のオファーをいただいたというところで飛びつきまして。
引用元:テレ朝POST

俳優仲間を通じて知り合った、俳優の高地東生さんと1999年に結婚されましたが、2016年に離婚を発表されました。

96年9月 俳優仲間を通じ知り合う
99年2月7日 婚姻届を提出しハワイで挙式
引用元:スポニチ

2000年に公開された『長崎ぶらぶら節』で、第24回日本アカデミー賞優秀助演女優賞を受賞されました。

参照元:日本アカデミー賞

陽炎や極道の妻たちシリーズでの強い女性役は、凛としていてカッコよかったですよね。

ねこ太郎

この頃、『極道の妻たち』シリーズでも主演されていたよね!

高島礼子さんファンに聞いた、高島礼子さんの30代で印象に残っている出来事

アンケート調査結果
ネット上の人物

「極道の妻たち」の4代目ヒロインに抜擢。極妻と言えば岩下志麻さんの印象が強すぎて、岩下志麻さん以外のバージョンがあることを知らなかったから。(20代女性)

ネット上の人物

『極道の妻たち』に出演していたことが印象的でした。この作品こそ、高島礼子の代名詞となる作品だと思ったからです。(30代女性)

ネット上の人物

極道の妻たちで岩下志麻から引き継ぎ4代目の極妻を演じたこと。それまでの岩下志麻のイメージとあまりずれがなく、高島さんらしい真の通った女性を演じていたのが、演技を勉強し努力したのを感じられたから(40代男性)

40代

高島礼子の若い頃40代の年表

高島礼子さんが40代の頃の代表的なできごとはこちらです。

  • 2006年(42歳):『結婚できない男』に出演
  • 2009年(45歳):NHK大河ドラマに初出演
  • 2012年(48歳):『マダガスカル3』で吹き替えを担当

2006年に放送された『結婚できない男』に住宅プロデュース会社の社員役で出演されました。

このドラマでは、夫であった高地東生さんと共演されていました。

高島礼子がフジテレビ系『結婚できない男』(火曜、後10・00)で、夫の高知東生と共演している。
引用元:ORICON NEWS

2009年に放送されたNHK大河ドラマ「天地人」に出演し、上杉景勝の母である仙桃院役を演じました。

長丁場の大河ドラマの中で、最初から最後まで出演されていました。

私が演じたのは兼続が師と仰いだ上杉謙信(阿部寛)の姉で、景勝の母、仙桃院。とても長生きされた方で、結果的にはドラマの最初から最後まで出演することになりました。
引用元:NHKアーカイブス

2012年に公開された『マダガスカル3』ではおちゃめで明るいカバのグロリア役で吹き替えをされていました。

高島さんは『マダガスカル』シリーズの第1作から第3作までこのキャラクターの声を演じ続けられました。

1日に公開された劇場版アニメシリーズ3作目となる最新作「マダガスカル3」の日本語吹き替え版で、カバのグロリアの声を担当している高島礼子さん。
引用元:MANTANWEB

結婚できない男は、コミカルな内容のドラマでとても面白かった印象が残っています。

主人公の阿部寛さんとのやり取りが多かった記憶がありますが、そのやり取りも面白かったです。

ねこ太郎

アニメの吹き替えもされていたんだね!

高島礼子さんファンに聞いた、高島礼子さんの40代で印象に残っている出来事

アンケート調査結果
ネット上の人物

「結婚できない男」に出演。小さい頃にちょうどテレビでやっていて、ドラマを見ていた当時の記憶が鮮明に残っているから。(20代女性)

ネット上の人物

結婚できない男に出演されていたのが印象的でした。このドラマがとても面白かったので、彼女の役も記憶に残っているからです。(30代女性)

ネット上の人物

テレ東のアニメでポケモンのミュウツーの声を当てていたことがインパクトが強く、俳優さんとして演技してきた中でりりしい声の演技で一瞬わからなくてスタッフロールを見てとても驚いたから(40代男性)

高島礼子の若い頃の髪型はレイヤーカット

高島礼子さんの若い頃の髪型といえば、レイヤーカットを思い出す方も多いのではないでしょうか。

ショートやウルフのイメージが強い高島さんですが、若い頃はロングヘアにしていた時期もありました。

ロングヘアの時は、毛先にレイヤーを入れたスタイルが特徴的でした。

ねこ太郎

キレイさもあり、カッコよさもあり素敵だよね!

まとめ

まとめ

今回は、高島礼子さんの若い頃の活躍や出来事を、画像とともに振り返りました。

ねこ太郎

年代ごとに印象深い出来事がたくさんあったね!

これからの活動も頑張ってほしいと思います。

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