ミュージシャンとして活躍する高見沢俊彦さん。
若い頃どんな風貌だったのかや、年代ごとにどんなできごとがあったのか気になるかたも多いと思います。
さっそく、高見沢俊彦さんの若い頃の写真やできごと、デビューのきっかけを年代順に振り返ってみましょう。
高見沢俊彦さんのデビューのきっかけや時期は?
高見沢俊彦さんのデビューのきっかけは明治学院高等学校で桜井賢さんと出会い、1973年に明治学院大学で坂崎幸之助さんと出会い、バンド「コンフィデンス」に参加したことです。
1974年には「アルフィー」としてシングル「夏しぐれ」でメジャーデビューを果たしました。
デビュー当初は周囲の期待に応えられず苦労しましたが、その後、音楽性を確立し、作詞・作曲を主導するようになっています!
学生の頃にメンバーの方と出会ったのですね!
高見沢俊彦さんの幼少期は?若い頃の活躍やできごとを年代順に振り返り
高見沢俊彦さんの幼少期のエピソードや、若い頃の活躍やできごとを年代順に振り返っていきます。
幼少期
高見沢俊彦さんは1954年4月17日に埼玉県蕨市で生まれました。
【蕨市】蕨出身のスター凱旋! 1月31日(水)、「THE ALFEE」高見沢俊彦さんが講演会を開催! https://t.co/3ydbYTvdWe @goguynetより
— THE ALFEE(アルフィー)最新情報 by Aの会 (@alfeefan) January 7, 2024
教師の母の勧めでピアノを習い始め、情操教育を受ける中で音楽の基礎を築いたみたいですね!
その経験は時に特別な存在として注目を集めることもあったが、後に兄の影響でギターに惹かれ、さらに音楽への情熱を深めたようです。
幼少期の経験が現在の活躍の土台となっていると感じますね!
小さい頃から音楽に囲まれていたのですね!
10代
高見沢俊彦さんが10代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1970年(15歳):蕨市立第一中学校ではバスケットボール部に所属
- 1970年〜1973年(15歳〜18歳):高校でバンド活動
- 1973年(18歳):大学進学とバンド結成
高見沢俊彦さんは蕨市立第一中学校に通い、バスケットボール部に所属していました。
高見沢俊彦は高校時代にバンドでピンク・フロイド「原子心母」を演ったという。
— ヘルベルト•フォン•スダヤン (@suda_yan) April 23, 2024
「悲惨なくらい大失敗w 自分が今何をやってるのかわけがわからなくなってきて……高校生が原子心母やっちゃ駄目だよねw」 pic.twitter.com/Ea9YP3oRfe
3年生の時にはキャプテンを務め、チームを牽引したそうです!
最後の試合で逆転負けを経験し、これが高見沢俊彦さんにとって大きな挫折となったようですね。
また、明治学院高等学校では、「ツェッペリン・ジュニア・スペシャル」というバンドを結成し、レッド・ツェッペリンやディープ・パープルのコピーを行っていました。
このバンド活動を通じて音楽への情熱を深めたようです。
さらに、明治学院大学に進学し、桜井賢さんや坂崎幸之助さんと共に「コンフィデンス」というバンドに参加しました。
このバンドは後にTHE ALFEEの前身となり、映画「二十歳の原点」のサウンドトラックにも関わっています。
高見沢俊彦さんの学生時代の歩みから、強いリーダーシップと音楽への情熱が伝わりますね。
学生の頃の曲も聴いてみたい!
高見沢俊彦さんファンに聞いた、高見沢俊彦さんの10代で印象に残っている出来事
学生時代はバスケ部に所属していたらしく、今とは全然違ってめちゃくちゃイケメンだったことに驚きまきたね。爽やかさがありました。(30代男性)
高校生の頃にコピーバンドのボーカルをしていたというエピソードが印象的でした。ボーカルをやっているとは思わなかったので、驚きでした。(30代女性)
明治学院大学文学部英文学科へ進学していたことです。音楽家としてのイメージが強いだけに、普通に大学へ進学していたんだと驚きました。(50代男性)
20代
高見沢俊彦さんが20代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1974年(20歳):メジャーデビュー
- 1979年(25歳):シングル「ラブレター」で再デビュー
- 1983年(29歳):シングル「メリーアン」がヒット
高見沢俊彦さんは「アルフィー」として、シングル「夏しぐれ」でデビューしました!
この曲は松本隆さんが作詞、筒美京平さんが作曲を担当し、高見沢俊彦さんがリードボーカルを務めています。
しかし、楽曲はヒットに至らず、その後の作品も商業的成功を収められませんでした。
その間、高見沢俊彦さんは作曲や編曲の技術を学び、音楽的な基盤を築いたようです。
アルフィーはシングル「ラブレター」でキャニオンレコードから再デビューしました。
この曲は高見沢俊彦さんが作詞・作曲を手掛け、バンドとして自作曲中心の活動に転換する契機となっています!
再デビュー後、音楽性を徐々にロック寄りに変え、バンドの方向性を確立していきました。
シングル「メリーアン」は1983年6月21日にリリースされ、オリコン週間チャートで7位を記録しています!
渋谷のザ・ベストテン/ THE ALFEE限定
— 臼井孝/T2U音楽研究所/おとおんチャンネル (@t2umusic) October 26, 2020
第22位 ラジカル・ティーンエイジャー 2433点!
(1983年6月21日、Sg「メリーアン」c/w)
リクエスト13位が大きく牽引し総合22位に!
若い世代を鼓舞するミディアム・チューン。
作詞・作曲: 高見沢俊彦 / 編曲: THE ALFEE、井上鑑#shibuten #ALFEE pic.twitter.com/BrMlShvfQ6
この楽曲は桜井賢さんがリードボーカルを務め、高見沢俊彦さんが作詞・作曲を担当しました。
初の大ヒットとなり、アルフィーが全国的な人気を得るきっかけとなりました。
また、この年には「NHK紅白歌合戦」にも初出場しています!
一つひとつの経験を糧に成長し続けた、高見沢俊彦さんとアルフィーの歩みに、感銘を受けますね。
曲を作る時はどんな感じで進めるのか気になります!
高見沢俊彦さんファンに聞いた、高見沢俊彦さんの20代で印象に残っている出来事
音楽で売れていなかった頃工事現場でアルバイトしていたということを知りビックリですね。そういう肉体労働系から1番離れた方だと思っていたので意外です。(30代男性)
夏しぐれでデビューしたことが印象的でした。ここからアルフィーが始まっていくので、外せない出来事だと思います。(30代女性)
『THE ALFEE』の2代目リーダーとなったことです。これを契機に『THE ALFEE』の方向性がロックバンド路線へと変化する等の影響があったので印象に残っています。(50代男性)
30代
高見沢俊彦さんが30代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1984年(30歳):シングル「星空のディスタンス」が大ヒット
- 1986年(32歳):東京湾埋立地(後のお台場)で大規模な野外イベントを開催
- 1989年(35歳):高見沢俊彦さんを主人公とした小説「蜂の王様」が発表される
30歳で発売された「星空のディスタンス」はTHE ALFEEの17枚目のシングルで、TBSドラマ「無邪気な関係」の主題歌となりました。
⬜YouTubeのリンクは一番下にあるからね🎧🎼🎶
— 微風🍃熱烈的読書函🤍🧡💚 そよかぜ🍀幸せ発電所 (@hare_SOYOKAZE) April 1, 2024
今日は「THE ALFEE」の「星空のディスタンス 」🌉⭐
73年デビューで84年のヒット曲💙
作詞作曲は高見沢俊彦で曲は74年頃に完成💙
当時としては売れ線を狙い💙
52.4万枚を記録した彼らの2番目に売れた曲💙
TBS系「無邪気な関係」の主題歌だって💙🩵… pic.twitter.com/9YYdDE3vzT
この曲は高見沢俊彦さんが作詞・作曲を担当し、桜井賢さんがリードボーカルを務めています。
また、オリコン最高2位を記録し、50万枚以上を売り上げる大ヒットとなりました!
ライブでも定番曲として演奏され、THE ALFEEの代表曲の一つとして知られています。
1986年8月3日には東京湾埋立地(現お台場)で開催された野外イベントで、日本初の10万人規模の単独ライブとして注目されました!
イベントでは「メリーアン」「風曜日、君をつれて」「STARSHIP」などのヒット曲が披露され、壮大な演出と音楽で観客を魅了したそうです。
このライブは映像作品としてもリリースされ、バンド史に残る重要なイベントとなりました。
35歳の時には作家・山川健一さんによる小説「蜂の王様」が発表され、高見沢俊彦さんをモデルにした主人公が登場することで話題になりました。
この作品では高見沢俊彦さんのカリスマ性や音楽活動がフィクションとして描かれ、ファンや文学界から注目を集めたようです!
高見沢俊彦さんとTHE ALFEEの歴史が、音楽シーンにおける挑戦と革新の連続であることを改めて感じます。
魅力がたくさんありますね!
高見沢俊彦さんファンに聞いた、高見沢俊彦さんの30代で印象に残っている出来事
アルフィーとして人気にを博していったということを知りときめきましたな。やっぱり今でも現役で活動しているのは伊達ではありません。(30代男性)
「主義-ism:」でソロデビューをしていたことが印象的でした。ソロでも活動していたことを知らなかったので、驚いたからです。(30代女性)
ロンドンでレコーディングされた初めてのソロ・アルバム『主義-ism:』を発売したことです。これが初のオリジナルアルバムですし、印象に残りました。(50代男性)
40代
高見沢俊彦さんが40代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1996年(42歳):アルバム「LOVE」をリリース
- 1997年(43歳):東芝EMIに移籍
- 1998年(44歳):アルバム「Nouvelle Vague」をリリース
1996年3月21日に発売されたアルバム「LOVE」はTHE ALFEEの17枚目のオリジナルアルバムです。
この曲は、シンフォニック・ロックとオーケストレーションを基調としており、前作のプログレッシブ・ロックから音楽性が変化したそうです。
また、ポニーキャニオンからの最後のオリジナルアルバムとなっています。
1997年には東芝EMIへ移籍しました。
この移籍は、バンドの音楽性や活動に新たな展開をもたらす契機となっているようです!
さらに、1998年3月25日ではアルバム「Nouvelle Vague」が発売され、THE ALFEEの18枚目のオリジナルアルバムになります。
テンション上げる時にいつも聞く曲
— Spookies(スプーキーズ)無党派 (@yousis1030) November 30, 2024
コメントにもある「命かけて守り抜くものは愛だけ、誰にも譲れないものは自由への詩」という歌詞が大好き
THE ALFEE - Nouvelle Vaguehttps://t.co/BsUqa4qBWI
EXPRESSレーベルでの最初のアルバムとなり、引き続きシンフォニック・ロックの要素を取り入れ、ストリングスアレンジが多用されています。
アルバムでは全曲の作詞・作曲を高見沢俊彦さんが担当し、編曲はTHE ALFEEが行っているそうです!
これらの活動を通じて、高見沢俊彦さんが常に進化を続けるアーティストであることを実感しますね。
どんどん音楽が進化してて本当にかっこいいですね!
高見沢俊彦さんファンに聞いた、高見沢俊彦さんの40代で印象に残っている出来事
ゲームソフトのキャラクターデザインを提供したという背景が素晴らしいですね。ゲームと高見沢さんが全く重なり合わなかったので意外でした。(30代男性)
新堂本兄弟にレギュラー出演していたことが印象的です。私はこの番組で彼のトークの面白さに気づいたからです。(30代女性)
プレイステーション2専用ゲーム『こもっち』にキャラクターデザインを提供したことです。キャラクターデザインの才能もあるのかと驚きました。(50代男性)
高見沢俊彦さんの若い頃の髪型はロングヘア
高見沢俊彦さんの若い頃の髪型といえば、ロングヘアの髪型を思い出す方も多いのではないでしょうか。
ロングヘアを好み、特にウルフカットスタイルが特徴的ですね。
このスタイルは、襟足を長くし、トップにボリュームを持たせたものなので、当時のロックバンドの印象があります!
その頃の流行の髪型には、ウルフカットやリーゼントがありました。
ウルフカットは特に沢田研二さんなどが代表的で、襟足が長いスタイルが人気だったようです。
また、テクノカットや無造作ヘアも流行し、多様なスタイルが男性の間で楽しばれるようになっていたみたいです!
高見沢俊彦さんはロングヘアの代表的な存在ですね!
まとめ
今回は、高見沢俊彦さんの若い頃の活躍や出来事を、画像とともに振り返りました。
年代ごとに印象深い出来事がたくさんあったね!
これからの活動も頑張ってほしいと思います。