【画像】館ひろしの若い頃が超イケメン!デビューのきっかけはロックバンド!

俳優やシンガーソングライターとして活躍する館ひろしさん。

若い頃どんな風貌だったのかや、年代ごとにどんなできごとがあったのか気になるかたも多いと思います。

さっそく、館ひろしさんの若い頃の写真やできごと、デビューのきっかけを年代順に振り返ってみましょう。

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目次

館ひろしのデビューのきっかけや時期は?

デビューのきっかけや時期

バイクチーム「COOLS」を結成後に矢沢永吉さんがリーダーだったロックバンド「キャロル」の親衛隊として有名になりました。そしてレコード会社から声がかかったのがきっかけで「COOLS」のメンバーで結成されたロックバンド『クールス』のボーカルとしてデビューしました。

その後、当時の東映社長である岡田茂さんに誘われ「東映俳優センター」に所属しています。

ねこ太郎

俳優は興味はなかったけどお金くれるなら!と思ったんだって。

館ひろしの幼少期は?若い頃の活躍やできごとを年代順に振り返り

館ひろしさんの幼少期のエピソードや、若い頃の活躍やできごとを年代順に振り返っていきます。

幼少期

1950年に愛知県名古屋市に生まれました。父親は医師をされており、母親は教育熱心で厳しかったそうです。幼少期は裕福な家庭で育っています。自身も医師の父親の後を継ぐことを目指しましたが、医学部受験に失敗。「受験に失敗して、もういいや」と医師の道をあきらめて別の道を決めたそうです。

父親の影響もあり医師を目指していたんですね!裕福な家庭で育ったとありますが、今でもダンディで素敵な立ち振る舞いから育ちの良さを感じます。

ねこ太郎

ご本人も「子供の頃は真面目でした」と言ってるよ!

10代

舘ひろしの若い頃の10代の年表

館ひろしさんが10代の頃の代表的なできごとはこちらです。

  • 1967年(17歳):愛知県立千種高等学校でラグビー部の主将を務める
  • 1968年(18歳):医大の試験に落ち建築家を目指す

1967年高校二年生の時にラグビー部のキャプテンを務めます。高校時代ラグビーに打ち込んだ舘ひろしさんは「生き方はすべてラグビーで学んだ」というほど熱心に取り組んだ様子を語っています。ポジションは「点取り屋」と言われるウィングだったそうです。

1968年医師になりたかったが試験に落ち、絵画が好きだったこともあり建築家を目指します。二浪して入学したものの寮が厳しく、夜逃げのように退寮したそうです。

絵画の勉強は高校時代から始めていたそうですが、加えて高校時代は女の子と熱心に遊んでいたそうです。当時からさぞかしモテていたんだろうなぁと推測します。

ねこ太郎

ラグビーの経験があっての今があるんだね!

館ひろしさんファンに聞いた、館ひろしさんの10代で印象に残っている出来事

アンケート調査結果
ネット上の人物

舘ひろしさんの10代の頃は、愛知県立千種高校でラグビー部の主将を務めており、ラグビー選手としても活躍していました。自分も10代の頃にラグビーをしていたので印象的でした。(40代男性)

ネット上の人物

ラグビー部の主将をしていたことです。舘さんは気品高くスマートなので激しいスポーツのラグビーとイメージが結びつかないからです。(30代女性)

ネット上の人物

父親が内科医で実家で医院を営んでいることから高校生の時に医大を受験したところ、ラグビーに夢中で勉強をしていなかった為に合格できなかったという話は、イメージとは違い勤勉家の一面が見えて印象に残りました。(50代女性)

20代

舘ひろしの若い頃の20代の年表

館ひろしさんが20代の頃の代表的なできごとはこちらです。

  • 1975年(25歳):バイクチーム「クールス」結成
  • 1975年(25歳):ロックバンド「クールス」として「紫のハイウェイ」でデビュー
  • 1976年(26歳):映画「暴力教室」出演

西城滉一さんさんと出会い、1975年にバイクチーム「クールス」を結成します。舘ひろしさんは西城滉一さんに出会うまでバイクの免許を持っておらず、西城さんのバイクに二人乗りし教習所に通い免許を取得したそうです。

クールスは矢沢永吉がリーダーだった「キャロル」の親衛隊を務めた後、選抜メンバーでロックバンド「クールス」として「紫のハイウェイ」でデビューを果たしました。

1976年には映画「暴力教室」に出演し、バイクを乗り回す不良生徒役を演じました。映画やマスコミなどの活動したい館ひろしさんとメンバーとの溝が生まれ、1977年に「クールス」を脱退しました。

ねこ太郎

男気溢れる雰囲気がかっこいい!

館ひろしさんファンに聞いた、館ひろしさんの20代で印象に残っている出来事

アンケート調査結果
ネット上の人物

舘ひろしさんの20代は、ロックバンド「クールス」のボーカルとして歌手デビューし、東映映画「暴力教室」で俳優としてデビューしています。不良系のロックバンドが流行っている時代が好きな自分には印象的でした。(40代男性)

ネット上の人物

ロックバンドをしていたことです。舘さんというとダンディで歌っていたとしても緩やかな曲のイメージがあるので、ロックは衝撃でした。(30代女性)

ネット上の人物

クールスというバイクチームを結成し矢沢永吉率いるキャロルの親衛隊だったという話は、穏やかで物静かイメージからかけ離れていてとても印象に残っています。(40代女性)

30代

舘ひろしの若い頃の30代の年表

館ひろしさんが30代の頃の代表的なできごとはこちらです。

  • 1983年(33歳):石原プロに入社する
  • 1986年(36歳):ドラマ「あぶない刑事」出演

33歳の頃、自らの意思で石原プロに入ります。舘ひろしさんは渡哲也さんに強い憧れがあり入社にいたったそうです。そして長くに渡り屋台骨となり、映画に込める情熱を表現し続けました。

36歳にはドラマ「あぶない刑事」に出演します。社会現象を巻き起こすほどの人気を得た作品でシリーズ化され、長きにわたりドラマや映画で放送されファンに愛されています。

「あぶない刑事」シリーズが30年以上続いていたことに驚きました。軽妙なトークや激しいアクションが他にはない世界観ですよね。30代の頃も舘ひろしさんも現在の舘ひろしさんも役柄にぴったりなのがすごいです。

ねこ太郎

舘さんと言えばサングラス!

館ひろしさんファンに聞いた、館ひろしさんの30代で印象に残っている出来事

アンケート調査結果
ネット上の人物

舘ひろしさんの30代は、映画「男組、少年刑務所」で映画初主演を務め、ドラマ「西部警察」でさらに人気になりました。西部警察の舘ひろしさんがカッコいいので西部警察の登場人物の中でも印象が一番残っています。(40代男性)

ネット上の人物

NHK紅白歌合戦に出場していたことです。舘さんはトレンディ俳優というイメージがあるので歌手として紅白に出ているのは驚きました。(30代女性)

ネット上の人物

あぶない刑事でサングラスにスリーピーススーツ姿で鷹山刑事役を演じられたのがファッショナブルで大人の男性という印象が強く素敵で記憶に残るスタイルです。(50代女性)

40代

舘ひろしの若い頃の40代の年表

館ひろしさんが40代の頃の代表的なできごとはこちらです。

  • 1990年(40歳):ドラマ「代表取締役刑事」出演
  • 1994年(44歳):映画「免許がない」主演
  • 1997年(47歳):映画「義務と演技」主演

1990年に放送されたドラマ「代表取締役刑事」ではゴリラ・警視庁捜査第8班に続く石原プロ制作再開第2作です。この頃にはすっかり刑事役が舘ひろしさんのイメージになりました。

真面目な役が多い舘さんですが、1994年の映画「免許がない」では真面目に運転が出来ない役を演じます。少し抜けた役柄がチャーミングで、クスッと笑えてしまう内容が普段とギャップがあり新たな一面が見れる作品です。

1997年には映画「義務と演技」で主演を演じます。二組の夫婦を描いた艶笑ドラマで難しい役どころを演じ切りました。

これまで刑事役が多くクールでダンディなイメージの舘ひろしさんでしたが、この頃から役の幅が広がり様々な役をやるようになった印象です。大人の魅力が増し、穏やかな笑顔も素敵ですね。

ねこ太郎

若い頃とはまた違う魅力があるよね!

館ひろしさんファンに聞いた、館ひろしさんの40代で印象に残っている出来事

アンケート調査結果
ネット上の人物

舘ひろしさんの40代は、刑事ドラマに多く出られており、「愛しの刑事」や「七曲署捜査一係」などに出演しています。どの役をしても渋い演技をする俳優さんになっており、見せるチャーミングな笑顔が印象的でした。(40代男性)

ネット上の人物

「免許がない!」というコメディ映画の主演を務めたことです。あぶない刑事のクールでかっこいい舘さんがぞんざいな扱いを受ける役を演じていたのは印象的でした。(30代女性)

ネット上の人物

40代も半ばを過ぎて結婚はしないというイメージがあっただけに電撃的に結婚されたのは衝撃的で印象強い出来事でした。(50代女性)

館ひろしの若い頃の髪型はリーゼント

館ひろしさんの若い頃の髪型といえば、リーゼントの髪型を思い出す方も多いのではないでしょうか。

「クールス」時代の舘ひろしさんのイメージはリーゼントに革ジャンが浮かびます。70年代末から80年代にかけてロックンロールヤンキーカルチャーが流行っていましたが、舘さん率いる「クールス」の影響とも言えるでしょう。

おそらくキャロルの解散ライブでの護衛がきっかけでリーゼントにしたのだと思いますが、すっかりそのイメージが残っています。こんなにダンディなスタイルが似合う人なかなかいないですよね。若い頃も今もとても魅力的です。

ねこ太郎

若い頃からこんなにダンディだったんだね!

まとめ

まとめ

今回は、館ひろしさんの若い頃の活躍や出来事を、画像とともに振り返りました。

ねこ太郎

年代ごとに印象深い出来事がたくさんあったね!

これからの活動も頑張ってほしいと思います。

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