島田珠代の若い頃は?昔の髪形はショートカットだった!

お笑いタレントとして活躍する島田珠代さん。

若い頃どんな風貌だったのかや、年代ごとにどんなできごとがあったのか気になるかたも多いと思います。

さっそく、島田珠代さんの若い頃の写真やできごと、デビューのきっかけを年代順に振り返ってみましょう。

目次

島田珠代のデビューのきっかけや時期は?

デビューのきっかけや時期

島田珠代さんのデビューのきっかけや時期は、17歳の高校在学中に島田さんの友人が『4時ですよ~だ』という番組の素人参加コーナーに勝手に応募したことでした。島田さんは友人に言われるまま心斎橋の2丁目劇場に行き、普段学校でやっているような一発ギャグを披露したところ、予想外に優勝しました。

デビューはダウンタウンが司会をしていた「4時ですよ~だ」という関西の伝説の番組ですよね。

島田 友達が「珠代面白いから」って、番組の素人参加コーナーに勝手に応募してたんです。

引用元:文春オンライン

その後、次の週も劇場に行って舞台でギャグを披露し2週連続で優勝しました。この出来事がきっかけとなり、吉本興業の社員の目に留まることになりました。

ねこ太郎

当時お笑いの道に進もうと考えていたわけではなかったんだって!

島田珠代の幼少期は?若い頃の活躍やできごとを年代順に振り返り

島田珠代さんの幼少期のエピソードや、若い頃の活躍やできごとを年代順に振り返っていきます。

幼少期

島田珠代さんは、1970年5月10日に大阪府吹田市で生まれ育ちました。

幼稚園の頃、島田さんは家では明るくテレビを見てモノマネをするなど活発でしたが、外では人見知りで大人しい性格で『ほぼしゃべらない、口数の少ない子』だったと言います。

酒屋を経営する父親と、書道の師範である母親のもとで育ち、母の指導のおかげで、姉とともに書道大会で賞を取るほどの腕前でした。

小学2年生の時に、書道の授業で先生が島田さんの書いた字を見て、『この字が正解だ。心がこもってるやろ!』と褒めたそうです。この出来事をきっかけに、島田さんは『明るくなって、家でやっていたようなパロディーとかやり出して人気者になった』と語っています。

 そんな島田に転機が訪れたのは小学2年だった。書道の授業中に初老の先生が島田の書いた字を見るやいなや、その半紙を周囲の児童に見せて回り「お前ら、この字を見ろ!この字が正解だ。心がこもってるやろ!」と言ってくれたそうで、そこから「明るくなって、家でやっていたようなパロディーとかやり出して人気者になった」と素の自分を出せるようになったと明かした。

引用元:スポニチ

ねこ太郎

この経験から、島田さんは『褒めることの大切さ』を学んだそうだよ!

10代

島田珠代さんが10代の頃の代表的なできごとはこちらです。

  • 1986年(15歳):大阪成蹊女子高校入学
  • 1987年(17歳):ダウンタウン司会の『4時ですよ~だ』の素人参加コーナーで2回ほど優勝し、吉本興業に入り
  • 1987年(17歳):放課後に毎週火曜と金曜に心斎橋筋2丁目劇場の舞台に立つ

島田珠代さんは、大阪成蹊女子高校に進学します。高校時代は校内で教師のものまねを披露するなど、ひょうきん者として知られていたそうです。

高校2年生の時に『4時ですよーだ』の素人参加コーナーで2回ほど優勝し、17歳で吉本興業に入りました。

高校のクラスメートらが勝手に応募。珠代は教師のものまねを各クラスを回って披露するなど、校内きってのひょうきん者だったという。

引用元:スポニチ

番組出演後、学校での人気が急上昇したそうです!

「次の日に学校行くとき、(番組を)みんな見てるから駅行ったら、モーゼの十戒みたいに(道が)開いて、そこ歩いて行くみたいな…」

引用元:スポニチ

その後、高校生の時から、放課後に毎週火曜と金曜に心斎橋筋2丁目劇場の舞台に立っていました。

2丁目劇場では、ハチャメチャなひとりコントを披露していました。若い女の子のお客さんが多かったため、『女を捨てよう』と決意し、奇抜な芸風を確立していきました。

ねこ太郎

『パンティーテックス』というギャグは、実は小学生の頃から口ずさんでいたそうだよ

島田珠代さんファンに聞いた、島田珠代さんの10代で印象に残っている出来事

アンケート調査結果
ネット上の人物

17歳で吉本入りしたことです。高校生のうちからお笑い芸人を目指し、しかも吉本入りまでしてたのか。学生時代からお笑い芸人として生きていく決心をしていたのかと驚きました。(50代男性)

ネット上の人物

17歳のときに、吉本入りされたことが印象的でした。理由は、島田さんの芸人になりたいという強い志に感銘を受けたからです。(30代女性)

ネット上の人物

17歳で吉本に入るという話を聞いて本当に昔からお笑いが好きだったんだなと思いましたね。彼女の芸風にそれが滲み出ています。(30代男性)

20代

島田珠代さんが20代の頃の代表的なできごとはこちらです。

  • 1990年(20歳):ビレッジ吉本レギュラー出演
  • 1992年(22歳):『森田一義アワー 笑っていいとも!』にレギュラー出演
  • 1998年(28歳):吉本興業の社員と結婚

島田珠代さんは22歳の頃、1992年10月から1993年9月まで、『森田一義アワー 笑っていいとも!』にレギュラー出演し、知名度を上げていきました。1997年には『超!よしもと新喜劇』に出演し、さらに人気を獲得していきました。

この『笑っていいとも!』への出演は、吉本興業の東京進出した勢いに乗り実現したものでした。しかし、この経験は島田さんにとって大きおな挫折となり、落ち込む原因となりました。

全然ダメやん、って。1年半くらいで『笑っていいとも』のレギュラーが終わりましたが、本当にへこみました。でも、プライド高いから、へこんでないふりをしたんです。

引用元:CHANTO WEB

25歳頃に島田さんは自身の芸風に悩み始めました。山田花子さんの登場がきっかけとなり、自分の『ガチャガチャした』芸風に疑問を感じるようになりました。この時期、彼女は芸風の『引き算』を試みようと決意します。結婚という選択でした。

 「山田花子ちゃんが(新喜劇に)入って来て。私はガチャガチャしてる芸風やったけど、花子ちゃんの芸風って凄くかわいいけど面白い、みたいな。それで私違うなあ…って思った」といい、「このまま三枚目で突っ走ってても終わるんじゃないかな…と思って、1回引き算してみよう、と」、ある行動に出た。「“あ、結婚や”…って」と思いつき、本当に結婚した。

引用元:スポニチ

その後、1998年4月に吉本興業の社員と結婚しました。お相手は島田さんの中学時代からの知り合いで、同じ中学校に通っていたのだそうです!

ねこ太郎

芸風の悩みから逃れようとして、結婚を決意したんだって

島田珠代さんファンに聞いた、島田珠代さんの20代で印象に残っている出来事

アンケート調査結果
ネット上の人物

吉本興業社員と結婚したことです。島田さんはお笑い芸人なので、てっきり相手もお笑い芸人等テレビで露出している方を伴侶に選ぶと思っていました。ですのでこの結婚は意外で驚きました。(50代男性)

ネット上の人物

22歳のときに「笑っていいとも!」に出演されたことが、印象的でした。理由は島田さんのハツラツとした明るいキャラクターで番組がすごく盛り上がっており、島田さんのパワーを強く感じたからです。(30代女性)

ネット上の人物

吉本新喜劇で躍動していたということが本当にすごいです。彼女の存在感はやっぱりなくてはならない存在ですね。(30代男性)

30代

島田珠代さんが30代の頃の代表的なできごとはこちらです。

  • 2005年(35歳):吉本興業社員と離婚
  • 2007年(37歳):小道具担当の男性と結婚
  • 2008年(38歳):長女を出産

2005年8月に最初の結婚生活は終わり離婚となりました。

「今考えたら逃げようとしてたんかもしれん」と吐露。仕事の苦悩は消えず「それとこれとは別やった。結婚したら気持ちが収まると思ったけど、根っからの芸人やったみたい。イチ女性の幸せをつかんだとて、ダメだった。余計ダメだったかもしれん」と語った。

引用元:スポニチ

その後、2007年に名古屋のドラマの仕事で知り合った小道具担当の男性と結婚し、女の子を出産しました。

しかし、子供が8か月の頃、旦那さんが直腸がんステージ4と診断され、余命5年を宣告されました。この診断を受け、家族は大阪に移住します。

闘病生活中、旦那さんは抗がん剤の影響で精神的に不安定となり、家族関係に亀裂が生じ始めました。島田さんは仕事と家庭の両立に疲れ、実の母親が家事や育児を支援していたそうです。しかし、旦那さんとの関係はますます悪くなり、別居となってしまいます。最終的に子供と旦那さんは名古屋に残り、島田さんは2週間に1回子供に会いに行く約束をしました。

親子離ればなれの生活が始まり、「たまに会いに行くと娘も離れたくないと…つらかったです。泣きじゃくって、名古屋駅のみんな大勢の人がバッて振り向くくらい大声で泣いて。『ママがいい』って。甘えたい盛りだったから。そのときのことは思い出すと止まらないです、涙が」と号泣した。

引用元:スポーツ報知

ねこ太郎

10年近くそんな生活が続いていたそうだよ!

島田珠代さんファンに聞いた、島田珠代さんの30代で印象に残っている出来事

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ドラマ『湯けむりウォーズ』をきっかけに知り合った美術スタッフさんと結婚したことです。離婚してからまだ2年なのに、もう再婚してしまうのかと驚きました。(50代男性)

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38歳のときに、女の子のお子さんを出産されたことが印象的でした。理由は、島田さんがお母さんだったら明るくて面白い素敵なお母さんなんだろうなと微笑ましく感じたからです。(30代女性)

ネット上の人物

ルミネザよしもとでネタをしていたということを知って意外でしたね。大阪で活躍しているイメージがあったので東京の劇場でもやっていたんですね。(30代男性)

40代

島田珠代さんが40代の頃の代表的なできごとはこちらです。

  • 2013年(43歳):2度目の離婚を発表
  • 2016年(46歳):かめばかむほど亀井希生です!出演
  • 2018年(48歳):吉本坂46メンバー1期生に選ばれ『抱いてみるかい』発売

40代になり島田珠代さんは、20代の頃は『珠ちゃん』と呼ばれていたのが、40代になると『珠代さん』と呼ばれるようになり、芸能界でのキャリアの積み重ねを実感するようになったと言います。

そんな中、2013年に仕事の忙しさによるすれ違いが原因となり、離婚を発表。長女(当時4歳)の親権は父親側が持つことになりました。

 島田は「お互いに仕事が忙しくスレ違いが多くなり、ずっと話し合いを続けてきましたが、これから別々に歩んでいこうということになりました。円満に話し合い、出した結論なので、後悔はありません。みなさん、これからも温かい応援をお願いします」とコメントした。

引用元:スポニチ

ねこ太郎

円満に離婚できたみたいだよ!

40代後半は、島田さんにとって更年期障害の症状と向き合う時期でもありました。特に子供と離れ離れになったことより、毎晩涙を流すほどの憂鬱な気持ちに悩まされていたといいます。しかし、舞台に立つことが生きる力となり、この困難な時期を乗り越えていけたそうです。

その後、島田さんは『おばちゃんダンス』や『パンティーテックス』など、自身の年齢や経験を活かした、ありのままの姿を見せるという独自なギャグで再ブレイクを果たしました!

島田珠代さんファンに聞いた、島田珠代さんの40代で印象に残っている出来事

アンケート調査結果
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吉本坂46入りし、「抱いてみるかい?」がリリースされたことです。お笑い芸人としての印象が強いだけに、歌も上手なことに驚きました。(50代男性)

ネット上の人物

48歳のときに、吉本坂46に加入されたことが印象的でした。理由は、吉本坂46で活躍されているときの島田さんの笑顔に元気を貰ったからです。(30代女性)

ネット上の人物

吉本坂として音楽の方面にも進出していったということが本当に面白かったですね。結局は活動休止してしまいましたが、すごく笑えました。(30代男性)

島田珠代の若い頃の髪型はショートカット

島田珠代さんの若い頃の髪型といえば、ショートカットを思い出す方も多いのではないでしょうか。

この髪型は島田珠代さんによく似合っており、笑顔と相まって魅力的な印象を与えています。

1990年代から吉本新喜劇の看板女優として活躍していた時期で、個性的なキャラクターを形作る要素となっていたのかもしれませんね!

ねこ太郎

可愛らしい島田珠代さんにお似合いの髪形だね!

まとめ

まとめ

今回は、島田珠代さんの若い頃の活躍や出来事を、画像とともに振り返りました。

ねこ太郎

年代ごとに印象深い出来事がたくさんあったね!

これからの活動も頑張ってほしいと思います。

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