シンガーソングライターとして活躍する椎名林檎さん。
若い頃どんな風貌だったのかや、年代ごとにどんなできごとがあったのか気になるかたも多いと思います。
さっそく、椎名林檎さんの若い頃の写真やできごと、デビューのきっかけを年代順に振り返ってみましょう。
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椎名林檎さんのデビューのきっかけや時期は?
椎名林檎さんのデビューのきっかけは、高校時代の音楽コンテストでの活躍でした。
「ティーンズミュージックフェスティバル」や「ミュージッククエストジャパンファイナル」に参加し、優秀賞を獲得しています。
ティーンズ福岡ブロック代表時の椎名林檎、ヤバいな
— Satoshi Nakagawa (@satoshi_1966) November 6, 2023
#ティーンズミュージックフェスティバル
#ヤマハ https://t.co/emw4xyhOkR
これによりレーベルからのオファーが集まり、東芝EMIと契約して1998年に「幸福論」でメジャーデビューしました。
最初は軽音部でバンド8つも掛け持ち、超多忙な青春だニャ!
椎名林檎さんの幼少期は?若い頃の活躍やできごとを年代順に振り返り
椎名林檎さんの幼少期のエピソードや、若い頃の活躍やできごとを年代順に振り返っていきます。
幼少期
椎名林檎さんは、幼少期に「先天性食道閉鎖症」という病気を患い、生後まもなく大手術を受けました。その後、体の弱さが引っ込み思案な性格に影響を与えたようです。
4歳でピアノを始め音楽に没頭し、バレエも習いましたが、後遺症で右半身の発育が止まり断念しました。
また、恥ずかしがり屋で赤面しやすかったため、「リンゴ」のあだ名が付き、芸名の由来になりました。
幼少期の苦難を通じて得た繊細さと強さが、椎名さんの独特な感性と表現力を支えているのかもしれませんね。
あだ名が芸名に、かわいいエピソードだにゃ!
10代
椎名林檎さんが10代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1995年(16歳):ティーンズミュージックフェスティバルに出場し、全国大会で奨励賞を受賞
- 1996年(17歳):高校を中退し、ミュージッククエストジャパンファイナルで優秀賞を獲得
- 1998年(19歳):東芝EMIから『幸福論』でメジャーデビュー
1995年、『ティーンズミュージックフェスティバル』で福岡地区1位、全国大会で奨励賞を受賞し、aikoさんと出会います。この経験が、椎名林檎さんの音楽活動に大きな影響を与えました。
1996年、高校2年で中退。フリーターとして生活しながら『ミュージッククエストジャパンファイナル』に出場し、『ここでキスして。』で優秀賞を受賞。これにより、音楽業界から注目されます。
デビュー前の1996年にヤマハが主催するMUSIC QUEST JAPANのFINALで優秀賞を受賞した時の椎名林檎氏(当時17歳)
— パンピー (@kamedism) September 16, 2024
エントリー曲は現在でも愛され続ける不朽の名曲「ここでキスして。」
17歳でここキスですよ…
ちなみにこの年のMUSIC QUEST JAPANはaikoも優秀賞を受賞し、グランプリは谷口崇氏 pic.twitter.com/hicWYPElhI
1998年、シングル『幸福論』でメジャーデビューを果たしました。この時期に椎名さんの独自性が認知され、音楽シーンで急速に知名度が高まっていきます。
息子が産まれてからの毎日が
— ふるはた (@19880921_love) September 2, 2024
椎名林檎の「幸福論」そのまんまだと気付いた今日#新米ママ pic.twitter.com/08nyHuY2Te
10代の椎名林檎さんは、逆境に屈することなく、自分らしい表現スタイルを確立していったと思います。その過程での挑戦や努力が、後に圧倒的な存在感を生み出す大きな要因になったのでしょう。
才能が、まるで炎のように輝くんだにゃ!
椎名林檎さんファンに聞いた、椎名林檎さんの10代で印象に残っている出来事
中学生の時にバンドをはじめ、高校生の時にはヤマハ主催のコンテストなどで各賞を受賞されてます。若い頃から音楽活動が活発で才能もあったんだなと驚きました。(40代女性)
福岡市立百道中学校に通っていた頃に、友達と一緒に初めてバンド活動をおこなう。中学生の頃からバンド活動をしていたことは凄いと思う。(40代男性)
福岡県立筑前高等学校に進学すると軽音楽部に入部したことです。この頃からアーティスト活動を考えるようになったんだろうなと印象に残りました。(50代男性)
20代
椎名林檎さんが20代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1999年(20歳):シングル『本能』がヒットし、注目を集める
- 2000年(21歳):アルバム『勝訴ストリップ』が230万枚の大ヒット
- 2004年(25歳):バンド「東京事変」を結成し、ソロからバンド活動へと移行
1999年、シングル『本能』がヒットし、椎名林檎さんのユニークな音楽性が一気に注目を集めました。この時期に歌詞や表現の斬新さで、幅広いファン層を獲得していったようです。
椎名林檎 4th シングル
— オリコンチャートクイズ+ayu垢 (@masatoricon) October 26, 2024
1stアルバムの大ヒットを経ての今作は、理性が下らなく思えてしまう時には、抗えない本能を選んでしまおうよ、と言われているように思えてしまう。
本人のシングル作品で最大のヒットを記録。
『本能』
1999.10.27
(最高2位/初動23.7万枚・累計99.7万枚)
発売25周年 pic.twitter.com/l6R0e8u39A
2000年のアルバム『勝訴ストリップ』は、230万枚を超える売上を記録。椎名さんの音楽キャリアで重要な作品とされスタイルが確立。音楽界に大きな影響を与えました。
同年、ギタリスト弥吉淳二さんと結婚し、翌年、第一子を出産しました。
椎名林檎『勝訴ストリップ』 pic.twitter.com/8dTYiSgq4a
— 好きなアルバム発表ドラゴン (@AlbumDragon) October 11, 2024
2004年、バンド『東京事変』を結成され、この年にシングル「群青日和」でデビューしました。これにより、椎名林檎さんはソロからバンドへと活動を広げ、新たな音楽スタイルの探求が始まったようです。
時代の変化に敏感で、常に挑戦を続ける椎名林檎さんの姿勢には圧倒されます。
『勝訴ストリップ』で人気爆発、椎名ワールドが止まらないニャ!
椎名林檎さんファンに聞いた、椎名林檎さんの20代で印象に残っている出来事
20代の頃は「無罪モラトリアム」「勝訴ストリップ」のアルバムが大ヒットします。これまでになかった個性的な歌で当時はこんな歌い方があるのかと衝撃でした。(40代女性)
1999年に、1枚目のオリジナルアルバムである『無罪モラトリアム』を発売する。このアルバムがきっかけで椎名林檎さんのことを知った人も多いと思う。(40代男性)
ファースト・アルバム『無罪モラトリアム』をリリースしたことです。これまでのアーティスト活動の集大成みたいなものですし、それだけ頑張ってきたんだなと感じました。(50代男性)
30代
椎名林檎さんが30代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 2009年(31歳):ソロアルバム『三文ゴシップ』をリリースし、芸術選奨新人賞を受賞
- 2010年(32歳):NHK紅白歌合戦に初出場
- 2016年(38歳):東京事変の再始動を発表
2009年、『三文ゴシップ』をリリース。多様な音楽ジャンルを取り入れたこの作品は、彼女の音楽的独創性を改めて示す作品となりました。また、芸術選奨新人賞を受賞し、音楽界での存在感をさらに高めました。
椎名林檎
— TATECHAN-2 (@TATECHAN_1210) December 1, 2023
流行 (Music Video)https://t.co/T6V5kcewfz
💿三文ゴシップhttps://t.co/PKhtr8MndA pic.twitter.com/RtI6gscJLz
2010年、NHK紅白歌合戦に初出場し『NIPPON』を含む特別なメドレーを披露しました。紅白出場を機に椎名さんの知名度はさらに高まり、幅広いファン層に支持されるきっかけとなりました。
2016年、一時活動休止していた東京事変が再始動を発表。ファンにとっては待ち望んだ復活であり、本人も再びバンドとしての活動で新たな音楽表現に挑む機会を得ました。
第5回 Back to the golden age
— みなみ🐱 (@nu724aquags) October 8, 2022
出演アーティスト紹介
🍎MELAsoundCLUB
(椎名林檎&東京事変)
since 2016
MELA:メーラ イタリア語で林檎🍎という意味です。
椎名林檎さん東京事変のトリビュートバンド。
大阪、京都あたりで活動中です。
場所:VIEEW
2022年12月4日
13:30開場
13:50開演 pic.twitter.com/Kh3aJhXOSz
30代でも挑戦をやめず、常に新たな形で音楽と向き合う姿勢が、本当にかっこいいですね!
『三文ゴシップ』、ジャンルがめちゃくちゃ多彩で聴いてて飽きないにゃ!
椎名林檎さんファンに聞いた、椎名林檎さんの30代で印象に残っている出来事
30代に入り「長く短い祭」をリリースされます。元東京事変の浮雲さんとデュエットした歌で、二人とも美しくて妖艶、独特の雰囲気がしてとてもいい曲です。(40代女性)
2009年に芸術選奨文部科学大臣新人賞の大衆芸能部門を受賞する。音楽ファンだけでなく、文部科学省からも評価されたことは凄いと思った。(40代男性)
芸術選奨文部科学大臣新人賞の大衆芸能部門に選ばれたことです。それだけ私達日本人に多大なる影響を与えてきたんだなってしみじみ感じました。(50代男性)
40代
椎名林檎さんが40代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 2018年(40歳):デビュー20周年を迎え、記念企画やライブ活動を実施
- 2019年(41歳):アルバム『三毒史』をリリースし、複数アーティストとのコラボで注目
- 2020年(42歳):東京事変再始動し「永遠の不在証明」をリリース
2018年、デビュー20周年を迎え、アリーナツアーやSpotify、Apple Music等のサブスクリプション解禁など、多様な記念企画が行われました。これにより、幅広いリスナー層にも再評価されるきっかけとなりました。
2019年、アルバム『三毒史』では、宮本浩次やトータス松本らと共演し、それぞれの個性が楽曲に豊かな彩りを添え、椎名林檎さんの音楽の幅広さが感じられる作品に仕上がりました。
2020年、東京事変が再始動し、ファン待望のシングル『永遠の不在証明』を発表しました。このシングルは映画『名探偵コナン 緋色の弾丸』の主題歌にもなり、大きな反響を呼びました
歳を重ねても独自のスタイルを貫き、新しい表現に挑戦し続ける姿勢に、深く心を動かされます。
映画の主題歌まで手がけるなんて、やっぱり唯一無二だにゃ!
椎名林檎さんファンに聞いた、椎名林檎さんの40代で印象に残っている出来事
昨年2023年にはデビュー25周年を迎えて、全国ソロライブツアーも開催しました。他にはない、椎名林檎さんしか出来ない世界観を歌で表現されていくと思います。(40代女性)
2019年に6枚目のアルバムである『三毒史』をリリースする。この曲は前作から4年以上経ってから発売されたので、ファンはずっと待っていたと思う。(40代男性)
オリジナル・アルバム『三毒史』を発売したことです。4年半ぶりのリリースとなりますし、それだけに内容は充実。さすが椎名林檎さんだなって感じました。(50代男性)
椎名林檎さんの若い頃の髪型はベリーショートやボブ!ファッションも個性的
椎名林檎さんの若い頃の髪型といえば、顔まわりを強調するベリーショートや、前髪を大胆にカットした黒髪ボブスタイルの髪型を思い出す方も多いのではないでしょうか。
椎名林檎さんの髪型はシンプルながらも個性が際立ち、独自の世界観をより強調していたと思います。挑戦的でありながら洗練された印象ですね。
1990年代末から2000年代初頭は、個性的なスタイルが流行り始め、椎名さんの髪型はその先端を行くものでした。ベリーショートや重めの前髪ボブは、椎名さんの独自のキャラクターを表現するための象徴的なスタイルだったようです。
リンゴさんの髪型は、時代をリードするスタイルアイコンだにゃ!
まとめ
今回は、椎名林檎さんの若い頃の活躍や出来事を、画像とともに振り返りました。
年代ごとに印象深い出来事がたくさんあったね!
これからの活動も頑張ってほしいと思います。