志穂美悦子の若い頃は?昔の髪型はストレートロングだった!

女優として活躍する志穂美悦子さん。

若い頃どんな風貌だったのかや、年代ごとにどんなできごとがあったのか気になるかたも多いと思います。

さっそく、志穂美悦子さんの若い頃の写真やできごと、デビューのきっかけを年代順に振り返ってみましょう。

目次

志穂美悦子のデビューのきっかけや時期は?

デビューのきっかけや時期

16歳の時に、千葉真一さんのジャパンアクションクラブ(JAC)に受験し、合格したことがきっかけでデビューしました。

デビュー作は千葉真一さんの主演映画「ボディガード牙」でスタントマンとしてデビューを果たしました。

志穂美悦子さんは、千葉真一さんのファンで、スタントマンを目指してJACを受験したことがデビューのきっかけにななったようです。

ねこ太郎

16歳でスタントマンの世界で活動するのすごいね!

志穂美悦子の幼少期は?若い頃の活躍やできごとを年代順に振り返り

志穂美悦子さんの幼少期のエピソードや、若い頃の活躍やできごとを年代順に振り返っていきます。

幼少期

岡山県岡山市で生まれ、国家公務員の父親のもとで、真面目な子供として育ちました。小学校の頃には学級委員長を務めるような子供だったようです。運動神経はかなり良く、陸上や水泳が得意分野でした。ドラマの中で動きのある女優さんを見て、憧れるようになったそうですね。

子供のころから抜群の運動神経の持ち主だったから、アクションもこなせたのかな。

ねこ太郎

昔から女優さんに憧れていたんだね!

10代

志穂美悦子さんが10代の頃の代表的なできごとはこちらです。

  • 1972年(16歳):千葉真一主宰のジャパンアクションクラブ(JAC)に合格
  • 1973年(17歳):映画「ボディガード牙」スタントマンとしてデビュー
  • 1974年(18歳):アクション映画「女必殺拳」で初主演を果たす

当時はまだ高校生だったので、東京にある中延学園高等学校に転校し活動を始めたそうです。

JACに合格してすぐ、スタントマンで映画デビューが決定したようですね。宙づりで撮影をしたり危険なスタントを行なっていたようです。

初主演の「女必殺拳」では、日本と香港のハーフの「李紅竜」役を演じました。空手や拳法を駆使するアクション映画で、シリーズ化され大ヒット作品になりました。

危険なアクションをこなし、日本初の本格アクション女優として、人気に火がついたようですね。

ねこ太郎

「ボディガード牙」は本名の塩見悦子でデビューしたんだね!

志穂美悦子さんファンに聞いた、志穂美悦子さんの10代で印象に残っている出来事

アンケート調査結果
ネット上の人物

ボディーガード牙という作品での姿が印象的ですね。彼女のひたむきな仕事の取り組み方にかなり感銘を受けましたね。(30代男性)

ネット上の人物

中学生の時に80メートルのハードル競技で、当時の歴代2位の記録を残す。中学生のころからスポーツが得意であったのだと思う。(40代男性)

ネット上の人物

学生時代は陸上部に所属し、中学時代には岡山歴代2位の記録を残す程の活躍をしていたことです。陸上選手としてかなり才能があったんだなって驚きました。 (50代男性)

20代

志穂美悦子さんが20代の頃の代表的なできごとはこちらです。

  • 1976年(20歳):テレビ時代劇「大江戸捜査網」に出演し、初めて時代劇に進出
  • 1977年(21歳):バラエティ番組「みどころガンガン大放送」に初レギュラー
  • 1985年(29歳):JACから独立、個人事務所「ハンドレット」を設立

連続ドラマは全6シリーズあり、アクション映画のような立ち回りが多い作品です。この劇で志穂美さんは女忍者役を演じたそうです。

学園を舞台にしたドタバタ劇で志穂美さんはシスター兼教師役で登場。ミニスカートでアクションをしたり今までと違った一面が披露したようですね。

志穂美さんは、キャリアに新たな方向性を求めて独立を決めたようです。独立後に出演した「二代目はクリスチャン」は大ヒットを記録しました。

20代から、様々なことに挑戦していたんですね。デビューからお世話になっていた事務所を離れるのはとても勇気が必要なことだなと感じました。さらに20代で個人事務所を設立していることにとても驚きました。

ねこ太郎

学園ドラマにも出演していたんだね!

志穂美悦子さんファンに聞いた、志穂美悦子さんの20代で印象に残っている出来事

アンケート調査結果
ネット上の人物

ゴルゴ13での芝居がとても魅力的でした。原作の本も大好きで実写としての作品のクオリティも高かったですね。(30代男性)

ネット上の人物

1976年に放送された『大江戸捜査網』というテレビドラマで、初めて時代劇に出演する。現代劇だけでなく、時代劇にも似合っていると思う。(40代男性)

ネット上の人物

千葉主演作の『七色とんがらし』に出演し、ホームドラマにレギュラー出演するようになったことです。これで知名度は格段に上がりましたし、印象に残っています。(50代男性)

30代

志穂美悦子さんが30代の頃の代表的なできごとはこちらです。

  • 1986年(30歳):ドラマ「親子ゲーム」に出演し、長渕剛さんと共演
  • 1987年(31歳):歌手の長渕剛さんと結婚
  • 1988年(32歳):第1子となる長女・文音を出産

このドラマで長渕剛さんと夫婦役で共演しました。ドラマの撮影中に志穂美さんが怪我をし、長渕さんが病院に付き添ったそうです。このことがきっかけで交際がはじまったようですね。

共演から翌年に歌手の長渕剛さんとの結婚を発表しました。結婚後は長渕さんの意向により芸能界を引退しました。

結婚から1年後に第1子となる長女を出産。厳しい教育は長渕さんが志穂美さんは優しいお母さんだったようですね。現在では3人の子供に恵まれています。

10年以上芸能界で生活し、結婚をきっかけに引退は大きな決断ですね。あわよくば続けたいと思っていたようですが、子供を授かり子育てに専念したんですね。

ねこ太郎

30代で志穂美さんの人生は大きく変わったんだね

志穂美悦子さんファンに聞いた、志穂美悦子さんの30代で印象に残っている出来事

アンケート調査結果
ネット上の人物

キャバレーのパブのママ役をしていた姿が印象深いですね。画面にばっちりとハマっていて違和感のない雰囲気を作るのがとても上手い方ですね。(30代男性)

ネット上の人物

1987年にミュージシャンの長渕剛さんと結婚する。ドラマで共演したことが結婚をするきっかけになったのだと思う。(40代男性)

ネット上の人物

『熱海殺人事件』で水野朋子として出演したことです。アクションシーンも多かったことから、アクションも出来る女優さんなんだと驚きました。(50代男性)

40代

志穂美悦子さんが40代の頃の代表的なできごとはこちらです。

  • 2000年(45歳):フルマラソンに挑戦することを決意
  • 2000年(45歳):ニューヨークマラソンを見事に完走
  • 2002年(46歳):月刊誌「ランナーズ」で対談連載「悦ちゃんといっしょに話走(はなそう)

ミレニアムを迎えることを記念してフルマラソンに挑戦を決意しました。それまで最長でも5キロ程度しか走ったことがなかったため、大きな挑戦だったようです。

フルマラソンを決意し同年にトレーナーをつけずに自己流で取り組み、なんとニューヨークマラソンを完走したそうです。

マラソンの経験をきっかけに、月刊誌「ランナーズ」で対談連載「悦ちゃんといっしょに話走(はなそう)」を開始しました。

40代から体を酷使するフルマラソンに挑戦はすごいですね。
少しずつ子供が大きくなった頃に自分の時間で、いくつになっても新たな挑戦をする姿、とても素敵だと感じました。

ねこ太郎

挑戦することに、年齢は関係ないですね!

志穂美悦子さんファンに聞いた、志穂美悦子さんの40代で印象に残っている出来事

アンケート調査結果
ネット上の人物

結婚して活動休止していたことに驚きましたね。もっと活躍できたはずなのにかなり潔いなというイメージがありますね。(30代男性)

ネット上の人物

2002年から『ランナーズ』という月刊誌で連載を始める。芸能界を引退してからランニングを趣味にしていたことは知らなかった。(40代男性)

ネット上の人物

月刊誌の『ランナーズ』にて「悦ちゃんといっしょに話走(はなそう)」が連載したことです。女優業以外への才能もある人なんだと驚きました。(50代男性)

志穂美悦子の若い頃の髪型はロングヘア

志穂美悦子さんの若い頃の髪型といえば、ストレートのロングヘアな髪型を思い出す方も多いのではないでしょうか。

黒髪にストレートロングヘアで清楚で可愛らしい印象がある反面、髪がなびくことで動きに迫力が増しアクション女優としてのカッコよさも感じますね。

この当時は、ロングヘアが流行しており、多くの女性がロングヘアを楽しんでいました。志穂美さんもその一人だったのかもしれませんね。

ねこ太郎

強さと可愛いさを兼ね備えていたんだね

まとめ

まとめ

今回は、志穂美悦子さんの若い頃の活躍や出来事を、画像とともに振り返りました。

ねこ太郎

年代ごとに印象深い出来事がたくさんあったね!

これからの活動も頑張ってほしいと思います。

スポンサーリンク
よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
目次