お笑いタレントとして活躍する柴田理恵さん。
若い頃どんな風貌だったのかや、年代ごとにどんなできごとがあったのか気になるかたも多いと思います。
さっそく、柴田理恵さんの若い頃の写真やできごと、デビューのきっかけを年代順に振り返ってみましょう。
柴田理恵のデビューのきっかけや時期は?

柴田理恵さんのデビューのきっかけは、1984年に「劇団東京ヴォードヴィルショー」を脱退した後、佐藤正宏さんや久本雅美さんらとともに「WAHAHA本舗」を旗揚げしたことです。この劇団での活動を通じて、彼女は芸能界に本格的に登場し、その後はWAHAHA本舗の看板女優として舞台を中心に、映画やドラマ、バラエティ番組など幅広いジャンルで活躍していきました。

お芝居のお話まで自分で作っていたんだって!
柴田理恵の幼少期は?若い頃の活躍やできごとを年代順に振り返り

柴田理恵さんの幼少期のエピソードや、若い頃の活躍やできごとを年代順に振り返っていきます。
幼少期
柴田理恵さんは1959年、富山県富山市(旧:婦負郡八尾町)に、鉄道会社に勤務する父と小学校教諭の母の1人娘として生まれました。その後、高校まで富山県で過ごしました。
柴田理恵さんが人を楽しませる喜びに目覚めたきっかけとなった出来事は、小学校時代にありました。
みんなでモノマネ歌合戦をやったのです。私は学級委員タイプでまじめだったので、みんながやっているのを楽しく見ていたのですが、「理恵ちゃんも何かやって」と言われて、なぜか山本リンダさんのモノマネをしました。そうしたらおもしろいとなって、私もすごく楽しくて、そこで友達が倍増しました。
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この経験がのちに多くの人を笑顔にする柴田理恵さんの原点となったのですね。

この経験をきっかけに学芸会などにも積極的に参加するように!
10代

柴田理恵さんが10代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1975年(16歳):富山県立八尾高等学校に入学
- 1977年(18歳):富山県立八尾高等学校を卒業
- 1977年(18歳): 明治大学文学部演劇学科に進学
1975年、16歳のときに富山県立八尾高等学校に入学します。高校入学後は、演劇部に入りました。
当時、富山県の利賀村で早稲田小劇場の公演を観て、白石加代子さんの演技に感銘を受け、東京で演劇の道を志すことを決意します。
1977年、高校卒業後は 明治大学文学部演劇学科に進学し、大学在学中も演劇活動に熱心に取り組みました。
高校時代から大学時代にかけて熱心に演劇に打ち込んだことが、後の舞台女優としてのキャリアにつながったのではないでしょうか。

10代から自分の道をしっかりと見据えていたんだね!
柴田理恵さんファンに聞いた、柴田理恵さんの10代で印象に残っている出来事


明治大学文学部演劇学科に進学したことです。お笑いや演劇関連の印象が強かっただけに、実は難関大学へ進学できる程の頭の良さだったことに驚きました。(50代男性)

明治大学に入学したという話を聞いて頭脳明晰だったんだと意外性を感じられましたね。そういえば結構理知的な発言が多かったです。(30代男性)

明治大学の演劇学科に通われていたと聞いたことがあって、劇団もやられているので本格的な女優さんなんだと知った。(40代女性)
20代

柴田理恵さんが20代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1981年(22歳):劇団東京ヴォードヴィルショーに入団
- 1984年(25歳):WAHAHA本舗を旗揚げ
- 1987年(28歳):WAHAHA本舗の舞台監督と結婚
1981年、柴田理恵さんが22歳のとき、明治大学文学部演劇学科を卒業し、劇団東京ヴォードヴィルショーに入団しました。
柴田理恵さんの成人式の写真、さんざんこすられてるのに初見の感じで驚かれがち pic.twitter.com/hpNi7hC5ks
— 内田 (@ucd_1) July 26, 2022
その後、25歳のとき東京ヴォードヴィルショーを脱退し、佐藤正宏さんや久本雅美さんらとともにWAHAHA本舗を旗揚げします。
プライベートでは、28歳のときに、学生時代の同級生だったWAHAHA本舗の舞台監督と結婚しました。
柴田理恵さんは若い頃から演劇に情熱を注ぎ、積極的に活動してきたんですね。プライベートでも「公開結婚式」を挙げるなど、個性が光る一面が見られますね。

劇場で「公開結婚式」を行ったんだって…!
柴田理恵さんファンに聞いた、柴田理恵さんの20代で印象に残っている出来事


久本雅美らとともにWAHAHA本舗を旗揚げしたことです。今でも柴田理恵=WAHAHA本舗というイメージがありますし、強く印象に残りました。(50代男性)

ワハハ本舗での姿が印象的ですね。久本さんとのコンビプレーが本当に良くて見ていてすごく笑えましたね。息がとても合っていました。(30代男性)

劇団をやめて久本雅美さんとWAHAHA本舗を旗揚げした。とても面白い人柄で演技もできて好感がもてる。(40代女性)
30代

柴田理恵さんが30代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1997年(38歳):NHK大河ドラマ「毛利元就」に出演
- 1997年(38歳):「欽ちゃん&香取慎吾の全日本仮装大賞」の審査員を務める
- 1998年(39歳):フジテレビ系「笑っていいとも!」のレギュラーに抜擢
柴田理恵さんは、30代になるとWAHAHA本舗での舞台活動に加え、テレビ出演の機会が増加しました。女優としては、NHK大河ドラマ「毛利元就」に出演し、毛利元就の息子の嫁の乳母役を演じました。
38歳のときには、「欽ちゃん&香取慎吾の全日本仮装大賞」の審査員を務めています。
さらに、39歳のときにはフジテレビ系「笑っていいとも!」のレギュラーに抜擢されます。
舞台だけでなくテレビでも活躍の幅を広げ、さまざまなジャンルでその才能を存分に発揮していますね。

「笑っていいとも!」には約15年半レギュラー出演!
柴田理恵さんファンに聞いた、柴田理恵さんの30代で印象に残っている出来事


大河ドラマ「毛利元就」に出演されたことです。演じた「きよ」さんは口うるさい感が柴田理恵さんにピッタリのハマリ役でしたし、印象に残りました。(50代男性)

SMAPSMAPでコントをしていた姿がとても印象的ですね。すごくコミカルな芝居で見ていてかなり爆笑できましたね。(30代男性)

30代はテレビのバラエティー番組でたくさんお見掛けした。まだ若いのに老けて見える事やお母様とそっくりな容姿で笑いをとっていた。(40代女性)
40代

柴田理恵さんが40代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 2005年(45歳):不法投棄された障害を持つ子犬を発見し引き取る
- 2006年(47歳):映画「ワイルド・スピードX3 TOKYO DRIFT」に出演
- 2008年(49歳):TBS系「はなまるマーケット」にレギュラー出演
ロケ中に不法投棄された障害を持つ子犬を発見し、引き取り「晴太郎」と命名しました。
47歳のとき、映画「ワイルド・スピードX3 TOKYO DRIFT」に出演し、ハリウッドデビューを果たします
ワイルド・スピードの何が凄いかって、ジョン・シナと柴田理恵が同じ世界線に存在する事なんだよな pic.twitter.com/zXucVRtf30
— さおちゃん¹³ Taylor’s Version (@Pirates_Saochan) November 13, 2022
49歳のとき、TBS系「はなまるマーケット」にレギュラー出演開始します。
ハリウッドデビューやテレビ出演など多方面で目まぐるしい活躍をする一方、その温かい人柄が感じられるエピソードですね。

思いやりと愛に満ちた性格だよね!
柴田理恵さんファンに聞いた、柴田理恵さんの40代で印象に残っている出来事


映画『ワイルド・スピードX3 TOKYO DRIFT』へ出演し、ハリウッドデビューしたことです。ワイルドスピードシリーズといえば今も続いている大ヒット映画ですし、それに出演していたのかと驚きました。(50代男性)

いいともでの姿が印象深いですね。タモリさんとのやりとりにすごく面白みがあって良かったですね。本当にコメント力が凄まじいです。(30代男性)

テレビで出身地の美味しいご飯や魅力を紹介する番組があり好きでよく観ていた。笑顔が素敵でお喋りも上手で楽しかった。(40代女性)
柴田理恵の若い頃の髪型はボブ

柴田理恵さんの若い頃の髪型といえば、ボブの髪型を思い出す方も多いのではないでしょうか。
24コマに1コマ、柴田理恵の
— 井上だいすけ (@pantyonotdead) April 8, 2021
若い頃の写真が映っている
ホラー映画。 pic.twitter.com/g2kZX9DqlV
現在はアップスタイルが多いですが、当時は髪をおろしていることも多かったようですね。
舞台出演時の写真では、現在とは異なるヘアスタイルをされているころから、役柄によって変化させていたのかもしれませんね。

今とは異なる印象だよね!
まとめ

今回は、柴田理恵さんの若い頃の活躍や出来事を、画像とともに振り返りました。

年代ごとに印象深い出来事がたくさんあったね!
これからの活動も頑張ってほしいと思います。