【画像】真田広之の若い頃が超イケメン!ドラマのアクションがヤバすぎる?

俳優として活躍する真田広之さん。

若い頃どんな風貌だったのかや、年代ごとにどんなできごとがあったのか気になるかたも多いと思います。

さっそく、真田広之さんの若い頃の写真やできごと、デビューのきっかけを年代順に振り返ってみましょう。

監督:エドワード・ズウィック, プロデュース:エドワード・ズウィック, Writer:エドワード・ズウィック, Writer:ジョン・ローガン, 出演:トム・クルーズ, 出演:渡辺謙, 出演:真田広之
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目次

真田広之のデビューのきっかけや時期は?

デビューのきっかけや時期

真田広之さんがデビューのきっかけとなった出来事は、幼少期までさかのぼります。俳優である高田浩吉の息子と遊んでいたところを、芸能関係者にスカウトされたそうです。

真田の芸能界デビューはなんと5歳。きっかけは子どもの頃に住んでいたのが、戦前の松竹を代表する時代劇スター・高田浩吉と同じマンションであることだった。

引用元:Yahoo!ニュース デイリー新潮

1965年5歳の時に劇団ひまわりに入団し、幼児向けの雑誌のモデル活動もしていたそうです。真田広之さんは子役時代から活躍されてきたのですね。

ねこ太郎

5歳の頃から活動しているとは思わなかった!

真田広之の幼少期は?若い頃の活躍やできごとを年代順に振り返り

真田広之さんの幼少期のエピソードや、若い頃の活躍やできごとを年代順に振り返っていきます。

幼少期

1966年、6歳の時に千葉真一さん主演の映画「浪曲子守唄」でスクリーンデビューを果たしました。この時は本名を新字体で表記した「下沢広之」名義で出演しているようです。

1968年には、「千葉真一と下沢広之」名義で歳の離れた兄弟の愛情を歌ったシングル「握手をしよう」をリリースしていたそうで、子役から始まり音楽活動までされていたとは驚きです!この頃から大物の素質を感じますね。

ねこ太郎

小さな頃からオールマイティに活躍しているね。

10代

真田広之さんが10代の頃の代表的なできごとはこちらです。

  • 1973年(13歳):千葉真一が主宰するジャパンアクションクラブ(JAC)に入団
  • 1976年(16歳):高校生の時に一度芸能活動を休止
  • 1978年(18歳):芸能活動を本格的に再開し、「真田広之」という芸名で活動を始める

真田広之さんは、1973年13歳の時に日本の芸能事務所であるジャパンアクションクラブに入団します。主宰は、幼少期に共演したことがある千葉真一さんだそうです。

1976年16歳では、芸能活動を休止しています。理由は学業へ専念するためであり、千葉真一さんからのアドバイスだったとか…。

下沢少年はその後も子役として順調にキャリアを重ねる中で撮影現場の楽しさに魅了されていったが、「子役上がりは大成しない」というジンクスを心配した両親から相談を受けた千葉に「高校を卒業したら思う存分やらせてあげるから、一度仕事を休みなさい」と命じられる。

引用元:映画ナタリー

1978年18歳の時に、映画『柳生一族の陰謀』のオーディションに合格し、芸能活動を本格的に再開します。なんとこの時、千葉真一の命名により「真田広之」という芸名を名乗るようになりました。

『柳生一族の陰謀』の真田広之さん、めちゃくちゃイケメンですね。それにしても千葉真一さんの影響力がすごいですね。10代は千葉真一さんが人生に大きな影響を与えたといっても過言ではないかもしれません。

ねこ太郎

みんなが知ってる「真田広之」の名は千葉真一さんが名付けたんだね!

真田広之さんファンに聞いた、真田広之さんの10代で印象に残っている出来事

アンケート調査結果
ネット上の人物

幼少期に日本舞踊を習う。時代劇で活躍されているイメージが強く、時代劇ならではの所作や佇まいは日本舞踊と通じるものがありそうだから。(20代女性)

ネット上の人物

戦隊シリーズにちょい役で出ていたということを知り本当に驚きました。今の名俳優ぶりが嘘のような下積みで本当にスターダムにのし上がったんだと改めて感動しました。(30代男性)

ネット上の人物

真田広之さんは子役出身ということです。堀越高校に通っていて、その時は学業に専念していたことが衝撃的でした。(40代女性)

20代

真田広之さんが20代の頃の代表的なできごとはこちらです。

  • 1980年(20歳):若手アクションスターとして日本国内で人気に
  • 1982年(22歳):アイドル歌手としても活動を開始
  • 1988年(28歳):『怪盗ルビィ』で数多くの賞を受賞

真田広之さんは1980年20歳の時、映画初主演を果たした『忍者武芸帖 百地三太夫』で桃山城天守から飛び降りるシーンなど、アクションスターとして演じていたそうです。

1982年22歳の時にはなんとアイドル歌手としも活動開始をされたそうです。アクションスターと打って変わり、真田広之さんのイメージが一気に変わりますね。

アクションやアイドルと様々なことを経験してきた真田広之さんですが、1988年28歳の時には『怪盗ルビィ』でコメディなお芝居にも初挑戦したようです。そして、キネマ旬報賞、報知映画賞などの主演男優賞を多数受賞されたというのですから、すごいの一言です。

これを見ると20代はお芝居だけに留まらず、いろんなことに挑戦していることがわかります。真田広之さんの常に挑戦していく姿勢と努力が、垣間見えてくる気がしますね。

ねこ太郎

アイドル時代には、あの『ギザギザハートの子守歌』を提供されていたらしいんだけど事務所の意向で歌わなかったんだって!

真田広之さんファンに聞いた、真田広之さんの20代で印象に残っている出来事

アンケート調査結果
ネット上の人物

歌番組にも出演。今では世界的な俳優となった真田さんが歌手として歌われていた時代もあったことが意外だったから。(20代女性)

ネット上の人物

大河ドラマ太平記の主演に抜擢されたことが印象的です。足利尊氏役ということですごく信念のこもった演技力を見せてくれて本当に魅力的でした。(30代男性)

ネット上の人物

真田さんは、日本大学を卒業されていてまた俳優以外にもアイドルとして売り出されていたことに衝撃をうけました。(40代女性)

30代

真田広之さんが30代の頃の代表的なできごとはこちらです。

  • 1990年(30歳):女優の手塚理美さんと結婚
  • 1991年(31歳):NHK大河ドラマ『太平記』で主演を務める
  • 1993年(33歳):大ヒットドラマ『高校教師』に出演

1990年30歳の時に、女優の手塚理美さんとご結婚します。二人の息子さんに恵まれますが1997年に離婚されています。次男は俳優の手塚日南人さんです。全体的にとても似てらっしゃいますね!

真田広之さんは、1991年31さんの時ににNHK大河ドラマ「太平記」で室町幕府初代将軍の足利尊氏役で主演を務めました。この作品は真田広之さんにとって、30代初めの重要な出演作となったそうです。

1993年33歳では、大ヒットドラマとなった『高校教師』に教師役で出演されています。とても反響があった作品だそうで、内容も「禁断の愛」をテーマにしたもので社会現象をも巻き起こしたとか。

ヒットメーカー・野島伸司がTBSで初めて連続ドラマの脚本を手掛け、最終回に33%という高視聴率を記録した。無垢な魂を持った一人の少女との無償の愛の数々に、教師・羽村は自らの人生を狂わせていく…。ラストシーンに描かれた禁断の愛の結末は大きな波紋を投げかけた。

引用元:TBSチャンネル

30代の頃の真田広之さんはテレビドラマ出演が目立っていたように思います。『高校教師』については、主題歌の森田童子さんの「ぼくたちの失敗」とともに、私自身非常に印象に残っていますね。

ねこ太郎

大河ドラマの主演を務めるなど、みんなの印象に強く残る活躍ぶりだね!

真田広之さんファンに聞いた、真田広之さんの30代で印象に残っている出来事

アンケート調査結果
ネット上の人物

ドラマ高校教師への出演。高校教師といえば藤木直人さんが演じられた方しか見たことがなく、リメイクバージョンだとは知らなかったから。(20代女性)

ネット上の人物

やはり古畑任三郎の犯人役が印象的です。忙しすぎる犯人の役柄ですごく真田さんの雰囲気にバッチリハマっていて最高でした。古畑との掛け合いの場面も見ていてドキドキしました。(30代男性)

ネット上の人物

リアルタイムで見ていましたが、真田さんが出演されていた「高校教師」のドラマでの演技はとても印象的です。役にはまっていたのでドキドキしながら見ていました。(40代女性)

40代

真田広之さんが40代の頃の代表的なできごとはこちらです。

  • 2002年(42歳):映画『たそがれ清兵衛』で主演を務め、日本アカデミー賞最優秀主演男優賞など受賞
  • 2003年(43歳):アメリカ映画『ラストサムライ』に出演しハリウッドデビュー
  • 2005年(45歳):イギリス映画『上海の伯爵夫人』に出演

2002年42歳の時、本格時代劇である映画『たそがれ清兵衛』で主演を務めます。この作品で真田広之さんは、日本アカデミー賞最優秀主演男優賞など多数の賞を受賞しました。

2003年43歳の時には、映画『ラストサムライ』でハリウッドデビューを果たします。この出演がきっかけで、瞬く間に国際的にも注目を浴びることになったようです。

真田広之さんの勢いは止まらず、2005年45歳の時にはイギリスの映画『上海の伯爵夫人』に出演。監督のジェイムス・アイヴォリー監督は当時のインタビューで真田広之さんを起用した理由について語っています。

ヒロ(真田広之)に関しては、『たそがれ清兵衛』や『ラストサムライ』で見ていいなと思っていたのですが、彼が英語でも上手く演技をすると聞いたんです。彼は中国や日本にいて、私はロンドンにいたので、まずは電話で話しました。それで会うことに決め、脚本を送りました。

引用元:シネマカフェ

真田広之さんといえば『ラストサムライ』というイメージが強いですが、イギリスの映画にも出演してらっしゃるなんてすごいですね。日本の国際的な俳優さんの1人として応援したくなります!

ねこ太郎

国際的に注目を浴びるようになるし、進化が止まらないね。

真田広之さんファンに聞いた、真田広之さんの40代で印象に残っている出来事

アンケート調査結果
ネット上の人物

ラスト・サムライへの出演。同じ日本人がハリウッド作品に出演できたことは本当に誇らしいことだと思うから。(20代女性)

ネット上の人物

海外ドラマロストに出てきたときには驚きました。もう完全に海外の俳優さんという感じでなんの違和感もなかったです。むしろ馴染みすぎていて本当にその圧倒的なオーラにときめきました。(30代男性)

ネット上の人物

真田さんの40代のころで印象に残っているのは「ラストサムライ」の演技です。どの俳優さんがでるかチェックしないで映画館で見たのですが「あ、真田さんがでている!」と衝撃的でした。(40代女性)

真田広之の若い頃の髪型は短髪ウェーブスタイル

真田広之さんの髪型といえば、ロングでオールバックな髪型を思い出す方も多いのではないでしょうか。しかし若い頃は、比較的長めなウェーブのかかった髪型も見られたようです。

こうやって見ると基本的にロングの髪型が多い印象ですが、『高校教師』出演時の髪型は役柄もあってか短髪で清潔感のある髪型ですね。どちらもカッコイイです!

真田広之さんはなぜ長髪オールバックの髪型が多いかという情報に、髪質が固いためという理由があるとか…。理由はともあれ、どんな髪型も様になってしまう大人の色気があるのは間違いないのではないでしょうか。

ねこ太郎

ワイルドで長めの髪型も素敵だけど、短髪も似合ってるよね!

まとめ

まとめ

今回は、真田広之さんの若い頃の活躍や出来事を、画像とともに振り返りました。

ねこ太郎

年代ごとに印象深い出来事がたくさんあったね!

これからの活動も頑張ってほしいと思います。

監督:エドワード・ズウィック, プロデュース:エドワード・ズウィック, Writer:エドワード・ズウィック, Writer:ジョン・ローガン, 出演:トム・クルーズ, 出演:渡辺謙, 出演:真田広之
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