テレビプロデューサーやラジオパーソナリティとして活躍する佐久間宣行さん。
若い頃どんな風貌だったのかや、年代ごとにどんなできごとがあったのか気になるかたも多いと思います。
さっそく、佐久間宣行さんの若い頃の写真やできごと、デビューのきっかけを年代順に振り返ってみましょう。
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佐久間宣行のデビューのきっかけや時期は?

佐久間宣行さんのデビューの時期は、2001年、25歳の時、深夜バラエティ番組「ナミダメ」のプロデューサーを務めたことです。
デビューのきっかけは、入社3年目に自身の企画が通ったことで、深夜枠では異例の若さでプロデューサーデビューしました。
出演者の方に泣けるアイテムを使って泣いてもらい、たくさん泣いた人が賞金100万円を手にするという番組です。『泣くことなんて誰でも簡単にできますよ』と言いたかったんです」
引用元:THE21ONLINE
この番組は半年で終わってしまったものの、優れた番組に贈られるATP賞(全日本テレビ番組製作社連盟)の新人賞を受賞しました。

入社3年目でプロデューサーなんてすごい!
佐久間宣行の幼少期は?若い頃の活躍やできごとを年代順に振り返り

佐久間宣行さんの幼少期のエピソードや、若い頃の活躍やできごとを年代順に振り返っていきます。
幼少期
佐久間宣行さんは、福島県いわき市出身です。
佐久間さんは幼い頃から甘いものが好きだったそうです。
「料理上手なおふくろはお菓子作りも好きで、思い出の味と言えばヨーグルトチーズケーキ。冷蔵庫にそれがあると『ラッキー!!』で、上京するまでずっと好きでしたね。今は、義母の作るベイクドチーズケーキがプロ級にウマくて。結局ずっと、チーズケーキを食べてますね(笑)」
また、幼稚園児の頃から本が好きで、気に入った本を小さいバッグに入れて常に持ち歩いていたり、お祖父さんから送られてきた本をよく読んでいたとのことです。
さきほど同じ本を何度も読んでいたという話をしましたが、裕福な家庭ではなかったのでそれしか楽しみがなかったんです。とにかく活字に飢えていたので、届いたものはなんでも読みました。それを思うと、僕の中の「文化」の源流にあたるものは、あまり認めたくないですけどおじいちゃんだったのかもしれないです。
引用元:kodomoe
佐久間さんの幼少期は、お母さんの作ったおやつや読書が好きな可愛らしい少年だったようですね。

いろんな本を読んでたんだね!
10代

佐久間宣行さんが10代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1988年(12歳):中学校に入学。
- 1991年(15歳):福島県立磐城高等学校に入学。
- 1994年(18歳):早稲田大学商学部に入学。
佐久間宣行さんは、1988年、12歳の時、中学校に入学しました。中学時代は漫画やアニメ、ラジオにハマっていて、特に「伊集院光のオールナイトニッポン」を聴いて以来、ラジオにのめり込んだそうです。
1991年の15歳の頃には、福島県立磐城高等学校に入学しました。部活は帰宅部で、漫画やSF本ばかり読んでいたとのこと。また映画や演劇にもハマったそうです。
映画はレンタルビデオ屋で借りて見て、演劇は当時始まったばかりのWOWOWやNHK-BSでやっていた演劇中継を録画し、友達と貸し合っていました。実際に観に行くチャンスはほとんどありませんでしたね。その時に初めて三谷幸喜さん率いる東京サンシャインボーイズや、夢の遊眠社だった頃の野田秀樹さんの舞台を観ました。
引用元:DANRO
そして1994年の18歳の時、早稲田大学商学部に入学しました。
5年ぶりに開かれたという早稲田大学商学部の卒業式に校友として呼んで頂きました。
— 佐久間宣行 (@nobrock) March 25, 2024
ゴリゴリに留年してるのに大隈講堂でスピーチできる日が来るとは思いませんでした。
卒業生の皆様、本当におめでとうございます。 pic.twitter.com/djwuwU7YxS
佐久間さんの10代は、いろんなジャンルの文化に興味を持って触れたことで、後のキャリアや創造性に大きな影響を与えたと考えられます。

大学の時から東京へ進出したんだ!
佐久間宣行さんファンに聞いた、佐久間宣行さんの10代で印象に残っている出来事


早稲田大学に入学したというエピソードにすごく感心しました。やっぱり色々なアイデアを出せる人は頭がいいのでしょうね。(30代男性)

早稲田大学に入学したがエンタメに夢中になり留年してしまう。好きという気持ちがあるから色んな面白い番組をつくり続けられるんだろうなと思ったから。(20代女性)

福島県出身で、福島県立磐城高等学校を卒業していたことが印象的でした。この学校は公立だけどエリート校としても有名だったからです。(30代女性)
20代

佐久間宣行さんが20代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1999年(23歳):テレビ東京に入社。
- 2002年(27歳):同局で働く女性と職場結婚。
- 2005年(29歳):バラエティ番組「ゴッドタン」のプロデューサーを務める。
佐久間宣行さんは、1999年、23歳の時、テレビ東京に入社しました。
基本的にはメーカーや金融、商社を中心に受けていたんです。就職氷河期でしたが、そっちはかなり内定が取れました。ただ、当時は最初にフジテレビの面接があったんですよ。だから面接慣れのために、まずフジテレビを記念受験したんです。それは落ちたのですが、「制作の仕事が向いている」と面接官に言われたのを真に受けて、制作で唯一受けたのがテレビ東京でした。
引用元:kodomoe
2002年の27歳の頃には、同局で働く女性と職場結婚しました。
そして2005年の29歳の時、バラエティ番組「ゴッドタン」のプロデューサーを務めました。
今夜もラジオ楽しかったです。
— 佐久間宣行 (@nobrock) February 7, 2024
お聞き頂きありがとうございました!
ゴッドタンの新年会写真、僕もあげときます。こちらが正式バージョンなはずです。
ADがセンターバージョンは松丸と野呂のインスタで。#佐久間宣行ann0 pic.twitter.com/gbbTHw3BGi
佐久間さんの20代は、テレビ業界に入り、下積み時代を経て、後のヒット番組プロデューサーとしての基盤を作った時期だったと言えます。

ついにテレビ東京へ入社したんだね!
佐久間宣行さんファンに聞いた、佐久間宣行さんの20代で印象に残っている出来事


テレビ東京に入社したということが彼の運命の分かれ道でしたね。ここまで有名になれたのは確実にテレ東だったからだと思います。(30代男性)

テレビ東京に入社。ゴッドタンや青春高校3年C組などテレ東を代表する人気番組を数多く手掛けているから。(20代女性)

テレビ東京に入社したことが印象的でした。テレビ東京にとっても、彼の存在はとても大きなものになっていったと思うからです。(30代女性)
30代

佐久間宣行さんが30代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 2006年(31歳):娘が誕生。
- 2009年(33歳):イベント「まさかのマジ歌マジライブ in 日本青年館」をプロデュース。
- 2013年(37歳):映画「ゴッドタン キス我慢選手権 THE MOVIE」で映画監督デビュー。
佐久間宣行さんは、2006年、31歳の時、娘が誕生しました。
子どもが生まれる直前も、9日間連続で会社に泊まっていて家に帰れていませんでした。それは仕事を詰めることでなんとか出産に立ち会いたいという思いもあったのですが、ちょうど3番組の立ち上げ時期とかぶっていて。全然家に帰れないまま、特番のロケでキングコングと大分に行っていたときに、妻から「地元の病院で破水した」と連絡が入ったときは焦りましたよ。予定日より1週間くらい早かったので。それからロケを終えて湯布院から福岡へ行き、福岡から飛行機に乗り、羽田からタクシーで妻の実家がある横浜方面に行って、なんとか生まれる瞬間には立ち会いました。
引用元:kodomoe
2009年の33歳の頃には、イベント「まさかのマジ歌マジライブ in 日本青年館」をプロデュースしました。
そして2013年の37歳の時、映画「ゴッドタン キス我慢選手権 THE MOVIE」で映画監督デビューを果たしました。
映画『ゴッドタン キス我慢選手権 THE MOVIE』
— sakura (@sakura1879424) March 3, 2025
あの有名プロデューサー佐久間宣行さんが初の映画監督作品! pic.twitter.com/FYROEHMYUV
佐久間さんの30代は、人気番組の企画から派生したイベントや映画を精力的に製作する一方で、私生活では子どもの誕生という大きな変化を迎えた時期でした。

「ゴッドタン」の企画がどんどん大規模に!
佐久間宣行さんファンに聞いた、佐久間宣行さんの30代で印象に残っている出来事


ゴッドタンの企画が彼の代表作だと思います。すごく新しい発想で笑いを提供してくれていたので感心できます。(30代男性)

娘が誕生。パーソナリティを務めている「オールナイトニッポン」というラジオ番組でもお子さんにまつわるトークをよく聞くから。(20代女性)

ドラマ『ウレロ☆未確認少女』の演出が印象的でした。画期的なドラマだったと思うし、シリーズ化された人気作だとも思ったからです。(30代女性)
40代

佐久間宣行さんが40代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 2019年(43歳):ラジオ「佐久間宣行のオールナイトニッポン0」のパーソナリティを開始。
- 2019年(43歳):バラエティ番組「あちこちオードリー」のプロデューサーを務める。
- 2021年(45歳):テレビ東京を退社しフリーランスとなる。
佐久間宣行さんは、2019年、43歳の時、ラジオ「佐久間宣行のオールナイトニッポン0(ZERO)」のパーソナリティを開始しました。
マイク前写真②#佐久間ann0 pic.twitter.com/DT1EJ0Y5g4
— 佐久間宣行のオールナイトニッポン0【公式】 (@SakumaANN0) March 13, 2019
同年2019年の43歳の頃には、バラエティ番組「あちこちオードリー」のプロデューサーを務めました。
「あちこちオードリー」10月からレギュラーです。土曜午前11:03〜
— 佐久間宣行 (@nobrock) August 29, 2019
ひとつよしなに!
写真はそれ伝えた直後#佐久間宣行ANN0 #あちこちオードリー pic.twitter.com/hZE3ZWENIq
そして2021年の45歳の時、テレビ東京を退社しフリーランスとなりました。
佐久間さんの40代は、ラジオやテレビで人気番組を担当しながら、会社員を辞めてフリーランスになるという転機を迎えました。

この頃フリーランスになったんだ!
佐久間宣行さんファンに聞いた、佐久間宣行さんの40代で印象に残っている出来事


あちこちオードリーでの姿が印象的です。彼の手腕によってゲストがとても面白おかしい感じに昇華されているので最高です。(30代男性)

佐久間宣行のオールナイトニッポン0の放送がスタート。他局のプロデューサーがパーソナリティを務めるのはとても異例なことだったから。(20代女性)

ラジオ『佐久間宣行のオールナイトニッポン0(ZERO)』が印象に残っています。トークが面白いし、聞いていて飽きない内容だからです。(30代女性)
佐久間宣行の若い頃の髪型は前髪長めの斜め分け

佐久間宣行さんの若い頃の髪型といえば、前髪長めの斜め分けな髪型を思い出す方も多いのではないでしょうか。
若い頃の佐久間さんの写真めっちゃ使われてた#佐久間宣行ANN0 pic.twitter.com/GB9yO9UPkF
— 星野コンボイ (@mark_dakke) August 18, 2021
佐久間さんの若い頃は今より体型がほっそりしていますが、髪型は現在とほぼ同じく前髪長めの斜め分けですね。
この頃の男性の間では、KAT-TUNの赤西仁さんの外ハネパーマやサッカー選手のデビッド・ベッカムさんのソフトモヒカンが流行していました。佐久間さんの髪型もシンプルで素敵ですね。

今よりもうちょっと長めの前髪かな!
まとめ

今回は、佐久間宣行さんの若い頃の活躍や出来事を、画像とともに振り返りました。

年代ごとに印象深い出来事がたくさんあったね!
これからの活動も頑張ってほしいと思います。