俳優として活躍するリチャードギアさん。
若い頃どんな風貌だったのかや、年代ごとにどんなできごとがあったのか気になるかたも多いと思います。
さっそく、リチャードギアさんの若い頃の写真やできごと、デビューのきっかけを年代順に振り返ってみましょう。
リチャードギアのデビューのきっかけや時期は?

元々マサチューセッツ大学で哲学と演劇を専攻していましたが、中退して役者の道を選びました。彼は最初、主に舞台俳優として活動し、経験を積んでいきます。特に、1973年にロンドンで上演された青春ロックミュージカル「グリース」で主役を務めたことがポイントでした。
#どうでもいい報告をする
— アナキン (@wMOYzgagf871254) November 9, 2024
リチャード・ギアの若い頃が、意外とイケてない🤤 pic.twitter.com/QQ5ivPVZ5e
その後、テレビ映画を経て、1975年に『ニューヨーク麻薬捜査線』で映画デビューを果たします。
しかし、ギアが本格的に注目を集めたのは、1978年のテレンス・マリック監督作『天国の日々』で長編映画初主演を務めてからでした。
リチャード・ギアさんのデビューは舞台から始まり、徐々に映画界へと進出していったことがわかります。彼の俳優としての道のりは、舞台での経験を積み重ね、チャンスを待ち続けた結果、映画デビューにつながったのです。

下積みがあったんですね。
リチャードギアの幼少期は?若い頃の活躍やできごとを年代順に振り返り

リチャードギアさんの幼少期のエピソードや、若い頃の活躍やできごとを年代順に振り返っていきます。
幼少期
リチャード・ティファニー・ギアさんは1949年8月31日に、アメリカ合衆国ペンシルベニア州フィラデルフィアで生まれました。
彼はアングロ・アイルランド系の両親のもとに生まれ、父親のホーマー・ジョージ・ギアさんは保険会社で働いており、母親のドリス・アンナ・ティファニーさんは主婦です。ギアさんには3人の姉妹と1人の兄弟がいます。また、異父母兄弟も1人いるようです。
生まれた直後に、家族でニューヨーク州シラキューズに引っ越しています。
9人家族という、賑やかな家庭に育ち、自身も「愛と同情心を持つことの大切さに」を説いていることもあり、人との関わりについてしっかり向き合っている方なのかなと思いました。

大家族だったんですね。
10代
リチャードギアさんが10代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1967年(17歳):ノースシラキューズ・セントラル高校を卒業
- 1968年(18歳):マサチューセッツ大学に進学
- 1969年(19歳):俳優になることを決意し、大学を2年で中退
ノースシラキューズ・セントラル高校(ニューヨーク州シラキュース市)を卒業しました。
高校卒業後、マサチューセッツ大学に進学し、哲学と演劇を専攻しました。
大学在学中、俳優になることを決意し、2年で中退しました。大学中退後、シアトルやニューヨークの舞台で経験を積んでいったようです。
アメリカにおけるリチャード・ギアは優男と言うにも度を越していっそナヨいと言う認識なんでしょうか。若い頃のゲイ役、ちょっと多過ぎやしません? pic.twitter.com/vCNpoQ3ty1
— ルル (@goldenlu0505) February 4, 2021
世界のランキング上位にも入っているマサチューセッツ大学に進学し、中退していた事実に驚きです。しかし、後の彼を見るとしっかりした意志の元行動されたことがよくわかります。

行動力が凄いです!
リチャードギアさんファンに聞いた、リチャードギアさんの10代で印象に残っている出来事


マサチューセッツ大学で哲学を学んでいたというのに驚きましたね。結構理知的なイメージがあったので納得しましたね。(30代男性)

マサチューセッツ大学を中退して俳優を目指したというエピソードが印象的でした。彼の意思の強さが感じられたからです。(30代女性)

マサチューセッツ大学で哲学を学ぶ。俳優として活動されるようになってからも慈善活動を積極的に行っていて素晴らしい方だなと思うから。(20代女性)
20代
リチャードギアさんが20代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1973年(23歳):青春ロックミュージカル「グリース」にて主演
- 1975年(26歳):映画デビューを果たす
- 1978年(28歳):テレンス・マリック監督の『天国の日々』で長編映画初主演
1973年にロンドンで上演された青春ロックミュージカル「グリース」で主役を務めます。この経験が彼の俳優としてのキャリアの重要な一歩となりました。
1975年の時、映画デビューを果たし、『ニューヨーク麻薬捜査線』に出演しました。
1978年には、テレンス・マリック監督の『天国の日々』で長編映画初主演を果たします。この作品は第32回カンヌ国際映画祭で監督賞を受賞するなど、高い評価を得ました。
主人公のビル役は、アル・パチーノ、ダスティン・ホフマンが断ったため俳優デビューして間もないリチャード・ギアに回ってきた。
— 映画『天国の日々 4K』4.4(金)全国順次公開 (@daysofheaven4k) February 9, 2025
劇場公開は『ミスター・グッドバーを探して』(77)が先だが、『#天国の日々』の撮影後に出演したものにあたるため、本作が主演として臨んだ第1作目にあたる。 pic.twitter.com/FyHjQYVHtn
リチャード・ギアの20代は、舞台俳優としてのキャリアをスタートさせ、徐々に映画界へと進出していった時期でした。特に後半は、主演作や話題作への出演が増え、俳優としての地位を確立していく重要な時期だったのではないでしょうか。

20代で素晴らしい賞をとってるんだね!
リチャードギアさんファンに聞いた、リチャードギアさんの20代で印象に残っている出来事


映画デビューを果たしたという話が印象的ですね。結構下積も多かったようで今の名俳優ぶりが嘘のようですね。(30代男性)

映画俳優としてデビューしたことが印象的でした。当時の写真がとてもかっこよかったので、好きになってしまいました。(30代女性)

26歳の時に映画デビュー。アメリカを代表する俳優の一人ですが、デビュー時期が思いの外遅めだったから。(20代女性)
30代
リチャードギアさんが30代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1980年(31歳):映画『アメリカン・ジゴロ』にて主演
- 1982年(33歳):青春映画『愛と青春の旅だち』にて主演
- 1987年(38歳):日本映画『ハチ公物語』の原作となった作品に出演
1980年には、映画『アメリカン・ジゴロ』に主演を務め、高級男娼役を演じます。この作品で人気が爆発し、セレブの仲間入りを果たしました。
1982年、青春映画『愛と青春の旅だち』で主演を務め、海軍士官候補生役を演じました。この作品も大ヒットし、トップスターの地位を確立します。
1987年には、日本映画『ハチ公物語』の原作となった作品に出演しました。後に2008年、『HACHI 約束の犬』としてリメイクされ、ギア自身が主演を務めています。
リチャードギアのハチ公めちゃくちゃ良かったの思い出した pic.twitter.com/L1ZahhPHgP
— haidara (@haidaraCh) November 1, 2023
リチャード・ギアの30代は、20代後半から築き始めたスターとしての地位を確固たるものにした時期でした。多くのヒット作や話題作に出演し、多彩な役柄を演じることで、俳優としての実力と人気を証明できたのではないでしょうか。

主演が多いですね!
リチャードギアさんファンに聞いた、リチャードギアさんの30代で印象に残っている出来事


愛と青春の旅立ちという作品が大好きでした。ギアさんの立ち居振る舞いが本当に魅力に溢れていてたまりません。(30代男性)

映画『愛と青春の旅だち』に主演されたことが印象的でした。日本でも有名だし、私の両親も大好きな映画だからです。(30代女性)

「天国の日々」に出演。初めて長編映画の主演を飾ったということで、リチャードギアにとっても大切な記念すべき作品だと思うから。(20代女性)
40代
リチャードギアさんが40代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1990年(41歳):映画『プリティ・ウーマン』にて主演
- 1991年(42歳):黒澤明監督作『八月の狂詩曲(ラプソディー)』に出演
- 1996年(47歳):映画『真実の行方』に出演
1990年、映画『プリティ・ウーマン』で主演を務め、ジュリア・ロバーツ演じるコールガールをエレガントな淑女に変身させる実業家役を演じます。この作品で、大人の色気を漂わせるイケメン俳優としての魅力を世界的に知らしめ、トップスターとしての地位を盤石にしました。
1991年には、黒澤明監督作『八月の狂詩曲(ラプソディー)』に出演し、長崎で原爆体験を持つ主人公の甥を演じました。
1996年、映画『真実の行方』に出演します。翌年、1997年には映画『ジャッカル』に出演し、さらに翌年、1999年にジュリア・ロバーツと再び共演した『プリティ・ブライド』に出演しました。
194 プリティウーマン
— 阿部 (@abechannel1972) March 7, 2023
1990年興業463,000,000$
リチャードギア当時41才
ジュリア・ロバーツ当時23才
白馬の王子様がやってくる映画
1985〜1990年バブル期
その最終年に劇場公開
恋愛至上主義
若い娘さんが
金持ち中年に金と優しさで
垢抜けていく
シャンパンにいちご🍓
今見るとへぇとなる😬 pic.twitter.com/hmgrhEXuvD
リチャード・ギアの40代は、『プリティ・ウーマン』で確立した大人の魅力を活かし、多様な役柄を演じた時期でした。日本映画への出演や、話題作への継続的な出演など、国際的に活躍を続けました。また、この時期はプライベートでも注目を集め、スーパーモデルのシンディ・クロフォードとの結婚と離婚を経験していたようです。

いろんな役ができて素敵!
アイウエオさんファンに聞いた、アイウエオさんの40代で印象に残っている出来事


プリティウーマンでの芝居が多分一番有名でしょうね。あの音楽を聴くとギアさんの姿が浮かんでしまうくらいです。(30代男性)

映画『プリティ・ウーマン』の出演が印象に残っています。ジュリア・ロバーツさんとの共演がとても素敵で、大好きな映画だからです。(30代女性)

「プリティ・ウーマン」に出演。30年前の作品ですがミュージカル化されたことで今も人気は衰えず続いているから。(20代女性)
リチャードギアの若い頃の髪型はナチュラルなウェーブヘア

リチャードギアさんの若い頃の髪型といえば、ナチュラルなウェーブヘアな髪型を思い出す方も多いのではないでしょうか。
リチャードギアさんの髪型はウェーブがかかった髪型が印象的です。少し長い襟足がセクシーでイケメンですね。
リチャードギアの若い頃めちゃくちゃ男前。 pic.twitter.com/hyWmTRmpvw
— ライオンの親 いぬを (@bakery_metal) August 9, 2018
ギアさんのデビュー当時の髪型は、ナチュラルなウェーブが特徴的でした。これは1970年代に流行したスタイルの一つであるロングヘアの影響を受けていたと考えられます。当時の若者の間では、サーファーカットやウルフカットなどのロングスタイルが人気でした。

どんな髪型でもイケメン!
まとめ

今回は、リチャードギアさんの若い頃の活躍や出来事を、画像とともに振り返りました。

年代ごとに印象深い出来事がたくさんあったね!
これからの活動も頑張ってほしいと思います。