女優やタレントとして活躍する大竹しのぶさん。
若い頃どんな風貌だったのかや、年代ごとにどんなできごとがあったのか気になるかたも多いと思います。
さっそく、大竹しのぶさんの若い頃の写真やできごと、デビューのきっかけを年代順に振り返ってみましょう。
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大竹しのぶのデビューのきっかけや時期は?
1973年、高校1年生だった大竹しのぶさんは、フジテレビドラマ『ボクは女学生』の一般公募オーディションに参加。『フォーリーブス』の北公次さんの相手役を決めるオーディションでした。当時、北公次さんのファンだった大竹さんは、『コーちゃんに会えるかもしれない』という思いから参加しました。
「フォーリーブス」の北公次さんのファンだった大竹は、「コーちゃんに会えるかもしれない」という思いから、北さんの相手役を決めるオーディションに参加。
引用元:radiko news
オーディションには5300人もの応募があり、その中から大竹しのぶさんは見事合格しましたが、相手役ではなくその他大勢の役だったようです。
合格後、すぐに呼ばれたそうだよ!
大竹しのぶの幼少期は?若い頃の活躍やできごとを年代順に振り返り
大竹しのぶさんの幼少期のエピソードや、若い頃の活躍やできごとを年代順に振り返っていきます。
幼少期
大竹しのぶはさん、1957年7月17日に東京都品川区で5人兄弟の3女として生まれました。
大竹さんが幼い頃、父親が結核を患っていたため家族は貧しい生活を送っていたそうです。
母親は複数の仕事を掛け持ちして家計を支えたそうだよ!
小学生の頃、友達とデパートに遊びに行き、帰りの電車賃をゲームで使ってしまいヒッチハイクで帰ってきたことがあったそう。そのことを自慢げに両親に話したところ、厳しく叱られましたそうです。
「小学生の時、川越のまるひろデパートに友達と2人で遊びに来て、親からもらった電車賃を、ゲームで使って帰り、ヒッチハイクをして帰ったことを自慢げに話したら、父にも母にも今までにないくらいに叱られ、外にずーと立たされた事がありました。とっても優しい運転手さんだったよと言っても、父は許してくれませんでした」
引用元:スポニチ
テレビがなかったため本を読んだり、父親がクラシック音楽や自然など多くの知識を教えてくれたため、経済的に厳しかったが、幸せだったと語っています。
10代
大竹しのぶさんが10代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1973年(16歳):フジテレビドラマ『ボクは女学生』の一般公募オーディションに合格し芸能界デビュー
- 1975年(18歳):映画『青春の門』で映画デビュー
- 1975年(18歳):NHK連続テレビ小説『水色の時』に出演
大竹しのぶさんは、1973年16歳の時にフジテレビドラマ『ボクは女学生』で芸能界へ入ります。その後、1975年に公開された映画『青春の門 -筑豊篇-』に出演。この作品で大竹さんはヒロイン役を演じ、本格的に芸能界デビューを果たしました。
この作品で、大竹さんは第18回ブルーリボン賞新人賞を受賞しました。
また同年に、NHK連続テレビ小説『水色の時』に出演します。長野県が舞台となったストーリーで、平均視聴率は40.1%と高い人気を誇り注目を集めました。
最高視聴率は46.8%なんだって!
「懐かしいなあ。あの頃の私は何を考えていたんだろう」と振り返りつつ、若い頃も今も変わらず「毎日が楽しくて頑張るぞ!と思っていた」とつづった大竹。
引用元:ORICON NEWS
「高校生の時に同級生で、ちょっとだけお付き合いっていうか…淡い恋心を抱き合って」と垣沼氏を紹介した上で、「一緒に帰って喫茶店でお茶飲んで、『じゃあまた明日』って言って、本当に可愛らしい…」と16歳当時の微笑ましいやり取りを振り返った。
引用元:Yahoo!ニュース
大竹しのぶさんの10代は、部活動や恋愛、芸能界デビューという忙しくも充実した毎日を送っていたようです!
大竹しのぶさんファンに聞いた、大竹しのぶさんの10代で印象に残っている出来事
10代の頃から活発で、学校で文化祭でクラスで芝居をする時にもだるくて逃げる男子に怒っていたそうで、こういうしっかりしたところも大竹さんらしいなと思いました。(40代女性)
10代の大竹しのぶさんの印象的な出来事は、バレーボール部に所属していたということです。スポーツをされているイメージがないので以外でした。(40代女性)
ぼくは女学生のヒロインに応募して芸能デビューしたという話を聞いて驚きましたね。これだけ大女優になったなんて彼女の才能は本物です。(30代男性)
20代
大竹しのぶさんが20代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1982年(25歳):ドラマディレクターの服部清治さんと結婚
- 1985年(28歳):第一子となる男児(二千翔さん)を出産
- 1986年(29歳):TBSドラマ『男女7人夏物語』
大竹しのぶさんは1982年、25歳の時にドラマディレクターの服部晴治さんと結婚しました。
お2人の出会いは、大竹さんが出演していたドラマ『恋人たち』がきっかけで、服部さんは当時TBSのドラマディレクターで売れっ子プロデューサーとして活躍していました。
その後、2人の間には長男二千翔さんが生まれました。
しかし、幸せな日々は長くは続がず服部さんは末期がんの診断を受けます。入退院を繰り返す生活を続け、1987年に服部さんはがんのため亡くなりました。
大竹さんは大きなショックを受け、半年ほど眠れない日々が続いたと言います。
その後も義母との交流は続いていたみたいだよ!
1986年、大竹しのぶさんはTBSドラマ『男女7人夏物語』で、神崎桃子という役を演じました。ドラマは男女7人が、遅い青春を不器用ながら一生懸命に生きていく姿を描いています。共演者には明石家さんまがおり、二人の掛け合いも注目を集めました。最高視聴率31.7%を記録し、石井明美さんが歌う主題歌「CHA-CHA-CHA」もヒットした人気ドラマとなりました。
大竹しのぶさんファンに聞いた、大竹しのぶさんの20代で印象に残っている出来事
20代に入ってからは、俳優業・25歳の時に服部さんと結婚され28歳で第一子を出産されてます。仕事が途切れることがなく、やはり才能があったためと言えますしかなり多忙だったろうなと感じてます。(40代女性)
20代の大竹しのぶさんの印象的な出来事は、25歳の時にご結婚されていたということです。初婚のお相手はさんまさんではなかったので驚きました。(40代女性)
1982年にドラマディレクターと結婚したことが印象的ですね。一度未亡人になっているところにも驚きがありました。(30代男性)
30代
大竹しのぶさんが30代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1987年(30歳):夫の服部清治さんが死去。フジテレビの『ひらけ!ポンキッキ』の挿入歌『かまっておんど』がヒット
- 1988年(31歳):明石家さんまさんと再婚し、翌年に長女(IMALUさん)を出産
- 1992年(35歳):明石家さんまさんと離婚
1987年、フジテレビ『ひらけ!ポンキッキ』の挿入歌『かまっておんど』を大竹しのぶさんが歌い大ヒットしました。この曲は、子供たちに親しみやすく楽しく踊りながら歌えるため、子供から大人まで幅広い層に人気を集めました。
【ひらけ!ポンキッキ】大竹しのぶ「かまっておんど」 https://t.co/4cyHtJptUc
— 河合想 (@So_Kawai) July 5, 2024
1988年、大竹しのぶさんが31歳の時に明石家さんまさんと再婚し、翌年には娘のIMALUさんが誕生しました。
優しさと、人を楽しませるために全力を尽くす姿を見て結婚を決めたんだって!
娘でタレントのIMALU(34)は明石家さんま(68)との間に生まれ、名前の由来が、さんまの座右の銘「いきてるだけでまるもうけ(生きてるだけで丸儲け)」と、大竹の「いまをいきる(今を生きる)」から命名されたことで知られている。
引用元:スポニチ
しかし、1992年大竹しのぶさんと明石家さんまさんは離婚。離婚のきっかけは、ゴルフをしていた時に大竹さんがドライバーでティーをコンコン叩いていたことに腹が立ち『大工さんか、お前は』とツッコミ、大竹さんのティーショットが空振りした時には『足元や! あほんだら!』と言い放ったそう。このような些細な事が積み重なり離婚となってしまったのだそう。
マイペースな大竹のプレーとテンポが合わなかったようで、「それでケンカになったと。それも原因の一つ」と反省していた。
引用元:スポニチ
大竹しのぶさんファンに聞いた、大竹しのぶさんの30代で印象に残っている出来事
30代では、35歳の時にさんまさんと再婚され、第二子も出産されてます。離婚されても、今でも仲が良くて良い関係だなと思います。(40代女性)
大竹しのぶさんの30代の印象的な出来事は、石井隆監督の映画でのシーンです。演技が素晴らしい女優さんだと思いました。(40代女性)
明石家さんまさんと再婚したということを知って本当に驚きがありましたね。2人の間に子供も産まれて関係が深まっている姿が印象的でした。(30代男性)
40代
大竹しのぶさんが40代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1997年(40歳):TBSドラマ『恋のためらい』に出演
- 1999年(42歳):映画『鉄道員(ぽっぽや)』に出演。この作品で日本アカデミー賞最優秀主演女優賞を受賞
- 2001年(44歳):TBSバラエティ番組『中居正広の金曜日のスマたちへ』にレギュラー出演
大竹しのぶさんは40代になり様々な役柄を演じていきました。
1999年に公開された映画『鉄道員(ぽっぽや)』では、大竹さんの演技が高く評価され日本アカデミー賞最優秀主演女優賞を受賞しました。また、映画界では大きな話題となり多くの観客を動員。大竹しのぶさんの知名度と評価がさらに上がっていきました。
映画『鉄道員(ぽっぽや)』公開20周年記念上映会@ 丸の内TOEIなう。登壇者は、大竹しのぶ・広末涼子・小林稔侍・木村大作です。鉄道員(ぽっぽや)として気概と誇りを胸に生きてきた男が、定年目前になり自らの人生を振り返る。 pic.twitter.com/HEOIYJ4iuP
— 京都のまさ (@kyoto_masa) November 10, 2019
『鉄道員』では主人公の佐藤乙松(高倉健さん)の妻・静枝を演じているよ!
2001年、大竹しのぶさんは女優の仕事を中心に歌手やタレントとしても活動の幅を広げ、TBSバラエティ番組『中居正広の金曜日のスマたちへ』にも出演しています。
大竹さんはこの番組で、自身の豊富な経験を活かしゲストとの会話を楽しんでおり、番組を盛り上げる役割を果たしています。
大竹は「全然1回も来てくれない、安住さん、本当にひどいですよね。20年間もいっしょにいるのに、米倉涼子さんのお芝居はよく見に行くんですけど、私のお芝居は1回も見に来てくれなくて」と“抗議”。
引用元:スポニチ
大竹しのぶさんファンに聞いた、大竹しのぶさんの40代で印象に残っている出来事
40代に入ってからも演技力はますます磨きがかかり、43歳の時に「金スマ」のレギュラーにもなりました。独特のコメントが毎回面白いです。(40代女性)
大竹しのぶさんの40代のころの印象的な出来事は、バラエティー番組にもたびたび出演されていて、実は天然な方だったとは知らずにびっくりしました。(40代女性)
優しい時間という作品がとても面白かったですね。大竹さんの存在によってより良いドラマになっていたかと強く思います。(30代男性)
大竹しのぶの若い頃の髪型はゆるふわセミロング
大竹しのぶさんの若い頃の髪型といえば、ふんわりとした髪型を思い出す方も多いのではないでしょうか。
大竹しのぶの若い頃可愛すぎる♪ pic.twitter.com/BOA5eiBuIa
— りんこ (@zsBCGdZyobcwqV4) November 24, 2019
若い頃は癖毛を活かすゆるふわなセミロングで、当時のかわいらしい雰囲気の大竹しのぶさんにとてもよくお似合いでした。
1970年代はマッシュカットやハミルカットなど色々な髪型が流行し、この時代の髪形はアレンジして今でも人気を集めているようです。
純粋な柔らかい印象で多くのファンを魅了したみたいだよ!
まとめ
今回は、大竹しのぶさんの若い頃の活躍や出来事を、画像とともに振り返りました。
年代ごとに印象深い出来事がたくさんあったね!
これからの活動も頑張ってほしいと思います。