女優・歌手として活躍する奥菜恵さん。
若い頃どんな風貌だったのかや、年代ごとにどんなできごとがあったのか気になるかたも多いと思います。
さっそく、奥菜恵さんの若い頃の写真やできごと、デビューのきっかけを年代順に振り返ってみましょう。
奥菜恵のデビューのきっかけや時期は?

奥菜恵さんは、小学6年生の頃にスカウトを受けたことをきっかけにデビューしています。
しかし、当時は、人前に立つのが苦手な恥ずかしがり屋だったそうです。
むしろ、なるべく目立たないように生きたいと思ってました(笑)。恥ずかしがりで、すぐ赤面するような子どもだったんです。そこは今でも変わらなくて、目立ちたくはないんですけど、芝居というお仕事はまた別、というところですね。
引用元:文春オンライン
スカウトされた後、父親の一言に後押しされて芸能界へ入ることを決めました。
幼さゆえの怖いもの知らずの好奇心と、父からの「やるかやらないかは自分で決めなさい。ただ、やるのならば真面目に一生懸命に向き合わなければいけないよ」という言葉に背中を押され、知らない世界に飛び込んだような気がします。
引用元:MORE

小学生でスカウトされるなんて、将来性に期待されていたんだね!
奥菜恵の幼少期は?若い頃の活躍やできごとを年代順に振り返り

奥菜恵さんの幼少期のエピソードや、若い頃の活躍やできごとを年代順に振り返っていきます。
幼少期
奥菜恵さんは、広島県広島市で生まれ育ちました。
母親に教えてもらった「ホルモンの天ぷら」の作り方を番組で紹介し、話題になりました。
タレは母の味で、ウスターソースとしょう油、お酢を混ぜ輪切り唐辛子を少し入れて完成。この日はDayDay.スタジオメンバーに奥菜家の味をふるまい、東京では珍しいホルモンの食べ方にスタジオでは「おいしい!」と次々に声が上がった。
引用元:entax
現在は母親として食事に気を遣うことも多い奥菜恵さんですが、幼少期は好き嫌いが多かったそうです。
魚や肉は食べるのに、野菜はトマトやキュウリなど特定のものだけでなく、温野菜も生野菜も一切ダメだったのです。そのため母は、なんとか野菜を摂取させようとニンジンをすりおろして、ケーキのような甘い蒸しパンを作ったりしてくれていました。
引用元:ヘルシスト
料理上手な母親のおかげで、健康的な幼少期を過ごせていたようですね。

自分が母親になって、改めて感謝したかもしれないね。
10代
奥菜恵さんが10代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1992年(13歳):テレビドラマ『パ★テ★オ』で女優デビュー
- 1995年(15歳):『この悲しみを乗り越えて』で歌手としてデビュー
- 1997年(18歳):テレビドラマ『ふたり』にて主演を務める
テレビドラマ『パ★テ★オ』は、ドラマのほか映画化もされ、メディアミックスで話題になった作品です。
南の島で幸せな婚前旅行を楽しむ真理(菊池桃子)と婚約者の信一(保坂尚輝)。ところが翌朝、信一は「パテオ」と謎の言葉を残して行方をくらましてしまいます。
いったい、信一はどこへ行ってしまったのか…。
引用元:ミドルエッジ
奥菜恵さんは、宝田明さん演じる教授の娘役として出演し、女優デビューを果たしました。
「奥菜恵」という芸名が気に入られ、芸名をそのまま役名として使っていることが特徴です。
順調に芸能活動を始めた彼女は、『この悲しみを乗り越えて』で歌手デビューを果たしています。
これまでに8枚のシングルと4枚のアルバムをリリースしており、コンサートも開催しました。
そして、テレビドラマ『ふたり』にて主人公・北尾実加役を演じ、演技力の高さが話題になります。
テレビドラマ『ふたり』は、赤川次郎の代表作を映像化したもので、のちに舞台化もされています。
妹・実加が高校に入学する日、姉の千津子が交通事故で亡くなった。だが、千津子は幽霊と化して実加の前に出現。実加は彼女の助言を受けて、徐々に内向的な自分から抜け出していく。
引用元:WEB ザ・テレビジョン
デビューした直後から仕事のオファーが途切れず、とても多忙な日々を送っていたようですね。
「仕事量が膨大でキャパシティを超えていて、現実に気持ちが追い付いてなかった。精神的にもギリギリで余裕はありませんでした。将来というよりは現時点での自分をふと考えた時に『私は今、大丈夫なのだろうか?』という不安が強かったです。一日一日をなんとか生きているような感覚でした」
引用元:FRIDAY DIGITAL

仕事と学業の両立に苦戦する10代だったみたいだね!
奥菜恵さんファンに聞いた、奥菜恵さんの10代で印象に残っている出来事


「この悲しみを乗り越えて」で歌手デビュー。女優さんとしての印象が強いので、歌を歌われているイメージがなかったから。(20代女性)

小学校6年でスカウトされデビューされ、10代の頃は仕事と学業で必死だったそうです。デビューを決めたのはお父さんの言葉だそうで、やはり身近な人の意見は大切なんだなと思いました。(40代女性)

ふたりという作品がとても好きでしたね。制服姿がとても似合っていて魅力を発揮していましたね。彼女の溌剌とした感じがとても良かったです。(30代男性)
20代
奥菜恵さんが20代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 2003年(24歳):映画『呪怨』にて、主演を務める
- 2007年(28歳):引退説が囁かれる
- 2008年(29歳):映画『シャッター』でハリウッドデビューを果たす
映画『呪怨』にて、恐怖に巻き込まれる主人公・仁科理佳役を演じた奥菜恵さん。
かつて忌まわしい惨殺事件が起こって以来、謎の変死者と失踪者が絶えない郊外の一軒家。この家に引っ越してきた若夫婦、老人介護のボランティアをしている女子大生、元刑事とその娘らに次々とおぞましい怪現象が降りかかる。
引用元:映画ナタリー
もともと霊感が強かった彼女は、撮影中に不思議な経験をしたそうです。
奥菜は「元々霊感が強かった」そうで、「金縛りに遭って、女の子が跳ねているのを見ました」と同作撮影中の体験を明かした。
引用元:映画.com
女優として華々しく活躍を続けていた奥菜恵さんでしたが、突如引退説が囁かれるようになりました。
清純派女優としてデビューした奥菜だが、最近ではスキャンダル報道が先行。女優業は先細り状態だった。
関係者の話を総合すると、奥菜が引退をほのめかし始めたのは今春。「業界に疲れた」などと話し、親しい役者仲間に相談を持ち掛けたという。
引用元:スポーツ報知
青春を仕事に捧げてきた反動からなのか、リセットをしたくなったのかもしれません。
その後、映画『シャッター』でハリウッドデビューを果たした奥菜恵さん。
新婚夫婦のベンとジェーンは、ベンの出張と新婚旅行を兼ねて日本へやってくる。2人は夜の山道で女を轢いてしまうが、女はその場から忽然と姿を消す。その事故が起きてから2人の旅行に不吉な影が漂い始める。
引用元:映画.com
映画の撮影中も、事務所の退所について周囲に相談していたそうです。
自分自身がやりたいことは何なのか、悩み続けていたようですね。

20代では、ホームステイや語学留学もしていたみたい。
奥菜恵さんファンに聞いた、奥菜恵さんの20代で印象に残っている出来事


突如引退説が囁かれる。子役から活動されている俳優さんは苦労も多いイメージですが、当時発表された「今まで過ごしてきた世界が大好き」という奥菜さんの言葉に心が温かくなったから。(20代女性)

20代の時は、一人でヨーロッパへホームスティやニューヨークへ語学勉強にも行かれてます。国内ではなく海外で学ぶことで得られたことも多いと思います。(40代女性)

花村大介でのちょっとやさぐれた芝居がとてもマッチしていましたね。ユースケサンタマリアさんにちょっと恋している感じと可愛くて見ていてほっこりしました。(30代男性)
30代
奥菜恵さんが30代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 2009年(30歳):一般人男性との間に第一子を出産する
- 2014年(35歳):テレビドラマ『碧の海~LONG SUMMER~』にて、主演を務める
- 2016年(37歳):俳優の木村了さんと3度目の結婚をする
2009年、奥菜恵さんは、都内会社員の一般男性と結婚し、出産したことを公表しました。
女優奥菜恵(30)が15日に第1子となる長女を都内で出産していたことをブログで公表した。体重2984グラムで母子ともに健康。ブログには「抑えきれないほどの歓喜がわき起こるのを感じました」などとつづった。
引用元:日刊スポーツ
彼女は、「30代は自分のためではなく、誰かのために使った10年だった」と振り返っています。
子どものために自分の時間を使い、子どもを育てることに必死でしたね。この子たちのためなら何でもできると自分が変わるくらいの存在ができたことが幸せでしたね。苦しい時もあったのですが、それより子どもに捧げられることを嬉しく思いました。
引用元:STORYweb
その後、『碧の海~LONG SUMMER~』で約8年ぶりにテレビドラマに出演し、注目されました。
ドラマ出演のお話もいただいてはいましたが、子供が小さかったり、出産もあったりで踏み切れなかったですね。連続ドラマに入ってしまうと大変な日々が待っていますから」と、母親としての務めを優先していたという。
お子さんが成長したことで、安心して女優業を再開できる環境になったのではないでしょうか。
翌年の2015年、一般人男性との離婚を発表した奥菜恵さん。
しかし、翌々年の2016年、俳優・木村了さんとの再婚を発表しています。
木村了さんとは、2013年に舞台『象』で共演してからのお付き合いだったそうです。
「私達の家族の形というものが出来て行く中で、子供達の幸せや将来を慎重に考え、結婚について二人で何度も話し合いを重ねて参りました。彼はいつどんな時も、自分の事以上に私や子供達を想い、包み、支え続けてくれました」とこれまで家族を支えてくれた木村に感謝した。
引用元:ORICON NEWS
母親として子供と過ごす時間を大切にしながら、女優業との両立を図っていたようですね。

恋多き30代を過ごしていたんだね!
奥菜恵さんファンに聞いた、奥菜恵さんの30代で印象に残っている出来事


「碧の海〜LONG SUMMER〜」で主演を務める。ちょうど夏休み期間に昼ドラとして放送されていて見ていた記憶があるから(20代女性)

30代では結婚をされて出産もされてます。子育てに必死だったそうで、自分よりも子供優先にならざる得ないですし、それだけ子供の存在は大きく人生観も変わる経験です。(40代女性)

遺産相続弁護士での芝居がとても良かったですね。ゲスト出演だったのですが存在感がとてもあって魅力的でした。(30代男性)
40代
奥菜恵さんが40代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 2020年(41歳):YouTubeチャンネルを開設する
- 2023年(44歳):「尋常性白斑」を発症していると公表する
- 2024年(45歳):約15年ぶりに写真集を発売する
2020年、新たな挑戦として、自身のYouTubeチャンネルを開設した奥菜恵さん。
ファッションやライフスタイル、作品作りの模様などが紹介されています。
初回の動画には、夫の俳優・木村了さんが出演したことで話題になりました。
木村も自身のインスタを更新し「奥さんの奥菜さんがYouTube始めるってよ そんで、第一回目のゲストは私です」と報告。夫婦ショットを添え「夫婦のゆるふわトークをゆるっとご視聴頂けると嬉しいです。明日の19時から配信スタート」と呼びかけていた。
引用元:スポーツ報知
2023年、奥菜恵さんは、「尋常性白斑」を発症していると公表します。
「尋常性白斑」とは、皮膚の基底層に分布する色素細胞が何らかの原因で減少・消失する後天性の病気のこと。
不安に陥った彼女でしたが、「尋常性白斑」の発症をきっかけにコスメブランド『ni-Nin』を立ち上げています。
「私と同じような病気で悩む人だけでなく、あらゆる肌悩みを抱える人の力になれるようなものを作りたい。肌悩みを根本から改善して少しでも心が明るく元気になれるようなものを作りたい」と願うようになり、美容液を発売することになったことを明かしている。
引用元:ORICON NEWS
その後、デビュー30周年を迎えた彼女は、節目を記念した写真集『Okina Megumi』を発売しました。
44歳という年齢で写真集を発売するのは、かなり勇気が必要な挑戦のように思えます。
大胆に肌を見せた写真もあり、撮影前には少しずつボディーメークにも取り組んだという。
「肌を露出するのは分かっていたので、少し体重を増やしてメリハリをつけるような運動をしました。ジムに行ったり、プロテインを飲んだりもしましたね」
引用元:毎日キレイ
コスメブランドを立ち上げるほか写真集を発売するなど、美容関連で注目される機会が多いようですね。

40代でも、彼女の美貌は人々を魅了しているね!
奥菜恵さんファンに聞いた、奥菜恵さんの40代で印象に残っている出来事


YouTubeチャンネルを開設。ご夫婦でドライブ中の様子を撮影されていて仲の良さが伝わってきたから。(20代女性)

40代で俳優の木村 了さんと再婚されました。最初は喧嘩ばかりだったそうですが、互いに話し合うことで段々と家族になれたそうです。全てを受け止めてくれる相手が見つかり、良かったなと思います。(40代女性)

家政夫のミタゾノでの芝居がとても良かったです。スペシャル版に出ていて松岡さんとの久しぶりの共演になんだか胸が躍りました。(30代男性)
奥菜恵の若い頃の髪型はぱっつん前髪のボブヘア!

奥菜恵さんの若い頃の髪型といえば、ぱっつん前髪のボブヘアな髪型を思い出す方も多いのではないでしょうか。
若い人たちは知らないかもしれないけど今30〜40代のおじさんたちの一部はみんな奥菜恵に恋してたんだよ… pic.twitter.com/RQb5LcAQu8
— ビニールタッキー (@vinyl_tackey) August 18, 2017
切り揃えられた前髪から大きな瞳が覗いていて、とても可愛らしいですね。
日焼けした肌が見えるボブヘアは、健康的な印象を与えています。
端正な顔立ちを活かすような髪型として、ボブヘアが選ばれていたのではないでしょうか。

少女らしさと大人っぽさが共存していて素敵だね!
まとめ

今回は、奥菜恵さんの若い頃の活躍や出来事を、画像とともに振り返りました。

年代ごとに印象深い出来事がたくさんあったね!
これからの活動も頑張ってほしいと思います。