阪神球団オーナー付顧問として活躍する岡田彰布さん。
若い頃どんな風貌だったのかや、年代ごとにどんなできごとがあったのか気になるかたも多いと思います。
さっそく、岡田彰布さんの若い頃の写真やできごと、デビューのきっかけを年代順に振り返ってみましょう。
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岡田彰布のデビューのきっかけや時期は?
幼少期から野球をはじめ、早稲田大学卒業と同時にドラフト会議でプロ野球入りを果たしました。
ドラフト会議では当時史上最多となる6球団が岡田さんを1位指名。抽選の結果阪神入団が決まりました。
阪神に入るべくして入った逸材ですよね!
岡田彰布の幼少期は?若い頃の活躍やできごとを年代順に振り返り
岡田彰布さんの幼少期のエピソードや、若い頃の活躍やできごとを年代順に振り返っていきます。
幼少期
岡田彰布さんは1957年、大阪府大阪市中央区に生まれました。愛称は「どんでん」。大阪市中央区玉造で「大阪紙工所」という町工場を経営していた父は阪神の有力後援者で、村山実・藤本勝巳らと親交があったことから、タイガースとの深いかかわりの中で育ったようです。
生まれたときからもう阪神タイガース一色だったのでしょうね。
もう名将の人生が始まってるんだね!
10代
岡田彰布さんが10代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1972年(15歳):明星中学校3年生時に中学野球大阪府大会で優勝
- 1973年(16歳):北陽高校(現関西大学北陽高校)に進学
- 1976年(18歳):一般入試で早稲田大学に合格しその後野球部のセレクションを受験
明星中学校は野球の強豪校として知られており、3年生の大阪府大会では優勝を果たしました。
阪神優勝おめでとうございます🎉
— ヒムロシンイチ@unseen奈良 (@himuro_shinichi) September 14, 2023
卒業生として嬉しく思います。
明星中学校は岡田彰布監督の出身校なのです。
(明星中→北陽高→早稲田大)#阪神のアレ #阪神18年ぶり優勝 #阪神優勝 #岡田監督 #岡田彰布 https://t.co/MfHvkCquGU
1973年の夏には1年生ながら甲子園に出場。外野手として先発出場を果たしたそうです。3年生時にはエース兼4番打者として府予選決勝まで進出するも惜しくも敗退。甲子園出場は果たせなかったそうです。
北陽高校
— 近江舞子 (@0424maron7777) October 12, 2023
2番レフト 岡田#岡田彰布 pic.twitter.com/uEeko9MRqE
小学生の頃に早慶戦を観戦してからというもの、早稲田大学に強い憧れを抱くようになり、そのころから既に早稲田大学を目指していたのだそう。
小学校の時に早慶戦を見たからですね、NHKで。それで白の角帽と襟のユニフォームに憧れて。小学校の時から早稲田って決めてたんです。
引用:WASEDASPORTS
幼い頃からの将来の夢をかなえるために歩む道を選んで進んでいったように感じられます。
野球一直線の青春を過ごしたんだね!
岡田彰布さんファンに聞いた、岡田彰布さんの10代で印象に残っている出来事
高校1年生のときから、北陽高校のレギュラーとして活躍し甲子園出場を果たしたことが印象的でした。理由は、岡田さんが高校1年生の頃から実力があり、強い野球選手であったことが凄いと感じたからです。(30代女性)
明星中学時代に中学野球大阪府大会で優勝したというエピソードが印象的ですね。昔から強運の持ち主だったのでしょうね。(30代男性)
子どもの頃からエースで4番を地で行く経歴だと思います。しかも早稲田大学へ一般入試で合格し野球部のセレクションにも合格。スーパーマンだと思います。(30代男性)
20代
岡田彰布さんが20代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1979年(21歳):ドラフトで阪神タイガースに指名され、16年間プレー。
- 1980年(22歳):オールスターゲームの第1戦において22歳7か月で代打本塁打を放った
- 1983年(25歳):7月10日の対広島戦で右大腿二頭筋を断裂
ドラフトでは当時史上最多となる6球団(西武・ヤクルト・南海・阪神・阪急・近鉄)が岡田さんを1位指名。抽選の結果、阪神入団が決まりました。契約金6000万円、年俸480万円で契約。
阪神の岡田監督早稲田に一般入試で入って、それからドラフト1位指名って凄すぎやろ
— あらぽん🏴☠️ (@kousei_gurakuro) November 6, 2023
オールスターゲーム第1戦で、阪神タイガースのゴールデンルーキーと呼ばれていた岡田さんがが全セの代打で登場。4回に勝ち越しの3ランホームランを打ち、早速MVPを獲得。当時のオールスターでの代打本塁打の最年少記録だった
【パ・リーグへ行こう!②】
— Larry Spencer (@wildrunner_2510) December 30, 2021
店内には所狭しとパにまつわる逸品が。これは凄いですよ…隅々まで見てたら時間どれ位かかるんでしょうか。
※TVに映っているのは岡田彰布選手。マスターの「昔の映像見たい?」のご厚意に甘え、1980年代のオールスターゲームの映像を見せて頂きました。嬉しすぎる。 pic.twitter.com/h0r8KTGkye
開幕から79試合で18本塁打を記録し、本塁打王争いにも加わっていたが、内野守備時にぬかるんだ土に足を滑らせて股裂きのような形になり、筋断裂の重傷を負ってしまいます。
当時阪神を率いていた安藤氏は病院で医師から「今度やったらこの選手は野球生命をなくしますよ。だから監督、気をつけてください」と忠告されたという。そのため「これは内野で使えない。治るまで外野でやらせよう」と考え「外野へ行け」と一時的なコンバートを告げたのだという。
引用:デイリー
スポーツ選手は良いときもあれば悪い時もありますよね。怪我をした岡田さんはさぞ悔しかったことと察します。
怪我はつきものだね…!
岡田彰布さんファンに聞いた、岡田彰布さんの20代で印象に残っている出来事
大学4年生のときに東京六大学野球で、三冠王に輝いたことが印象的でした。理由は、当時の岡田さんの記録である大学通算打率379、通算打点81という記録が、今でも破られていないことに驚いたからです。(30代女性)
1979年阪神にドラフト1位で入団した実績が凄すぎます。なかなか1位には選ばれないので本当にそこのことを知って驚きました。(30代男性)
プロ入り後の監督との折り合いが良くなかったようだが、それでも当たり前のようにプロ入りして、ルーキーとしてしっかり育てようと思われる逸材だったという印象です。(40代男性)
30代
岡田彰布さんが30代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1987年(30歳):打率2割5分台・本塁打14本とチームの不振を語るような成績
- 1994年(35歳):阪神を自由契約になった後、オリックス・ブルーウェーブに入団
- 1996年(38歳):現役引退
しばらく不振が続きましたが、そのあとは3年連続20本塁打を記録。
岡田監督が阪神の歴代監督での勝利数が吉田義男氏を抜いて2位に😀👍
— jackalsteel (@jackalsteel) April 17, 2024
1位の藤本定義監督ってどんな人なんかは知らんのやけど、後30勝で1位になる❗️
これは今シーズン中に抜くやろうな😃
🐯の名将、岡田彰布😆
ありがとう😃現役時代も監督になってもず~っとファンやで😉 pic.twitter.com/go1Pa6oopQ
成績がふるわず、しばらくは活躍の機会はありませんでした。再び外野手として起用されるようになるが出場機会は前年よりさらに少なく、「体力の衰え」という理由で阪神を自由契約になりました
こんなん見つけた
— 阪神ファンの現場猫キッタ (@genbaneko_tora) November 7, 2023
ダイエー下柳剛vsオリックス岡田彰布 pic.twitter.com/d8rZUrNyzH
自由契約後はオリックス・ブルーウェーブに入団。10年ぶりの優勝をオリックスで経験したのを花道に、現役引退した。
どんでん岡田こそ「岡田彰布さん」の現役引退セレモニーもめっちゃ、感動するわ〜😂 https://t.co/vCzMf7T505
— y.k (@yk42991626) August 16, 2020
阪神一筋でこれまでやってきた岡田さんにとって、オリックスへの移籍はとても勇気がいるものだったのではないでしょうか。
岡田さんありがとう!
岡田彰布さんファンに聞いた、岡田彰布さんの30代で印象に残っている出来事
現役晩年を過ごしたオリックスで、代打の切り札として活躍し2度の優勝に導いたことが印象的でした。理由は、岡田さんが現役生活を精一杯過ごされていた様子が、とても魅力的で心に残ったからです。(30代女性)
1989年に76打点を挙げた頃をよく覚えています。いつも阪神のために尽力している縁の下の力持ちで信頼感がありました。(30代男性)
女性問題が拗れたかと言う印象があるが、所謂冤罪的なとばっちり、オリックスに移籍後も活躍していた印象がある。(40代男性)
40代
岡田彰布さんが40代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1998年(40歳):二軍助監督兼打撃コーチとして阪神に復帰
- 2003年(44歳):阪神タイガース第30代一軍監督に就任
- 2005年(46歳):リーグ優勝を果たす
引退後、そのままオリックスで二軍助監督兼打撃コーチとして指導者として野球に携わっていましたが、2年後、古巣の阪神にコーチとして戻ることに。
2年後の98年。当時の吉田監督と一枝ヘッドが「そろそろ岡田を呼び戻さなあかん。あいつはタイガースの人間やから」と、二軍助監督兼打撃コーチの肩書でタテジマに招聘。翌99年から二軍監督に就任し、若トラたちと苦楽をともにした。
引用:日刊ゲンダイ
健康問題により勇退した星野仙一監督の後任として第30代一軍監督に就任。背番号はコーチ時代から引き続いて『80』。就任時には「期待してもらって結構です」と挨拶したのが印象的でした。
そう言えば2003年
— アシュラ (@yoshiaki_dayo_) September 8, 2023
星野阪神が優勝した次の日、仕事休みの会社が何件かあったなー、大阪。
もうみんな休もう!休んじゃえ休んじゃえ!お酒でかんぱ〜いだよね\( ˆoˆ )/
監督就任後はジェフ・ウィリアムス、藤川球児、久保田智之による『JFK』を勝利の方程式として起用するように。亡き父の誕生日に当たる9月29日、甲子園球場での対巨人戦でリーグ優勝を達成した。
【阪神の優勝】俺が知る阪神の優勝は1985年、2003年、2005年。今回、やっと4回目だ(笑)吉田監督、星野監督、岡田監督の胴上げを見てきた。どれも鮮明におぼえている。数が少ないから印象は強烈なのだろう😀 pic.twitter.com/mOoQ1yfKkb
— 食べ歩きマン (@4qluNEnM13IuwiZ) September 14, 2023
後にミスタータイガースと呼ばれるほど、阪神タイガースの勝利に貢献された岡田監督。2023年には38年ぶりに日本一へ導かれました。
岡田監督かっこいー!
岡田彰布さんファンに聞いた、岡田彰布さんの40代で印象に残っている出来事
岡田さんが監督として活躍し始めたことが印象的でした。理由は、岡田さんが試合中に抗議をしたりする姿を見て、野球に対しての強い気持ちを感じ、心に響いたからです。(30代女性)
2003年星野監督の元で内野手守備コーチをしていた時代を知っています。この頃から選手に寄り添う精神は伊達ではありません。(30代男性)
ファームの名将を経て阪神の監督になったという印象。阪神監督就任後も手腕を発揮した名監督と言うイメージ。(40代男性)
岡田彰布の若い頃の髪型はパーマをかけたダンディヘア
岡田彰布さんの若い頃の髪型といえば、野球時代の帽子をかぶった姿を思い出す方も多いのではないでしょうか。
学生時代は野球球児らしく丸坊主な姿でしたが、プロ野球現役時代はパーマをかけたダンディな髪型もしていたのですね。
岡田さんがもし現役時代に登場曲があったなら、選んだであろうご自身のレコード曲w
— 高野豆腐くうかい(こうやどうふ くうかい) (@kukai_radio) June 16, 2020
岡田彰布・岡田真弓『逢えば涙になるけれど』
#abcyonayona pic.twitter.com/8WT1RKl0AP
現役時代の岡田彰布と
— ペンギン (@GreenLeavesT) June 19, 2020
FaceAppで年取らせたやつと
「ワシ、そんなふうになるんか」と疑う岡田彰布
その2 pic.twitter.com/1QBhnGTV43
この年代のおじさま方はみんなこんな髪型してましたよね。
髪の毛ふさふさ!
まとめ
今回は、岡田彰布さんの若い頃の活躍や出来事を、画像とともに振り返りました。
年代ごとに印象深い出来事がたくさんあったね!
これからの活動も頑張ってほしいと思います。