錦織一清の若い頃は?昔の髪型は黒髪のパーマだった!

歌手や舞台演出家として活躍する錦織一清さん。

若い頃どんな風貌だったのかや、年代ごとにどんなできごとがあったのか気になるかたも多いと思います。

さっそく、錦織一清さんの若い頃の写真やできごと、デビューのきっかけを年代順に振り返ってみましょう。

目次

錦織一清のデビューのきっかけや時期は?

デビューのきっかけや時期

錦織一清さんのデビューの時期やきっかけは、1977年の12歳の時、小学6年生の夏休みにジャニーズ事務所(現:SMILE-UP.)に入所したことです。

これは、郷ひろみのファンだったお姉さんが錦織さんの履歴書を事務所に送ったことがきっかけでした。それまでダンス経験はなく、オーディションでいきなり踊らされたそうですが、見事合格しました。

僕の時代というのは、オーディションが何もなかったんですよね。入った時はもう全然、7、8人でしかレッスンやってなかった。その中にポンっと入れられて、『ちょっとYOU、ここで踊ってみてよ』って。それがもちろん全てのステップはできるわけじゃない。初めて踊りやってるから。そしたらそこまで、初日でそこまで動けるのがいなかったらしいんで、ジャニーさんが子どもの僕に『YOU、天才!』って。

引用元:日テレNEWS NNN

ねこ太郎

お姉さんが履歴書を送ったんだね!

錦織一清の幼少期は?若い頃の活躍やできごとを年代順に振り返り

錦織一清さんの幼少期のエピソードや、若い頃の活躍やできごとを年代順に振り返っていきます。

幼少期

錦織一清さんは、東京都世田谷区に生まれ、お父さんの仕事の都合で2歳の時に江戸川区の下町へ移り住みました。

小さな頃から運動が好きで、小学生の時からすでにバック転ができていたそうです。将来は体育教師を夢見ていたとのこと。

また、6歳年上のお姉さんの影響で小学生の時から年上の人が好む音楽を聴いていて、初めて買ったレコードは西城秀樹さんの「ちぎれた愛」でした。

下町で元気に育った錦織さん。身体を動かすことが本当に得意だったようですね。

ねこ太郎

ニッキが体育の先生だったら嬉しすぎ!

10代

錦織一清さんが10代の頃の代表的なできごとはこちらです。

  • 1977年(12歳):ジャニーズ事務所(現:SMILE-UP.)に入所。
  • 1978年(12~13歳頃):教育映画「さようなら ぼくの犬ロッキー」に出演。
  • 1982年(16歳):NHK大河ドラマ「峠の群像」でテレビドラマに初出演。

錦織一清さんは、1977年の12歳の時、郷ひろみファンのお姉さんが送った履歴書がきっかけとなり、ジャニーズ事務所(現:SMILE-UP.)に入所しました。

そして1978年、研修生時代である12~13歳頃に、16mmフィルムの教育映画「さようなら ぼくの犬ロッキー」に出演しました。

「犬が大好きな少年(錦織)が、盲導犬の子犬を自宅に引き取って『ロッキー』と名付けて可愛がる。どこに行くのもロッキーと一緒の少年は毎日が楽しい。犬の飼育を通して自身も大きく成長するが、約束の10ヵ月が来て、立派な成犬になったロッキーを盲導犬協会に引き渡す。別れを惜しむ少年。ロッキーは立派な盲導犬として視力の不自由な人の役に立つ……」

引用元:FRIDAY DIGITAL

1982年の16歳の時には、NHK大河ドラマ「峠の群像」で清水一学役としてテレビドラマに初出演しました。

錦織さんの10代は、ジャニーズ事務所に入所し、映画やドラマですでに活躍を始めていた時期でした。

ねこ太郎

大河ドラマにも出演してたんだ!

錦織一清さんファンに聞いた、錦織一清さんの10代で印象に残っている出来事

アンケート調査結果
ネット上の人物

12歳の時にジャニーズ事務所に入所する。10代のころからジャニーズ事務所で歌や踊りを一生懸命練習していたのだと思う。(40代男性)

ネット上の人物

ジャニーズに入所したという話が印象的ですね。やっぱり昔から才能に関しては桁違いに高かったのでしょうね。見ていてそう思います。(30代男性)

ネット上の人物

NHK大河ドラマ『峠の群像』の清水一学役で出演していたことです。若いころはアーティストとしてのイメージが強かっただけに、早くから役者デビューしていたことに驚きました。(50代男性)

20代

錦織一清さんが20代の頃の代表的なできごとはこちらです。

  • 1985年(20歳):アイドルグループ「少年隊」としてシングル「仮面舞踏会」でデビュー。
  • 1986年(21歳):少年隊主演ミュージカル「PLAYZONE」が開演。
  • 1987年(22歳):ドラマ「風呂上がりの夜空に」に出演。

錦織一清さんは、1985年、20歳の時、アイドルグループ「少年隊」としてシングル「仮面舞踏会」でデビューしました。錦織さんは少年隊のリーダーで、愛称は「ニッキ」、イメージカラーは赤色でした。

1986年の21歳の頃には、少年隊主演ミュージカル「PLAYZONE(プレゾン)」が開演しました。初回公演は「PLAYZONE'86 MYSTERY」のタイトルで上演され、錦織さんはカズ役を務めました。

そして1987年、22歳の時には、ドラマ「風呂上がりの夜空に」に主演の松井辰吉役で出演しました。これが錦織さんの連続ドラマ単独初主演作品となりました。

錦織さんの20代は、アイドルとしての華々しい成功とともに、舞台やドラマにもさかんに出演して大変多忙な時期だったようです。

ねこ太郎

少年隊の仮面舞踏会はかっこよすぎ!

錦織一清さんファンに聞いた、錦織一清さんの20代で印象に残っている出来事

アンケート調査結果
ネット上の人物

20歳の時に少年隊のメンバーとして『仮面舞踏会』でレコードデビューする。20代のデビューはアイドルとしては遅い方だと思う。(40代男性)

ネット上の人物

少年隊として活躍している姿に本当の格好良さがありました。ダンスのキレキレ具合が本当に素晴らしくて堪らなく興奮しました。(30代男性)

ネット上の人物

アイドルグループ「少年隊」のリーダーとして『仮面舞踏会』でレコードデビューしたことです。私はこの曲が凄く好きで、今でも聴くことがあるぐらいなので印象に残っています。(50代男性)

30代

錦織一清さんが30代の頃の代表的なできごとはこちらです。

  • 1995年(30歳):舞台「PLAYZONE'95 KING&JOKER」で初めて舞台作品の脚本、演出を務める。
  • 1999年(33歳):舞台「蒲田行進曲」に出演。
  • 1999年(34歳):少年隊初の看板番組「少年隊夢」がスタート。

錦織一清さんは、1995年、30歳の時、舞台「PLAYZONE'95 KING&JOKER」で初めて舞台作品の脚本、演出を務めました。また、この作品ではチャンプ・オブ・シネマ役として主演も務めています。

1999年の33歳の頃には、つかこうへいさん演出の舞台「蒲田行進曲」に主演の倉岡銀四郎役で出演しました。

そして1999年、34歳の時には、少年隊初の看板番組「少年隊夢」がスタートしました。フジテレビで放送されたバラエティ番組で、司会を務めた少年隊の初の冠番組でした。

錦織さんの30代は、アイドルから舞台俳優・演出家への転身を進めた重要な時期と言えます。

ねこ太郎

少年隊が司会のバラエティ番組があったんだ!

錦織一清さんファンに聞いた、錦織一清さんの30代で印象に残っている出来事

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1999年に舞台『蒲田行進曲』に出演する。錦織一清さんは主役の倉岡銀四郎を演じたので、役作りも苦労したと思う。(40代男性)

ネット上の人物

舞台で活躍している姿を見てやっぱり演技が好きなんだなと思いましたね。すごくストイックで自分に対して厳しい姿が格好良かったです。(30代男性)

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舞台「蒲田行進曲」で主演を演じたことです。蒲田行進曲は当時話題になった作品ですし、その主演を務めた錦織さんもすごい注目を集めました。それだけに印象に残っています。(50代男性)

40代

錦織一清さんが40代の頃の代表的なできごとはこちらです。

  • 2009年(44歳):舞台「PLAYZONE 2009 太陽からの手紙」の作・演出を務める。
  • 2012年(47歳):音楽劇「恋人たちの神話」の演出を務める。
  • 2014年(48歳):舞台「熱海殺人事件~クォリファイングトライアル~」の演出を務める。

錦織一清さんは、2009年、44歳の時、舞台「PLAYZONE 2009 太陽からの手紙」の作・演出を務めました。少年隊主演のPLAYZONEが終わって初めてのジャニーズJr.主演による新生PLAYZONEで、総勢75人のジャニーズJr.が出演しました。

2012年の47歳の頃には、作詞家・荒木とよひささんの作家生活50周年記念作品である音楽劇「恋人たちの神話」の演出を務めました。

演出を手掛ける錦織は“熱血演出家”とうわさされていることについて「灰皿を何回投げたことか」と冗談を言い「何本か演出をしてきていつも思うのですが、(出演者の)皆さんから演出の仕方を学ばせてもらっている。かなり面白い舞台ですよ」と手応えを感じていることを語った。

引用元:billboardJAPAN

そして2014年、48歳の時に、つかこうへいさん作の舞台「熱海殺人事件~クォリファイングトライアル~」の演出を務めました。

錦織さんの40代は、主に舞台演出家としての活動が増え、表現者として新たなステージに進んだ時期だったことがわかります。

ねこ太郎

演出家として活躍し始めたんだね!

錦織一清さんファンに聞いた、錦織一清さんの40代で印象に残っている出来事

アンケート調査結果
ネット上の人物

2007年に舞台『エドの舞踏会』に出演する。この頃から舞台の仕事が増えているので、仕事が楽しかったと思う。(40代男性)

ネット上の人物

舞台の演出に興味を持ち出したことが意外でした。演出に関してもかなりの才能をお持ちだったので本当にすごいなと思いましたね。(30代男性)

ネット上の人物

舞台PLAYZONE『太陽からの手紙』で演出を担当したことです。これがきっかけになって他の舞台作品の演出もするようになりましたし、錦織さんにとって転機になった作品だなと印象に残っています。(50代男性)

錦織一清の若い頃の髪型は黒髪のパーマ

錦織一清さんの若い頃の髪型といえば、黒髪のパーマな髪型を思い出す方も多いのではないでしょうか。

サイドはすっきりとタイトでトップはボリューミィなパーマヘアがこの頃のアイドルらしくて素敵ですね!

この頃の男性の間では、YMOのテクノカットや藤井フミヤさんのチェッカーズカットが流行していました。男性アイドルだと、近藤真彦さんや錦織さんのようなパーマヘアが流行していたようです。

ねこ太郎

この髪型がニッキらしいよね!

まとめ

まとめ

今回は、錦織一清さんの若い頃の活躍や出来事を、画像とともに振り返りました。

ねこ太郎

年代ごとに印象深い出来事がたくさんあったね!

これからの活動も頑張ってほしいと思います。

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