タレントとして活躍する西川ヘレンさん。
若い頃どんな風貌だったのかや、年代ごとにどんなできごとがあったのか気になるかたも多いと思います。
さっそく、西川ヘレンさんの若い頃の写真やできごと、デビューのきっかけを年代順に振り返ってみましょう。
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西川ヘレンのデビューのきっかけや時期は?
西川ヘレンさんのデビューのきっかけや時期は、1963年の西川ヘレンさんが17歳の時、シャンソン歌手やミュージカル女優に憧れ、華頂女子高等学校を退学し吉本興業に所属しました。
京都にある佛教大学の系列校・華頂(かちょう)女子高校を中退してすぐに吉本に入社し、「スチャラカ社員」の4代目女性事務員役として人気急上昇中の若手女優でした。
引用元:集英社オンライン
吉本興業に入社後、『ヘレン杉本』の名で吉本ヴァラエティに出演し始めます。『私外国人やから、日本語わかりませーん』と関西弁で話す彼女の独特なギャグが人気を集め、マドンナ的存在となりました。
外見とコテコテの関西弁のギャップが、当時の観客の心をつかんだみたいだよ!
#今日は何の日
— 全怨怒CHEERと40人の盗賊 -12月号- (@_30776506271) October 6, 2019
若い頃の西川ヘレン。
西川きよしが、彼と不仲とされていた桂文珍と一緒に『目玉とメガネ』という番組をやってたことがある。
ある日、ヘレンが夫=きよしに宛てた手紙を文珍が読むという回があった。 pic.twitter.com/MhSj0PeGGQ
西川ヘレンの幼少期は?若い頃の活躍やできごとを年代順に振り返り
西川ヘレンさんの幼少期のエピソードや、若い頃の活躍やできごとを年代順に振り返っていきます。
幼少期
西川ヘレンさんは、1946年10月6日、京都府京都市で父親はアイルランド系アメリカ人、母親は日本人のハーフで生まれてきました。ヘレンという名前は、両親が尊敬していた人物『ヘレン・ケラー』に由来しているのだそう。
小さい頃から英語やピアノ、歌にダンスを習い多才だったヘレンさん。しかし、当時は外見だけで苦労していたことも多々あったようです。
傷痍(しょうい)軍人の募金にお金を入れようとしたら手を叩かれて、「お前の金などいらん」と怒鳴りつけられたこともあったといいます。
引用元:集英社オンライン
外見が異なるため『敵国の少女』と見られ戦後の日本では、偏見の目で見られることも少なくありませんでした。
この経験から自分の力で独り立ちしたいと強く思うようになったみたいだよ!
10代
西川ヘレンさんが10代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1962年(15歳):京都市立皆川中学校卒業
- 1962年(15歳):華頂女子高等学校入学
- 1963年(17歳):華頂女子高等学校を中途退学し、吉本興業に所属
1962年、西川ヘレンさんは華頂女子高等学校に入学します。しかし、シャンソン歌手やミュージカル女優を目指し1963年の17歳の時に学校を退学し、吉本興業に入ります。
芸能界で活躍することを夢見ていたんだね!
吉本興業に所属した当初は『ヘレン杉本』という名前で活動をスタートしました。彼女の外見から放たれる、関西弁を使った『ニホンゴ、ワカリマセーン』というギャグと、ユニークなキャラが人気を集め吉本興業のマドンナ的存在として一躍注目されるようになりました。
約束/西川ヘレン#tabjun1422 pic.twitter.com/fRYfgnf1bM
— Rick’s Cafe (@rick_dandy_824) May 20, 2023
「お二人が10代で出会った時、ヘレンさんは吉本(新喜劇)の何と言っても先陣切ったマドンナで。きよしさんは通行人(役)」と紹介されると、きよしは「通行人Aです。Bが坂田利夫さん」と明かした。
引用元:スポニチ
当時は、芸人としてまだ成功していなかった西川きよしさんや坂田利夫さんを養いながら生活していたため、歌やダンスが得意だったヘレンさんは、シャンソンを歌って生計を立てることもあったようです。
西川ヘレンさんファンに聞いた、西川ヘレンさんの10代で印象に残っている出来事
華頂女子高等学校を中途退学し吉本興業に所属し、シャンソン歌手やミュージカル女優を目指すようになったことです。ヘレンさん自身芸能活動をしようと志していたことに驚きました。(50代男性)
17歳のときに吉本興業に所属したことが印象的でした。理由は、美しい外見とバリバリの関西弁での喋りとのギャップに驚いたからです。(30代女性)
高校中退して吉本工業へ入った話を聞いて昔からお笑いが大好きだったんだなと思いました。なので今でも活躍しているのは本当にすごいです。(30代男性)
20代
西川ヘレンさんが20代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1967年(21歳):お笑い芸人の西川きよしさんと結婚
- 1968年(22歳):第一子長男(忠志さん)出産
- 1970年(24歳):次男(弘志さん)出産
1967年9月、21歳だった西川ヘレンさんはお笑い芸人の西川きよしさんと結婚しました。
当時、西川ヘレンさんは吉本新喜劇のマドンナ的存在で人気を集めており、西川きよしさんは『通行人』役で、ヘレンさんを『ヘレン姉さん』と呼んでいたのだそう。
ある時、ヘレンさんの扁桃腺が腫れた際、きよしさんが自宅で休ませたことがあったそう。この出来事がきっかけとなりお2人は急接近したそうです。
出会った当時はヘレンが吉本新喜劇のマドンナできよしが「通行人」役という間柄だったが、きよしがへんとう腺が腫れたヘレンを自宅で休ませたことから家族ぐるみで親しくなり、ヘレンが逆プロポーズする形で結婚することになったという。
引用元:スポニチ
吉本興業は、マドンナ的存在だったヘレンさんときよしさんの結婚に反対していました。ですが、『ヘレンを引退させ自分が芸を続ける。認めないなら夫婦そろって引退する』ときよしさんが主張。
そんな姿を見たヘレンさんは、当時きよしさんの収入2万未満と収入に10倍以上の差がありましたが、きよしさんの人柄と将来性を信じ結婚を決めたようです。
ヘレンさんからプロポーズしたんだね!
きよしは「お金のこと言ったらなんですが、(ヘレンが)約20万円ぐらい収入があるような時に、その頃僕2万円なかったですね。10倍以上」と格差婚であったとぶっちゃけた。
引用元:スポニチ
『ふたりの物語 西川きよし・西川ヘレン』 MR3216 ポリドール #漫才 pic.twitter.com/kopSIxshAP
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その後、ヘレンさんは新喜劇を引退し、3人の子供を出産しました。
西川ヘレンさんファンに聞いた、西川ヘレンさんの20代で印象に残っている出来事
西川きよしさんと結婚したことですね。ぶっちゃけに西川きよしさんと結婚していなかったら今ほどメジャーな存在にはなっていないでしょうし、まさに人生の分岐点だったろうなって思います。(50代男性)
20歳のときに西川きよしさんとご結婚されたことが印象的でした。理由は、当時西川きよしさんは駆け出しのお笑い芸人ということもあり周囲の反対を押し切っての結婚に、ヘレンさんの強い愛を感じたからです。(30代女性)
1967年に西川きよしさんと結婚したというのが印象的ですね。今考えるとすごく早くに結婚したんだとわかり驚きでした。(30代男性)
30代
西川ヘレンさんが30代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1976年(30歳):テレビ朝日系列『シャボン玉プレゼント』の司会担当(約1972年~1976年まで)
- 1977年(31歳):CM『愛情コニカ』出演
- 1982年(36歳):NHK連続テレビ小説『よーいドン』に英語教員役で出演
1972年、平日のお昼に放送されていた音楽バラエティー番組『シャボン玉プレゼント』に、西川ヘレンさんは旦那さんのきよしさんと約4年間司会を担当しました。
西川きよしさんや横山やすしさんなどと共演し、西川ヘレンさんはこの番組を通じて多くの視聴者に親しまれ、タレントとしてさらに知名度を上げていきました。
西川きよし&ヘレンに山城新伍&花園ひろみに井上順という最高の組み合わせ。 pic.twitter.com/YNeXiaa3xn
— 吉田光雄 (@WORLDJAPAN) April 17, 2019
1977年、西川ヘレンさんが31歳の頃、コニカ(現コニカミノルタ)の『愛情コニカ』というCMに夫婦共演しました。
当時、旦那さんの西川きよしさんと横山やすしとのコンビ『横山やすし・西川きよし』が大ブレークし、この時期に西川きよしさんの知名度も上がり夫婦共演の機会も多くなっていったようです。
『横山やすし・西川きよし』のコンビ結成はヘレンさんのアドバイスがきっかけだったみたいだよ!
「やすしさんとはやめときなさい。5回目の犠牲者になるんですか」という周囲の声もあり20回以上の誘いを断ったが、ヘレン夫人(タレント西川ヘレン=75)が「『そんなに、声をかけてお誘いしてくれるならここで決断して1度やってみたら』って背中を押してくれたんです」と1966年(昭41)のコンビ結成を振り返った。
引用元:日刊スポーツ
【ちょっと一興😉】
— しがない三四郎 (@shinya_bokudake) March 5, 2020
モノクロ▶️カラー
(左から)#横山やすし #西川ヘレン #西川きよし
「上方漫才大賞」受賞パーティーより😆
ビールはもっと冷たい方が…😜🍺@retoro_mode pic.twitter.com/rPbfMK3Uvv
西川ヘレンさんファンに聞いた、西川ヘレンさんの30代で印象に残っている出来事
自叙伝『幸せの鐘がきこえる』を出版したことです。これでこれまでの西川ヘレンさんの半生がわかるようになりましたし、印象に残りました。(50代男性)
30代で3人のお子さんの子育てと、実母と義両親の介護をされていたことが印象的でした。理由は、ヘレンさんのお子さんやお母様、義両親に向き合う姿に心から尊敬の気持ちを感じたからです。(30代女性)
幸せの鐘がきこえるという本を出版した事が印象的です。本を書く才能もあったなんてヘレンさんの多彩さが際立っていると感じます。(30代男性)
40代
西川ヘレンさんさんが40代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1986年(40歳):子宮と卵巣を摘出
- 1986年(40歳):著書『幸せの鐘がきこえる』出版
- 1993年(47歳):ロート製薬『ロートV40』でかの子さんと親子共演
1986年、西川ヘレンさんが40歳の時に子宮と卵巣を摘出します。その影響で、真っすぐに歩けない、狭い空間での呼吸困難、激しい動悸と様々な症状が現れ重度の更年期障害に苦しみました。
そんな中、義父が体調不良とうつ病発症し、義母と実母が同時期に要介護状態になります。そのため、ヘレンさんは多重介護と更年期障害で精神的に追い詰められ、食器を割ったり、物を投げ壁に穴を開けたりしていたのだそうです。
40歳で子宮と卵巣を摘出し、重い更年期症状に苦しみながら多忙な夫を支え、子育て、義父母と実母の多重介護に奔走。その体験を包み隠さずユーモアを交えて語る講演は人気を呼んでいる。
引用元:毎日が発見ネット
しかし、『愛する親を介護させてもらっているという気持ちが大切』と親たちとの心のつながりが支えとなり、つらい時期を乗り越えていきました。
きよしさんや子供たちたちにも助けられたみたいだよ!
1987年1月4日に「#花王名人劇場」で放送された「西川ヘレン物語」は、漫才ブームが終焉し、ある意味惰性で番組を続けていた「名人劇場」のなかでは、関東地区で久々に20%と高視聴率を記録。
— らくはく (@rakuhaku1853) October 14, 2024
若き日の #西川きよし を、実子の #西川弘志 が演じ、脚本は「#夢千代日記」の #早坂暁 さんが手がけた。 https://t.co/PHvyOqqfDa pic.twitter.com/dYFSPWrmff
西川ヘレンさんの40代は、多重介護と更年期障害という大変な時期でした。
西川ヘレンさんファンに聞いた、西川ヘレンさんの40代で印象に残っている出来事
「ヘレンのもう、いや! 多重介護奮戦録』を出版されたことです。介護関連の本なわけですけど、当時としては今ほど介護関連の情報も少なく、参考になりましたし印象に残りました。(50代男性)
40歳のときに「幸せの鐘がきこえる」を出版されたことが印象的でした。理由は、ヘレンさんのこれまでの人生が語られた一冊であり、ヘレンさんの人生の深みを強く感じられたからです。(30代女性)
ロートv40のCMに出演した事が印象的です。親子共演を果たしたという事でなんだか家族愛が伝わりほっこりしましたね。(30代男性)
西川ヘレンの若い頃の髪型はふんわりカール
西川ヘレンさんの若い頃の髪型といえば、ふんわりとした巻き髪の髪型を思い出す方も多いのではないでしょうか。
顔周りに軽くカールをした柔らかい印象のこの髪形は、外国人キャラクターとして活躍していたヘレンさんのイメージにピッタリの髪形です。
西川ヘレンさん 誕生日おめでとうございます pic.twitter.com/DflyqEenGG
— パンダ 【引用RPやめてください】 (@TV03177379) October 6, 2024
1960年代から1970年代のトレンドの髪型で、当時はボリュームあるヘアスタイルが流行していたため、西川さんも流行を取り入れていたのかもしれません。
美人な顔立ちに似合っているね!
まとめ
今回は、西川ヘレンさんの若い頃の活躍や出来事を、画像とともに振り返りました。
年代ごとに印象深い出来事がたくさんあったね!
これからの活動も頑張ってほしいと思います。