俳優として活躍する夏木マリさん。
若い頃どんな風貌だったのかや、年代ごとにどんなできごとがあったのか気になるかたも多いと思います。
さっそく、夏木マリさんの若い頃の写真やできごと、デビューのきっかけを年代順に振り返ってみましょう。
夏木マリのデビューのきっかけや時期は?
夏木マリさんのデビューの時期やきっかけは、1971年、19歳の時に歌手としてデビューしたことです。このとき、夏木さんは本名の中島淳子名義で「小さな恋」という曲を歌いました。
中島淳子「小さな恋(リトル・ラブ)」。夏木マリの本名でのデビューシングル。両面とも悪くはないのですが、71年の時点ではやや古臭さを感じる楽曲で、中島にも合っていなかったと思います。ついでに言えばジャケ写の中島の衣装のセンスもやばい。#歌謡曲珍盤 pic.twitter.com/b6oobNMPUy
— くらしを応援 (@ruchishogun) February 16, 2017
デビュー当時は清純派アイドルとして売り出されましたが、人気は高まらず、1973年、21歳の時に「夏木マリ」名義で再デビューしました。
最初はアイドルとしてデビューしたんだね!
夏木マリの幼少期は?若い頃の活躍やできごとを年代順に振り返り
夏木マリさんの幼少期のエピソードや、若い頃の活躍やできごとを年代順に振り返っていきます。
幼少期
夏木マリさんは東京都豊島区池袋で生まれ、小学校3年生から埼玉県大宮市(現さいたま市)で育ちました。
子どもの頃は人気がある人と地味な人の間を行ったり来たりする子供で、いじめられっ子の時もあったそうです。
夏木は当時について「転校したんですよ。東京から埼玉の大宮に。その時に凄くいじめられました」と告白。
引用元:スポニチアネックス
1週間分、7種類の服を着てたことで「七面鳥」というあだ名が付けられていじめられたとのことで、今の夏木さんの元気はつらつなイメージからは想像がつかないですね。
いじめられっ子だったなんてびっくり!
10代
夏木マリさんが10代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1967年頃(推定15歳):豊島岡女子学園高校に入学。
- 1971年(19歳):中島淳子名義で「小さな恋」を歌い、歌手としてデビュー。
- 1972年(19歳):中島淳子名義で「月光のエロス」をリリース。
夏木マリさんは1967年頃(推定15歳)、東京都の豊島岡女子学園高校に入学しました。豊島岡女子学園高校は明治25年創立で、6人に1人が医学部に進学するという名門校です。
ラジオ聴いてくれた?
— 夏木マリ(マリーね) (@marinatsukides) July 23, 2021
今夜のタワーは、五輪カラー🌈
開会式に我が母校、豊島岡女子学園の
生徒が出ててちょっと⤴︎った!
おやすみなさい。 pic.twitter.com/Pxq5QF5KdV
1971年、高校3年生の19歳の時、当時グループサウンズを追いかけていた夏木さんは、音大受験のため通っていた音楽教室でスカウトされ、本名の中島淳子名義で歌手として「小さな恋」でデビューしました。
「グループサウンズの最後の頃で、もしかしたら近づけるかなというミーハー的な興味もあって、何も考えずに〝ハーイ〟って答えてました」
引用元:Wedge ONLINE
そして1972年、19歳の頃、中島淳子名義の2作目「月光のエロス」をリリースしました。当初は清純派アイドルとして売り出されましたが、思うような人気は得られず、各地のキャバレーを巡る日々を送りました。夏木さんはそんな生活に嫌気が差し、1年ほどで歌手をやめてしまいました。
この頃の夏木さんは、彼女の芸能活動の始まりと苦労の時期だったことがわかります。
最初は「夏木マリ」という名前じゃなかったんだね!
夏木マリさんファンに聞いた、夏木マリさんの10代で印象に残っている出来事
「小さな恋」を歌唱して歌手として活動を始めたことです。今だと女優としてのイメージが強めですけど、歌手として若い頃から頑張ってきたんだなって驚きました。(50代男性)
中島淳子の名前で清純派アイドルとして活動。現在の男勝りでカッコいい夏木マリさんからは想像もつかないデビューだったから。(20代女性)
19歳で歌手活動を始めたということを聞いて本当にすごいなと思いましたね。こんな若くして方向性を決めるなんて本当に素晴らしいです。(30代男性)
20代
夏木マリさんが20代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1973年(21歳):「夏木マリ」という芸名で「絹の靴下」を歌い再デビューする。
- 1979年(27歳):ドラマ「Gメン'75」にレギュラー出演する。
- 1980年(28歳):日劇ミュージックホールでのショーに出演する。
夏木マリさんは、1973年、21歳の時に以前と同じレコード会社の別ディレクターに声をかけられ、「夏木マリ」という芸名で「絹の靴下」を歌い、再デビューを果たしました。この曲は妖艶な振り付けで大ヒットとなりました。
昔の夏木マリさん。絹の靴下が大ヒットした頃。 pic.twitter.com/QeUJgfvf5y
— sakura (@sakura1879424) November 14, 2024
しかし急に忙しくなり、病気で3ヶ月入院をしました。復帰すると仕事は激減し、それから約8年間は表舞台からは遠ざかってキャバレー回りの日々だったそうです。
1979年の27歳の頃には、俳優としてドラマ「Gメン'75」に津川螢子警部補役でレギュラー出演し、エンディングテーマも夏木さんの「ウィング」が起用されました。
その後、1980年の28歳の時に日劇ミュージックホールでショーに出演しました。その時の常連客だった演出家や映画監督がこぞって夏木さんにオファーをかけたそうです。
夏木さんの20代は歌手として再デビュー、人気と挫折、そして舞台との出会いなど、様々な経験を重ねた変化の多い時期だったことがわかります。
紆余曲折があって舞台で声をかけられたんだね!
夏木マリさんファンに聞いた、夏木マリさんの20代で印象に残っている出来事
「Gメン'75」に出演されたことです。ここからテレビドラマに多く出演していくことになるわけですけど、ここから俳優として本腰を入れて活動を始めたんだなって印象に残りました。(50代男性)
現在の芸名である夏木マリとして再デビュー。夏木マリは本名だと思っていたし、6月のデビュー時期を由来にしたというのも着目の仕方が面白かったから。(20代女性)
21歳で夏木マリと名乗り歌手活動を再び開始したということを聞いて驚きました。最初から夏木マリと名乗っていたとばかりに思っていたのでびっくりです。(30代男性)
30代
夏木マリさんが30代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1984年(32歳):芸術選奨文部大臣新人賞を受賞。
- 1986年(34歳):第24回ゴールデンアロー賞演劇賞を受賞。
- 1990年(38歳):単身渡米しニューヨークへ行く。
夏木マリさんは数々の舞台へ出演し、1984年の32歳の時、芸術各分野において優れた業績を挙げた人または新生面を開いた人に贈られる芸術選奨文部大臣新人賞を受賞しました。
そして1986年、34歳の頃に第24回ゴールデンアロー賞演劇賞を受賞しました。
1990年の38歳の時には、自身が表現したいものを求め、単身渡米しニューヨークへ行きました。
NYでは知人の紹介を頼りに毎日のようにプロデューサーに会い、ボイストレーニングを受けたりするなど、精力的に日々を過ごした。
引用元:クロワッサンONLINE
夏木さんの30代は、歌手としてのキャリアから演劇の世界へと移行し、新たな芸術表現の可能性を探り始めた時期でした。この時期の経験が、後の彼女の多彩な芸術活動の基盤となったと考えられます。
単身で渡米するなんてアクティブ!
夏木マリさんファンに聞いた、夏木マリさんの30代で印象に残っている出来事
単身ニューヨークへ赴いたことです。自分でも何か発信しようと思って一念発起したんでしょうけど、並々ならぬ決意を持って渡米したんだなって印象に残りました。(50代男性)
単身ニューヨークへ渡る。自ら新たな地に出向き、自分の手で新しい世界を開いていくその行動力に尊敬するし、見習いたいとさえ思うから。(20代女性)
ニューヨークに一人で行き刺激を受けたというエピソードを聞いて彼女らしいなと思いましたね。やっぱり今の彼女があるのはこの旅が影響しているのでしょうね。(30代男性)
40代
夏木マリさんが40代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1993年(41歳):一人舞台「印象派」をスタートする。
- 1996年(44歳):NHK連続テレビ小説「ひまわり」に出演。
- 2001年(49歳):映画「千と千尋の神隠し」に声優として出演
夏木マリさんは舞台に没頭する中で、身体を使った表現のおもしろさに目覚め、1993年、41歳の時に自らが企画、演出、出演まで全てをこなすコンセプチュアルアートシアターの一人舞台「印象派」をスタートしました。
1996年の44歳の頃には、NHK連続テレビ小説「ひまわり」にヒロインの母親である南田あづさ役で出演しました。このドラマでは、当時まだ新人だった松嶋菜々子さんがヒロインを務めました。
そして2001年、49歳の時に映画「千と千尋の神隠し」で湯婆婆と銭婆の声を演じました。彼女の存在感のある演技は好評を博し、多くの人々に印象深い演技として記憶されています。
「宮崎監督が私の前で声を聞きながら湯婆婆を描いてくださったんですけど、その時に初めて双子だとわかったんです。その時は銭婆がちょっとスリムだったんですけど、後々に銭婆と湯婆婆が同じ大きさになりました」
引用元:シネマトゥディ
夏木さんは40代に入り、俳優や声優としてさまざまな作品に出演し、その演技力を発揮していたようですね。
舞台にドラマに映画と大活躍だね!
夏木マリさんファンに聞いた、夏木マリさんの40代で印象に残っている出来事
劇場アニメ「千と千尋の神隠し」に出演されたことですね。本作の大ボス的存在の湯婆婆の声優をつとめたということ自体インパクトありますけど、声優も出来るんだなって驚きました。(50代男性)
舞台表現「印象派」をつくりあげる。ドラマに欠かせない名脇役ですが、他にも色んな才能を持っていらっしゃって凄いなと思うから。(20代女性)
伝説の教師の理事長役がとても印象に残っています。凛とした雰囲気がとても魅力的で本当に魅力的でしたね。松本さんとの絡みも笑えました。(30代男性)
夏木マリの若い頃の髪型はファラ・カット
夏木マリさんの若い頃の髪型といえば、「ファラ・カット」と呼ばれるふわっとしたウェーブヘアと外ハネの前髪を組み合わせた髪型を思い出す方も多いのではないでしょうか。
『Gメン‘75』津川(夏木マリ)・田口(千葉裕)・村井(有希俊彦)登場期のOP撮影時に撮られた3ショット。
— 昭和太郎 (@RS3526) May 23, 2021
有希さんが草刈正雄さんに似てると言われてますが、個人的には千葉さんがずうとるびの江藤博利さんに見えるときがあります(笑) pic.twitter.com/rgm2JBuHL4
この頃の夏木さんは、昭和の女性らしい大きなウェーブヘアがとても印象的ですね。
「ファラ・カット」は、70年代に大ヒットした米ドラマ「チャーリーズ・エンジェル」で人気を博したファラ・フォーセットのトレードマークとされ、世界中に大ブームを巻き起こした髪型で、日本でも人気だったようです。
1978年の表紙を見て、すぐに目につくのは女優たちの髪型だ。ボリューミーなウェーブをかけた、外に流すレイヤー。のちにサーファーカットや「聖子ちゃんカット」と呼ばれる髪型の原型だ。そして、その髪型の発信源となったのが、4月号の表紙を飾ったファラ・フォーセットである
引用元:集英社オンライン
夏木さんのエネルギッシュなイメージに合ってる!
まとめ
今回は、夏木マリさんの若い頃の活躍や出来事を、画像とともに振り返りました。
年代ごとに印象深い出来事がたくさんあったね!
これからの活動も頑張ってほしいと思います。