女優として活躍する名取裕子さん。
若い頃どんな風貌だったのかや、年代ごとにどんなできごとがあったのか気になるかたも多いと思います。
さっそく、名取裕子さんの若い頃の写真やできごと、デビューのきっかけを年代順に振り返ってみましょう。
名取裕子のデビューのきっかけや時期は?

名取裕子さんのデビューのきっかけは、大学在学中に参加した「カネボウ・サラダガールコンテスト」への応募です。
青山学院大学在学中、広告研究会のサークル活動を通じて知り合った広告関係者に頼まれ、三浦友和の相手役を募集するこのコンテストに人数合わせで応募したところ、見事準優勝を果たしました。
古手川祐子
— ロキbard (@lockfon1) February 18, 2020
1976年8月2日、東宝とカネボウ化粧品の共催で芸術座にて開催された、三浦友和の相手役を選ぶ「ミス・サラダガール・コンテスト」全国大会において1位(2位は名取裕子)となり、東宝芸能へ入社、カネボウのCMに出演、三浦が主演する『星と嵐』で映画デビュー pic.twitter.com/vdwqZTsAeY
このコンテストでの準優勝がきっかけとなり、1976年に映画『星と嵐』で三浦友和の相手役として出演し、芸能界入りを果たします。
その後、1977年にはTBSのテレビ小説『おゆき』でヒロインに抜擢され、本格的な女優デビューを果たしました。

人数合わせの応募からこんなに有名になるなんて驚きですね。
名取裕子の幼少期は?若い頃の活躍やできごとを年代順に振り返り

名取裕子さんの幼少期のエピソードや、若い頃の活躍やできごとを年代順に振り返っていきます。
幼少期
名取裕子さんは1957年8月18日、神奈川県横須賀市で生まれました。
小学校2年生の時に座間市へ引っ越し、座間市立栗原小学校に通っています。幼少期は両親、兄、祖父母、叔父叔母など、多い時で13人が同居する大家族で育ちました。
兄と仲が良く、よく兄やその友達と一緒に遊んでいたため、近所の人から男の子と間違われるほど活発なおてんば娘でした。山の崖を滑り降りたり、虫を捕まえて足に紐をつけて遊ぶなど、ケガの絶えない幼少期だったといいます。
また、スポーツも勉強も得意な文武両道タイプの生徒で、活発さと知的な面を併せ持っていました。
大家族の中で兄と元気に遊び回るおてんばな少女であり、時に失敗やケガも多い、明るくたくましい子供時代だった名取裕子さん。力強いオーラを感じるのは、幼少期から培われてきたものなのかもしれません。

さらに、料理も得意なんだとか・・・!!
10代
名取裕子さんが10代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1970年(13歳):座間市立東中学校に入学
- 1973年(16歳):神奈川県立厚木高等学校(県内トップクラスの進学校)に入学
- 1976年(19歳):青山学院大学文学部日本文学科に進学
中学時代は、テニス部に所属し、主将も務めるなどリーダーシップを発揮。中学2年生(14歳)の時に母親ががんで他界し、1年後に父親が再婚するまで、父と兄の食事や弁当を自分で作るなど、家事を担っていました。継母とは良好な関係を築けず、実母との違いに悩み、複雑な思いを抱えていたようです。
高校時代は、美人女子高生として有名で、男子生徒によるファンクラブができるほど人気があったそうです。継母との関係は依然として良くなく、家を早く出たいと思っていた。お弁当の内容が父親と違い質素だったため、学食でパンを買って食べていました。
高校で古典文学の楽しさを知り、日本文学を学びたいと思い、青山学院大学文学部日本文学科に進学しました。そして、広告研究会のサークル活動を通じて「カネボウ・サラダガールコンテスト」に人数合わせで応募し、準優勝を獲得。これがきっかけで芸能界デビューの道が開かれました。
14歳で母親を亡くし、家事や料理を担いながら家庭を支えた経験は、彼女の自立心や責任感の強さを育んだのではないでしょうか。また、継母との関係に悩みながらも、学業や部活動に励み、難関校である厚木高校に進学したことから、努力家で負けず嫌いな一面もありそうですね。

芯の強さを感じる。
名取裕子さんファンに聞いた、名取裕子さんの10代で印象に残っている出来事


青山学院大学文学部日本文学学科に入学したことです。青山学院大学といえば難関大学の一つですし、かなり頭が良かったんだと驚きました。(50代男性)

青山学院大学に入ったということを聞いて驚きましたね。若い頃から女優一筋だとばかり思っていたので意外でした。(30代男性)

学校に名取さんのファンクラブがあった。若い頃の写真を見てもファンクラブが出来るのも納得の可愛さだったから。(20代女性)
20代
名取裕子さんが20代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1977年(20歳):TBS朝のテレビ小説『おゆき』でヒロインデビュー
- 1979年(22歳):ドラマ『3年B組金八先生』に出演
- 1985年(28歳):NHK大河ドラマ『春の波涛』に出演
TBS朝のテレビ小説『おゆき』でヒロインデビュー。これが女優としての本格的なスタートとなります。大学生活と芸能活動の両立に苦労しつつも、学業も継続しました。
ドラマ『3年B組金八先生』で美術教師・田沢悦子役を演じて人気を博す。明るくかわいらしいキャラクターが視聴者の心をつかみ、注目を集めました。
NHK大河ドラマ『春の波涛』で松井須磨子役を演じました。20代後半での大河出演は女優としての大きなステップとなります。映画やドラマで芯の強い女性役を演じることが多くなり、実力派女優としての評価が定着しました。
『団地のふたり』福田さん(名取裕子) が若い頃出ていた映画 をビデオで発見するシーンで1981年のNHKドラマ『万葉の娘たち』を引用してたんですが、当時のテレビ画面サイズじゃなくてワイド画面だったんですが「映画」という設定だったので良しなんでしょうね。#団地のふたり https://t.co/ArvQNCy67Q pic.twitter.com/saOeNYF4qI
— tangerine (@tangerine_2009) October 20, 2024
名取裕子さんの20代は、デビューから急速に女優としての地位を築き、多彩な作品で活躍した時期でした。最終的には芯の強さが生かされ、名取裕子さんの生き様事態が認められたような気がします。

仕事と学業を両立してたなんて素晴らしい。
名取裕子さんファンに聞いた、名取裕子さんの20代で印象に残っている出来事


「のってシーベンチャー」に出演したことです。名取さんといえば女優としてのイメージが強いだけあり、バラエティ番組にレギュラー出演するようになったのには驚きました。(50代男性)

大河ドラマ黄金の日日での芝居がとても魅力的です。やっぱり大河ですからかなり厳かな雰囲気が画面から伝わってきましたね。(30代男性)

「3年B組金八先生」に出演。シリーズ初期に出演されていて、自分が見ていたシリーズには名取さんの姿がなかったから。(20代女性)
30代
名取裕子さんが30代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1990年(33歳):30代の頃の代表的なできごとを時代が古い順に一行で書く
- 1992年(35歳):ドラマシリーズ『法医学教室の事件ファイル』がスタート
- 1993年(36歳):松本清張原作のドラマに出演
1990年前後は、映画『序の舞』『吉原炎上』などで芯の強い女性を演じます。映画女優としての評価も高まっていました。
1992年、名取裕子さんの代表作となるドラマシリーズ『法医学教室の事件ファイル』がスタート。法医学者役として知的で冷静な演技が話題となり、以降の長寿シリーズとなります。この役柄で、サスペンスドラマの常連女優としての地位を確立しました。
法医学教室の事件ファイル、シーズン2まで見たけど、あと27年分ぐらいあるのね!?笑
— じんさん🐾 (@13jin4) March 30, 2025
なぎささん主演じゃないから物足りないなーって思ってたけど、ふつーに面白い!
ガチ検(ガチガチの女検事)のなぎささんも素敵だった🙊
続きも早く再放送してくれますよーに笑 pic.twitter.com/iJeeyZuu01
30代後半も『法医学教室の事件ファイル』シリーズで主演を続ける一方、他のサスペンスや社会派ドラマにも多数出演。松本清張原作のドラマなどで、複雑な人間ドラマやミステリーの主人公を好演し、「清張女優」と呼ばれることも!
名取裕子さんの30代は、映画・ドラマでの主演や重要な役柄を通じて女優としての地位を確立し、以降のキャリアを支える充実した時期だったようですね。「清張女優」と呼ばれるほど、そのドラマの顔になれるなんて凄いと感じました。

こんなに長寿シリーズになるとは!!
名取裕子さんファンに聞いた、名取裕子さんの30代で印象に残っている出来事


早乙女千春の添乗報告書シリーズに出演するようになったことです。早乙女千春の添乗報告書シリーズはシリーズ化する程の大人気ドラマですし、印象に残りました。(50代男性)

Mの悲劇での芝居がとても魅力的ですね。この作品は色々な人が演じていますが名取さんのが一番面白かったイメージです。(30代男性)

数々の2時間ドラマで主演を務める。小さい頃から名取さんの出ているミステリードラマやサスペンスドラマが頻繁に再放送されていたから。(20代女性)
40代
名取裕子さんが40代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1997年(40歳):サスペンスドラマの顔として幅広い層から支持
- 2003年(46歳):ドラマシリーズ『京都地検の女』がスタート
- 2004年(47歳):「サスペンス界のレジェンド」と呼ばれる存在に
40代前半も引き続き、テレビドラマ・映画・舞台で主演・重要な役を数多く務め、女優としての地位を不動のものに。代表作『法医学教室の事件ファイル』シリーズで安定した人気を維持し、サスペンスドラマの顔として幅広い層から支持されていました。
46歳で新たな代表作となるドラマシリーズ『京都地検の女』がスタート。年下のスタッフと積極的に意見を交わしながらキャラクター作りに参加し、自分のやりたいことを形にできるようになったことで、仕事の楽しさや充実感が増したと語っています。
京都地検の女の鶴見辰吾さんがゲスト回
— シバズケ (@shibazuk002ddt2) October 12, 2023
名取裕子さんと鶴見辰吾さん
金八先生では美術の先生と生徒の関係なんだよね(笑)#京都地検の女#名取裕子#鶴見辰吾#3年B組金八先生 pic.twitter.com/dMYKpELN4e
『京都地検の女』シリーズが好評を博し、以降も長寿シリーズとして定着。サスペンスや社会派ドラマの主演・重要な役を多数務め、安定した演技力と存在感で「サスペンス界のレジェンド」と呼ばれる存在に。さらに、朗読劇の制作やラジオパーソナリティなど、新たな表現活動にも積極的に取り組み始めました。
40代は「身軽に生きよう」と決意し、仕事でもプライベートでも自分らしさを大切にするようになったと振り返っています。また、家族の介護や喪失などプライベートでの困難も経験していたようですが、幼い頃から持ち合わせていた芯の強さが、家庭と仕事を両立できたのではないでしょうか。

継母の介護もされてることに感無量です。
名取裕子さんファンに聞いた、名取裕子さんの40代で印象に残っている出来事


「犬の花道、女の花道」を出版されたことです。本作を読むことで女優としての名取さんだけでなく、プライベートというか等身大の名取さんを知ることが出来たので印象に残りました。(50代男性)

地獄の花嫁シリーズがとても好きでしたね。ミステリーの要素がとても強くて先の気になるシナリオがとても面白かった作品ですね。(30代男性)

ドラマ「Wの悲劇」に出演。Wの悲劇といえば映画版が真っ先に思い浮かびますが、代々色んな女優さんを主演にドラマにもなっていて、比較してみるのも面白そうだなと思ったから。(20代女性)
名取裕子の若い頃の髪型はパーマのロングヘア

名取裕子さんの若い頃の髪型といえば、パーマのロングヘアな髪型を思い出す方も多いのではないでしょうか。
名取さんは「若い頃から髪は丈夫で、毛量もたっぷりのくせ毛」と自身でも語っており、髪の多さやボリューム感が特徴でしたが、その毛量でもしつこくなく清楚感もしっかりとあって本当に可愛らしい方ですね。
地上波NHK昨夜ON AIR
— 星になったエンジェル R&R🎸ぐらしあす🍥 (@AvMYeXzRLHdSKOA) April 9, 2022
『 けものみち』
松本清張原作ジェームス三木脚本 和田勉監督1982年作品
若い頃の名取裕子さんが小島瑠璃子こじるりに見えてしまった😎
レジェンド俳優達に刺激的な脚本、劇的すぎるBGM&演出全てグッと👏
出演 名取裕子伊東四朗加賀まりこ永井智雄高森和子石橋蓮司西村晃山崎努 pic.twitter.com/xPKGICaXpt
1980年代は、松田聖子さんの「聖子ちゃんカット」や、ふわふわとしたボリュームのあるパーマヘアが大流行。多くの女性がサイドやバックにレイヤーを入れ、毛先をカールさせていたのが特徴です。名取さん自身が毛量が多く、くせ毛という特徴を持っていたため、流行のパーマやボリュームヘアが自然にマッチしやすかったのかもしれません。

ふんわりボリュームのあるパーマへアが似合っていて素敵!
まとめ

今回は、名取裕子さんの若い頃の活躍や出来事を、画像とともに振り返りました。

年代ごとに印象深い出来事がたくさんあったね!
これからの活動も頑張ってほしいと思います。