歌手として活躍する中島みゆきさん。
若い頃どんな風貌だったのかや、年代ごとにどんなできごとがあったのか気になるかたも多いと思います。
さっそく、中島みゆきさんの若い頃の写真やできごと、デビューのきっかけを年代順に振り返ってみましょう。
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中島みゆきのデビューのきっかけや時期は?

1975年9月25日、22歳でシングル「アザミ嬢のララバイ」でデビューしました。
#Nowplaying アザミ嬢のララバイ - 中島みゆき (アザミ嬢のララバイ - Single) pic.twitter.com/Bg9ZOMYRsH
— カルクさん (@calc71888) June 1, 2023
デビュー前の1975年秋のこと、ヤマハ音楽振興会主催の2つの大会で第10回ポピュラーソングコンテストでグランプリ、第6回世界歌謡祭でもグランプリを受賞し「時代」が高く評価されたそうです。
中島みゆき - 時代 [1975.12.21]
— 70's Japanese Music File (@70sJMF) October 22, 2024
作詞・作曲:中島みゆき 編曲:船山基紀
(最高14位 / 16.3万枚 / 1975年 総合78位)pic.twitter.com/B9yeCgRTBP
これらの実績が、中島みゆきさんのデビューと知名度を向上させる大きなきっかけとなりました。

今でもよく聞く『時代』は、こんなに昔から愛されてきたんだね!
中島みゆきの幼少期は?若い頃の活躍やできごとを年代順に振り返り

中島みゆきさんの幼少期のエピソードや、若い頃の活躍やできごとを年代順に振り返っていきます。
幼少期
中島みゆきさんは1952年2月23日に北海道札幌市で生まれました。
父親は産婦人科医、祖父は帯広市議会議長を務めた実業家で、比較的裕福な家庭に育ったそうです。
幼少期にはピアノとバレエを習い、ピアノに関しては中学2年生まで続けたとのことです。ピアノ教室までの往復にはなんと2時間かかる道のりでしたが、音楽への熱い思いから通い続けたそうです。
帯広神社には中島みゆきさんの祖父・中島武市さんが寄贈した馬(像)がいます。
— みさきゆみこ (@misakifes1) August 3, 2020
38歳で禁酒・禁煙10年満了記念に像を奉献できるというあたりから「ただ者ではない」感は伝わろうかと思いますが
帯広商工会議所会頭・市議会議長も務め、公園や地名に「中島」の名を残す、偉大なる先人の一人です。 pic.twitter.com/DwYgXuQTYC
中島みゆきさんはお家柄がとても良かったようですね。バレエにピアノという習い事もお嬢様という印象です。特にピアノに関しては長く続けられたということで、この頃から音楽への情熱があったのかもしれませんね。

幼少期からすでにビッグアーティストのオーラを感じる…!
10代

中島みゆきさんが10代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1966年(15歳):体調不良の母親の療養に合わせて山形市に一時的に移り住む
- 1967年(16歳):帯広柏葉高校に通学
- 1969年(18歳):高校の文化祭で初ステージを踏む
1966年15歳の夏、体調不良の母親の療養のために家族で山形市に一時的に移り住み、市立第六中学校に通ったようですが、高校受験のため4カ月後に帯広に戻ったそうです。
1967年16歳では、道内有数の進学校である帯広柏葉高校に通学します。
聖地巡礼の最後はやっぱりここ
— 渚カヲル 35th ドリカム (@EvaMark09) July 8, 2024
帯広柏葉高校
中島みゆき、吉田美和、二大歌姫を排出した偉大な高校
制服もなく自由な校風が、クリエイティブな感性を磨いたのかと感じました
案内してくださった後輩の先生、お忙しい中ご対応いただきまして、ありがとうございました🙏✨#帯広柏葉高校 pic.twitter.com/ejxqar2KUc
高校3年生の時、文化祭で初めてステージに立ち『鶇の唄』など自作の曲を披露したそうです。
中島は産婦人科医の娘で、柏葉高校3年生の時に文化祭で初めてステージを踏んだ。私立藤女子大学(札幌市)に進学し、活発に音楽活動を展開、「コンテスト荒らし」の異名を取った。
引用元:DIAMOND online
中島みゆきさんの10代は、音楽への思いが強くなり、少しずつプロの音楽家としての道を歩み始めた時期のように感じます。高校時代から彼女の音楽活動が本格化、後のデビューへと繋がっていったのですね。

何かに突き動かされるように音楽活動が本格化しているね。
中島みゆきさんファンに聞いた、中島みゆきさんの10代で印象に残っている出来事


高校の文化祭で初めてステージ上に立ったことです。中島さんは幼い頃から何度もステージに上がり、歌を歌っていたと思っていたので驚きました。(30代女性)

高校の文化祭でステージに上がり歌を歌ったというところに凄さがありますね。この時に歌ったのがオリジナル曲というのも驚きです。(30代男性)

高校3年生の時に学校の文化祭で、初めてライブで歌を歌った。そのころからオリジナルの曲を持っていたことはすごいと思った。(40代男性)
20代

中島みゆきさんが20代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1972年(20歳):「フォーク音楽祭全国大会」に出場
- 1975年(23歳):シングル『アザミ嬢のララバイ』でレコードデビュー
- 1976年(24歳):研ナオコさんに提供した楽曲『LA-LA-LA』と『あばよ』が大ヒット
1972年20歳の時、「フォーク音楽祭全国大会」に出場し、『あたし時々おもうの』で入賞したそうです。
1975年23歳9月、にシングル『アザミ嬢のララバイ』でレコードデビューを果たします。同年12月『時代』がリリースされます。
リリース直前の16日、父親が脳溢血で倒れ、昏睡状態で病院に運ばれた。彼女が東京から北海道の病院に駆けつけても、父の意識は戻らなかった。
そんな状況で中島みゆきはひっそりとデビューした。
引用元:集英社オンライン
1976年24歳の時には、研ナオコさんへ『LA-LA-LA』と『あばよ』の楽曲提供をし大ヒットします。
研ナオコ - あばよ [1976.10.10]
— JMF (Second) (@JMFLibrary) September 5, 2023
作詞・作曲:中島みゆき 編曲:クニ河内
(最高1位 / 64.4万枚 / 1976年 総合7位) pic.twitter.com/DwGba3oQYI
中島みゆきさんは「第6回世界歌謡祭」でグランプリ受賞後のパフォーマンスの際に、予定にあったオーケストラの演奏を急遽なくし、自らのギター1本だけで『時代』を歌い始めたそうなのです。中島みゆきさんにしかできないことではないでしょうか。

若い時から楽曲提供もしていてすごいね!
中島みゆきさんファンに聞いた、中島みゆきさんの20代で印象に残っている出来事


研ナオコさんに楽曲を提供していたことです。20代という若さで誰かに楽曲を提供していることも衝撃でしたし、それが研ナオコさんというのも意外でした。(30代女性)

時代という楽曲が大好きですね。すごく物語性を感じる曲でニュース番組などで聴いて凄く感動してしまいましたね。(30代男性)

1975年にポピュラーソングのコンテストで賞を受賞した。この賞がきっかけとなりデビューできたので良かったと思う。(代40男性)
30代

中島みゆきさんが30代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1982年(30歳):アルバム『寒水魚』を発表
- 1983年(31歳):柏原芳恵さんに楽曲『春なのに』を提供
- 1989年(37歳):舞台『夜会』の上演が始まる
1982年30歳の時、アルバム『寒水魚』を発表します。このアルバムは、この年のオリコン年間アルバムチャートで1位を獲得したそうです。
今夜はこれ。中島みゆき「寒水魚」(1982年)。全ての曲が良い充実した一枚。 pic.twitter.com/FMHaYGSTBw
— 熊沢 透 (@kumat1968) October 23, 2024
1983年31歳には、柏原芳恵さんへ楽曲『春なのに』を提供しています。柏原芳恵さんにとって12枚目のシングルとしてリリースされたようですよ。
柏原 早めにスタジオに入って、歌の練習をしていたんです。事前に挨拶を考えていたんですが、みゆきさんを前にして、頭が真っ白になってしまって。けれども「高い声が出るんですネ」と、ラジオで聴くような明るさで話しかけてくれて、緊張がほぐれました。
引用元:週刊現代
1983年37歳の時、中島みゆきさんご本人が原作・脚本・作詞・作曲・演出・主演までを務める、舞台『夜会』の上演がスタートします。
中島みゆきが自らプロデュースの主演舞台「夜会」は「言葉の実験劇場」がコンセプト...写真は全て過去の同舞台から(1990年代) pic.twitter.com/lHVOhxmzTW
— ken (@ken29716939) August 22, 2023
中島みゆきさんの30代は、歌手活動や楽曲提供だけでなく、自らがプロデュースし主役を演じた舞台までこなしています。さまざまなお仕事をされて、キャリアアップしていく姿がとてもかっこいいですね。

舞台をすべて自分でつくり上げているなんてすごいなぁ!
中島みゆきさんファンに聞いた、中島みゆきさんの30代で印象に残っている出来事


工藤静香さんの楽曲の作詞を担当していたことです。工藤さんの曲のイメージと中島さんのイメージがまるで結びつかないので驚きました。(30代女性)

提供曲である「春なのに」という曲が大好きですね。すごく春を感じられる楽曲で聴いているとリラックスできるのが本当にいいです。(30代男性)

1989年から、音楽ライブと演劇をミックスした「夜会」というイベントを開催する。このイベントを思いついたことはすごいと思う。(40代男性)
40代

中島みゆきさんが40代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1994年(42歳):『空と君のあいだに』をリリース
- 1996年(44歳):ベストアルバム『大吟醸』をリリース
- 1997年(45歳):『愛情物語』をリリース
1994年42歳の時、ドラマ『家なき子』の主題歌として中島みゆきさんが書き、大ヒットしました。この曲は犬の視点から書かれた曲だそうで、彼女の独特な発想力が光ります。
中島が主題歌の依頼をテレビ局から受けたとき、決まっていたのは、当時子役だった安達祐実が主演で、彼女が犬を連れているということぐらいだった。曲を書くとなると拠り所は犬以外なく、そこで「犬は最終回まで必ず出ますよね?」と局側に確認した上で、犬の立場で書くことにしたという。
引用元:文春オンライン
1996年44歳の時にリリースした、ベストアルバム『大吟醸』でオリコンのアルバムチャートで1位を獲得しました。1975年の『時代』から1995年の『旅人のうた』までのヒット曲を収録しています
中島みゆきさんの大吟醸‼️
— くまかつ (@detective_kuma) October 26, 2024
最強のベスト作品やろ(≧∇≦) pic.twitter.com/IF7H5yOPLJ
1997年45歳では、『愛情物語』をリリースします。この曲は、テレビ朝日系ドラマ「はみだし刑事情熱系(第2シリーズ)」の主題歌として使用されました。
『はみだし刑事情熱系』第2シリーズのDVD-BOXを買う。VHSと見まごうジャケットだが、大傑作「バスジャック!恐怖の7時間・家族の絆」をはじめ「恐怖のビルジャック!!人質にされた妻」「涙の緊急手配!改造拳銃を買った女」があり、中島みゆきの「愛情物語」が毎回流れるのだからマストバイ。 pic.twitter.com/aDtB43Ra0Z
— 高鳥都 (@somichi) March 14, 2019
中島みゆきさんの曲って、どこかで絶対に聞いたことがあって、時がたっても心に残っているんですよね。そんな不思議で素敵な魅力があるアーティストです。

印象的な歌声とメロディーに心をつかまれるんだよね。
中島みゆきさんファンに聞いた、中島みゆきさんの40代で印象に残っている出来事


「空と君のあいだに」をリリースしたことです。中島さんの凛々しい声を生かした素晴らしい楽曲で、初めて聞いた時、衝撃を受けました。(30代女性)

大吟醸というベストアルバムが大好きです。親がこのアルバムを毎日のように聞いていて、本当に名曲だらけで驚きました。(30代男性)

1994年に発売したシングル『空と君のあいだに』が、100万枚以上の売り上げを達成する。この曲はドラマにも使われているので覚えている。(40代男性)
中島みゆきの若い頃の髪型はカール前髪にロングポニーテール

中島みゆきさんの若い頃の髪型といえば、カールのかかった前髪にロングヘアをポニーテールにした髪型を思い出す方も多いのではないでしょうか。
しめおんさんのリクエスト
— 匿名探偵 (@tokumei2856) October 31, 2024
♬中島みゆき『永遠の嘘をついてくれ』
#あさぼらけ pic.twitter.com/w6p2WaE06F
中島みゆきさんは元気なポニーテールのイメージが強いですが、髪をまとめない姿も見られ女性らしいフェミニンな感じも素敵だなと思います。
最新画像かな? pic.twitter.com/6BUR6XPyv7
— 中島みゆき写真館 (@Love_Mari_Lika) July 12, 2014
ポニーテールやロングの流した髪型。どれをとってもお似合いな中島みゆきさんの髪型です。特にポニーテールはライブの時に多いスタイルらしいですよ。気合の意味もあるのでしょうか。流行に合わせているというよりも音楽に対する姿勢と一緒で、ご自身で決められているのかなと感じました。

基本的な髪型は変えていない印象だね。美しさも変わってないよ!
まとめ

今回は、中島みゆきさんの若い頃の活躍や出来事を、画像とともに振り返りました。

年代ごとに印象深い出来事がたくさんあったね!
これからの活動も頑張ってほしいと思います。