女優や落語家として活躍する三林京子さん。
若い頃どんな風貌だったのかや、年代ごとにどんなできごとがあったのか気になるかたも多いと思います。
さっそく、三林京子さんの若い頃の写真やできごと、デビューのきっかけを年代順に振り返ってみましょう。
三林京子のデビューのきっかけや時期は?
三林京子さんのデビューのきっかけや時期は、子供の頃にNHK大阪放送児童劇団に入団したことがデビューのきっかけとなりました。
高校を卒業後、1970年に東宝演劇部と契約し、プロデューサーの菊田一夫さんから『三林京子』と名付けられ、同年に芸術座の舞台『女坂』で初舞台に立ち、女優としてデビューを果たしました。
若い頃から女優の山田五十鈴に師事していたそうだよ
三林京子さん、若い頃はすごく綺麗なイメージがあっだが、久々に見たら力強さと存在感があって、ちょっと中尾彬さんに似て、若い頃とは違う風格が出ておられた。#朝ドラ#スカーレット #NHK pic.twitter.com/ZDowNxC6VQ
— 須田葦也 (@sudaashiya) October 15, 2019
三林京子の幼少期は?若い頃の活躍やできごとを年代順に振り返り
三林京子さんの幼少期のエピソードや、若い頃の活躍やできごとを年代順に振り返っていきます。
幼少期
三林京子さんは、1951年7月17日に大阪市住吉区(現・住之江区)の文楽の人間国宝の家に生まれました。
父は二世桐竹勘十郎、弟も人形遣いの三世桐竹勘十郎という、芸能一家の出身です。
三林さんは’51年、大阪・住吉大社の真向かいにある産院で産声を上げた。当時、父は文楽の興行を一手に取り仕切っていた松竹から離れ、師匠の二代目桐竹紋十郎らと自主公演に活路を見いだそうとしていた。だが、家族と多くの弟子を養うため、家計はいつも火の車だった。
引用元:女性自身
幼少期から芸能への興味を強く持ち、NHK大阪放送児童劇団に入団しました。
特技は日舞、清元、三味線などがあり、趣味はフラメンコや狂言と多彩な芸術的才能を持っていたようです!
女優・落語家としてのキャリアにつながっていったんだね!
10代
三林京子さんが10代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1965年(14歳):東宝の有名女優である山田五十鈴に師事
- 1970年(18歳):東宝演劇部と契約を結ぶ
- 1970年(19歳):舞台『女坂』で女優としてデビュー
三林京子さんは、小学4年生からNHKの大阪放送児童劇団に入団し、演劇の経験を積み始めました。
中学1年生の夏休みに、歌舞伎の若手役者の自主公演を手伝う機会があり、芝居の面白さを改めて実感したのだそうです。その後、中学2年生から高校卒業まで、学校の長期休暇を利用して東京に通い、名女優・山田五十鈴の付き人見習いとして住み込みで修行しました。
「『ほな、芝居やりたい』と言ったら、父が『誰かに弟子入りするんやったらええ』と。そして『誰がええ?』と聞かれて、私は『山田五十鈴がええ』と。子どものくせにほんま、偉そうにね(笑)」
引用元:女性自身
散らかった部屋から観たい山田五十鈴の映像が探し出せず。とりあえず「徹子の部屋」の追悼回を視聴することにする。「たぬき」でのワンシーンを再現した81年の回は素晴らしい。 pic.twitter.com/IlRUITKimM
— 函館のシト (@hakodatenoshito) July 29, 2018
1970年、大谷高等学校を卒業後、東宝演劇部と契約を結び菊田一夫さんから『三林京子』という芸名を与えられ、同年には、19歳で舞台『女坂』にて女優としてデビューしました。
「養成所で芝居は上達しない、客前で恥をかくのがいちばんの勉強」
引用元:女性自身
三林京子さんにとって、山田五十鈴さんは憧れの大女優さんだったみたいだよ
三林京子さんファンに聞いた、三林京子さんの10代で印象に残っている出来事
東宝演劇部と契約を結んだこと。若くして決断がすごいと思いましたし、この頃からすごくおキレイで驚きました。(30代女性)
高校卒業後、東宝演劇部と契約したことです。他の進路もあったろうに、自分は女優として頑張るんだと早くから決めていたんだろうなと印象に残りました。(50代男性)
東宝演劇部に入ったというのが印象的です。東宝という由緒あるところなので結構厳しく指導されたようで大変そうですね。(30代男性)
20代
三林京子さんが20代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1973年(22歳):日本テレビ『太陽にほえろ!』第62話でテレビデビュー
- 1975年(24歳):『元禄太平記』でNHK大河ドラマに初出演
- 1978年(27歳):フリーとなり、舞台を中心に活躍
1973年、三林京子さんはドラマ『太陽にほえろ!』でテレビデビューを果たしました。
1975年には、NHK大河ドラマ『元禄太平記』に出演し、ゴールデン・アロー賞を受賞するなど演技力が高く評価されていきました。
今朝は #大久保さん がトレンド入り。#スカーレット
— ほふねむれゐぬ (@oxalisshima) October 16, 2019
大久保さんこと #三林京子 さんがTVデビューした大河『#元禄太平記』より。(2枚め隣は #黒柳徹子 さん)
思い人のため赤穂浪士の吉良邸討ち入りに協力するも、非業の死を遂げる薄命の美人という役どころ。
元禄風の装いがお似合い。 pic.twitter.com/gAqj5Jbwxa
その後、1978年に三林京子さんはフリーとなり、新歌舞伎座、明治座、前進座など舞台を中心に活動をスタートさせました。同時に、日本舞踊や狂言も修行し、多彩な芸能活動の基礎を築いています。
20後半には、相次いでヒロインに起用されるなど、フリーになった後も活躍の場を広げていき、知名度を上げていきました。
多彩な分野で活動していったんだね!
三林京子さんファンに聞いた、三林京子さんの20代で印象に残っている出来事
大河ドラマに出演していたことです。大河の世界観がすごく似合っていて、見とれてしまうほど美しく素敵だと感じました。(30代女性)
『太陽にほえろ!』に出演し、テレビドラマデビューしたことです。当時の『太陽にほえろ!』は超人気ドラマでしたし、それに出演する程になったかと驚きました。(50代男性)
太陽に吠えろでの芝居がとても良かったですね。あまりシーンは多くはありませんでしたが存在感の部分では光っていました。(30代男性)
30代
三林京子さんが30代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1981年(30歳):テレビ朝日『暴れん坊将軍』シリーズ出演
- 1983年(32歳):関西テレビ『大奥』出演
- 1985年(34歳):NHK連続テレビ小説『いちばん太鼓』出演
三林京子さんの30代は、テレビドラマや映画での活躍が目立ち、特に連続テレビ小説への出演をスタートした時期でもあります。
1985年、NHK連続テレビドラマ『いちばん太鼓』に出演。この作品で三林さんは、白石鶴子役を演じ主人公の銀平にとって第二の母親的な存在を演じました。
⇩若い頃の大久保さん😙 #スカーレット #三林京子 pic.twitter.com/vY1rTyPXBX
— カエル岩 (@kaeruiwa1963) October 24, 2019
三林さんは、この作品を機に連続テレビ小説の常連出演者として知られるようになります。昭和、平成、令和の3時代にわたって朝ドラに出演し続け、現在までに9作品に出演しています!
三林の朝ドラ出演は85年後期「いちばん太鼓」が昭和、94年前期「ぴあの」、96年後期「ふたりっ子」、2000年後期「オードリー」、05年前期「ファイト」、08年後期「だんだん」、11年後期「カーネーション」が平成、今回の「スカーレット」が令和。「ファイト」以外は大阪放送局制作だ。
引用元:スポニチ
また、声優としての活動も始め、1981年には映画『じゃりン子チエ』で 竹本ヨシ江の声優を務めました。
三林さんの活動は朝ドラだけにとどまらず、舞台、映画、テレビドラマなど幅広いジャンルで活躍していきました。
多彩な経験と演技力が活かされていったんだね
三林京子さんファンに聞いた、三林京子さんの30代で印象に残っている出来事
女優として大活躍されていて多くの作品に出演している。役柄も様々なので演技力が高く、人気なんだなぁと思いました。(30代女性)
連続テレビ小説『いちばん太鼓』に出演したことです。これを契機にその後の連続テレビ小説ドラマにも出演するようになりましたし、印象に残っています。(50代男性)
朝ドラいちばん太鼓での芝居が本当に良かったですね。朝ドラの中でもすごく名作だと高評価の作品なので素晴らしいです。(30代男性)
40代
三林京子さんが40代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1996年(45歳):NHK連続テレビ小説『ふたりっ子』出演
- 1997年(46歳):桂米朝に師事し『桂すずめ』の名前を許される
- 2000年(49歳):NHK大河ドラマ『葵~徳川三代~』出演
三林京子さんは1997年11月、46歳の時に落語家としての活動をスタートさせました。
1997年の6月に、京都南座での舞台『海道一の男たち』で米朝一門さんと共演したことがきっかけとなりました。この共演をきっかけに、三林さんは3代目桂米朝に正式に落語家として入門しました。
入門後、三代目『桂すずめ』の名前を許され、三林さんは米朝一門初の女性落語家となりました。
「打ち上げの席で、それを読み上げられて。『桂餅肌、桂餅つき……なんや、餅がつくんが多いな』と。私は『誰が餅や!』と突っ込みましたけど(笑)。そしたら、米朝師匠がボソッと言わはったんです。『すずめはどうかな?』って。それ聞いた皆の顔色が変わりはって。あとで知ったんですけど、『すずめを襲名したい』言うて許されんかった弟子が何人もいたそうです。『米朝の米を食うゲンのええ鳥や、みごと、米食うてみい』いうぐらい、ええ名前なんですって」
引用元:女性自身
【紙面キリトリ】頭の中に舞台 女優業に生きる
— 産経編集センター 公式 (@SANKEI_HC) February 6, 2020
女優、三林京子さんのもう一つの顔、それは落語家の「桂すずめ」。もちろん、高座にも上がります。師匠は上方落語の大御所で人間国宝だった桂米朝さん。キャリアは20年以上になります。(6日付夕刊特集面)#三林京子 #桂すずめ pic.twitter.com/NPYmh8XQHe
三林京子さんは、女優としての経験を活かしながら、落語家としても独自の魅力を発揮し、芸能界で幅広く活躍し続けています。
大阪芸術大学短期大学部の教授としても活動しているよ!
三林京子さんファンに聞いた、三林京子さんの40代で印象に残っている出来事
落語家として活動される。これまで女優として活動してきた中でまた新たな道に挑戦できるのが素敵だと感じました。(30代女性)
1992年に大阪市いちょう大学の初代学長に就任したことです。これがその後の教育関係の役職へ就くことになる第一歩となったわけですし、印象に残っています。(50代男性)
水戸黄門シリーズで定期的に関わっていた姿がとても良かったですね。役柄が違うので毎回違った顔を見せてくれて面白かったです。(30代男性)
三林京子の若い頃の髪型は黒髪ロングヘアー
三林京子さんの若い頃の髪型といえば、黒髪のロングヘアー髪型を思い出す方も多いのではないでしょうか。
1970年代は、日本でも長髪や巻き髪などのスタイルが流行していた時期でした。若手女優としてデビューした三林京子さんも、そうしたトレンドに沿った髪形をしていたのかもしれませんね!
#時代を超越してるオーパーツ美女
— 路児矢 無庵 (@zonaha) August 28, 2024
朝ドラ「スカーレット」の大久保さんこと三林京子の若い頃が、美人過ぎて笑っちゃう。令和でも通用する美貌。 pic.twitter.com/MwhYhWmSAA
美人な三林さんにとてもお似合いです!
まとめ
今回は、三林京子さんの若い頃の活躍や出来事を、画像とともに振り返りました。
年代ごとに印象深い出来事がたくさんあったね!
これからの活動も頑張ってほしいと思います。