俳優として活躍する三田村邦彦さん。
若い頃どんな風貌だったのかや、年代ごとにどんなできごとがあったのか気になるかたも多いと思います。
さっそく、三田村邦彦さんの若い頃の写真やできごと、デビューのきっかけを年代順に振り返ってみましょう。
三田村邦彦さんのデビューのきっかけや時期は?

三田村邦彦さんのデビューのきっかけは、1979年公開の映画「限りなく透明に近いブルー」で主演に抜擢されたことです。
この作品は村上龍さんの同名小説が原作で、三田村邦彦さんは原作者をモデルにした主人公リュウを演じました。
その後、同年にテレビドラマ「必殺仕事人」で飾り職人の秀役として出演し、俳優としての地位を確立しました。

今後の活躍が気になりますね!
三田村邦彦さんの幼少期は?若い頃の活躍やできごとを年代順に振り返り

三田村邦彦さんの幼少期のエピソードや、若い頃の活躍やできごとを年代順に振り返っていきます。
幼少期
三田村邦彦さんは新潟県新発田市で育ち、幼少期から映画館で石原裕次郎さんのアクション映画を観るのが好きだったようです。
その影響で小学4~5年生頃には漠然と俳優になりたいと思うようになりました。
小学校高学年の頃、アメリカ映画「雨に唄えば」を観て、その楽しさと素晴らしさに感動し、俳優という仕事に憧れを抱いたそうです!
しかし、父親からは医者になるよう勧められており、俳優への夢は長い間秘密にしていました。
家族の期待と自分の夢の間で葛藤しながら、心の中で俳優への想いを秘め続けていた姿は、俳優への憧れを強く感じますね。

幼少期からの夢だったのですね!
10代
三田村邦彦さんが10代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1969年(16歳):新潟県立新発田高等学校に入学
- 1972年(18歳):新潟県立新発田高等学校を卒業
- 1972年(18歳):上京する
1969年に新潟県立新発田高等学校に入学しました。
この高校は新潟県新発田市にあり、進学校として知られています。
高校時代、俳優への夢を抱きながら勉強に励み、周囲にはその夢を秘密にしていました。
1972年3月には同校を卒業しました。
卒業後、両親には「予備校に通う」と伝えつつ、実際には俳優を目指すための準備を進めていたようです。
高校卒業後、三田村邦彦さんは新潟から上京しました。
両親には大学進学のための予備校通いと説明していましたが、実際には演劇の学校に通い始めました。
この時期から俳優としての基盤を築くために本格的な活動を開始しています。
夢を大切にしながら、その実現のために準備を重ね、ついに本格的な俳優へ道を歩み始めた姿には、情熱と覚悟が感じられますね。
今日の旅サラダは、三田村邦彦さんが新潟県長岡市の旅に来てましたね❗酒蔵は、越の影虎🍶朝から日本酒呑みたくなりますね(^_^ゞ pic.twitter.com/RHczL7yyOo
— ARAKI (@187af1a0eddb4d9) February 19, 2016

夢を叶えていく姿がかっこいいです!
三田村邦彦さんファンに聞いた、三田村邦彦さんの10代で印象に残っている出来事


石原裕次郎さんに影響を受け、俳優という職業に憧れる。「太陽にほえろ!」というドラマでは石原裕次郎さんとの共演も叶ったから。(20代女性)

劇団青俳養成所に入ったというのがすごいですね。この頃から演技にすごく興味があったのでしょうね。今の芝居の根源だと思います。(30代男性)

俳優になるために上京をするのに父親を説得しようとしたが、強引に上京をして勘当されている。自分の夢のために強い意志を持っていて当時の厳しい親から勘当されてでも進むことに決意の固さを感じられたから。(40代男性)
20代
三田村邦彦さんが20代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1973年(20歳):劇団青俳に入団
- 1979 年(25歳):映画「限りなく透明に近いブルー」で主演デビュー
- 1979年(25歳):テレビドラマ「必殺仕事人」に出演
三田村邦彦さんの俳優としてのキャリアは、1973年に20歳で劇団青俳に入団したことから本格的に始まりました。
劇団青俳は多くの著名な俳優を輩出した劇団で、ここで三田村邦彦さんは演技の基礎を学び、舞台経験を積みました。
その後、25歳の時に村上龍さんの小説を原作とした映画「限りなく透明に近いブルー」で主演を務め、俳優としてのデビューを飾りました!
この作品で、原作者をモデルにした主人公リュウを演じ、その演技力と存在感で注目を集めました。
同年では、テレビドラマ「必殺仕事人」に飾り職人の秀役として出演し、これが三田村邦彦さんの代表作となります。
必殺仕事人Ⅳが始まりました。🤗窮地の中村主水を仲間が助けるという、幸先の良い始まりでした。三田村邦彦が若い🌱‼️画像にいないけど、ひかる一平もいます。
— ユキウサギ (@kyouko0337) September 1, 2022
そして、中村主水強い‼️
明日から楽しみです。😆 pic.twitter.com/sJfnzBq3Hs
このドラマでの役柄は、時代劇では珍しい髷を結わない異色のキャラクターで、視聴者の人気を集めました!
「必殺仕事人」シリーズは長年にわたって続いています。
これらの出来事は、三田村邦彦さんが俳優として大きく飛躍した時期で、キャリアの基盤を形成する重要な転換点となっていることが分かりますね!

俳優人生のスタートダッシュがすごい!
三田村邦彦さんファンに聞いた、三田村邦彦さんの20代で印象に残っている出来事


必殺仕事人に出演。三田村さんが演じた飾り職人の秀は同シリーズのドラマに必ず登場するお馴染みのキャラクターだったから。(20代女性)

限りなく透明に近いブルーという作品での芝居がとても印象的ですね。原作が本当に名作なので見ていて胸が高鳴りました。(30代男性)

文学座を2度最終選考まで残るも膨大な資金がかかることを知り、アルバイトで生計を立てながら劇団青俳を受けることにしたこと。親から勘当されているのもあって、自分の力でできることをしていったと感じたから。(40代男性)
30代
三田村邦彦さんが30代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1984年(31歳):映画「Wの悲劇」に出演
- 1989年(36歳):映画「ゴジラvsビオランテ」に出演
- 1990年(37歳):NHK大河ドラマ「翔ぶが如く」に出演
31歳の時に出演した映画「Wの悲劇」は、夏樹静子さんの小説を原作としたサスペンス作品です。
三田村邦彦さんは、薬師丸ひろ子さんが主演を務めたこの作品で重要な役どころを演じ、劇団を舞台にした複雑な人間関係と殺人事件の謎解きに深みを与えました。
36歳の頃には、映画「ゴジラvsビオランテ」に出演し、平成ゴジラシリーズの第2作目として高い評価を得た作品のようです!
今回デビューした時代劇ネタポケモンは
— レンサ (@RENSA2525d39) January 23, 2025
飾り職人の秀型ハリーマンでした
何故、飾り職人の秀か?
「飾り職人の秀」役の三田村邦彦さんがゴジラVSビオランテに出演してるからだよ#twitch #twitch配信 #Twitch配信者さんと繋がりたい #Twitch相互フォロー #ポケモンsv https://t.co/p8NsgWvp4X pic.twitter.com/DNf2jtzfKf
三田村邦彦さんは国際的なバイオテクノロジー企業の遺伝子工学者・桐島一也役を演じ、科学者としての信念と倫理観の葛藤を巧みに表現しました。
37歳の頃には、NHK大河ドラマ「翔ぶが如く」に出演し、明治維新の立役者の一人である大久保利通を演じました。
三田村邦彦さんは西郷隆盛(西田敏行さん)と並ぶ重要な役柄を担当したそうです。
幕末から明治にかけての激動の時代を生きた政治家の複雑な内面と、近代国家建設に尽力する姿を見事に表現し、歴史ドラマにおける演技力の高さを示しました。
これらの出演は、三田村邦彦さんが映画からテレビドラマまで、幅広いジャンルで活躍できる実力派俳優であることを証明する重要な転機となっていると思います。

何でもこなせる方なんですね!
三田村邦彦さんファンに聞いた、三田村邦彦さんの30代で印象に残っている出来事


歌手活動をスタートさせる。舞台やミュージカルのような歌が必要とされる作品でも歌唱力を発揮されているから。(20代女性)

Wの悲劇での芝居が本当にすごいですね。この作品はかなりの名作なので作品全体に蔓延るオーラが本当にすごいです。(30代男性)

必殺仕事人で、殺し屋の役が無理と思っていて1クール延びた時降板を希望していたが、その夜に藤田まことから飲みに誘われて説得されて続投したこと。それだけ演技に真剣に向き合っていたと感じたから(40代男性)
40代
三田村邦彦さんが40代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1994年(41歳):時代劇ドラマ「殿さま風来坊隠れ旅」に出演
- 1995年(41歳):テレビドラマ「魔の季節」に出演
- 2000年(47歳):テレビドラマ「一絃の琴」に出演
41歳の時に出演した時代劇ドラマ「殿さま風来坊隠れ旅」では、主演を務めました。
『殿さま風来坊 隠れ旅』90年代が彩った三田村邦彦エンタメ時代劇。コメディ、ホラー、特撮ヒーローなどジャンル映画へ拡がる時代劇の自由さを味わえる。#京都ヒストリカ 11/6京都文博 pic.twitter.com/3SUlKk1xPf
— Ken Takahashi (@takaha4ken) November 2, 2015
この作品で、元藩主の隠居した殿さまを演じ、各地を旅しながら様々な事件や人々との出会いを通じて活躍する姿を描きました。
軽快なストーリー展開と三田村邦彦さんの魅力的な演技が相まって、多くの視聴者から支持を得ていたようです!
同じく41歳で主演を務めたテレビドラマ「魔の季節」は、サスペンスジャンルの作品でした。
このドラマでは、三田村邦彦さんの演技力が遺憾なく発揮され、緊張感のある展開の中で重要な役割を果たしました。
47歳の頃に出演したNHKドラマ「一絃の琴」は、宮尾登美子さんの小説を原作とした作品です。
土佐を舞台に、伝統楽器「一絃琴」を通じて描かれる人間模様や芸術の世界を題材にしています。
どの作品も三田村邦彦さんの魅力を秘めて引き出していて、俳優としての実力の高さを感じさせられます!

高い支持があったのが分かります!
三田村邦彦さんファンに聞いた、三田村邦彦さんの40代で印象に残っている出来事


ドラマ「渡る世間は鬼ばかり」に出演。三田村さんを初めて知ったドラマで、今でも三田村さんを見ると渡鬼を思い出すから。(20代女性)

渡る世間は鬼ばかりでの芝居がとても印象に残っています。ボケが始まった母親を看病する役で身につまされましたね。(30代男性)

1980年に女優の中山麻理と結婚し、3子をもうけるが、1999年に離婚したこと。芸能活動をしているとプライベートではなかなか合わなくて離婚することはよくあることなのかなと当時思ってしまったから。(40代男性)
三田村邦彦さんの若い頃の髪型はショートヘア

三田村邦彦さんの若い頃の髪型といえば、ショートヘアの髪型を思い出す方も多いのではないでしょうか。
おはようございます😃
— みりん💐🌹🌸 (@mirinrurururose) February 4, 2025
昨夜は約束を忘れて遅刻したポンコツな私。オランダから帰国中の若い友人に三田村邦彦さんとのツーショット写真を見せたら、三田村さんの二枚目ぶりに驚くと同時に、「お似合いのカップルに見えますよ」と言ってくれて、すっかり気を良くしている単純な私🥹良い一日を🍀 pic.twitter.com/DfcppkPHaT
トップには適度なボリュームがあり、サイドは自然に整えられているため、落ち着いた印象ですね!
その頃の流行の髪型は、リーゼントやモヒカンなどのスタイルも若者に支持されていました。
流行した背景には、音楽やサブカルチャーの影響が大きく関係しているようです!

若い頃から本当にかっこいい!
まとめ

今回は、三田村邦彦さんの若い頃の活躍や出来事を、画像とともに振り返りました。

年代ごとに印象深い出来事がたくさんあったね!
これからの活動も頑張ってほしいと思います。