女優として活躍する三田佳子さん。
若い頃どんな風貌だったのかや、年代ごとにどんなできごとがあったのか気になるかたも多いと思います。
さっそく、三田佳子さんの若い頃の写真やできごと、デビューのきっかけを年代順に振り返ってみましょう。
三田佳子さんのデビューのきっかけや時期は?

三田佳子さんのデビューのきっかけは、高校在学中に声をかけられてテレビCMに出演したことです。
当時、CM出演者は「コマーシャルガール」と呼ばれ注目されていたそうです!
その後、週刊誌の特集が映画会社の目に留まり、東映にスカウトされました。
高校卒業後に東映へ入社し、女優としての道を歩み始めています。

学生の頃から注目されていたのですね!
三田佳子さんの幼少期は?若い頃の活躍やできごとを年代順に振り返り

三田佳子さんの幼少期のエピソードや、若い頃の活躍やできごとを年代順に振り返っていきます。
幼少期
三田佳子さんは1941年に大阪市で生まれ、生後半年で東京へ移住しました。
その後3歳で山梨県に疎開し、幼いながらも新しい環境に適応する力を養われています。
将来は小説家になりたいという夢を持ち、自作の紙芝居を近所の子どもたちに披露するなど、表現することの楽しさを実感したようです。
控えめな性格ではありましたが、本を読むことやお話をすることが好きで、内に秘めた表現力を育んでいたと考えられます。
厳しい環境の中でも、自分の好きなことを大切にし、それを成長の糧にしてきた三田佳子さんの生き方は、とても魅力的であり、励まされるものがあります。

紙芝居を見てみたいです!
10代
三田佳子さんが10代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1954年〜1960年(12歳〜18歳):芸能活動を開始
- 1960年(18歳):東映に入社
- 1960年(19歳):映画「殺られてたまるか」でデビュー
三田佳子さんは、中学3年の時に児童劇団「ちどり」に入団し、芸能活動をスタートさせました。
中学・高校時代からテレビやラジオに出演し、週刊誌の表紙を飾るなど注目を集めていたようです!
高校在学中には、映画会社からのスカウトも受けましたが、断り続けた後、女子美術大学付属高等学校を卒業し、芸能界に本格的に進むことを決意しました。
18歳の頃には、高校卒業と同時に東映に入社しています。
当時、東映は日本映画界の大手スタジオの一つであり、三田佳子さんはここで本格的な女優としてのキャリアをスタートさせました。
同年、映画「殺られてたまるか」でヒロイン役を務め、スクリーンデビューを果たしました。
若林栄二郎監督『殺られてたまるか』観た
— kawata (@MugenShinsi) February 28, 2021
幼い頃に組長だった父を殺されたヤクザと堅気の兄弟を描いた東映ムードアクション
兄が千秋実で弟が梅宮辰夫というのは、流石に年齢的に無理がある。脚本も演出も精彩を欠く
三田佳子のデビュー作という以外は語る事は少ない pic.twitter.com/IuHutq22TV
この作品で三田佳子さんの美貌と演技力が評価され、東映の看板女優としての地位を築くきっかけとなっているようでうす。
東映入社後、すぐに映画のヒロインとしてスクリーンデビューを果たし、その演技力と美しさが評価されるというのは、まさに実力と運を兼ね備えたスターの誕生を感じさせますね!

スター性がすごい!
三田佳子さんファンに聞いた、三田佳子さんの10代で印象に残っている出来事


児童劇団に入団。児童劇団の頃から数えると芸歴は70年近く、浮き沈みが激しい芸能界でずっと第一線で活躍され続けていることが本当にすごいなと思うから。(20代女性)

児童劇団ちどりに入ったというのが印象深いですね。若い頃から演技に興味を持っていたのが彼女の成功の始まりですね。(30代男性)

中学3年のとき、児童劇団「ちどり」に入り多数のテレビやラジオに出ていたため在学中からスカウトが多く、卒業後第二東映に入社したこと。昔から才能がある人で今も活躍していることに納得したから。(40代男性)
20代
三田佳子さんが20代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1964年(23歳):映画「廓育ち」に出演
- 1965年(24歳):映画「顔役」に出演
- 1965年(24歳):大河ドラマ「太閤記」に出演
三田佳子さんは、1964年に公開された映画「廓育ち」で主演を務めています。
『廓育ち』1964 東映
— Утаката Чан (@ameundarashi) October 25, 2019
緑魔子目当てで見たものの三田佳子の美しさに脱帽。梅宮辰夫が若すぎてわからなかった。笑 おそらく京都の島原遊廓が舞台で、一人旅で行ったことあったから嬉しい。魔子さんあどけなかった!@retoro_mode pic.twitter.com/Ux8a8x1YEM
この作品は川野彰子さんの同名小説を原作とし、佐藤純彌さんが監督を担当しました。
三田佳子さんは、廓で育った女性・たみ子役を演じ、清純派のイメージを脱却し、悲劇的な役柄を熱演されています!
この作品は初の本格的な主演作とされ、ミリオンパール賞主演女優賞を受賞しました。
24歳の頃には、石井輝男監督の映画「顔役」に柏田真弓役で出演しています。
この作品は、ヤクザの世界を描いたアクションドラマで、高倉健さんが主演しました。
三田佳子さんは、主要キャストの一人として、物語の重要な役割を演じています。
同年では、NHK大河ドラマ「太閤記」に出演されています。
このドラマは豊臣秀吉の生涯を描いた歴史ドラマで、三田佳子さんはその中で重要な役柄を演じているようです!
大河ドラマへの出演は、三田佳子さんのキャリアにおいても大きな転機となり、テレビドラマでの活躍を広げるきっかけとなっているそうです。
常に新しい挑戦を続ける姿勢と、どんな役にも真剣に向き合う姿が伝わってきて、とても魅力的に感じました。

大活躍ですね!
三田佳子さんファンに聞いた、三田佳子さんの20代で印象に残っている出来事


映画界から追放の危機に立たされる。小さい頃からずっと見てきた女優さんなので、そんな危機があったなんて想像もしなかったから。(20代女性)

夜のひとでという作品でトラブルに発展したというの話が印象的ですね。ヌードの差し替えが行われたみたいですごくびっくりです。(30代男性)

1967年の松竹『夜のひとで』で、無断でヌードのすげ替えシーンを入れられ、抗議すると映画界を干されかける。当時から企業の力が強くて、三田さんクラスでも使い捨ての道具に近い扱いを垣間見えたから。(40代男性)
30代
三田佳子さんが30代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1973年(32歳):NHK大河ドラマ「国盗り物語」に出演
- 1974年(33歳):NHK大阪制作部副部長の高橋康夫さんと結婚
- 1978年(37歳):映画「燃える秋」に出演
三田佳子さんは、1973年に放送されたNHK大河ドラマ「国盗り物語」に深芳野役で出演しました。
このドラマは司馬遼太郎さんの同名小説を原作とし、戦国時代の斎藤道三や織田信長らの物語を描いています。
三田佳子さんは、ドラマの中で重要な役柄を演じ、大河ドラマ初出演を果たしました!
この作品は、全51回にわたり放送され、高い視聴率を記録しているようです。
33歳の頃には、NHK大阪制作部副部長の高橋康夫さんと結婚しました。
夫は元NHKプロデューサーの高橋康夫さん
— ねとらぼエンタメ (@itm_nlabenta) September 26, 2022
三田佳子、夫の81歳バースデー2ショットに反響 自身も誕生日控え「『最終章』の覚悟を持たなくては」 https://t.co/PVgIHdetxx pic.twitter.com/gcgBeJQQcz
高橋康夫さんは映像プロデューサーとして活躍しており、三田佳子さんと同い年の1941年生まれです。
二人は出会って2ヶ月で結婚するスピード婚でしたが、結婚生活は長く続き、現在も仲睦まじい夫婦として知られています。
37歳の頃には、映画「燃える秋」にサングラスの女役で特別出演しました。
この作品は、ペルシャ絨毯に魅せられた女性の物語を描いたもので、三田佳子さんは、謎めいた役柄を演じ、作品に深みを与えています。
大河ドラマや映画での活躍と、結婚という人生の大きな節目が重なり、公私ともに充実した時期だったことが伝わってきます。

素敵なご夫婦ですね!
三田佳子さんファンに聞いた、三田佳子さんの30代で印象に残っている出来事


テレビ局のプロデューサーと結婚。お子さんに関するニュースが度々報じられ、その度に三田さんにも注目が集まるから。(20代女性)

大河ドラマ国盗り物語に出演したというのがすごいですね。この時代の大河は本当に豪華で出ている俳優さんたちのクオリティも高すぎますね。(30代男性)

1973年にはNHK大河ドラマ黄金期の『国盗り物語』に出演した。20代の頃に干されかけた中、当時のNHKの大河ドラマに出演できたことが、自力の強さと努力を感じられて、まねできないと思ったから。(40代男性)
40代
三田佳子さんが40代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1986年(45歳):NHK大河ドラマ「いのち」で主演を務める
- 1989年(48歳):映画「極道の妻たち 三代目姐」に出演
- 1989年〜1990年(48歳〜49歳):NHK紅白歌合戦で司会を担当
三田佳子さんは、45歳でNHK大河ドラマ「いのち」で主演を務めました。
【TVガイド/あの時あの表紙あの番組(1201)】
— しがない三四郎 (@shinya_bokudake) October 13, 2018
[86.02.07]三田佳子
大河ドラマ『いのち』〔NHK〕で主演
青森県・津軽地方を舞台に、妻・母・嫁としての葛藤を抱えつつも、
医療に情熱を燃やす女医・岩田未希の人生を描いた
共演は役所広司・伊武雅刀・久我美子ほか@retoro_mode pic.twitter.com/vCJfMDnbWL
この作品は、戦後40年間の日本の歩みを背景に、女医・岩田未希さんの人生を描いたものです。
脚本は橋田壽賀子さんが担当し、三田佳子さんは未希役で、感情を込めた演技で多くの視聴者に感動を与えたようです。
48歳の頃には、映画「極道の妻たち 三代目姐」に出演しました。
この作品は、関西の広域暴力団・坂西組の三代目組長の妻・葉月役を演じ、組の跡目争いや女たちの争いを描いたものです。
監督は降旗康男さんで、三田佳子さんの演技は高く評価され、第13回日本アカデミー賞で優秀主演女優賞を受賞されています!
また、48歳〜49歳の頃には、NHK紅白歌合戦で司会を務めました。
紅白歌合戦は日本で最も視聴率の高い音楽番組の一つであり、三田佳子さんはその司会者としての才能を発揮し、番組の成功に貢献されています!
演技だけでなく司会業までこなし、どんな分野でも一流の実績を残していることに感銘を受けました。

本当に多才ですね!
三田佳子さんファンに聞いた、三田佳子さんの40代で印象に残っている出来事


「Wの悲劇」に出演。Wの悲劇といえば薬師丸ひろ子さんとばかり思っていたのですが、三田さんも出ていたことを知って驚いたから。(20代女性)

Wの悲劇で女優役を熱演していた姿がとても良かったですね。女優が女優役をやるなんてなんだか新しいと感じました。(30代男性)

極道の妻たち 三代目姐で、坂西葉月 役を演じたこと。岩下志麻同様、実際にそういう人がいるのかと思うような存在感を演技で出していたから。(40代男性)
三田佳子さんの若い頃の髪型はパーマスタイル

三田佳子さんの若い頃の髪型といえば、パーマスタイルの髪型を思い出す方も多いのではないでしょうか。
#広島歌謡曲ナイト
— 大竹のせぇちゃん (@qNBp0b5Zym2YiNn) January 9, 2021
三田佳子/お人好し(1985 昭和60年)
※映画「Wの悲劇」は1984年 pic.twitter.com/3bRs7K9XEt
トップに高さを出し、サイドや後ろにふんわり広がるカールのスタイルで、華やかでエレガントな印象です!
その頃の流行の髪型は、ソバージュのようです。
1980年代はバブル景気の時代で、派手で華やかなファッションが主流で、ソバージュを採用した有名人やモデルが多く登場し、その影響で一般にも広がったそうです。

若い頃が素敵な髪型ですね!
まとめ

今回は、三田佳子さんの若い頃の活躍や出来事を、画像とともに振り返りました。

年代ごとに印象深い出来事がたくさんあったね!
これからの活動も頑張ってほしいと思います。