上皇后として知られる美智子様。
若い頃どんな風貌だったのかや、年代ごとにどんなできごとがあったのか気になるかたも多いと思います。
さっそく、美智子様の若い頃の写真やできごと、デビューのきっかけを年代順に振り返ってみましょう。
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美智子様のデビューのきっかけや時期は?
美智子様は早くから才色兼備で知られ、縁談が殺到し、いわば理想のお嫁さん候補でした。
美智子様の祖父が現在の日清製粉の創業者で、父親は社長・会長を務めた実業家です。
当時、皇太子だった現在の上皇陛下のお妃探しは、華族が経済的に困窮していたこともあり難航していました。
候補者の範囲が広げられ、旧華族でも学習院でもない美智子様でしたが、すでに面識があることから宮内庁選考チームは正田美智子さんを皇太子妃とする方針を固めます。
才色兼備で良家の子女‼
美智子様の幼少期は?若い頃の活躍やできごとを年代順に振り返り
美智子様の幼少期のエピソードや、若い頃の活躍やできごとを年代順に振り返っていきます。
幼少期
お名前の「美智子」には「美しく賢かれ」との願いが込められています。
東京四谷の名門雙葉学園の雙葉小学校付属幼稚園に入園され、雙葉小学校へと進学されます。
㊗️上皇后美智子様お誕生日おめでとう御座います🎂(1934年)
— みやのすみれ (@sumiremiya) October 19, 2024
「なぜ私たち皆が、自分たち共同社会の出来事として、この人々の不在をもっと強く意識し続けることができなかったかとの思いを消すことができません。今回の帰国者と家族との再会の喜び…」拉致被害者へのお心寄せも。
誕生花「竜胆」「正義」 pic.twitter.com/SFGLOzLTPf
お嬢様として歩まれています!
10代
美智子様が10代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1947年(12歳):聖心女子学院中等科へ入学
- 1950年(15歳):憧れの先輩へ手紙を送る
- 1955年(20歳):読売新聞主催「はたちのねがい」という記念感想文で2位
疎開で小学校を転々とされますが、卒業は雙葉小学校で迎えます。当時のお住まいから遠いため雙葉中学校ではなく、聖心女子学院中等科へ入学されます。
「“歳月人を待たず”って申しますけれど あまりにも短く思われる三年間だった丈
に“レ・ミゼラブル”と歎息したくなります 御多々々々々々幸を御祈り致します (私アブノーマルですから“多”を沢山
書きました)」詩をたくさん書かれる美智子様の文才が感じられます。
4185作品もの応募の中第2位に入選され、賞金2000円のうちの半分を社会事業の基金として、残りを聖心女子大学のマザー・ブリット学長を通じて奨学資金として母校に寄付されました。
スポーツにも勉強にも励まれ、社会貢献もなさっています。
育ちの良さが感じられるね!
美智子様ファンに聞いた、美智子様の10代で印象に残っている出来事
10代の時に「ねむの木の子守歌」という詩を書かれていて、この詩に由来した公園が実家があった場所に作られてます。10代の時にとても素晴らしい詩を書かれていることに驚く限りです。(40代女性)
聖心女子学院高等科で成績はトップクラスだったという話を聞いて本当にすごいと感動しました。理知的な雰囲気は昔から持っていましたが想像通りでしたね。(30代男性)
美智子さまが10歳~11歳頃に疎開していたということが一番印象に残っています。1944~1945年当時は日本戦時中で群馬や神奈川の小学校を転々としていたという話を聞いて印象に残りました。(20代男性)
20代
美智子様が20代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1957年(22歳):聖心女子大学文学部外国語外国文学科卒業
- 1958年(23歳):皇室会議で皇太子明仁親王との結婚が満場一致で可決される
- 1960年(25歳):第一子出産
在学中に中学・高校の英語教員免許を取得され、卒業式では総代として答辞を読まれました。
「平民から妃を迎える」事が考えられない時代で旧貴族・旧華族に強く反対されますが、皇室会議で可決された翌年4月10日ご成婚パレードには53万人もの市民が沿道に集まりました。
産後7カ月で訪米した際に書き留めた育児ノート「なるちゃん憲法」を側近に託しています。慣習であった乳母制度・傅育官制度を廃止し、ご自身の手で3人のお子様を育てられました。
ご成婚前ベルギーで開かれた聖心学院国際同窓会に日本代表として出席されていますが、実は縁談辞退の意味が込められた外遊で、ベルギー・イギリス・イタリア・スイス・フランス・オランダ・米国を巡る54日間の旅でした。
プロポーズは「イエスと言ってください」です。
美智子様ファンに聞いた、美智子様の20代で印象に残っている出来事
24歳の時に皇室へと入られましたが、様々な国へ訪問されている写真を見ても大変美しくて品があり、勤めを果たされている姿に感動を覚えます。(40代女性)
ベルギーにて開催された「聖心世界同窓会第1回世界会議」の日本代表として出席したという点に驚きがありました。こういうことなかなかできないことですから凄さを実感します。(30代男性)
大学在学中にテニスがとてもうまくて表彰などもされていたということが印象的です。よくテレビなどでテニスをしている写真などが出てくるので印象に残りました。(20代男性)
30代
美智子様が30代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1965年(30歳):第二子出産
- 1969年(34歳):第三子出産
- 1972年(37歳):浩宮様と礼宮様の入学式
美智子様は東宮御所の厨房で離乳食やお弁当も手作りされました。
陣痛が始まり宮内庁病院に向かう車の後部座席には皇太子さま(当時)が付き添われました。天皇家として初めてのことでした。
温かい家庭を築き「普通の親」を目指して3人のお子様を育てられています。
4月浩宮様は学習院中等科へ入学、礼宮様は学習院初等科へ入学されました。入学式には父母としてお二人で臨席しています。
60年前からワーキングママです。
美智子様ファンに聞いた、美智子様の30代で印象に残っている出来事
31歳の時に礼宮文仁親王を、34歳で紀宮清子内親王を出産され、この時期は皇室では異例ともいえる自身での子育てに奮闘されていて、お忙しい中でも凄いなと思いました。(40代女性)
1965年第二子が誕生したという話を聞いてすごくあったかい気持ちになりましたね。人生が本当に順調に運ばれていて素晴らしいです。(30代男性)
美智子さまが30歳の時に今の秋篠宮殿下が生まれたということが印象的です。30歳という節目の年で生まれていたので印象に残りました。(20代男性)
40代
美智子様が40代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1975年(40歳):沖縄国際海洋博覧会に出席
- 1984年(49歳):銀婚式を迎える
- 1985年(50歳):国際ベストドレッサー賞受賞
「ひめゆりの塔」訪問の際、過激派から火炎瓶を投げつけられるという事件に遭われました。
結婚25周年の会見で「夫婦としてお互いに何点をつけるか」と記者から問われます。
皇太子(当時)「点数をつけることはできないが努力賞ということで」
美智子妃 「私も差し上げるのなら、お点ではなく感謝状を」
このお答えは同席していた記者から感嘆の声が漏れるほどウィットに富んだものでした。
1988年、1990年にも国際ベストドレッサー賞を受賞されています。
美智子上皇后様🌸✨
— Harmonia🌸 (@umi__3333) October 20, 2024
お誕生日おめでとうございます✨ pic.twitter.com/U5OAifao1s
温かな結婚生活を感じるお言葉です!
美智子様ファンに聞いた、美智子様の40代で印象に残っている出来事
49歳の時に銀婚式を迎えられた写真がありますが、この時の東京御所で自然散策をされる姿が自然な感じで上皇様との仲睦まじい姿が見られます。(40代女性)
銀婚式を迎えたことが印象的ですね。夫婦の仲の良さがテレビの中継などを見ていてすごく伝わるのでこういう夫婦像が昔から理想です。(30代男性)
1984年に今の上皇陛下と銀婚式を迎えたニュースが一番印象に残っています。その当時の映像などが今でも報道されるのでよく印象に残りました。(20代男性)
美智子様の若い頃の髪型は「ボネ」
美智子様の若い頃の髪型といえば、「帽子」を思い出す方も多いのではないでしょうか。
洋装が浸透した明治期以降、女性は昼間の外出で帽子をかぶることが礼儀でした。
1970年代頃までは流行の形の帽子を着用されています。つばのない「ボネ」を被られていました。
公務では現在でも帽子は必須ですが、「お顔を拝見したい」と願う人たちへの気遣いから帽子のサイズが小さくなり、額の上に留めるような形のデザインが多くなりました。
1934年10月20日(土)
— HAJYAKON (@HAJYAKON) October 20, 2024
お誕生日🎂おめでとうございます㊗️
あなたが嫁いだお陰で開かれた皇室になりましたね
上皇后美智子様
今日は上皇后誕生日で休み🎌とします pic.twitter.com/EbduoD08jl
美智子様の帽子!
まとめ
今回は、美智子様の若い頃の活躍や出来事を、画像とともに振り返りました。
年代ごとに印象深い出来事がたくさんあったね!
これからの活動も頑張ってほしいと思います。