【画像】未知やすえの若い頃の写真!昔は怖かった?幼少期からの生い立ちまとめ

お笑いタレントとして活躍する未知やすえさん。

若い頃どんな風貌だったのかや、年代ごとにどんなできごとがあったのか気になるかたも多いと思います。

さっそく、未知やすえさんの若い頃の写真やできごと、デビューのきっかけを年代順に振り返ってみましょう。

監督:及川博則(ライス), プロデュース:テレビ東京, Writer:及川博則(ライス), 出演:江口のりこ, 出演:小林きな子, 出演:渋谷謙人, 出演:佐々木春香, 出演:大塚明夫
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目次

未知やすえのデビューのきっかけや時期は?

デビューのきっかけや時期

元々、未知やすえさんは歌手になることが夢でした。山口百恵さんや桜田淳子さんに憧れ、中学生の頃からホリプロスカウトキャラバンなどのオーディションを受けていましたが、全て落選してしまいます。

その後、高校在学中の1979年に友人の家族が花月を見に行くというので一緒に行った際、タレントオーディションのポスターを見かけて応募したところ合格しました。「花月・ポケットミュージカルス」のダンサーとして出演することに。

それから1982年4月1日には、同じく芸人を目指していた友人とともに漫才コンビ「やすえ・やすよ」を結成し、なんば花月上席の「フレッシュコーナー」で初舞台を踏みました。

このコンビは1984年12月30日に解散し、翌日の1985年1月1日から未知やすえは吉本新喜劇に入団し、新喜劇でのデビュー作は1985年のうめだ花月上席『吉本新喜劇 牛に曳かれた宝船』です。

ねこ太郎

お笑い芸人を目指してたんじゃなかったんだ!

未知やすえの幼少期は?若い頃の活躍やできごとを年代順に振り返り

未知やすえさんの幼少期のエピソードや、若い頃の活躍やできごとを年代順に振り返っていきます。

幼少期

未知やすえさんの幼少期は、庶民的な環境で育ち、活発で芸能好きな少女だったことがわかります。

1963年8月7日に誕生し、東大阪市の団地で生まれ育った未知やすえさん。彼女は自身を「やんちゃな女の子」と表現し、その幼少期を「ちびまる子ちゃんの世界そのもの」と描写しています。

幼い頃から芸能への関心が高く、コタツの上で風呂敷を巻いて山本リンダのものまねをするなど、歌や踊りを楽しんでいました。当時人気だった「パクパクコンテスト」という歌番組の影響を受け、テレビで見た振り付けのマネをして歌ったり踊ったりすることを好んでいたそうです。

また、未知やすえさんは父親とよく甲子園球場に行き、阪神タイガースを応援していました。高校野球にも興味があり、好みのタイプの選手を見つけては、その選手の高校を応援するほどの野球ファンだそうです。

幼い頃から、人を笑顔にするやんちゃさを持っていたようなので、現在の未知やすえさんは仕事としてではなく元からあるエンターテイメントさなんですね。

ねこ太郎

ちびまるこちゃん、確かに!

10代

未知やすえの若い頃10代の年表

未知やすえさんが10代の頃の代表的なできごとはこちらです。

  • 1976年(12歳):芸能界に憧れ、歌手になることを夢見る
  • 1979年(15歳):オーディションに挑戦、ダンサーとしてデビュー
  • 1982年(18歳):友人とともに漫才コンビ「やすえ・やすよ」を結成

東大阪市立楠根中学校へ入学した未知やすえさんは中学生の頃から芸能界、特に歌手になることを夢見ていました。当時人気だった山口百恵や桜田淳子などの中三トリオに影響を受け、「中学生で歌手になれる」と考えていたそうです。

大阪府立布施北高等学校に入学した未知やすえさんは、友人と共に『スター誕生!』や『ホリプロタレントスカウトキャラバン』などのオーディションに何度も挑戦しましたが、全て落選。高校在学中に偶然見つけたタレントオーディションに合格し、「花月・ポケットミュージカルス」のダンサーとして出演することになり、これが吉本興業との最初の接点となりました。

1982年4月1日に友人とともに漫才コンビ「やすえ・やすよ」を結成し、なんば花月上席の「フレッシュコーナー」で初舞台を踏みました。

高校時代、フジテレビの『笑ってる場合ですよ!』のコーナー「お笑い君こそスターだ!」に同級生と出演するなど、素人時代からテレビ活動もしてたそうです。未知やすえさんの10代は歌手になる夢を追いかけながらも、様々な経験を通じて徐々に芸能界での活動の幅を広げていった時期だったんですね。

ねこ太郎

行動力がとてもありますね!

未知やすえさんファンに聞いた、未知やすえさんの10代で印象に残っている出来事

アンケート調査結果
ネット上の人物

吉本工業に入所した姿がとても印象深いです。彼女の才能はこの頃から確実に開花していたと漠然と思いますね。(30代男性)

ネット上の人物

「やすえ・やすよ」というコンビを結成。コンビでの活動はわずか2年で終了してしまったので、あまり知られていない事実だと思うから。(20代女性)

ネット上の人物

漫才コンビ「やすえ・やすよ」を結成したことが印象的でした。解散してしまったものの、彼女の面白さはみんなに伝わったと思えたからです。(30代女性)

20代

未知やすえの若い頃20代の年表

未知やすえさんが20代の頃の代表的なできごとはこちらです。

  • 1985年(21歳):吉本新喜劇に入団
  • 1986年(23歳):NHK朝ドラ『都の風』に出演
  • 1988年(25歳):吉本新喜劇内で「キレ芸」を確立

1985年1月1日、21歳のときに吉本新喜劇に入団しました。前日に漫才コンビ「やすえ・やすよ」を解散した直後の出来事で、突然の転身。新喜劇デビュー作は『吉本新喜劇 牛に曳かれた宝船』で、新喜劇内で重要な役柄を担うようになりました。

1986年には、NHK朝ドラ『都の風』に出演し、テレビ女優としても注目されます。この頃から新喜劇以外のメディア出演が増加しました。

吉本新喜劇内で「キレ芸」を確立し、その演技スタイルが定番化。温厚なキャラクターから一転して怒り出す演技は観客から高い評価を得ました。20代後半には同じ吉本新喜劇座員の内場勝則との交際が始まり、末成映薫に恋愛相談をしていたことが知られています。

女優としても活躍されていたことにびっくりしました。また、キレ芸が20代のうちから確率され、今もなお愛される芸として存在していることが素晴らしいです。

ねこ太郎

まくしたてる未知やすえさんすごい迫力ですよね。

未知やすえさんファンに聞いた、未知やすえさんの20代で印象に残っている出来事

アンケート調査結果
ネット上の人物

やすえ、やすよというコンビで活動していたということに驚きましたね。ずっとピン芸人だと思っていたのでそういう背景があったと知りびっくりしましたね。(30代男性)

ネット上の人物

吉本新喜劇に入団。今も現役で新喜劇の舞台に立ち続けていて、やすえさんといえば新喜劇のイメージが一番に出てくるから。(20代女性)

ネット上の人物

吉本新喜劇に入団したことが印象的でした。この入団こそが、彼女の今後を決める人生の転機になったと思うからです。(30代女性)

30代

未知やすえの若い頃30代の年表

未知やすえさんが30代の頃の代表的なできごとはこちらです。

  • 1993年(30歳):吉本新喜劇の主要メンバーとして活躍
  • 1997年(33歳):映画『どケチ・ピーやん物語』に出演し、女優としての活動も拡大
  • 2002年(39歳):「第31回上方お笑い大賞」の話題賞を受賞

吉本新喜劇の主要メンバーとして活躍を続け、「キレ芸」が定着。また、結婚1年目でプライベートと仕事の両立に奮闘していました。

1997年には、映画『どケチ・ピーやん物語』に出演し、女優としての活動も拡大。さらに翌年にはテレビ番組への出演が増加し、バラエティ番組でも活躍しました。

2002年に39歳で第31回上方お笑い大賞の話題賞を受賞。彼女のキャリアにおいて重要な出来事でした。この受賞は、30代を通じて築き上げてきた「キレ芸」の完成度の高さと、コメディエンヌとしての実力が業界内外で認められた賞となりました。

未知やすえさんは30代で芸能界での地位を固め、女性座長就任への布石となった重要な時期であったのではないでしょうか。

ねこ太郎

賞をとってさらに実力を認められて凄い!

未知やすえさんファンに聞いた、未知やすえさんの30代で印象に残っている出来事

アンケート調査結果
ネット上の人物

大阪で活動している姿をたまたまみたのですが、やっぱり声がとても印象的ですね。一度聞いてしまうとあの声だけで笑いが込み上げてきます。(30代男性)

ネット上の人物

同じく吉本新喜劇の内場勝則さんと結婚。新喜劇の舞台でも夫婦の掛け合いを見れることがあっていつも盛り上がるから。(20代女性)

ネット上の人物

『超!よしもと新喜劇』の出演が印象的でした。この番組で、大阪だけでなく全国に彼女の名が知られるようになったと思うからです。(30代女性)

40代

未知やすえの若い頃40代の年表

未知やすえさんが40代の頃の代表的なできごとはこちらです。

  • 2003年(40歳):40代の頃の代表的なできごとを時代が古い順に一行で書く
  • 2007年(44歳):吉本新喜劇の初の本格的な女性座長に就任
  • 2008年(45歳):内場勝則との「最強夫婦」としてのエピソードが注目

「マドンナ役」を降板したのは、40歳代に入った2003年頃のことです。この時期、若手女優の台頭により、五十嵐サキや宇都宮まきといった新世代がマドンナ枠を担うようになりました。未知やすえさんはマドンナ役を降りた後、中堅として幅広い役柄を演じるようになり、特に「キレ芸」を活かしたコミカルな演技で新喜劇内での存在感をさらに強化していきます。

44歳の時、吉本新喜劇の初の本格的な女性座長に就任します。8月7日から1週間限定で「未知やすえ 女座長特別公演」を開催。この公演は大きな反響を呼び、翌年以降も毎年恒例のイベントとなりました。

新喜劇での活動に加え、テレビ番組や舞台出演も継続して行っていました。特にコメディエンヌとしての評価が高まります。さらに、夫である内場勝則との「最強夫婦」としてのエピソードが注目されることが増えました。テレビ番組などでも夫婦で共演する機会が増えたと考えられます。

未知やすえさんの40代は、女性座長として新たな歴史を作りつつ、吉本新喜劇内外で幅広い活躍を見せた充実した時期でした。特に座長公演は、彼女が新喜劇において欠かせない存在であることを証明する象徴的な出来事になったのではないでしょうか。

ねこ太郎

40代で更に磨きがかかってますね!

未知やすえさんファンに聞いた、未知やすえさんの40代で印象に残っている出来事

アンケート調査結果
ネット上の人物

めちゃイケでの姿が印象的ですね。中居さんのことをとてもドスの効いた声で責め立てていてすごく爽快感がありましたね。(30代男性)

ネット上の人物

新喜劇で女性として初めて座長を務める。今では酒井藍さんが女性座長として定着していますが、その道を開いたやすえさんも称えられるべきだと思うから。(20代女性)

ネット上の人物

新喜劇で初の女性座長を務めたことが印象的でした。短い期間でも、彼女の功績は素晴らしいものだと思えたからです。(30代女性)

未知やすえの若い頃の髪型はパーマのロングヘア

未知やすえさんの若い頃の髪型といえば、パーマをかけたロングヘアな髪型を思い出す方も多いのではないでしょうか。

長い髪にふあふわとしたパーマへアで女の子らしさを感じてとても可愛らしいですね。

80年代は、女性特有のふんわり感を醸し出す聖子ちゃんカットが流行っていたようです。未知やすえさんは、山口百恵さんや桜田淳子さんに憧れていたようなので、同じような髪型にしていたのかもしれませんね。

ねこ太郎

気軽なコメントを一行程度で

まとめ

まとめ

今回は、未知やすえさんの若い頃の活躍や出来事を、画像とともに振り返りました。

ねこ太郎

年代ごとに印象深い出来事がたくさんあったね!

これからの活動も頑張ってほしいと思います。

監督:及川博則(ライス), プロデュース:テレビ東京, Writer:及川博則(ライス), 出演:江口のりこ, 出演:小林きな子, 出演:渋谷謙人, 出演:佐々木春香, 出演:大塚明夫
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