フォークシンガーとして活躍する松山千春さん。
若い頃どんな風貌だったのかや、年代ごとにどんなできごとがあったのか気になるかたも多いと思います。
さっそく、松山千春さんの若い頃の写真やできごと、デビューのきっかけを年代順に振り返ってみましょう。
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松山千春のデビューのきっかけや時期は?

松山千春さんのデビューのきっかけは、1975年、「’75全国フォーク音楽祭」の北海道大会に出場したことです。この大会を通じて、SVTラジオの竹田健二ディレクターに才能を見出され、1977年に『旅立ち』でメジャーデビューを果たしました。

「’75全国フォーク音楽祭」では惜しくも落選!
松山千春の幼少期は?若い頃の活躍やできごとを年代順に振り返り

松山千春さんの幼少期のエピソードや、若い頃の活躍やできごとを年代順に振り返っていきます。
幼少期
松山千春さんは、1955年に北海道足寄郡足寄町で生まれました。父は『とかち新聞』というローカル紙を創刊し経営していましたが、松山千春さんが生後2ヶ月で股関節脱臼を患い、北海道大学病院に入院したことなどが影響し、生活が困窮。経済的に厳しい環境で過ごすこととなりました。その後、足寄西小学校を経て足寄中学校に進学します。
小学5年生の時に合唱団に入部し、6年生の頃に足寄で開かれた岡林信康の弾き語りコンサートを聴いたことがフォークとの出会いだったそう。この経験が音楽の才能を開花させるきっかけとなったのでしょう。

スキー選手・猪谷千春にあやかって名づけられたんだって!
10代

松山千春さんが10代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1971年(16歳):足寄高校に入学
- 1974年(18歳):足寄高校を主席で卒業
- 1975年(19歳):「’75全国フォーク音楽祭」の北海道大会に出場
1971年、松山千春さんが16歳のとき、足寄高校に入学します。高校時代はバスケットボール部に所属していました。
その後、1974年足寄高校を卒業します。卒業時には首席となりましたが、家計を助けるため大学進学を断念し、就職の道を選びました。
「歌で人を感動させることは、バスケットできれいなシュートを決めて人を感動させることに似ていた」
日本コロムビアオフィシャルサイト
1975年には「’75全国フォーク音楽祭」の北海道大会に出場しますが、惜しくも落選してしまいます。
16歳のとき、文化祭の前夜祭で初めて多くの人前で歌を披露し、岡林信康の「私たちの望むものは」を熱唱しています。これが音楽活動の基盤であり、原点となったのかもしれませんね。

岡林信康さんに大きく影響を受けたみたいだね!
松山千春さんファンに聞いた、松山千春さんの10代で印象に残っている出来事


「全国フォーク音楽祭」の北海道大会に出場したことです。この大会では落選しましたが、出場したことでその才能を見出されることになったので印象に残りました。(50代男性)

北海道という場所で音楽に興味を示したというのが、のちの天才を生んだんだなと感慨深くなりましたね。才能がこの頃から開花していたのは素晴らしいです。(30代男性)

全国フォーク音楽祭の北海道大会に出場。雄大な自然を書いた歌の影響からか北海道出身のイメージが強いから。(20代女性)
20代

松山千春さんが20代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1976年(21歳):STVラジオで「千春のひとりうた」コーナーが設けられる
- 1977年(22歳):シングル「旅立ち」でメジャーデビューを果たす
- 1981年(26歳):シングル「長い夜」をリリース
「’75全国フォーク音楽祭」に出場したことをきっかけに、STVラジオの竹田健二ディレクターに才能を見出され、1976年には、STVラジオの『サンデージャンボスペシャル』内に「千春のひとりうた」コーナーが設けられました。
翌1977年、松山千春さんが22歳のとき、シングル「旅立ち」でメジャーデビューを果たします。
松山千春さんがデビューされてから今日で48周年。
— Shosuke Kashiwagi (@OsoEbcdxyN63942) January 25, 2025
すべてはこの曲からはじまりました…#松山千春 #旅立ち #デビュー #竹田健二 #フォーク #フォークソング #フォークシンガー #ニューミュージック #folk #folksongs #folksinger #アニバーサリー #anniversary pic.twitter.com/O6PQEvbk8i
デビュー以降、次々と新曲をリリースし、数々のヒット曲を生み出します。中でも、1981年、26歳のときにリリースしたシングル「長い夜」は大ヒットを記録し、松山千春さんの代表曲となりました。
デビューから次々とヒット曲を生み出し、フォークシンガーとしての地位を確立した松山千春さん。音楽キャリアの基盤がこの時期に築かれたと言えるでしょう。

「長い夜」は異色のロック風の曲調!
松山千春さんファンに聞いた、松山千春さんの20代で印象に残っている出来事


「旅立ち」でメジャー・デビューしたことです。これによって松山千春さんの認知度がグンと上がりましたし、歌手松山千春のスタート地点でもあるので印象に残っています。(50代男性)

旅立ちでメジャーデビューしたというのが本当にすごいですね。若いのにやっぱり才能は嘘をつかないのでしょうね。(30代男性)

「オールナイトニッポン」のパーソナリティを務める。ラジオから人気がどんどん広がっていく感じが、ラジオ全盛期の当時ぽいなと感じたから。(20代女性)
30代

松山千春さんが30代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1985年(30歳):ALFAレコードに移籍
- 1985年(30歳):12月に結婚し、長女が生まれる
- 1992年(37歳):日本コロムビアに移籍
1985年、松山千春さんが30歳のとき、事務所をALFAレコードに移籍します。
プライベートでは、30歳で一般女性と結婚し、長女が生まれ、一児の父となりました。
その後、1992年に再度事務所を移籍し、日本コロムビアに所属します。
おはようございます。☀
— kazuhiro414 (@kazuhiro4141) January 27, 2025
今日は昔の「スマスマ」より。松山千春さんを迎えて。
😊千春さんはラジオで中居くんに暖かい言葉をかけてくれました。ありがとうございます。👏
声に出してくれたり、出さなくても応援してくれる人はたくさん居ます。踏ん張ろう。💪
今日も健やかで。💙#松山千春さん pic.twitter.com/s8MOdgcHEB
松山千春さんは、これまで「テレビは出るものじゃなくて、見るものだから」という理由でテレビ出演を拒否していましたが、30歳を機に一転し、バラエティ番組や音楽番組などに出演するようになりました。結婚し、父親になるなど私生活での変化も、大きな影響を与えたのかもしれません。

ドラマ「千代の富士物語」にも出演しているよ!
松山千春さんファンに聞いた、松山千春さんの30代で印象に残っている出来事


日本コロムビアに移籍したことです。これまでも事務所の移籍をしていますし、なかなか松山さんに合った事務所ってないもんなんだなと印象に残りました。(50代男性)

子供が産まれるというエピソードが印象的ですね。長女が生まれたらしいのですがかなりの親バカだとテレビでも発言されていましたね。(30代男性)

一般女性と結婚し、娘を授かる。最近ではメディアへの露出も少ないこともあり、プライベートな面があまり見えていなかったから。(20代女性)
40代

松山千春さんが40代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 2001年(46歳):シングル「新たなる旅立ち」をリリース
- 2005年(49歳):自由民主党北海道連青年部名誉会長を務める
- 2005年(49歳):鈴木宗男とともに地域政党「新党大地」を結党
2001年シングル「新たなる旅立ち」をリリースします。の曲は、北海道文化放送『のりゆきのトークDE北海道』のテーマ曲や、2001年の「北海道マラソン」のイメージソングとしても使用されました。
2005年、松山千春さんが49歳のとき、自由民主党北海道連青年部名誉会長に就任します。
同年、鈴木宗男さんとともに地域政党「新党大地」を結党しました。
『鈴木宗男先生を囲む会』
— まっちゃま(松山千春ものまね) (@macchamachiharu) April 15, 2024
ゲスト出演😎🎤🎶
そこで宗男さんから最高の褒め言葉をスピーチして頂きまして嬉し過ぎます‼️この先もモノマネ芸人として思いっきり頑張って生けます‼️‼️ありがとうございます感謝m(__)m#松山千春 #ものまね#まっちゃま #フリー#鈴木宗男先生 #真の政治家 pic.twitter.com/pxGj2TPZmQ
歌手としての活動と並行して、同郷の鈴木宗男さんとの親交をきっかけに、積極的に政治活動を行っていました。地元北海道への強い思いが感じられますね。

「大空と大地の中で」は新党大地のテーマ曲にも!
松山千春さんファンに聞いた、松山千春さんの40代で印象に残っている出来事


鈴木宗男と共に地域政党「新党大地」を結党したことです。鈴木宗男さんといえば「疑惑のデパート」等言われた方なので、その鈴木さんと組んでいたのかと驚きました。(50代男性)

新たなる旅立ちという楽曲が本当にいいですね。情緒というものを深く感じることができるので一度聴いてほしいです。(30代男性)

自由民主党北海道連青年部名誉会長を務める。歌手としてだけでなく政治の面からも故郷の北海道を盛り上げようと尽力していらっしゃったから。(20代女性)
松山千春の若い頃の髪型は長髪

松山千春さんの若い頃の髪型といえば、長髪な髪型を思い出す方も多いのではないでしょうか。
現在の松山千春さんは、スキンヘッドでサングラス姿の印象が強いですが、若い頃は長髪でアイドルのようなルックスでした。とてもかっこいいですね。
若い頃の松山千春、イケメンすぎてハゲそう。 pic.twitter.com/kquvE4rzvU
— 霧生真⭐️🌈@C105(月)/西と16b【MISSTIX】🎨⭐️ (@Kiriu_Makoto) January 26, 2022
1960年代から1970代にかけて、ビートルズの影響を受けて、長髪にする男性が多かったそうです。

今も昔も違ったカッコよさがあるね!
まとめ

今回は、松山千春さんの若い頃の活躍や出来事を、画像とともに振り返りました。

年代ごとに印象深い出来事がたくさんあったね!
これからの活動も頑張ってほしいと思います。